「あのさ、紅子」 「なに?黒羽君」 ここは江古田高校の屋上だ。すでに授業が終わり放課後であるため、校庭からは部活に勤しむ声が聞こえてくる。 いつもだったら、部活に入っていない黒羽快斗はさっさと帰るのだが、今日は屋上までやってきた。 それは目的の人物小泉紅子が一人でいたためだ。 長い黒髪をさらりと流し美しい顔をついと快斗に向けて紅子は意味深に目を瞬かせる。 「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」 快斗の言葉を紅子が笑った。 「黒羽君が私に聞きたいことがるなんて珍しいこと。わざわざ一人の時をねらってまで」 快斗は紅子に普段自分から近づいたりしない。クラスメイトであるから、話しくらいするし幼なじみ中森青子の友人であるからつきあいもあるが、紅子が快斗に絡んでくるから鬱陶しいと思うのだ。 その快斗から紅子に自ら近づくなど、ほとんどあり得ないことだった。 「まあ、な」 「それで、私に聞きたいことってなに?」 あなたが私に聞きたいことなんて想像できないわと紅子が揶揄する。快斗はますます言い難たそうに、顔をしかめた。その顔が面白いのか、紅子が機嫌よく即した。 「いいわよ、特別に聞いてあげるわ。私の虜になれなんて言わなくってよ」 ほほほと口元に手を当てて笑う姿は女王さまのようだった。もちろん彼女に似合っていたが。 「……あのな!おまえの他に魔女っているのか?」 かなり勇気をもって叫んだ快斗の台詞に、紅子は瞬間動きを止めやがて、目を大きく見開き大笑いした。 「はあ?本気、黒羽君。いつも私のこと胡散臭そうに見ているのに?とうとうあなたも魔女として認めてくれたということかしら?いいえ、違うわよね。そうでなくて、他に魔女がいるかなんて聞かないもの」 紅子はぎろりと快斗を睨んで、わざとらしく肩をすくめてみせた。 「とはいっても、特別に教えてあげるって約束したものね。魔女は約束は守るものだから。……他に魔女がいるか?いるに決まっているじゃない。私一人だけ魔女なんて、この世から魔術がなくなってしまうわ。もちろん、私ほど位の高い魔女ばかりではないけど。なんといっても赤魔術の正当な継承者。もっとも邪悪なる神ルシュファーと交信できるのですから!」 「……で?いるんだよな?」 「いるわよ。世界中に。私みたいに人間の中に紛れてるわ」 「ならさ、近所にもいるのか?」 「近所?東都にってこと?」 「その範囲でもいいけど。できるなら、この近辺で」 「……黒羽君、私に言うことがあるようね。白状なさい」 「別にない。ただ、箒で空を飛んだら魔女なのかなーって、思ってさ」 「つまり、箒で宙を飛んでいる者を目撃でもしたの?だから魔女じゃないかって?」 「……」 その通りだ。 ビルの谷間で箒に乗って浮いていた。危機一髪という状態で焦る自分の前で。 紅子はふんと鼻を鳴らして腕を組む。 「魔女でしょうね。箒で宙を飛んでいたんでしょ?最近は自称魔女もいて、鬱陶しいんだけど、それは本物でしょう。魔力がなければ、宙なんて飛べないもの。……魔術師のあなたが、ついに魔女を認めるのね?愉快じゃない」 「……」 「黙んまりなの?つまらないわね。で、どこで見たのよ」 「……どこって、夜」 深夜の高層ビルの屋上で会った。会うことは珍しいことではないが。その後が問題だった。 「真っ昼間、魔女が宙を飛ぶ訳ないでしょ?場所よ、場所!私も同業者というか同類がいるなら知りたいもの」 「結局、近隣にいる魔女に心当たりはないんだな?紅子は」 「……そうね」 快斗の切り返しに紅子は認めた。 「魔女にも種類があるから。私は赤魔術師だし。そうでないと、行き来はしないもの。縄張りがある訳じゃないから、引っ越してきても挨拶になんて来ないし。まあ、会えばわかるわ」 「そういうもんなのか?」 「そうよ」 それでも胡乱げに見つめる快斗に、紅子が切れる。 