「薔薇色のトリル」5 







「気持ちいい……」
「もう少し行った先で、休憩しましょう」
 今日は遠乗りである。二人で草原を馬で駆けている。昼から時間を作ったキッドは新一と午後からの時間を過ごすことだできた。
 爽快に駆けているキッドの馬は白毛で名前をアイルという。白い毛並みの馬はとても美しい。国王が乗るにふさわしい馬だ。
 
 新一の馬は、栗毛で名前はドイル。国から連れてきた相棒だ。
 厩舎には蘭や園子の愛馬もいて、それぞれエラリーとクリスティという青毛と鹿毛の馬だ。
 しばらく駆けて、馬から下りて休憩を取ることにした。二人は草の上に座り持ってきた皮の袋から水を飲んだ。視線の先にで馬がのんびりとしている。
 
「なあ。なんで、こんなによくしてくれるんだ?」
 ずっと聞きたかった疑問。
 王妃だけれど、自分は人質のようなものだ。停戦のため婚姻としての人質交換。
 キッドが人間として、いいヤツなのだともう新一は知っている。城内の噂ではなく、こうして行動を共にして、話をして、よくわかった。
 王として責任を果たしている。その肩にはエウーダ国の未来が乗っている。
「私が王妃を大事にするのはおかしいですか?」
「王妃だけど。でも。子供だろう?」
 14歳は、成人まで2年もある。王妃という肩書きはあっても新一にはその責任は果たせない。もし、王女でも年齢的に問題があるだろう。2年後、やっと式を挙げることができる。
「確かに、成人していませんが、これから大人になっていけばいいでしょう?」
 キッドはあくまで優しい口調で新一に返す。
「だって。……キッドは妾妃はもらわないのか?」
「は?」
 予想外の質問にキッドはさすがに驚いた。
「まだ、王妃が嫁いできたばかりだから遠慮しているのか?しばらく時間を置けば、誰も反対なんてしない」
 キッドならいくらでも美人で気立てがいい妃をもらえるだろう。世継ぎだって望めるだろう。
「どうして、そんなことをおっしゃるのですか?」
「どうしてじゃないだろ?大事なことだ!」
 新一はキッドを真剣に見上げた。キッドはその視線を受け止めて静かに告げた。
「私はあなた以外の妃を娶るつもりはありませんよ。あなただけです」
「なんで?」
 新一は感情的に叫ぶ。
「……私の王妃」
 キッドは新一の手を取る。
「なにを気にされているのか。もしかして、世継ぎですか?」
「そうだ。王妃一人だけだなんて決めて子供ができなかったら、どうするんだ?王女でも駄目なんだ。王子が必要だろう?だったら、妾妃を迎えるしかない。それが国王だろう?」
 国王の義務。
 もし王妃一人を愛しても、子供に恵まれなかったら妾妃娶り、子供をなさなければならない。
「世継ぎなど気にする必要ありませんよ。王族の血を引いている人間はほかにもいますから。誰かに継いでもらえばいい。その中から養子を迎えてもいい」
 はっきり言い切るキッドに新一は目を剥く。
「私は、姫にそばにいて欲しいのです。子供に恵まれなくても構いません。無理に生む必要などありません。それで、あなたを失う方がよほど悲しい」
「……」
 どうしてそこまで言ってもらえるのか、わからない。
 気にかけてもらえていると知っている。大事にされているとわかっている。王妃という肩書きだけではなく、新一という人間を確かに愛してくれている。どんな愛情でも、それは愛だった。
 自分も、人間として好きだ。尊敬している。一緒にいて楽しい。
 けれど、なぜ?
「姫のお母さまは身体が弱い方で、産後の肥立ちが悪くて亡くなったんですよね?」
「うん」
 よく知っているなと思いながら頷く。
「私は、あなたを失いたくないんです。姫はお身体が弱いようには見えませんが、それでも、子供を生んだために命を無くす危険なんておかす必要ありません」
「だったら、余計に妾妃を迎える必要はないのか?それを宰相や貴族が許すのか?」
 嬉しい言葉のはずなのに、喜ぶこともできない。
 こんなに、必要とされても。自分は応えることはできない。
「いりません。私にはあなただけです」
 真摯な口調で言い切りキッドは新一を優しく抱きしめた。新一は抱きしめられながら、絶望の眼差しで見ていた。
 最悪だ。
 自分は、なれ合ってはいけなかったのだ。あれほど、嫌われようと決めていたのに。
 ついつい、楽しくて忘れていた。
 自分は、離れなければならない。嫌われて、憎まれて。顔も見たくないと思われなければならない。
 自分に愛想を尽かし、妾妃を迎えて。子供を授かって。キッドは、幸せにならなければいけない。その権利がキッドにはある。
 彼に嫌われて忘れられるのは、悲しいだろうけど、自分ができることはそれしか思い浮かばなかった。
 
