「薔薇色のトリル」6 







「明日、国境沿いに行って来ます。なにか土産をもってきますね」
 キッドは王妃の部屋までやって来て、そう告げた。
 出かける前に、会いたかったのだという。新一もさすがに、姿を現して話を聞いた。声をかけることはできなかったけれど。
 無言で悲しそうな後ろ姿を見送った。
 
 キッドが出かけている間ならいいだろうと新一は庭まで出てきていた。新一一人で城内を歩かせる訳にはいかいため、蘭と園子も後ろから付いて来た。
 
 大きな庭の柵の前で座り胡弓を奏でる。当然のように黒豹は柵を飛び越えて、新一の傍らで、目を閉じて音色に聞き入っている。その光景は何度見ても信じられないくらい現実味が薄かった。もっとも蘭と園子は新一が生き物から慕われることを昔から知っていたから不思議ではなかったが。小さな頃、庭で胡弓を奏でていると犬、猫がよってきた。横笛を吹いていて、鳥が飛んできて新一の肩に止まったこともあったほどだ。それが猛獣と言われるものでも、今更だった。
 
 数曲心のままに胡弓を弾いてから、新一は黒豹に抱きついた。首に腕を回してぎゅうとすがる。
「シュヴァ……、どうしよう」
 誰かに心の底を聞いてほしかった。
「どうしたらいい?嫌われないといけないのに、本当は嫌われたくないんだ。だめだな」
 覚悟が足りていない。
 自分の気持ちなど無視して徹底的に嫌われて、見限ってもらわなければならない。
 側にある金色の細い目が新一をじっと見る。黒豹がまるで、慰めるように優しく光る。
「うん」
 新一はますます首に回す腕に力込めた。
 ありがとう。
 がんばるよ。
 そう思いながら、目を閉じてその毛並みに顔を埋めた。
 
 
「陛下が……!」
 城門から悲鳴じみた叫び声がした。庭である、ここまで聞こえる空気を切り裂く声だ。同時に馬の蹄の音が多数する。
「なに?」
 新一は立ち上がり、急いで走った。
 嫌な予感がひしひしとした。あれほどの緊急を要した声は、何事があったのだ。
「なにがあった?」
 新一は焦っている兵士に問いつめた。
「陛下が……。怪我を」
 屈強な兵士の肩を借りて、今まさにキッドが運び込まれているところだ。その肩から赤い血が流れている。
「すぐに医師に見せないと!」
「……ひ、め?」
 うっすらと目を開き、新一を認めたキッドが呼ぶ。
「キッド!しっかりしろ!」
 新一は駆け寄って声をかけた。人が集まってきている。陛下が、とか怪我がとか周りで声がする。
「このまま王の部屋に運びます」
 医師から指示を受けた兵士がキッドに肩を貸して、急いで回廊を歩いていく。新一もそれを追った。
 
 
 王の部屋にある寝台に寝かされてキッドは治療を受けている。目を閉じたままだ意識が戻らない。
 はあはあと、苦しげに息を吐いている。
 昨日見た元気な姿からは想像もできない姿だ。新一は胸を痛める。
「毒だと思います」
 医師である新井は沈痛な面もちで、告げた。
 現在王の寝室には、医師である新井と王妃である新一、宰相である白馬、新一に付いていた蘭と園子がいた。
「毒?薬は?」
「この症状の毒に効く薬は、どこにでもあるものではありません。現在、この城にも常備されていません」
「そんな……」
「これはザヤという猛毒です。ザヤという植物の花から採れる毒なんです。その解毒剤はかなり特異な薬です。マーロウという薬草を煮詰めたもの。ですがこのマーロウは崖などにしか自生しません。それも生の薬草からしか作れません」
「どうしてそんな毒が?」
「それについては、私が」
 新一の疑問に、宰相である白馬が答えた。
「宰相をしています、白馬と申します。以後、白馬とお呼び下さい。……今日、国境沿いの見回りなどをしていました。まだ戦の後が残る場所です。軍の大群を率いていくことはできませんでしたから、少数部隊で参りました。しばらく人々の生活や配した兵などを見て回っていたのですが、そこを山賊に襲われました。陛下は馬も剣も腕前は軍内でも一二を競うほどです。ですが、そこに農民の子供がいて、陛下は庇われたのです」
 白馬は簡単に名乗ってから、説明した。
「弓で?」
 傷口は切り傷ではなく、差し貫いた傷だった。
「はい。それに毒が塗ってあったようで」
 新一はふと思う。
「……それ、ただの山賊?」
 解毒剤がない猛毒をなぜ山賊がもっているのか。
 山賊の仕業ではない場合。停戦しているとはいえ、ティターン、エウーダの両国で不穏分子がいる可能性を否定することはできない。ただ、もしそれが狙いだったとしたら。両国の不和を狙って他国が関与しているとしたらどうだろう。
「襲ってきたのは確かに山賊でした。ティターンにも、エウーダにも見えませんでした」
 新一の聞きたいことを察し、白馬は先に答えた。
「そうか。……ヴェイカの国王は穏健だと聞いているが、王子の方がどうなんだ?」
「王子も、大それたことをするとも思えません」
「……なら、カリヤか」
 ティターンとエウーダが不和となって喜ぶ国。両国から近いヴェイカに利点はあるだろうが、近すぎるという不利が勝るだろう。近隣過ぎると影響を受けやすく、自国も不安定になる。これを機に攻め込む気概なくては、実行できないだろう。
 その点、カリヤはヴェイカの向こうの国だ。少し遠くて、様子を見ていられる。これで、二国が弱低化してくれれば、儲けものだろう。
「可能性は高いでしょう。証拠はありませんが」
「そうだな。山賊を使って毒矢を放ったなど言いがかりだとつっぱられるだろう。……カリヤにはなにも言わなくてもいい。国王が怪我をして命が危ういなど他国に気取られるな。……山賊は山賊で、被害が大きくなる前に取り締まるように」
「御意」
 頭の切れる新一に、舌を巻く。
 王の代わりに王妃が代わりとなって命令する。
 キッドが入れ込む訳だ、と白馬は心中で納得した。伊達に色惚けていただけではないらしい。
 
