「薔薇色のトリル」3 







「いいんだか、悪いんだか」
「計画はとん挫しそうね……」

 蘭と園子が顔を見合わせながら、愚痴をこぼす。
 現在新一は湯浴みをしいている最中だ。これが本物の王女だったら手伝うということもあるのだろうが、あいにく新一はさすがに、王子であるから女性に風呂場で手伝われたくないらしい。
「新一の素顔しっかりと見ちゃったし、ベールもかぶらないで欲しいって言われちゃったし、どーしようもないわ」
 自分たち用の飲み物、自国のお茶をごくりと飲んで園子がきりと眉をつり上げた。
「それにしては、あんまり驚いてなかったわね、あの国王」
 蘭もお茶の入ったカップを両手にもって肩から大きな息を吐いた。
「確かに。新一の美貌を目にしても普通だったわ」
 園子は目をすがめ、珍しいという言葉を飲み込んで、昼間のことを思い出す。
 そもそもなぜ蘭の母親である英理が新一にベールを被って素顔を晒さないように言い含めたか。ひとえに、新一が美しく成長したからに他ならない。傾国とうたわれた母親有希子によく似た面差しの新一は子供の頃から愛らしかった。年々美しく麗しく、人々を魅了する美貌を身につけ始めた新一に危機感を覚えた英理は、決めたのだ。時に美貌は災厄を運んでくる。だから、人目から隠すようにと。
 これだけの美貌を見たなら、どんな国の王や王子も望むだろう。美姫を手に入れようと争いが起きないとも限らない。それなのに、性別は実は少年であるとばれた時、どうなるか想像もできなかった。
 
 だからこそ、この国の王にその美貌を見せたくなかったのだ。幼くても、あれだけの美しさを持った少女にうっかり惚れてしまったら計画が台無しだ。
 嫌われる予定が惚れられてどうする。
 傍目から見た感じでは、特別態度を変えてはいない。というより、その前から誠実で新一を気にかけ、王妃として大事にしようとしていた。
 
 ちなみに、蘭も園子も十分に美人だった。城内で噂になるのは当然だ。なにせ、二人とも公爵家の娘なのだ。国では、姫様、お嬢様と呼ばれている存在なのだ。たち振る舞いも完璧で、教養も立派なものだ。
 蘭は新一同様見事な黒髪を後ろで一つに縛って紐で結んでいる。新一の瞳より灰色混じりの青い目に白い肌だが、背が高くすらりとしているため弱々しさがない。実際彼女の得意なものといえば、剣術だ。細身の剣で並み居り男を寄せ付けない。師からも騎士になれるとお墨付きをもらっている。それに加えお茶を入れたり料理、菓子なども作ることができた。
 園子は焦げ茶色の髪を後頭部で結って髪飾りで止めている。瞳は薄い茶色で理知的だ。白い肌に、蘭ほど背は高くないが、均等の取れた身体をしている。
 彼女の一番得意なものは頭脳だ。新一もそうとうに聡明だが、彼女の場合世渡り上手の上、いろいろなことに頭が回る。今までも、新一とともに戦略の練って暮らしてきた。
 それに、王女らしく新一を着飾らせるための努力を惜しまない。
 装飾品、衣装、香水、化粧、あらゆるものに精通し、新一を総合的に美しく保つため日夜努力している。
 そんな得意分野を分担して新一の侍女を完璧にこなしている。
「あれだけの男だったら、美女なんてよりどりみどりだろうね」
「妾妃一人くらいいても不思議じゃないよね。まあ、戦争していたから、それどころじゃなかったんだろうけど。前国王戦いの中亡くして、その後継いで必死だったと思うわ。妾妃なんてもっている余裕、戦いの中なかったんでしょう」
 園子は、仕入れた情報で推測する。
 キッドが成人して一、二年で戦争が始まった。もちろん王子として戦に出た。国王も部下を戦わせて安全な後ろで待っているような人柄ではなかったため、後に命を落とした。
 国王亡き後、即刻王位を継ぎ戦を終わらせるため動き出した。国を治めること、戦争を終わらせること、キッドが王としてやらなければならなことは多かった。
 女に構っている暇などなかったのだ。
「で、新一に対する好意は最初からあった……」
「14歳の若さで他国の王妃なんて、可哀想だと思ったんじゃないの?嫁いで来る前から同情があっても不思議じゃない。なんせ、妹姫をティターンの第三王子に差し出しているんだから。妹姫より若い子供に同じことさせなければならないんだからさ」
「上の王子二人とも妃がいるからね、すでに。いないのは第三王子だけだったもの。でも、私は第三王子でよかったと思うよ?あの中では一番まとも」
 蘭が同世代の妹姫に同情をこめた。
 ティターン国の王妃は三人王子を生んだが、上二人はいい評判をとんと聞かない。第三王子は、優しく穏やかだと聞いている。
「そう考えると、この国の王もまともね。嫁いで来る側からすれば、かなり幸せだわ。……王女なら」
「王女ならね!」
 園子のまとめに蘭が茶目っ気にウインクした。二人は、しばらく見つめ合って、ついで笑い出した。
 考えても、現時点ではどううしようもないのだ。
 
