「名探偵は魔女!?」5







 翌日の夜。
 KIDは再びやってきた。
 新一はベッドに上半身を起こし、本を読んでいた。
「こんばんは、名探偵。……猫、飼っていましたっけ?」
 新一のベッドの上に寝そべっている茶色の猫に視線をやりながら、KIDが近寄ってきた。
「まあ、飼っている訳じゃねえな」
 新一は本を閉じて、くすりと笑う。
「……野良猫には見えませんし、迷い猫にもちょっと。本当に飼っていないと?」
「なんで、そう思う?」
「あなたを主人だと思っているように見えます」
 それは、鋭い。さすがKIDというべきか。
「おまえの目にそう見えるなら、そうなんだろう。で、今日はどうしたんだ?」
 揶揄うような、面白がる目で新一はKIDを即した。KIDも口角をあげて答える。
「お見舞いに。お暇な名探偵に暗号の差し入れなど」
 KIDはどこからか紙を取り出し、びらりと扇状に広げた。
「全部、暗号?」
「もちろん」
「サンキュ。おまえって、いいヤツ」
 新一は上機嫌でお礼を言った。
「でも、一日2つまで。これをお約束して下さらないと渡せません」
「ええ?何だそれ」
 不服そうな新一にKIDは努めて平坦な声で続ける。
「ベッドの住人で、本も一日1冊と止められている人に、それ以上のものはだめですよ。本当に暇つぶし程度でいいんです。根を詰めては治るものも治りません。第一、名探偵が満足するほど渡してしまったら私が隣の女医に怒られます。怒らすと怖いといっていたのは名探偵でしょう?私だって怒らせたくなんてありません」
「……」
「名探偵?」
「わかった。だから、寄越せ」
 唇を尖らせて新一が不本意そうに睨んでもKIDはどこ吹く風だ。
「では、どうぞ。二日分で四枚です」
「二日分?」
「ええ、また二日後にお持ちしますよ」
「そっか。悪いな」
 さすがにばつが悪い。気を使わせているのが忍びない。
 KIDが自分に暇つぶしを提供してくれるのは、純然たつ好意なのに。彼からは、恐れていた変な感じがしなかった。力を使ってしまったかと心配していたが、どこにもそんな気配が感じられない。今までを考えると、普通に話していることは不思議だけれど。
「いいえ。喜んでもらえて嬉しいですよ。それから、今日は少し時間をもらえるなら、約束を果たそうと思いまして」
「約束?」
「はい。いつかふつうのマジックを見せると約束したでしょう?」
「……した」
 少し前のことだ。だが、あの時は叶うなんて思わなかった。
「今日の体調はいかがですか?」
「ずいぶんいい。寝てばかりいるとかえって疲れるし」
 ずっと寝ている病人が床づれを起こすようなものだ。動けないのは辛い。
「では、しばらくおつきあい下さい」
 KIDは優雅に一礼して、トランプを取り出して何度かシャッフルする。左手から右手、右手から左手を動くトランプはまるで生きているように滑らかだ。次に、扇形に広げて新一に差し出す。
「一枚引いてください」
 言われるがままそこから一枚引く。
「覚えて下さい。そして私に見せないで再び中に差し込んでください」
 新一はこくりと頷いて、トランプを伏せたまま扇形の中に入れる。
 KIDは再びトランプを数度シャッフルする。そして左手にトランプの束をおき、トントンと指ではじく。ついで、ぎゅうと左手を握り手の中にむかって呪文を唱え、手を広げるとトランプは消えた。
 KIDは次に手をひらひらと閃かせ黄色いボールを出現させた。指の中からボールは次々に増えていく。やがて指の間すべてにボールが行き渡ると手を交差させた瞬間ボールの色が黄色から青色に変わっていた。青いボールをKIDは手の中に集めて両手でぎゅうぎゅうとねじ込み、ちろりと中を覗き見て笑う。ひょいと手を広げてみせるとそこにはカードが一枚。KIDはそれを新一に見せて、これですか?と聞いた。
「違う」
 スペードのジャック。新一の引いたカードではない。
「おや、失礼。……ああ、こんなところに」
 KIDは微笑を浮かべながら謝り手を伸ばし、新一が着ている室内着のポケットからカードを抜き取る。そして、ひらりと新一に見せた。
「これだ。ハートのクイーン」
 それは新一が引いたカードだった。
