「薔薇色のトリル」10 




 


「う、ん……」
 やがて、キッドの瞼がふるえた。
「キッド?」
 新一はすぐ枕元に寄る。
 現れた紫暗の瞳に新一は、安堵する。先ほどより、ずっと意識がはっきりしている。息も苦しげではない。
「ひ、め?」
「うん。大丈夫か?」
「はい……」
 キッドは手を伸ばして新一の頬を撫でる。互いの視線があって、安堵が浮かぶ。
 だが、キッドはやはり予想通りだった。
「姫。なぜ、髪が?」
 とても不思議そうに、不安そうにキッドは疑問を口にした。その瞬間、新一は動きを止め、キッドから離れた。
「そのうち伸びるだろう。縛って髪飾りでもしておけば、王妃らしく見えるだろ」
 そして、拒絶するように背を向けた。
 部屋から出ていく新一の後を、ため息を漏らして蘭と園子が追った。
 
 最悪だった。めまいがする。白馬も隣にいた新井も予想以上の拙さに倒れたくなった。
「陛下。ご気分はいかがですか?」
 気を取り直して、ひとまず聞かなくてはならない。
「ああ。だいぶいい。私は、命拾いをしたようだ」
 その命を拾ったのは王妃です!と声を大にして叫びたかった。喉まで出かかった言葉を我慢して、なるべく平常心で事実を告げなくてはならない。
「そうですね。お命の危機でしたが。もう大丈夫でしょう。しばらく養生してもらえれば全快です」
 熱を計ったり傷跡を見たりして、新井は保証した。
 解毒剤は確実に効いたのだ。
 
「そうか。心配をかけた、すまない」
 キッドは自分の状態を振り返って謝った。国王として、とても潔く正しいが、言う相手が明らかに違っていた。
「陛下。陛下は猛毒に侵されました。矢に毒が塗ってあったのです。その猛毒はどこにでもある解毒剤では効かない代物です。私たちでは、それを手に入れるどころかどこにあるのかもわかりませんでした。ですが、王妃様が心当たりの薬師のところまで、もらいに行って下さいました。が、その薬師は普通とは違う方です。金銭ではない代価を求める方です。王妃様は、代価として髪を失いました。陛下の命のためなら惜しくはなったそうです」
「……」
「薬師のいる場所は人里離れた場所だそうです。遠い場所まで王妃は馬を昼夜飛ばして行って帰って来られました」
「そんな……」
 唖然とするキッドに白馬は追い打ちを掛けた。
「その王妃様に、あなたは開口一番『なぜ、髪が』と言ったんです。おわかりですか?はっきりいって、男として最悪です。国王としても最低です」
 自分が言った言葉と、状況を鑑みてキッドは頭を鈍器で殴られた気がした。
「謝らなければ……」
 キッドは起き上がろうとする。だが、白馬はそれを押しとどめる。
「陛下は絶対安静です。それに王妃も三日ほどは寝込むそうですよ。侍女の方から聞いております。王妃の身体も酷使して疲労困憊なんです。陛下と会う余裕もありません」
 突き放すように事実を述べれば、キッドは大きなため息を吐いた。
「本当に、しばらく養生して元気になられてから、王妃様のご機嫌を取って下さい。たぶん、嫌われてはいないと思います。毒に倒れる前、会ってもらえないとみっともなく嘆いていたでしょ?けれど、お会いしてみてわかりました。とても陛下を大事にされていました」
「そうか」
「ええ。素晴らしい王妃ですね。あなたには勿体ないくらいです」
「しかし、姫はなぜ、会ってくれなかったのだろう?それがわからなければ、謝ることもできない」
 確かに、今後のことを考えれば、憂いをなくしておいて欲しい。
「いつからですか?」
「……遠乗りに行った後だな」
「その時、どんな話を?何か不興を買うようなことをしたのではないですか?」
 白馬はかなり王妃贔屓になっていた。あの王妃が勝手に怒っているとは考え難い。絶対に、国王が何かしたのだ。確信だった。
「……話は、妾妃を娶るのだろう?と言われたので姫だけですと答えた。姫と共にいたいのだと伝えた。世継ぎは?と心配されたんだ。養子を迎えてもいいし、ほかにも王族はいると言った。姫のお母上は産後の肥立ちが悪くて亡くなった。身体の弱い方だった。だから、姫が無理に生まないでいいのだと、それで失いたくないのだと気持ちを伝えた。私にとって姫は決してなくせない人だから……」
「……陛下。どう考えても、それでしょう」
 白馬のこめかみがきりきりと痛む。めいっぱい、頭痛がする。
「それが国王でなかったら、すてきな求婚ですねと誉めて差し上げます。が、あなたは国王であの方は王妃です。お忘れですが人質です。王妃を大事にするのは構いません。いいことです。でも、王妃様はさぞかし、困ったことでしょう。いくら自分だけでいいとはいっても、子供は生まなくていいといって、それを国民が許すかどうか別問題です。王妃様は、考えられたのでしょう。妾妃を娶らないという国王ではいけないと。……いいですか?よくお考えください。今は停戦しています。このまま平和になってくれればいいと思います。ですが、もし再び争いが起こったら?人質は殺されます。そうでなければ、人質の交換が行われるでしょう。王妃の身は危ういのです。あの方は賢い方です。こんな状況で、自分一人と言われても頷けなかったのではないですか?」
「……そうだな。あの時、悲しそうな顔をしていたな」
 抱きしめた時。話をしていても、否定していた。
「ですから、しっかり王妃様を口説いて下さい。あんな姫どこにもいらっしゃいませんから。逃したら、代わりなんていません。私は王妃以外認めませんよ?」
「どうした?いつの間にそんな風に心酔したんだ?」
 からかうようにキッドが笑うと、白馬はふんと鼻を鳴らした。
「いろいろあったんですよ。私は自分がいかに思い違いをしていたか自覚しました」
「しかし、私の誠意は伝わらなかったようだ」
 キッドは思い出しながら、ため息を付いた。自分の思いが正しく伝わってない。
「いやー、どうでしょう。だって、王妃様は14歳で、人質としてこの国に嫁いできて。
陛下は顔はそれなりですし、性格もそれなりですけど9歳も上の男です。そんな男からあなただけだと言われてもふつうに信じられませんよ。あの方は賢い方だ。陛下の誠意はわかっているでしょうが、国王としてそう簡単ではないことも同時に理解しているのでしょう。だから、悲しんだのではないですか?」
 23歳の男のいうことをすべて信じられる14歳の少女がいるか。まして、王女が、他国の国王を。王女としてはあり得ない。国交のための婚姻がほとんだ。
 
