「来たぞ。でも、特になかった」 阿笠邸。志保と新一がテーブルを挟んでソファに座っている。 テーブルの上にはいれたての珈琲が湯気をたてているし、白い皿には美味しいと評判のクッキーが乗っていた。ノーマルとチョコチップが入ったものナッツが入ったものと三種類あって、見た目もおいしそうだ。だが、それにはまだ手が付けられていない。 「それなら、いいけど。何か聞かれた?」 「まあ、一応。志保と同じような感じかな。魔女と聞いて思うことは皆一緒ってことだ。ああ、悪魔とか契約しているのか聞かれたな」 KIDとの会話を思い出しながら新一は首を傾げる。 「悪魔?そういえば、映画とかにある魔女って禍々しいものあるわね。ドクロとかに囲まれて、魔法陣で呪文を唱えてなにか召還したりするの。悪魔とか現れてその力を借りて、大きな災いを起こしたり。偏見かもしれないけど、夜中に、蝋燭の明かりで魔術とか唱えてる感じ。生け贄とかもあったわね、映画で」 間々ある魔女の姿である。魔女はどうしても悪役に描かれやすい。そういったものは世間で黒魔女とよばれ、正しいことしかしない白魔女と区別されているが、結局魔女は魔女だ。魔女にもいろいろあるが、自分にとって役に立てばよくて災いになれば悪役になるだけなのだ。人間なんてそんなものだ。それに意義を唱える必要性は感じない。 「それでもいいけどな。だって、魔女なんていないと思うからそんな想像力逞しくいられるんだろ?本当にいると知っていたら怖くて出来ない」 新一がそういって笑う。志保もつられて笑った。 「そうね。そういうものよね。本当にいたら恨みや呪いが怖くて悪口なんて言えないわ。だって、人間は現金なんですもの。危機意識が乏しいのよ。そういった魔女や吸血鬼、狼男なんて想像上の生き物だと、存在していないと思っているから、娯楽に使えるのよ」 「それでいい。知らなくていい」 「ええ。知れたらとんでもない事態になるものね。私たちが毒薬のようなモノで幼児化して、元に戻ったなんて世間に知れたら誰からも狙われるし、実験動物になるように。……ねえ、工藤君。今まで、魔女であることがばれそうになったことはないの?」 「うーん、ないと思うっていうかな。俺は有名人の子供だから誘拐の危険性なんて最初からあったし。父親も母親もファンに熱烈で危険な目にあわされたことは、山のようにあるし。いろいろ仕事がらみで、恨みや妬みも頻繁にあるし。厄介なことなんて日常茶飯事?それが、どれに起因しているか、探すことの方が大変なんだよ」 「……ああ、あなたの両親、世界的に有名人ですものね。息子のあなただって両親に関係なく有名人だし。大仰なあだ名いっぱいあるもの。平成のホームズに日本警察の救世主。迷宮なしの名探偵。ついで、ジョーカー。工藤新一と魔女を結びつけるものなんて見えないわね。それはよかったのかしら?それともいつでも人目に付くことを嘆いた方がいいのかしら?」 「一応、今はメディアには乗らないようにしているんだけどな。だから新聞にもニュースにも出ないし」 「世間にはね。知っている人は知っているから、あんまり意味はないような?いえ。それでもあるのかしらね。探偵としてのあなたに関してなら。それ以外だと、無意味ね」 「……それ以外無意味ってなんだよ、志保」 「工藤くんの容姿よ。その世界的な美人女優に似た顔よ。目立たない訳ないじゃない」 「や、でもな。男だから、似ていても性差はあるだろ?」 「ないわ!」 志保は断言した。 そんなものがあったら、苦労しない。 「いい?工藤くん。今のあなたは、若さがあるの。瑞々しさに溢れた美貌に、少年特有の色気まで兼ね備えているのよ?往年の工藤有希子のファンからすれば、そのままの美貌があるのよ!第一、多少年齢重ねても、同じ顔よ。もっと、綺麗になるだけよ!いい加減認めなさい!そして、危機管理をもって!」 その容姿と気性だけで今までどれだけの下僕を作って来たことか。昔からきっと可愛いがられてきたはずなのに、自覚がないのはなぜなのか。 江戸川コナンでいた時などその可愛い顔を利用して、誰でも扱き使っていたではないか。素晴らしい演技力で、子供のお願いでは通らない大事を大人に叶えさせていたはずだ。それとも、あれは必然に迫られてしていただけで本人の自覚がないのか。 当時の苦労を思い出して志保は頭が痛くなったが、最後の「危機管理をもって」に力をこめて言い切った。 目を釣り上げ鬼気迫る迫力に、一瞬新一は身体が引いた。 