「あなた、魔女に尋ねる態度じゃないわね。魔女は約束は守るものだって言ったでしょ?人間は嘘をつくけど、私たちは付かないわ。それは口約束でも契約なんだから」 「了解」 「本当にわかったの?」 「わかったてーの」 「黒羽君。大概、失礼ね。……怪盗KIDの名が泣くわよ」 「俺はKIDじゃねえってなんども言ってるだろ?」 すでに何度もした問答を繰り返す。 黒羽快斗は実はKIDである。だが、認める訳にはいかなかった。証拠など一つもない。勝手に言っているだけだ。いくら確信があろうともそれは想像でしかない。もっとも、紅子は快斗を犯罪者として逮捕させようとはしない。ただ虜になりなさいと常々言われてるだけだ。 「KIDだって自分のことは認めないのに、私のことは魔女だって認めてくれるの?」 「……うるせえ」 邪険にする快斗を子供でも見るかのよう紅子は見つめる。 「ほんとうに、矛盾ばかりのひとね。それでは真実なんて見つけられなくてよ」 「放っておけ」 紅子の助言を切り捨てて快斗はもう話は終わったと背を向けた。 だが、一応の感謝を込めて「サンキュ」いいながら後ろ手にひらひらと手を振った。 紅子は仕方なさそうにそれを見送った。 「こんばんは、名探偵」 工藤邸、新一の自室のベランダにKIDがやってきた。そろそろ来る頃だとは思っていた。いくら何でも、あのままという訳にはいくまい。 白いマントを翻しそろりと歩いて来る姿は、いつも屋上や現場で見る存在感そのままだった。だが、個人的訪問であるせいか、緊張感は少ないように見える。 「ああ、やっぱり来たか」 「ええ」 「それで?」 新一は率直に即した。前置きは時間の無駄だ。必要ない。 「お尋ねしたいことがあるんです」 「いいぞ」 「名探偵は魔女なんですか?」 「そうだ」 新一は迷うことなく即答した。 「……本当に、魔女なんですか?」 「おまえが見たまま。嘘偽りなく魔女だ」 「そうですか。答えていただいてありがとうございます」 KIDは納得したように小さく笑みを浮かべ、優雅に頭を下げた。 おや。ずいぶん素直に信じるもんだな。もっと胡散臭く見られて信じてもられないかと思った。いくらKIDが謎の多い人間でも人間には変わりないだろうに。 簡単に納得できるKIDに新一の方が不思議だ。 「それだけか?」 もっと聞きたいことはないのか。あるだろう。ふつうは。新一は水を向けた。 「ええ、と。少々質問しても?」 「ああ。いいぞ」 正体を明かしているんだから今更だ。ついでに質問はまとめてして欲しい。話せないことは省くけれど、それはKIDも承知の上だろう。 「魔女ということですが、悪魔とか契約しているのですか?」 「俺が?そんなのしてないな」 「では、どのような?」 魔女について基本的に偏見があるのはわかっている。新一は志保にしたように説明すればいいかと決めた。 「俺のルーツはイギリスらしい。どっちかっていうと自然崇拝だな。魔術も四大元素に関係しているし。魔女にもいろいろあるし、血に継がれるものだからな」 「ふむ。やはり魔術は使えるのですか?」 興味を隠さずKIDは質問する。 「力の違いはあるが、使えるもんなだな。元々魔女っていうのは、薬草やハーブに詳しく地域で医者の役割をしていた。怪我や病気に出産など生死に関わることだ。それ以外に呪いごとを請け負い、天候とか自然現象に聡く暦を読むから村でも重宝されていた。それは魔術がなくも知識や経験で培われるものだ。だが、当時、それらは魔法に見えただろう。だから、後々魔女裁判なんてものもあった。これは政治的色合いばかりだけど。そんな事もあって、魔術を使う魔女は表から隠れた。今でも、力ある魔女は表に出てこない。……で、おまえが見た通り箒に乗って自由に宙を飛べる。それ以外は実践してみた方がいいのか?」 「……差し支えなければ」 見てみたいと好奇心を瞳に浮かべたKIDに新一は小さく笑った。 