「薔薇色のトリル」8 




 


 エウーダの城が見えた。草原を駆け抜け、城門を抜ける。通達があったらしく、二人を見た門番が無駄を省き門を開けた。
 やっとたどり着いた。新一はひらりと馬から下りた。
「ごめん、無理させた。ありがとう、ドイル」
 愛馬の首に腕を回して謝ると「園子、頼む」といって新一は城内へと走っていた。園子は馬を厩舎へと連れていく。途中で預かりますといわれて、任せることにし自分も新一の後を追う。
 園子が急いで歩いていると、蘭が城門から馬で駆けてくるのが見えた。園子は安堵で相好を崩し、手を挙げて合図する。
 遠目にも園子を認識した蘭は颯爽と馬を走らせてくる。目前までやってきた蘭に園子は
「先に行っているわ。早くいらっしゃい」
 そう言って笑みを向けて足早に回廊を歩いていった。蘭もすぐに後を追おうと厩舎へと向かった。
 
 
 王の寝室に駆け込んで瓶を取り出し新一は新井に渡した。
「これを」
 新一の姿を認め、一瞬驚愕で目を見開くが、すぐに新井はそれを受け取って準備を始めた。
 キッドは寝台に寝ている。顔色が悪い。息も荒い。
 自分は間に合ったのか。大丈夫なのか。不安は尽きない。新一は寝台のそばでキッドを見つめていた。
「姫様」
 園子が背後に現れた。
「園子……」
「すぐに蘭も参ります」
 新一が気になっているだろうことを、園子は伝えた。
「そうか」
 新一はほっとして安堵の表情を浮かべた。ずっと心配していた蘭の無事に、新一は息を吐いた。
 大丈夫よ、と園子は背後から肩の手を押せて慰める。
 そこへ、誰かから伝え聞いたのか白馬が音を立てて入ってきた。
「王妃。解毒剤をもってお戻り下さったのですね。ありがとうございます」
 白馬は新一の前で、深く頭を下げた。
「いや。まだ、わからない」
 キッドが意識を取り戻さねければ、安心できない。解毒剤がちゃんと効くのか現時点ではなんとも言えなかった。
「でも、無事にお戻り下さって、本当によかった」
 白馬の本心だろう。新一は自分の価値を考える。人質である王妃に何かあっては困るだろう。だから、新一の姿を見て白馬が安心するのは当然なのだ。
 そんなやりとりをしていると、蘭が急いで入ってきた。だが、扉の位置で控えた。蘭は自分が一番汚れていることを察したのだ。山賊とやり合ってため、血も服に付いている。
 
 新井はキッドに解毒剤を飲ませた。腕の怪我も消毒して包帯を巻き、汗もふき取る。
 それを無言で見守る。
 解毒剤が利いてくるのは、これからだ。それがわかるのにも、しばしの時間が必要だ。
「王妃さま。どうぞお身体を先に休めて下さい。そんな姿では折角気が付いても陛下がまた卒倒してしまいます。何かありりましたら、すぐにお呼びしますから」
 汗と埃にまみれ、汚れた服。足下の革靴には泥や草なども付いている。酷い有様だった。
 昼夜通して平原から山道まで馬で駆け、果ては山賊に襲われた。新一だけでなく、蘭も園子も同じような状態だ。特に蘭は血までこびりついている。
 白馬の申し出に、新一は頷いた。
「……わかった」
 確かに、こんな姿で病人の前にいるにはかなり不衛生だろう。
 
 
 
「さあ、湯浴みを先にして下さい」
 部屋に戻ると、蘭は新一を追い立てる。それに、わかったといって新一はたっぷりの湯に浸かった。疲れている身体に暖かいお湯は、浸み入るようだ。身体から力が抜けて脱力感が襲う。
 汚れた髪も洗い、さっぱりとして新一は湯から上がった。
 新一が湯浴みの間に蘭と園子は、着替えとお茶や食べ物を用意する。
 着替えは身体に負担がかからないゆったりしたもので、ある程度体裁が整ったものがいい。
 お茶は冷たいものと暖かいもの。食べ物は具だくさんのスープとパン。
 いきなり胃に食べ物を押し込まないようにしなくてはならない。
 