「それは、よかった。名探偵を気に入ったから、こんなところに入っていたのですね」
 KIDは新一の上着のポケットを叩く。そして、おやと首をひねる。
「どうやら、こいつも気に入ったみたいですね」
 そう言って現れたのは白い鳩だった。KIDの指に止まった鳩はつぶらな瞳で新一を見上げている。
「可愛いな」
 くちばしをつんつんと触ると、鳩は自身の首を新一の指に擦りつけて懐く。新一は相好を崩す。可愛いものは好きだ。特に生き物は。
「ほら」
 KIDは鳩を新一の方に押しやった。すると慣れた仕草で新一の肩に飛び乗って頬に擦り寄る。
 それを眺めながらKIDは指を鳴らし手を閃かせる。すると、鳩がまた現れた。その鳩を宙へと放し、また手を閃かせて次々に鳩を出現させると同じように宙へ放す。新一の部屋の天井を数羽の鳩が旋回しているの姿は壮観だ。
 KIDがぽんぽんと手を叩くと、鳩はそのまま窓から出ていった。新一の肩に止まっていた鳩も同様だ。
「おそまつでした」
 KIDはマジックショーの終了を告げるため一礼した。
「すごい!」
 新一は拍手しながら誉めた。実力はわかっていたが、ふつうに見るマジックはただ楽しい。事件に絡んでいないせいで純粋に心から楽しめる。
「ありがとうございます」
 丁寧にお辞儀をしてKIDは笑った。
「やっぱり違うよな。マジックの練習はいつも?」
「当然しています。そうでなければ、人様に楽しんでもらうマジックなどできません」
「うん、そうだよな。日頃のたゆまぬ努力が必要だよな。だって、指先とか大事だろ?前に聞いたことある。指の動きをいかに滑らかに自由自在に動かせるかって。もちろん、人の目を上手に操る演技力や話術も大事だけど」
「たゆまぬ努力が必要なのは、マジシャンだけではありません。探偵というものの方が努力したからといって、効果が絶対に出るとは限らない職種ではないですか?人の生き死を扱う事件ならなおさらです。ただ、事件は解決しなくてはならない。犯人を捕まえなければならない。犯人逮捕に努力して当たり前で、怪我をしても仕方がないですませますから」
「……最後のは嫌みか?」
「とんでもない。心配ですよ」
「ふん。まあ、いい。メリル、お茶を」
「はい」
 茶色い猫が返事をして、くるりと一回転すると、少女の姿になる。ふわふわした茶色の髪に焦げ茶の瞳の5歳くらいの少女だ。少女はそのまま部屋を出ていった。
 KIDはそれを無言で見送る。
 新一はKIDの視線をひしひしと感じた。説明して欲しいと無言で語っているのだ。それがおかしくて堪らない。が、新一は無視をした。
 やがて、メリルが紅茶をもってくるやってくる。
「どうぞ」
 メリルは新一へまずカップを渡し、ついでKIDへどうぞ、と渡した。
「ありがとうございます」
 暖かいカップをもらったKIDも、お礼をいった。それに、新一は笑った。
「こいつは、俺の使い魔のメリル」
 そして、改めて紹介した。
「メリルです。キッドさま」
 ぺこりとメリルはお辞儀した。見舞いに来て新一のために、いろいろしてくれたことを知っているため、メリルもそこのところはKIDを認めている。幸いして不埒な行いもしてないし。使い魔として、主の友人と認めてもいいとメリルは思っていた。
「はじめまして、KIDです。どうかよろしく」
「こちらこそ」
 丁寧に名乗ったKIDに気をよくしてメリルも友好的に返す。
「魔女には使い魔がいるものなんですね」
 KIDはしみじみと感心したように呟いた。それが新一のツボにはまった。
「……っ、そうだな」
 新一は口元を手で押さえるが、くすくす笑うことが止められない。
「うちの一族には大抵いるな。小さいのから大きいのまで」
「魔女には黒猫だというのは偏見なんですね。こう、映画や物語だろ黒猫ですから。よく考えたら猫なら白色でも茶色でも三毛でもいいんですよね。うん?大きい使い魔とはどんなものなんでしょう?」
「黒猫は、まあ魔女に付き物だもんな、ふつう。実際は、いろいろな色の猫がいるし。大きいの?魔術の大きさに比例するのと、本人の趣味によるから何でもありだぞ?」
 猫や犬の姿なら普段から側にいても怪しまれないだけで、実際はどんな姿でもいい。魔女の気分であり趣味だ。