なんというか逆らってはいけない雰囲気が伝わってくる。 「……志保。怖い」 「怖くて結構よ!」 新一の失言に志保は眼孔鋭く、言い放った。 怖かった。まるで夜叉のようだった。だが、さすがに口には出さなかった。新一は自身が魔女であることなど片隅においやって、ごめんなさいと謝った。 「KIDのことは、まあ、いいわ。なにもなかったなら。……でも、様子は見ておいてよ。それに用心はしておいて」 「わかった。まあ、しばらく現場には行かないつもりだし。要請が来たらその時考える」 自分から関わる気はないという新一に、志保は視線で応えて肩をすくめた。 「……っ」 「工藤くん!」 拳銃から激しい音を立て銃弾が発射された。一心不乱に何度も引き金を引く男は、すでに正気をなくしていた。 激情にまかせ人を殺し、警察に囲まれて恐慌状態に陥っていることが見て取れる。 新一は子供を後ろ手にかばい男を睨み、右腕から流れる赤い血を左手で押さえながら、ぐっと唇を噛む。そして、身体をふってその反動を利用し足を振り上げた。新一の足で腹を蹴り上げられた男は身体をぎゅうと押さえて倒れ込んだ。げほげほと苦しそうに咳き込んでいる。 「確保……!」 新一の声に、高木が飛び込んた。 「名探偵!」 KIDが叫んで飛び込んできた。 ベッドで寝ている新一は、ふと目を開けて声音からでも慌てているとわかるKIDを見やった。 「怪我をしたそうですね?大丈夫ですか?」 ゆっくりとでも大股で新一の枕元まで来るとKIDは視線をあわせるために、膝を付きかがんだ。 「……ああ、情報が早いな」 「当たり前ですよ。名探偵はご自分を知らないんです」 「……?」 「事件解決に関わったこと。ちゃんと世間には工藤新一の名前は伏せられていますが、警視庁内では有名なんですよ。だからこそ事件の要請があなたに行くのですし。犯人に撃たれたって警視庁内はマッハの速度で広まっています」 「はあ?なんだそれ」 新一は不思議そうに首をひねる。警視庁で自分の怪我が広まってどうする? ふだん、事件に関わったことは内密にしてもらっている。だから新聞にもテレビにも出ない。昔は名前も出ていたがとある組織に関わり身体が小さくなってからは一切自分という存在を隠している。実体が掴めず黒の組織と呼んでいた犯罪組織を潰してからは特に。 それまでは、多少は顔と名前は売れていた。魔女という存在であるため、大っぴらにするべきではないが、両親が有名人過ぎて今更だ。一人だけ無関係をよそおってみても無理がある。どちらにしても二人の子供として注目されるなら、探偵としてくらい目立つくらいは多め目にみて欲しかった。いささか売れすぎたけれど、それも今更だ。 「仕方ありません。公にはしなくても警視庁を拠点として警察関係者には情報は回ります。今でも日本警察の救世主に代わりありませんから、よりによって怪我なんてしたらその情報が回らない訳ありません。今頃犯人は恐ろしい体験をしているのでしょうし、側にいた刑事もこってりと絞られていることでしょう」 「……」 新一はあっけにとられた。 それは、どうなんだろう。頼りにしてもらっていうのは、喜べばいいのか?そうでなければ、事件の要請は来ないし。だが、本当に?冗談ではなく? 犯人がどんな目にあうって?恐ろしい体験とはなんだ?側にいた刑事、つまり高木さんが絞られる?あれは、高木さんのせいじゃない。もちろん、犯人が悪いんだけど、あの時己を失っていたから発砲してしまったのだ。 「本気ですとも。私の情報は信用できませんか?」 「いや、信用できるから、困るんだろ」 新一はため息を付いた。そして、ゆっくりと怠い半身を起こす。それに気付いたKIDがそっと手を差し伸べてくれたので、素直に手を借りた。 「ああ。しばらくベッドの住人だっていうのに。様子を見にもいけやしねえ」 口惜しいものだ。仕方ないが。 「それほど、怪我が酷いのですか?」 途端、心配そうに顔を覗き込むKIDに新一が小さく笑う。 「銃創だから、仕方ないな。志保にもさんざん怒られてさ、しばらくベッドの住人になってろって言われた」 「では、退屈でしょう?」 「すげーな。読書も控えろっていうんだぜ?さすがに、一日1冊は認めてもらったけど。もちろん、外出禁止だから新刊も買いにいけないし。でも、志保を怒らすと怖いからな」 実際、怪我をして阿笠邸に運び込まれて治療してくれた志保は滅茶苦茶怒っていた。目が恐ろしかった。 いくら怪我をしてもふつうの病院にはいけないため、何かあった場合は志保に連絡してもらうことに警視庁内でなっている。