「なんですか?」 園子が自分の役割であると意識して、返事をする。 「どのようにして、解毒剤を手に入れられたのでしょう?それに、なぜ王妃の髪がこんなに短くなっているのですか?」 いったい何があったのか。白馬にはわからなかった。 「どんな薬も作ることができる薬師がいます。国境沿いの里の外れ、人知れず暮らしている老婆です。ほとんどの人には噂の域を出ない幻の薬師です。どこにいるのか、本当にいるのか知らない人がほとんどです。幸い、私は知っていましたから道案内をできました」 「そんな人がいるのですか?」 白馬は全く知らなかった。 「あの、おばばですね。ご存じだったんですか。私も話しだけは聞いたことがありますが、会ったことはありません」 新井は、感心したように息を吐いた。 「では、王妃様の髪は代価ということですか……」 新井も噂を知っている。おばばが要求する代価を。貨幣は受け取らない代わりに、その人間にとって大切なものを代価に求める。 「王妃の髪が?代価?何ですかそれは」 驚いている白馬に、新井は厳かな顔で説明する。 「おばばは、代価を求めます。貨幣ではありません。身分でもありまえん。そんなものでは、薬は手に入りません。心からの願いでないと話も聞いてもらえません。そして、代価の要求にその人間自身を求めます。その人間の目、耳、腕、足。おばばは代価に求めるといいます。おそらく、髪を求められたのでしょう、王妃様は。命の重さに対する代価は、求めた人間の覚悟に比例します。そんな噂を知っています」 「本当なのか?」 「本当です」 その疑問には園子が答えた。 「では、もしかして、王妃は髪ではなく目や耳、腕、足を要求される場合もあったということか?」 「その通りです」 園子は断言する。 白馬はその事実に、打ちのめされた。 実はとても危険な賭をしていたことを。知らなかったとはいえ、王妃になんてことをさせてしまったのか。国王の命も大事だが、王妃がそれで身体の一部を失って帰ってきたら、どうなっていたか想像するだけで恐ろしい。ティターン国から何を要求されるか。 だが、本当に素晴らしい王妃であることは間違いない。 頭の回転が速く、国王の代わりに指示をして、命を救うために自ら危険を省みず解毒剤を持って帰ってきた。その勇気も度胸も王妃として尊い資質だ。その上、容姿も極上だった。まだ幼いが将来は、美姫に育つだろう。すでに白馬は新一の素顔をしっかりと目にしていた。ベールで隠すなどという状況ではなかったせいだ。 「王妃様は、本当に賢い方ですね。そして、勇気も度胸もある。人を従える資質もある。王妃として素晴らしい方です。これで、この国も安泰だ」 白馬は心から誉めた。 「巫山戯ないで!」 だが、蘭が立ち上がり鋭い声で一喝した。 「これ以上、姫に王妃の理想を押しつけないで。まだ成人していない子供に、なにを過剰に求めるの?」 ぎり、と唇を噛み蘭は切れそうな眼差しで白馬を見た。白馬はあっけにとられた。 「失礼ながら、宰相はお忘れです。姫は、まだ王妃ではありません。14歳の子供ですから。そして、人質です。その姫に、この国は何を求めるのですか?」 園子が冷静に述べた。 「……」 白馬は声を失った。 王妃と呼ぶ14歳の子供を自分は今までどう思ってきたのだろう。そう、今回偶然国王の命を救ってくれたから、すばらしい資質を持っている人間だとわかって嬉しかったのだ。だから、これからも国王を支えて欲しいと思った。それに嘘は全くない。 だが、王妃は先日までの敵国の王女であり人質であることは、誰の目にも明らかだ。城内の目、国民の目はそう見ている。その中で、彼女はどんな風に過ごしてきたのだろう。国王が気遣っていたからこそ、親しくなっていたからこそ、命の危険を省みず、彼女は解毒剤をもらいに行った。普通であったら、こんな子供が王妃という立場にいるからといって、危険をなことなどありえない。否、成人していてもまずしないだろう。国王の命が危険でも、嘆く以外ないだろう。そして、嘆いているだけだとしても誰もそれ以上求めない。国王がなくなったら、人質の彼女がここにいる必要はない。そのままティターン国に帰るだろう。それで、終わりだ。人質なのだから。 本来なら自分が宰相として国王の命を救うため、行かなければならなかったのだ。そのおばばの所に。 それを自分は、これからも王妃として国民のため、国王のために役目を果たしてもらえるのだと期待した。してもらるものだと勝手に思った。 思い違いも甚だしい。 これだけのことをしてもらって感謝こそすれ、もし今後同じようにしてもらえなかったからといって、責める謂れはない。 偶然なされたことだ。今回のことは。 「……失礼しました。私は思い違いをしていました。自分が本来やらねばならないのに、王妃があまりに素晴らしいからといって、頼っていい訳がなかった」 沈痛な面もちで、白馬は謝った。 「いいえ。言い過ぎました」 「すみません」 園子も蘭も自分の侍女としての立場を思い出し、謝罪した。 