「あがった」
 新一が湯から上がってくると、いそいそと二人は世話を始める。
「はいはい。暖まった?髪を乾かさないとね。これ、飲んで」
 まず、冷たいものを新一へ渡す。
 その後ろで新一の髪をタオルで拭く。
「着替えは、これよ」
「うん」
 準備されている衣装を見て新一は素直に頷く。こういったことは全面的に二人に任せているのだ。それだけの信頼がある。
「水分と、食べ物をちゃんと取ってね。そうじゃないと、新一が倒れちゃうから」
「わかった。二人も入って来い。疲れたろう?」
 表情を和らげて新一は二人を則す。自分も疲れたが二人だって疲れているのだ。湯に浸かって汚れを落として欲しい。蘭など山賊と戦ったのだから。
 その心遣いに二人は笑う。
「わかった。お言葉に甘える。その代わりちゃんとしておいてね」
「そうよ。湯冷めしたら、風邪引いちゃうんだから。うたた寝いてもいいけど、着替えだけはしておいてよ」
「わかった!」
 小言が続くため、新一は遮った。
 そして、二人は湯殿へ向かう。
 新一は渡された冷たい飲み物をまずゆっくりと飲み干して、着替えた。後になると、億劫になるとわかっていたからだ。そして、具がたくさん入ったスープを飲み、パンもちぎって食べる。途中で髪もタオルでごしごしと乾かしながら。
 新一がやらなきゃ、と思っていたが、いつの間にか寝ていた。
 
「あら、やっぱり」
「ほんとね」
 蘭と園子が湯浴みを済ませてくると新一はソファで寝ていた。
 顔色はよくなくて、疲労しているとわかる。
 14というまだ出来上がっていない子供の身体を酷使したのだから、当然だ。どんなに乗馬が得意でも、小さな身体でそれに揺られて二日近い日数を過ごすなど正気の沙汰ではない。
 行って帰ってこれたのは気力が勝っていたからだ。
 国王の命のために。ずっと緊張していたのだろう。それで、おばばと対面して、薬をもらってきたのだ。
 
 自分たちも用意をして、多少の食事を取っておく。まだこれからは夜は長い。やらなければならないことは多々ある。自分たちが倒れたら新一の世話をするものがいなくなる。この状態を放っておくことなどできようはずがない。
 誰の手にも任せることはできない。
 そして、新一に毛布をかけて、知らせが来るまでできるだけ眠らせることにした。
 
「陛下が意識を取り戻されました」
 そう女官が知らせに来ると、園子が新一を起こした。その横で蘭が新一の上着や毛布を手にしている。
 目覚めた新一は急ぎ足で国王の寝室へと向かった。
 
 
 新一は部屋に入ると、新井から王妃さまと呼ばれた。
「先ほど、意識が戻りました」
「うん」
 新一は寝台に駆け寄った。
「キッド?」
 新一は名前を呼んだ。
 うっすらと目が開いている。枕元で、床に膝を付き新一は顔を覗き込むように寄せる。
「ひめ?」
 掠れた声だが、確かに生きていると感じられた。
 高熱で息苦しそうだったのが、少し落ち着いているようだ。
 新一はキッドのまだ熱い手を両手でぎゅうと握って、ぽろりと一粒涙を流した。
「よかった……キッド」
 小さく唇だけで笑むと、やがて再びキッドは目を閉じた。
「王妃様。もう、山は越えました。大丈夫です、助かります」
 新井が寝台の反対側から安心させるように笑った。
「うん……」
 新一は頷く。そして、自分を意識を手放した。ぐらりとゆれる身体をすかさず蘭が受け止める。そして、横抱きにする。身長も体重も新一はまだ子供だったから、鍛えた蘭は腕に抱けるのだ。
「……陛下の横に寝かせてよろしいのでは?」
「いいんじゃないか?」
 さてどうしようと、と思案した蘭に横から新井と白馬が提案をする。白馬は医師の隣でずっと控えていた。白馬はあの後いったん仕事の指示を出して戻って来ていた。医師から詳細を聞くためだ。
 いくらか時間が経過して、一時キッドは意識を取り戻した。熱も少し下がってきていて、回復の兆候が見られたため、約束通りすぐに王妃に知らせた。
「お言葉に甘えましょう」
 園子が毛布をめくり、そこに蘭が新一を寝かせた。頬に短くなった黒髪が散らばる。不揃いの髪はナイフで自身が切り落としたままだ。それが、蘭と園子の心を切なくさせる。
 
「あなたがたも、座って下さい。夜は長いのですから」
 王妃のそばから離れることなどないだろう二人の侍女に、白馬が声をかける。
 園子と蘭は顔を見合わせて、その言葉に甘えることにした。実際身体は疲労しているし、夜はずいぶん長いだろう。
 室内にある椅子をもってきて、新一の寝顔を見守るようにして寝台の横に座る。
 
「一つ、お聞きしていいですか?」
 白馬はこの時間を利用して事情を聞くことにした。



 
 

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