 
「蘭、園子」
 新一が湯浴みを終え、簡素な衣をまとって現れた。
「はいはい。よく洗えた?」
「早く乾かしましょうね」
 二人ともすぐに侍女らしく新一の世話をするため立ち上がった。先ほどまでの話の欠片などまったく感じさせない。
 湯浴みの後は、髪を乾かさねばならない。長く美しい黒髪を櫛けずり、肌を瑞々しく保つためカラカシから取った油分を塗り、爪を整える。そうして、新一を美しくするのが二人とも大好きだった。自慢の妹をより麗しく装うのは、楽しい作業だ。
「はい、ここに座ってね」
 椅子に新一を座らせ、いそいそと二人は仕事を始めた。
 
 
 
 

 「では、行きましょうか」
 翌日の午後、キッドは約束通り現れた。
 新一を伴って書庫までの回廊をゆっくりと進む。王妃の間から書庫までは距離がある。書庫は執務に関するものであるから、政務を行う棟にある。
 新一はもちろんベールを被っている。キッドの前でもうしていないが、こうして城内を歩くとなるとそうもいかない。
 そのままいくつか回廊を渡り、ようやく政務の棟へとやって来た。
 
「ここです」
 キッドは木の扉を押した。
「寺井」
 扉を開き、中へと呼びかけると一人の老人がそこに立っていた。
「陛下。……そちらがあなたの王妃ですか?」
「ああ」
 キッドの後ろにいる新一を視界に納め、寺井と呼ばれた老人は穏やかに笑った。
「はじめまして、寺井と申します。王妃さま」
 そして、ゆるりと頭を下げた。人の良さそうな顔で皺が刻まれている。頭髪が少し禿げているようだが、目は細くて理知的だ。
「寺井は、ここの主です。ここにある書物のすべて知っていますから、何でも聞いてみるといいですよ?」

 室内へと促され、部屋の中にある本棚を指さしながらキッドは優しく言う。
 新一はこくんと頷く。
「……突然、すみません。よろしくお願いします」
 そして、新一は寺井に向き直り礼儀正しくお辞儀をする。
 
「私のようなものに、そのような礼は必要ありません。王妃さま。どうか、寺井と呼んで好きに使ってやって下さいませ」
 寺井は手を振って苦笑した。
「そうですね。これから好きな時間に、ここに来て本を読んだり借りていっていいのです。寺井は物知りですから、会話に事欠きません」
「……いいの?」
 まさか、そんなことが許されるとは思わなかった。自由に来て見ていいだなんて。
 新一は目を見開きキッドを見上げた。
 
「もちろんです。姫は、この国の王妃です。この城のどこに行くのも自由です。誰もそれを咎めるものなどおりません。……お部屋にいるのは退屈でしょう?」
「自由にしていい?本当に?」
 嘘かと思った。
 そんな我が儘通るなんて。
 我が儘な振りをするつもりだったけど、本当の我が儘が叶うなんて思わなかった。自由が与えられるだなんて。
 自国の離宮にいる時は、ベールをかぶってそれでも町へと出かけていた。遠乗りにもいった。蘭と剣術の稽古だってした。
 だが、ここでは不可能だと思っていた。許されないと思っていた。それが当然のことなのだと、理解していた。
「……ありがとう」
 嬉しかった。本当に、心から嬉しい。
「いいえ。姫はどんな本が読んでみたいですか?」
「この国ことが知りたい。国の歴史書や文化、地域のこと」
 自国のことはある程度知っている。だが、エウーダについて前知識は少ない。ティターン国にある本でエウーダに関しての本はあまりなかった。長く戦っていたせいだろう。
 だから、この国について知りたかった。こうして、生活している国について。ティターンとは違う風土に文化。動植物だって違うだろう。
 新一は本来、好奇心旺盛なのだ。知識を増やすことが大好きなのだ。自国、他国について、文化や情勢などを知っておけば、そこからあらゆることが導かれる。不安定な自分の行動も決めることができる。
「それなら、これはどうでしょう?」
 キッドは数冊の本を書棚から抜いた。壁に書棚がいくつもある。そこには分厚くて貴重な本が並んでいる。キッドが選んだのはエウーダ国の歴史書と昔から語られている伝説や話を集めたものだ。
「創世記もどうですか?創世記は国ごとに書いているため、きっとご存じのものと違いますよ」
 キッドの横から寺井が別の本を取りだした。
 通常本は人が自筆で書く。その元となる本から写本を作ることで同じ本をいくつも作ることによって多くの人間が読むことができる。
「創世記って、あの創世記?」
「はい。まだ、国らしいものがなかった時代の話です。この世界が出来上がった話です。それぞれの国がつづったせいで、伝わっている内容が違うんですよ。他の本なら写本ですから大概は同じ内容になるのですが。かなりおもしろいと思いますよ?」
 寺井の話に、新一は興味を示した。
「ありがとう。読んでみる。キッドも、ありがとう。これって、貸りていってもいい?じっくり読んでみたい」
 瞳をわくわくさせて新一は聞いてみた。
「もちろんですよ、姫。後で感想を聞かせて下さいね」
「ああ!」
 新一は快く頷いた。
「わからないことがありました、いつでもいらして下さいね」
「寺井さんも、ありがとう」
 本はどの国で貴重だ。紙自体が貴重なものであるから、本は大変高価なものだった。国王の城であるからこそ、これだけの本がそろっているのだ。新一が部屋をぐるりと見回すと、知っている本が少ないことがわかる。ますます嬉しくなった。知らない世界がここに広がっているのだ。
 それから新一はいそいそと書庫に通うようになった。
 
 
 
 
 



 
 

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