「薔薇色のトリル」2 




 

「ご機嫌いかがですか?」
 国王はゆったりとした足取りで部屋に入ってくる。
「毎日、同じよ」
 新一はベールを深く被ったまま愛想悪く答える。その新一の一歩後ろで蘭が控えている。
「何か変わったことはありましたか?」
「……特に」
 愛想関係なく、毎日変化のない生活を送っている。部屋の中でずっと。外は窓からしか見ることはない。このままの生活を続けたら狂いそうだ。
「今日は珍しい果物が手に入ったので持ってきました。外側は茶色い毛で覆われていますが、中は美しい緑色の果肉が入っています。水分がたっぷりで、甘くて美味しいのですよ?」
 王が手に持っている小さな籠にはその果物が5つばかり入っていた。確かに茶色い毛で覆われている、楕円形をした果物だ。この中身が緑色とは、驚く。
 新一はベールの中から、興味津々と果物を見つめた。王が持ってきてくれるものは、どれも美味しい。食べ物に罪はないからありがたく頂く。
 新一の反応を察した王は、薄く笑いながら背後で控えていた園子に籠を渡した。本当なら直接渡したいところだが、未だ警戒を解いていない新一に無闇な接触を控えているようた。
 園子が籠を受け取る姿を見て、王は唇の端を少しあげた。
「ティターン国の侍女は本当に美人揃いですね。城のものが噂しておりましたよ」
 目を見開く園子に、王は朗らかに笑った。
「園子はだめだ!キッド」
 新一は素早く園子の前に立って、庇うように腕を上げた。
「園子には、国に婚約者がいるんだからっ!」
 激しい目で睨む新一の瞳はきらきらと蒼く輝いていた。急いだ拍子に、ベールがずり落ちているため新一の怒っている表情がよく見えた。
 
「やっと呼んで下さいましたね」
「……あっ」
 新一は口元に手を当てて瞳を見開いた。
 エウーダ国王の名前をキッドという。最初の時、彼は自分のことをキッドと名前で呼んで欲しいといった。
 だが、新一は今まで呼んだことはなかった。
「それから、ほらベールが取れていますよ」
 キッドは新一の肩から落ちそうになっているベールを頭まで引き上げた。だが、顔を覆うことはしない。
 新一ははっと気付き、ベールの端を引っ張り顔を隠そうとするが、その端をキッドが上から押さえてしまう。
「なぜ、ベールで顔を隠すのですか?こんなに美しいのに勿体ない」
「……英理さまと約束したから」
 じっと見られて、困ったように白状した。言わなければ、ずっとキッドは離してくれないだろう。彼から有無を言わせない雰囲気が漂っていた。
「英理さま?顔を隠すことをですか?」
 新一は小さく頷き、仕方なく説明をすることにした。きっと、キッドは疑問に思っていたに違いない。
「かあさま亡き後育ててくれた公爵夫人で、聡明で思慮深い人。その人に人前でベールを被って無闇に素顔を晒してはいけないと言われて、約束した。だから、ずっとベールを被っている……」
 嫌われるためにちょうどいいとは思ったが、元々新一は人前でベールを被って過ごしてきた。ベールをしないでいられるのは、親しい人のみだ。それ以外は公の場所だ。
「……そうですか。聡明な公爵夫人が言われることですから意味があるのでしょう。でも、もう私はあなたの姿を見ていますし、あなたの夫となるのですから、必要ないのではありませんか?」
「……」
 そう切り替えされると新一も困った。すでに素顔を見られている上、形ばかりは自分の夫だ。ついでにこの国で一番権力のある国王である。すでに、新一には拒否できるだけの理由がなくなっていた。
「ねえ、私の王妃」
「……っ、わかった」
 手を取って見つめられると、是と答える以外ない。
「それからですね、王妃と呼ぶにはまだ式を挙げていませんから、それまで親愛をこめて、姫と呼んでもいいですか?侍女の方たちのように」
 この際、要求をすべて並べるつもりなのかキッドは真剣にかき口説く。
 付け加えるなら、蘭も園子もその場に応じて呼び方を変えている。彼らだけなら新一と呼ぶこともあるが、それ以外はおおむね姫様と呼んでいる。公では王妃と呼ぶ場合ももちろんある。
「好きに呼べばいい。キッド」
 了承のつもりで、キッドと呼び返すと、キッドは端正な顔に笑みを浮かべて喜んだ。
「ありがとうございます、姫」
 そして、ぎゅうと新一を大きな腕で抱きしめた。顔が胸に押しつけれれ、なにか爽やかな香りが鼻孔を掠める。
 ああ。本当に。
「お茶の用意を。園子、蘭」
 新一はキッドに抱きしめられたまま指示を出す。
 結局、初めてお茶をに誘うことにした。
 