「姫は、きっと自分が特別なことをしたとは思っていないでしょう。そういう方ですから」 「ただ、できるなら、これ以上姫を傷つけたくないのです」 「もちろんです」 白馬も同意する。 「……けれど、国王は、きっと姫様を見たら嘆かれるでしょうね。髪が、と」 想像に難くない。大事にしている王妃の髪がみじかくなっていたら、まず驚き嘆くだろう。先ほど一時意識を取り戻した時は、意識が朦朧としてよく見えていなかったはずだ。 「それは、そうでしょうね」 「でも、姫様は、きっとなにを言わずに背を向けるのです」 「……ええ。そうでしょうとも。あなたの命のために失ったのだと王妃様が言うわけがない」 なにも知らない国王は、聞くはずだ。どうしたのか、と。王妃は答えない。その様が、目に見えるようだ。 「せめて、陛下が先に目覚めてくれれば、説明もできるものを」 「……それは無理かと」 横から新井が呟いた。 ああ、頼みますよ、陛下。 「すべては陛下に掛かっているのですか?王妃様の機嫌を切実に損なわないで頂きたいのですけど」 こんなことが起こる前、そういえば王妃に会えないと国王は嘆いていた。何をしたのか、わからないようだった。あれは、どうなったのだろう。 また、会ってもらえなくなるのか。あり得て怖い。 「どちらにしても、姫様は、三日ほどは寝込むでしょう。ですから、会うことなど厳禁です」 「姫様の身体は、すでに限界です。この身体で二日ほど昼夜馬に強固に乗っていたのです。ずっと緊張続きでしたし。それでおばばと対峙して解毒剤をもらってきました。それに、途中で山賊にも襲われました。精神も身体も酷使し過ぎていて、今は気力でもたせていますが、間違いなくこの後倒れます」 蘭と園子からの暴露に、白馬は頭を抱えた。 申し開きなどできない。いったい、自分はなにをさせたのだろう。人質として来た王妃に。まだ成人もしてない子供に。 どっぷりとお落ち込んだ。 「……ん?」 新一がぱちりと目を開けた。 「姫様。気が疲れましたか?」 蘭が声をかけた。新一は蘭に視線をやってから自分の置かれている状況を知った。 「あれ?」 起きあがろうとするが、力が入らない。 「無理ですから。さあ」 蘭が新一を抱き起こし、軽く抱えあげた。その後ろでさっさと園子がクッションを掻き集める。その柔らかな上に新一を下ろしてついでに毛布を掛ける。あっという間の手際だった。思わず、すごいものだと白馬は目を瞬いた。 「では、何か暖かいものでももらってきましょう」 園子が颯爽と部屋から出ていった。ここで蘭が残ったのは、新一を抱えて移動させることができるからだ。 新一はまだ、ぼんやりするのか目をこすっている。その仕草はとても幼い。 「姫様。どうせここから動かないつもりでしょうから、しっかり暖かくしていて下さいね。それから、無理はしないこと」 「わかった」 新一は素直に頷く。自分の身体全身が疲労で悲鳴を上げている。今にも眠ってしまいそうだ。眠くて仕方ない。 蘭に支えられながら、毛布を抱き寄せて、座り心地のよい場所を探して身体を固定する。 「飲み物、もらってきました」 一心地付いた頃、園子が全員分飲み物を運んできた。それを配って、……もちろん最初は新一だ……皆、安堵の息を吐いた。 様々なことがありすぎて、肩に力が入っていたらしい。山は越えたとはいっても、相変わらず国王は寝ているし。 「王妃。今回のこと、本当にありがとうございました。後で、いかに危険だったのか聞きました。本当なら、宰相の私が薬師のところに行くべきだした。それをお任せして……」 白馬は改めて感謝と謝罪をした。知らなかったとはいえ、自分はあまりにも礼儀知らずだ。王妃がしてくれたことがどれほど奇跡的なことかわかっていなかった。 「……それは、違う」 だが、新一は白馬の言葉を聞きながら断言した。 「おばばは、確かに代価を求める。それが、髪だったのはおばばなりの優しさだ。それで、解毒剤がもらえるなら、髪など安いものだ。でも、おばばは、代価を誰からも求める訳ではない。代価を払う人間として相応しい人間からしか取らないし、薬ももらえない。なぜなら、今回例えば兵士である部下が行ったとする。国王の命のだため、行かずにはいられないだろう。宰相が自ら行ったとする、命令でなくても。だが、おばばは、それを認めない。代価を払うに相応しくないからだ。下っ端が命令で命を懸けることをおばばは許さない。大事な人の命のために代価を払える人間は、その人にとって大事な人だけだ。親と子、夫と妻。そういう間柄だけが認められる。代価を払える。だから、今回は私でしかありえなかった。国王の命の代価を払うのは妻である王妃だけだ」 告げられた事実に、白馬はまたもや衝撃を受けた。 こんなに素晴らしい人はそういない。 あの国王の趣味は、本当にいい。 これなら、色惚けるはずだ。 「王妃様。我が国に嫁いで来て下さって、本当に感謝します」 白馬は深く頭を垂れた。最敬礼である。 新一は瞳を瞬いてから、ついで小さく笑った。きれいな笑みだった。 |