「医師。どれだけもつ?」
「……それは、なんとも申しあげられません」
 新井は言い難そうに眉間に皺を寄せる。
「明後日までもたせられるか?」
「必ず。毒の周りが早く高熱が出ています。これは陛下の身体が毒と戦っている証拠です。傷口は変色していて、早くしないと壊死します。ですが、解毒剤があれば命は助かります。そうすれば、陛下もまだ若いですから皮膚などすぐに戻ります」
 新井の明確な答えに、新一は鷹揚に頷いた。そして、意志を秘めた怜悧な瞳で心を決めた。
「わかった。……園子。おばばのところまでの道案内を」
「御意」
 園子は、頭を下げた。
「蘭、そこまでの準備を」
「御意」
 蘭も頭を下げ目線で新一が言外に伝えたいことを了承したと伝える。
 二人は一礼し即刻部屋から退出していった。部屋に戻るなり、早急に準備に取りかかっるのだ。
「明後日までには帰って来る。それまで頼む」
「御意」
 新一の力ある言葉に、新井は深く頭を垂れた。
「国王が命の危険にあると他国に気取られることのないように。城内も落ち着かせ、他に漏れることのないように、諫めよ」
「御意」
 白馬は王妃に従った。
 

 
「用意が調いました。こちらを」
 部屋に戻ると二人は準備を終えていた。馬に乗って遠距離を走らねばならないため、動きやすい上着とズボンに着替えている。髪も一つに縛り、腰には剣も携えて脚を覆う皮靴を履いている。水や携帯食なども簡素な袋に詰められている。
 新一も同じような服に着替えた。髪も首の後ろで一つに縛り丈夫な紐で縛った。
 旅支度とはいえ、馬でおばばのいる場所まで駆け抜けて行かねばならない。途中で山賊に出くわす可能性もある。危険と隣り合わせの、時間が限られた旅だ。
 だから、蘭は自分の愛用している細身で刃こぼれしない剣を持ち、結んでいる髪に刺した髪飾りも先が尖っている武器の一つだ。それ以外にも武器になりそうなものは身につけている。蘭は新一を守ることが最重要の仕事だった。
 一方園子も剣を携えているが、蘭ほどの腕前はない。髪飾りの武器はもちろんもっているが、それ以外の薬も服の内側に隠している。傷口に塗る薬草、なにかあった時の解毒剤、相手の目潰し用の粉薬などだ。
 
 
「無理をさせるが、がんばってくれ」
 荷物を乗せながら、新一はドイル話しかける。
 愛馬にまたがり、一路エウーダとティターン、ヴァイカの三国の国境沿いにある小さな里を目指す。
 おばばとは人里離れた場所に住む変わり者の薬師だ。
 滅多に会えない人間の上、薬も簡単にはもらえないが、その分、貴重な薬も持っている厄介な老婆だった。
 そのおばばに作れない薬はないと言われるくらい薬師としては有能だった。伝説のたぐいと大差ない。本当にいるのか。作り話ではないのか。会ったことがある人間が極端に少なく、貴重な薬を手に入れることができた人間はさらに少ないときては、所詮噂だと人々が思っても仕方ない。
 そのおばばと鈴木家は縁があった。
 園子に連れられて一度だけ新一もあったことがある。
 

 
 
 

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