 
 
 
 

 翌日から新一は徹底的にキッドを避けた。
 会いに来ても、気分が悪いからと断り、部屋から出ないようにした。
 書庫に行くこともない。
 胡弓を弾くこともない。
 
「新一、どうしたの?」
「そうよ、新一君」
 窓から見える景色をただ見つめる新一に蘭と園子が問いただした。
 キッドに会いたくないからと二人に協力を求めた新一は、悲壮な声で口を開いた。
 
「忘れていたんだ。だめだったのに……。王妃なんて形ばかりのもので、キッドの本当の妃になんてなれないのに。心を許してはいけなかったんだ。だって、どうしようもないだろう?」
「そんな……」
「でも、国王は心から新一を大事にしているよ?それくらいわかる。嘘偽りなく、新一を想っている」
 それが正しいとか正しくないとか、問題ではない。
 人の感情など、理屈では決められないし、計れない。
 蘭と園子の目から見て、キッドは新一を任せられるくらいの人間だ。
「だめなんだ。だって、妾妃を迎えないっていうんだ。あなた一人だけだっていうんだ。他は必要ないっていうんだ。……それじゃあ、王妃として横で笑っていることもできない。せめて、それくらいは許されるかもって思ったのに」
 泣きそうになりながら新一は苦しそうに笑った。
 好きだから、せめて時々話したり遠乗りしたり、胡弓を聞いてもらったりして過ごしたいと思った。自分は本物の妃としての役割など一つもできない出来損ないだから。夜伽も世継ぎも、本当の女性がもつ安らぎも与えることもできない。
 見せかけだけの王妃。
 蘭も園子も口を噤んだ。
 新一がいいたいことが理解できたからだ。
 妾妃を迎えないという国王では、新一は側にいられないのだ。
 世継ぎだけの問題ではない。妻には当然ほかの努めがある。愛し合う男女なら当然寝台を共にする。新一にはそれが不可能だ。寝台に入った瞬間男だとばれて、終わりだ。
 だから、それを避けて避けて避け切らねばならない。
 成人して、王妃となって、国王に押し倒されてもだめなのだ。
 男としての欲望を、他で発散してもらわねばならない。口にはしないが、そうしなければ、どちらにしてもだめなのだ。
 本当に、頭を抱えたくなる。
 蘭は、顔半分を覆ってうなり、園子は腕を組んで首をひねった。
 いい方法が全く浮かばない。知略に優れていると言われた園子でも、この問題は難題だった。
「新一君。このまま避け続けても、問題解決にはならないよ。今は国王も無理に踏み込んで来ない。それくらいの分別はある人間だし。けどこのまま新一君が姿を見せないでいたら、たぶん、お見舞いと称して寝室にも入って来るよ。だって王妃の寝室に国王が入るのを止めることができる人間なんていないもの」
「……わかっている。一時しのぎだって、わかっている。でも、今、それ以外できなくて」
 切れ切れの声音で新一は悲しそうに言い募った。
「うん。ならいい。あまり無理しないで。鬱ぎ込んだから、本当に病気になっちゃうんだから」
 項垂れる新一にそれ以上かける言葉などなかった。
 