タネがあるが、人に魔法を見せる魔術師だというのに、魔女の魔法には興味津々らしい。 「じゃあ、一つ。……ほら」 呪文を短く唱え、ふうと手のひらに息を吹きかける。 すると、そこに炎が灯った。手のひらに赤い炎がゆらゆらと乗ってる。 「……さわってみても?」 おずおずと申し出るKIDに新一はいいぞと頷く。 志保と同じ反応でおかしい。だが二人とも興味や興奮の色が濃くそこには異端を見る畏怖がなくて、嬉しかった。 そっとKIDが手袋に包まれた指を炎に伸ばす。触れる炎は当然だがKIDの指を焦がすことはない。 「熱くないんですね。でも幻という訳でもない」 タネがあるマジックならホログラムかもしれないが、そんな装置はどこにもない。凄腕のマジシャンであるKIDにはタネがないことくらいわかるものだ。 新一はもちろんKIDがそのくらい理解できることを前提として見せている。これをマジックだと勘違いするような人間に見せるはずがない。 「ああ。半分本物で半分幻みたいなものかな。これで、何かに火を付けることはできるけど、今見ている炎は人を火傷させることはない、ただの灯りだ」 そう説明して新一は手をぐっと握って炎を消した。 「すごいですね」 感心気味に声が弾んでいる。それが少しくすぐったい。 「俺よりおまえの方がマジシャンだろうに。人に不思議を与えることができるだろ?」 「私はマジシャンですから、タネがあります。多少はマジシャンとしての自負はありますが、本物の魔術は別ものです。なんというか別の理論で成り立っているので、見ているだけで楽しいです。私には出来ない世界ですから」 なんとも素直な感想に、KIDらしくない。否、KIDらしいのか。子供だもんな。 「魔術なんて、できなくても人は生きていけるし、普段は関係ないもんだ。だから、魔女がいるなんて知らなくてもいい。世間には世の中のマジシャンが見せる夢や幻や不思議があるんだから」 「……ありがとうございます」 KIDが丁寧にお辞儀をした。新一のいいたいことが伝わったらしい。 人の世には魔術なんてなくていいのだ。自分は確かに魔女だけれど、ひっそりと知られずに生きていけばいい。魔術などというものが公になったら権力者は必ず求める。便利なものを手に入れようと争いが起こる。現在でも知ってる人間は存在するが僅かであるし、決して私利私欲に使うような人物ではない。そうでなくて、正体など明かせない。 もし信用をおけない人間に不可抗力で知られてしまったら、記憶を奪わなくてはならない。誰かに秘密が漏れたならば、一族が危険に晒される。 新一や有希子の一族はそうやって生きている。 KID自身も秘密を抱えて生きているから、その点は信用できると新一は思ったのだ。だから、誤魔化すことなく質問にも答えている。 「いいや、俺もマジックは好きだから。夢を与えてくれる、ちょっとした不思議を感じられるマジックは見ていて楽しい。おまえの大がかりなヤツも好きだし。大がかりじゃなくてもいいけど、KIDの仕事だと仕方ないか」 KIDの仕事上での仕掛けで行うマジックは当然ながら大がかりなものが多い。仕事を進めやすくするためには人目を引いた方がいいからだ。反面、人目を引かない仕掛けもしてあるのが常だ。それは盗む作業の場合は必然だ。 「そうですね。……いつか名探偵にはふつうのマジックをお目にかけられたらと思います」 お世辞ではなく本心が混じった声で、KIDが真摯に言うので新一も笑った。 「サンキュ。気持ちだけもらっとく」 そんな機会はないだろう。でも、そう言ってくれたことだけは受け取っておこう。 「私は幻みたい存在ですが、一度した約束は守りますよ。だから、いつか。必ず」 KIDはそう言って一一礼すると、颯爽と部屋を歩き窓からベランダに出ると、夜空に飛び立った。 新一をそれをただ見送った。 来る時も唐突なら帰る時も唐突なやつだと思いながら。 |