「私は姫しか妃に迎える気はなかったのだが。姫を人質などと思ったことはない。再び争いになっても、私は姫を手放す気は更々ない。殺すなんてあり得ない。人質交換もない。姫は私の唯一の妃なのだから。妾妃とか全く意味がないだろ?やっと姫を王妃にできたのに」
「お待ちください。人質交換があり得ないとは?王女を捨てるのですか?というか、やっとってどういうことですか?もしかして、面識あったんですか?」
 妹姫はティターン国の第三王子に嫁いでいる。
「妹には最初から話している。私の唯一の人を王妃として迎えるから、おまえも王子と添い遂げろと、言ってある。喜んでくれたぞ。兄さま、おめでとうと言ってくれた」
「……それで?」
 白馬は疲れてきた。
「私は元々姫を迎えるつもりだった。姫が成人したらティターン王に挨拶してもらいに行くつもりだった。だが、ちょうどいい具合に停戦の条約で人質として嫁いできてくれることになったから。14歳だったが、成人するまで待っていたら他国に取られてしまったかもしれないから、ちょうどよかった」
「まさか、想い人だったんですか」
 キッドの告白に、白馬は目を見開いた。知らなかった。ティターン国にとって大事な王女だからではなかったのだ。最初から王妃しか目に入っていなかったのだ。
 よく考えれば姑息だ。人質として指定して、意中の王女をその手にしたのだから。
「でも、いつ見初めたんです?」
 長い間戦争をしていたのだ。それより前となると、王妃はいくつだ?逆算しても、少女どころか童女ではないのか?
「それは秘密だ」
 にたりとキッドは笑う。
 思わず、白馬が病床にいるキッドを殴りたくなっても当然であろう。
 
 
 
 
 
「新一君?」
 園子がそっと呼ぶ。
 新一は寝台でぐっすりと眠っている。熱は引いたが、身体は怠く睡眠を欲しているらしく、新一は二日前から一日の大半を寝台の上で過ごしている。
 食事、お茶と湯浴みなど生活に必要なこと以外睡眠に費やされている。
 だが、かなりよくなった。明日にはふつうの生活が送れるようになるだろう。
 目を閉じているとよけいに幼く見えて、園子は昔を思い出しながら笑った。
「園子、お茶にしない?……新一まだ昼寝しているし。起きたら一緒にご飯にすればいいから」
「そうね」
 蘭の誘いに、園子は頷いた。
 そして、新一の頬にかかる黒髪を優しく払ってやる。
 ナイフで切った不揃いな髪はすでにきれいに整えられている。園子が新一が起きた時に鋏で揃えたのだ。そのあたりは器用にこなす。ついでとばかりにたっぷりと海藻から取った珍しいエキスを含ませ櫛けずった。
 短くなっても美しい髪でいて欲しいのだ。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
 湯気の立つお茶を一口飲んで、ほうと肩から息を吐く。飲みなれたせいか、ティターン国のお茶はゆったりした気分になる。
 居間のテーブルの上には白い薔薇が生けてある。窓から吹き込む風にゆらゆらと揺れている様は、穏やかな時間を感じさせる。寝室にも同じように薔薇が生けてある。こちらは黄色い薔薇だ。
 部屋中、薔薇の香りが立ちこめている。
「……国王から毎日薔薇が届くわね」
 それを眺めながら、蘭がぽつりと呟いた。
「ああ……そうねえ。まだ病床にあるらしいけど、届くわね」
 未だ国王は、寝室から出られない。政務は国王の指示を受けながら宰相が行っている状態だ。猛毒から全快するには時間がかかる。その国王から毎日薔薇が届く。自分でもってきたくとも不可能であるため、女官が両手いっぱいの薔薇を預かって来る。
 少し話を聞いてみると、見事な薔薇は庭で咲かせているらしい。
 ティターン国では薔薇は豊かに咲くが、ここエウーダでは元々珍しいものだったらしいが、今から二十年前にティターン国から友好のため送られたという。そして、7、8年間にもっと種類を増やして丹誠込めるようになったらしい。おかげで城内の一角は見事な薔薇の庭園が出来上がっている。
「確かに、薔薇姫と言われていたけど」
「これだけあると壮観ねー」
 新一に捧げるためにあるような薔薇に、なんとも言えない気分になる。
 あの国王は、新一をとても大切にしている。そして、新一も結局のところ突き放せない。自分がどうなろうとも、その命を救いたいほどだ。
 本当に、新一が王女だったらどれだけ睦まじい国王夫妻になっただろう。
 国王が、新一自身を愛してくれればいいのに、と思わずにはいられない。
 
 
 
 


 
 

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