 
 


 椅子に座り、用意されたお茶を飲むキッドの姿は、なぜかこの部屋にしっくりして見えるのが不思議だ。
「美味しいお茶ですね、飲んだことありません」
「ティターン国のものだから。香り付けに花が入っているから、ちょっと甘い香りだろ?」
 カップの中のお茶は薄い琥珀色をしている。湯気とともに立ち上がるのは、甘い花の香りだ。
 
「そういえば、姫。不自由はありませんか?」
「……」
 新一は困った。外に行きたいと要求していいのだろうか。馬で思い切り駆け回りたい。それは許されるのだろうか。それとも自由奔放で野蛮な姫だと見限ってもらうのも戦法だろうか。
「本を読まれるのですか?これは?」
 先ほどまで読んでいた本をキッドが見つけた。そのまま放置しておいたから目に入って当然だろう。
「それは、国から持ってきた本だ」
 新一は本が大好きだった。各国の文化や言語、歴史に民話など読んで知識を得ることが殊の外好きだった。
「もし、よろしければうちの書庫に行ってみますか?私も一緒に行けば、誰にも咎められることなく読めますが」
「ほんとに?いいのか?」
 新一は目を輝かせて興奮のあまりキッドの方へ少し顔を寄せた。
「いいですよ。明日にでもいかがですか?午後から時間がありますから」
「ありがとう!」
 新一は嬉しくてお礼を言った。この時すでに嫌われようという計画は意識から抜け落ちていた。なにより自分の欲求を満たしたい。これに尽きた。
 このまま部屋に閉じこもっていたら、新一は発狂する。せめて、本が読めるなら、これほど嬉しいことはない。
「では、明日の午後、迎えに参りますね、姫」
「うん」
 こくりと新一は頷いた。
 それにキッドは優しい笑みを浮かべ、カップを傾けお茶を飲む。
 その仕草が絵になっているのは、何とも言えない。
 実際のキッドは、長身痩躯で手足も長く、顔も端正である。国王としての存在感や威厳もあるが、誰にでも優しい口調で語りかけ、他人に当たり散らすこともない。城内で聞こえてくる評判もすこぶる良くて、国民からも慕われている。
 茶色がかった黒髪は少し癖がある。切れ長の紫暗の目に鼻筋が通っていて、ティターン国より彫りが深い顔立ちだ。
 誰の目から見ても、若く人望もある国王は国中の女性から熱い目で見られていることだろう。きっと縁談も数多くあるだろう。今は年齢の足りない王妃をもらったばかりだから、遠慮している可能性は高いが。
 新一はしみじみキッドを見て思った。
 きっと何人も素晴らしい妃が見つかることだろう。
「蘭、ついでに果物も剥いて」
「はい」
 新一が蘭に指示すると、蘭は手早くナイフで果物を剥き始めた。白い器に盛られる果物は本当に瑞々しい緑色をしている。中に黒い粒が見えるが、種だろうか。
 どうぞ、と差し出した器を真ん中に置きフォークで刺して口へ運ぶ。
「甘い……」
 思わず呟いた感想に、キッドは嬉しそうにする。
「キッドもどうぞ。珍しいものなのでしょう?」
 新一から勧められてキッドも一瞬目を瞬いてから、嬉しげに頬を緩めてフォークで果肉を刺して食べた。
「美味しいですね。今度は冷やして食べてもいいかもしれません」
「そうかも」
 水で冷やして食べたら、もっと美味しいかもしれない。
 後で蘭と園子と一緒に食べようと思いながら、新一は口元を綻ばせる。
 その浮かんだ笑みをキッドが楽しげに見つめていたと新一は知らなかった。
 
 
 

 
 
 

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