高木に車で送ってもらい、治療をしている間に事情を聞かれて答えていると段々と志保の目が据わっていった。包帯を巻き、点滴をしている時には、恐ろしくて話しかけられなかった。 今回、事件の要請で赴いた先で証拠を集め犯人を見つけたが、犯人が逆上したのが問題だった。隠しもっていた拳銃を握りわめき始めたのだ。その部屋に、元々別室にいた子供が入ってきてしまい、拳銃を持つ男に怯え悲鳴を上げたものだから、犯人は恐慌状態に陥り、発砲した。 新一は足を蹴って駆け寄り腕を精一杯伸ばし子供の身体を引き寄せ抱きしめた。ぎゅうと守るように抱え込む側で、腕を銃弾が掠める。子供を後ろ手に自分が盾になりながら、犯人を見やる。そして、きつく睨んで相手が怯んだ隙を狙い足を振り上げで犯人の腹を蹴り上げた。倒れる犯人を刑事が取り押さえて、事件は解決した。が、新一の怪我はたいしたものだった。 腕をかすめた銃弾。無理をした脚はひねって捻挫。ついでに数日前から少し風邪気味だったのだ。ただでさえ免疫力が低下しているのに、銃弾を受けたため身体が休養を欲していた。志保はしばらくの間、ベッドの上でじっとしているように新一に命令した。 「では、退屈しのぎにでも、これなんていかがですか?」 KIDは一通の封書を差し出した。 「これ、もしかして」 一目見ればわかるKIDのマークが入った封書。つまり予告状だ。 「ええ。今度のです。多少は気が紛れるでしょう?」 「サンキュ。楽しみだけど……今、予告状って出ていたっけ?」 KIDの管轄は二課だが、それなりに新一にだって情報は入ってくる。今のところ新たにKIDから予告状が届いたとは聞いていない。 「いいえ、まだですよ」 KIDが笑う。 「それは、これから出すものです。ちょうど持ち合わせていたので、名探偵に差し上げようと思っただけ。そのうち同じものを出しますよ」 「おまえ、さあ」 新一は頭を抱えた。先にもらってしまっていいのだろうか。自分がそれを誰かに話すことはないし、今動ける状態ではないし、当分行動は慎めと志保から命令されているからKIDの現場に行くことは無理だろうが。 暇つぶしになる暗号は嬉しいが、素直に喜んでいいものか迷うところである。 「別に、いいでしょう?それとも、いりませんか?」 「いる。もらっとく」 新一はKIDの揶揄に思わず封書を抱きしめた。上質な暗号は好物だ。突き返すのは勿体ない。現金に新一はそう思った。 「素直な名探偵もステキですね」 笑ってそういうKIDに新一はむっとする。 「馬鹿にしてるのか?」 「いいえ」 「俺はいつでも素直だ!」 「素直という言葉の辞書を引いた方がいいですね」 「ああん?俺のどこが素直じゃないって?魔女をなめるなよ。言葉には魂が宿る。だから、言葉は慎重に使わなければいけない」 「……言霊のようなものですか?」 「魔術の場合、当然だが呪文を唱える。つまり、言葉だな。力と言葉が必要、それがそろえば魔術は発動する。もっといえば、意志のこもった言葉を使うと魔術が発動する時だってある。だから、魔女はいい加減な言葉は使わない」 魔女の使う言葉と意志のこもった瞳を認めて、KIDが少し自嘲する。 「失礼しました。本当に、からかったつもりではないのですが。誤解をさせた事は謝ります。ただ、名探偵は暗号が好きなのだと感じたものですから。それに、KIDのような存在に真正面から向き合ってくれる名探偵は貴重です。少しだけ甘えてしまいました」 「……おまえ、やっぱり馬鹿だな」 確かに、こんな風に自分の部屋で話している事が驚きだけれど。 KIDであるということは想像した以上に、難しいらしい。誰にも真実の姿を見せないで、捕まらないよう用心して、夜だけに生きているKID。昼間は別の姿があるだろうが、夜の顔を出さないように過ごしているはずだ。 自分とは違うけれど、少し似ている。誰にも毒薬で幼児化し解毒剤で元の姿に戻ったなどと言えない。魔女であることも同様だ。他人に言えないことがたくさんある。共有してくれる人間が側にいるからいいようなものの、誰もいなかったらやるせないだろう。 「今更だってーの」 KIDは新一の秘密をすでに知っているのだから。 「はい。……ああ、すみません。お休みのところに。横になって下さい」 KIDは慌てて新一を即してベッドに寝かせると、甲斐甲斐しく布団をかぶせる。そして、失礼しますと言いながら去っていった。 新一は、やっぱり馬鹿な奴と思いながら目を閉じた。 |