「たとえば?」
「そうだなー。俺が見た中で大きかったのはライオンだな」
「……それはすごい」
 KIDは本心から感心したようにため息を付く。きっとその姿を想像したのだろう、瞳が輝いている。
 魔女のことを知る度に、そんな素直な態度を示されると、なんとも面映ゆい。
「まあな。使い魔は自分の分身というか子供のようなものだから。大事なんだ。俺の力がなくなれば、消えてしまうし」
 つい話してしまうのは、何でだろう。魔女のことは一般には秘密だけれど、KIDなら他人に漏らすことはない。興味と感心をもって聞いてくれるし。
「なるほど。奥が深い」
 頷くKIDに新一も笑った。一区切り付いたところで、二人ともカップを傾け紅茶を飲む。メリルにいれてくれた紅茶は美味しい。もっともメリルは珈琲は飲まないから紅茶オンリーだが。
 
「そういえば、普段魔術は使わないのですか?」
 ふと思いついた風情でKIDが質問をしてきた。
「使わないな」
「事件で困った時も?」
「使わない」
「危険な時でも?」
「使わないな」
 あまり使わないから、箒の方が飛んできたりする。主に命の危機なら使い魔も勝手に動いていいと許してあるから、自分で意識する分では力は使わない。
「事件関係は、余計に使わない。使って調べても人間が不可能なことで知りえた事実じゃ証拠にならないし、そんな技を使って証拠を集め探偵をする人間を俺は探偵とは認めない。それに、胡散臭いだろ?相手は人間の範疇でしか動けない。だったら、自分も同じ土俵で勝負するべきだ。まあ、魔女の力なんて使う必要はないんだ。こうやって、生きているんだから」
「もちろん、あなたの探偵としての享受はわかっています。では、反対に力を使うとしたら、どんな時ですか?」
「……どんな時だろう。自分の危機だととっさに使えないから、誰かの命の危機くらいかな?今のところ使っていないから、わかんねえな」
「名探偵らしいですね。どうにも、魔女と聞いても私にとって名探偵は名探偵でしかありえません。魔女を否定しているつもりはないのですが、こう、名探偵を構成する一つでしかないんですよね。魔女であることに誇りをもっている名探偵には悪いのですけど」
「なんだ、そりゃ。別に構わないぞ。俺が魔女であることなんてほとんどの人間が知らないんだ。確かに魔女であることは俺にとって当たり前のことだ。生きていく上での仕事というか生き甲斐みたいなのが探偵なら、魔女は生き物そのもの定義だからな。こればっかりは仕方ない」
 魔女のことは魔女にしかわからない。その上魔女にも種類があるのだ。同じ一族でもない限り、理解するのは難しい。吸血鬼との子供ともなれば、同じ条件である者がどれだけいるのか新一は知らない。
「おまえだって、夜はKIDとして誇りをもって生きていても、KIDは秘密だ。昼とは違う。昼間のおまえはおまえとして認められて生活している。同じようなもんだな。ああ、昼間はマジックはやってねえの?」
「昼間もマジックはやっています。それこそ、私の生き甲斐で趣味そのものですから」
 KIDは素直に打ち明ける。
「そっか。なら、マジックの練習していてもおかしくねえのな?」
「はい。もちろん。ご心配には及びません。私がマジックをしていても、誰も不審になんて思いません。していない方が不自然ですから、いつでも練習できますよ」
「ならいい。さすがに、それまで秘密だと大変だからな」
 KIDは個人情報を世間話で受けて話し、新一もそのまま流す。
 ここで語られたことは他言無用なのだと互いに自覚があるからだ。信じているからとも言い換えられる。
「ええ」
 KIDも微笑む。そして、カップを置くと一歩下がって優雅に頭を下げた。
「ずいぶん時間を過ごしてしまいましたが、そろそろ失礼します。また、二日後に参りますので、ご自愛くださいませ」
 そう言って、あっというまにベランダまで移動すると飛び立った。
「二日後か」
 新一はもらった暗号を見つめながら楽しそうに呟いた。
 








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