 結局、なんの解決もできず日が過ぎた。
 
 
 
 
 
「陛下……」
 執務室で机上の書類を一枚処理して、肩肘を付きながら遠くを見つめ大きなため息を落とすキッドに、それを向かいで見ていた宰相が肩を落として嘆いた。
「なんだ?白馬」
「なんだじゃありません。その惚けっぷりはなんですか」
「ああ?」
 不満そうに、眉を寄せるキッドの心の内を予想して宰相である白馬は首を振った。
「国民から信頼を集めている国王が、本当に、嘆かわしい」
 ここ数日の惚けっぷりは目に余る。
 遠くを見てため息を付いてばかりで、いい加減見ている身としてはうんざりする。
「陛下、ため息を付くのを止めてください。大変、鬱陶しいですよ。そんな暇があったなら一つでも多く処理してください。陛下の決裁を待っているものがたくさんあるんですから」
 白馬はきっちりと切り捨てる。悩みがありますという風情の国王でも、宰相としては仕事をしてもらわねければならない。言いたいことがあるなら、さっさと言えと思う。
「……おまえ、それが宰相の言葉か?」
 キッドは不機嫌そうに白馬を見た。
「そうですよ。あのですね、お悩みがあって言いたいことがあるなら聞きます。宰相ですから。けれど、仕事が優先です、同じく宰相ですから」
「有能で何よりだ。実は、姫がここのところ、会ってくれないのだ。どうしたのだろう?この間まで少しずつ親交を深めていたのに」
 真剣に悩むキッドに白馬は馬鹿らしくなった。なんだそれは、と。
 だが、これでも国王である。国王の機嫌は仕事の能率に関わるため、白馬は無視することができなかった。
「王妃さまですか?」
「そうだ。気分が悪いと言われて、その次は寝ているといわれた。その次は湯浴み中だと言われた。……結局、ずるずると会ってもらえない」
 本気で悩んでいるキッドに白馬は声を掛けられない。
 
「この間は遠乗りまで行ったのに」
 白馬はよく覚えている。王妃と遠乗りに行くため、国王は早業で仕事をした。
 国王は、まだ成人しいていない王妃を大事にしている。それを宰相以下城内の人間は知っている。嫁いできた最初から、気に掛けていた。そして、最近はずっと楽しそうにしていた。少しずつ親交を深めて、理解し合っているのだと言われなくてもわかった。衣装や宝飾品などを用意する手伝いをするのも宰相の仕事の一つだ。
 
「何かされたのですか?思い当たることは?」
「……わからんな」
 ふうと息を吐くキッドに白馬も心中でため息を盛大に付いた。
「私はまだお会いしていませんから、何とも言えませんね。一度ご挨拶させて下さい」
 今後を考えると、会っておいた方が絶対にいい。
「だめだ」
「は?なぜです?」
「おまえに会わせるなんて、勿体ない」
 なにを色惚けているんですか、と白馬は問いたかった。
 キッドは国王として部下に威厳のある語り口であることが多いが、宰相に向ける言葉はぞんざいである。ついでに、態度も悪友のようなものだ。
 それは、白馬がキッドと年齢が近く若い宰相であるからだ。前国王の宰相は白馬の父親だった。若い王にいつまでも年老いた宰相ではよくないだろうい言って世代交代した。幸い彼らは小さな頃からの既知であったから、性格もなにもかもよく知っていた。
 エウーダには白馬家、中森家、小泉家の三家がある。その下に七家があるが、この三家で大まかな国家の中枢を担っている。白馬家は昔から宰相の家系だ。
「勿体なくてもご紹介下さいませんと、今後困るでしょう。成人するまで、まさか皆さんに見せないつもりですか?」
 せめて三家にはお披露目くらいするべきだろう。
「……」
 答えないキッドに、本気かと白馬は心配になった。
 せめて、自分だけでも会っておいて今後の方針を決めなければと白馬は心中で堅く思った。
 
 
 




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