「薔薇色のトリル」1 




 


 長かったティターン国とエウーダ国との戦いが終わった。きっかけは些細なことだったが、止めるに止められず続いた戦いは、国土を荒らすだけでなく国民も疲労させていた。
 やっと戦いが終わると聞いた国民は安堵の息をもらし停戦を歓迎した。領土も今まで通り変わることもなく国としての面子も立つ。
 
 待ちに待った停戦条約が結ばれて、その証として結ばれた約定は国同士の婚姻だった。
 国同士の木絆をより深め争いを避けるため、選ばれた方法だった。それは、歴史上どんな国でも行われてきた方法だったから、両国が選んでも何の不思議でもない。
 エウーダ国の第一王女がティターン国の第三王子と婚姻し、ティターン国の第五王女がエウーダ国、国王との婚姻。
 その婚姻は誰の目からみても、どんなに婚姻と言っても立派な人質に近かった。
 ティターンの国の第五王女がいまだ14歳という若さであることからも明らかだった。
 
 約定通り、王女が嫁いだのは、そのわずか終戦から一ヶ月後だった。
 
 
 
 
 
「よくぞ、遠いところからいらっしゃいました」
 馬車で着いた先、先日までの敵国から向けられた歓迎の言葉をどこまで信じていいのか甚だ疑問だった。馬や宝石、特産の葡萄酒などなどたくさん国から持参金代わりに持ってやってきた肩書きは王妃に深く頭を下げ出迎えたエウーダ城の人々を冷めた目で見て取って、胸のなかでため息をもらす。
 
 ティターンからの王女は、ベールを深く被りエウーダの地に降り立った。
 
 
 
「やっぱりエウーダの方が暖かいわね」
「そうねえ。実際、ティターンの王都とエウーダの王都は離れているもの」
 成人は越えているがまだ若い女性二人が、窓際に立って遠くを見ている。
 隣り合った国同士だが、王都はかなり離れている。おかげで風土がかなり違うだろう。ティターンは季節の移り変わりがはっきりしているのに対し、エウーダ国は南方地方に近い。年間通して暖かい風が吹き、なだらかな草原が広がっている。
 麦など穀物が実り多いだけではなく、牧草地帯もあって牛や馬や羊など豊かだ。茂る木々や草や花などテイターン国の人間には目にしたこともないものが多々ある。
「ねえ、姫さま。窓からいい風が入ってくるわよ」
 ソファで本を読んでいる少女に一人の女性が声をかけた。
「そうそう、一緒にどう?気持ちいいわよ」
 隣の女性も少女を誘う。
「そうだな。こんな日は遠乗りでもしたい気分だな……」
 ふんと、不機嫌そうに鼻を鳴らして少女はかぶっているベールを少しずらした。そこに現れる蒼く澄んだ瞳は、人目を惹いて有り余るほど威力があった。
「新一……」
「……新一くんたら」
 ため息を付く女性は蘭と園子だ。
 そして、ため息を付かれ新一と呼ばれた人間はティターン国、第五王女、シン姫である。
 本当の名は新一。王女ではなくれっきとした王子である。
 今はベールをかぶり顔を隠しているが、身にまとうのはこの国の身分が高い女性が着る衣装だった。裾まで長い衣装は、薄い色の下衣の上に柄が付いたものや鮮やかな色、装飾が付いた上衣を重ね、飾り紐を腰で結ぶ。襟も種類があって、丸いもの、縦襟、四角いものなど豊富でその用途や季節などで使い分ける。袖は肘から広がったものが多い。
 新一が着ているのは、下衣が白色で上衣が花の模様がある水色だ。腰には艶を消した金色の紐がゆったりと結ばれ、袖口が二重に広がっている愛らしい意匠で、とても似合っていた。
 衣装にあわせ、艶やかで長い黒髪を複雑に編んで後ろに流している。
 性別は男だが、煌めく蒼い瞳と素晴らしく整った鼻梁と薔薇色の唇と白い肌はどこからどう見ても将来は傾国になるだろう少女にしか見えなかった。
 
「いい加減、うんざりだ」
 嫁いできて、部屋だけで過ごす毎日は新一にとって苦痛だ。わかってはいたが、じっとしているのは性に合わない。
「わかってるけど、でもねー。姫だから。将来王妃さまだから」
 園子が笑って諭す。
 現在の肩書きは、王の正式な妃であるから王妃のはずだが、年齢が低すぎたため、成人してから式を挙げることとなっている。成人まで、まだ二年もある。
 
 生まれてから性別を偽り、王女として生きてきたせいで、今回なんと先日まで敵国であった国に王妃として嫁ぐことになった。
 我ながら、嘘のような話である。
 
 母親は身分が低かった。下級貴族の娘だった有希子が国王と出会ったのは、彼女がまだ16歳の時だった。成人したばかりの若い娘だが、彼女はとても美しかった。艶やかな黒髪に美しい蒼い瞳。整った鼻梁に薔薇のような唇。瑞々しい肢体と白い肌は若々しさにあふれていて、見るものを虜にした。
 後に傾国といわれた美貌だった。
 国王は彼女に一目で恋した。彼女は美しさだけではなく、優しく暖かい心根の持ち主だった。国王に取り入ってのし上がろうなどと夢にも思わない人間だった。彼女の人となりを愛した国王は、彼女を妾妃とした。だが、王妃は嫉妬深い人間だった。今まで国王も政略結婚の王妃を彼なりに大事にしてきた。恋はできなくとも、王妃として愛情を与え、王子や王女にも恵まれた。王として、外交上ほかにも妾妃を迎えねばならないこともあったが、それは王妃も仕方ないものと思ったようだが、王から求め寵愛を与える女性を王妃は許せなかった。
 顔をあわせて嫌みを言うならかわいいものだが、段々と過激になっていく嫌がらせに元々体の弱かった有希子は体調を崩した。国王は彼女を離宮へ移し足繁く通った。そのことが余計に王妃の嫉妬を煽った。
 やがて愛し合った二人には子供が誕生した。子供は王子だった。が、命の危険から彼女は王女として育てることにした。王は最初王子と発表しようと考えたが、彼女の危惧を否定できず王女として発表することにした。そうすれば世継ぎ問題には巻き込まれることはない。
 その後出産の肥立ちが悪く、有希子は命を落とした。
 母親を亡くした幼い王女を、王は信頼できる公爵に預けた。
 
 ティラーン国の四大公爵の一つ、毛利家に預けられた新一は公爵婦人である英理に育てられた。英理は夫である公爵より思慮深く聡明で、賢夫人として有名だった。
 そこには二人の一人娘、蘭がいた。新一よりずいぶん年上の蘭は正しく姉のようだった。
 姉妹のように育ち、教育を受けた。
 剣や馬術、弓術などの武術から、言語や歴史、胡弓や笛、歌などの文芸まで幅広く習った。それぞれの分野の師たる人間と友好な関係を築き、得意分野はあるものの素晴らしい成長をみせた。
 その間、戦争が始まり段々と戦いが激しくなっていった。
 戦況が厳しくなると、国境近くの貴族たちはそこから離れ、女子供も戦場から逃れるために遠方の親類を頼った。王都も四大公爵が兵を率いて戦場へ向かう姿が見られ、ぴりぴりとした雰囲気が町中に広がっていた。
 自然、子供を安全な場所へと移す貴族が急増した。
 
 新一は母親が賜り自身が生まれた離宮へ移った。英理がそうした方がいいと促したのだ。その際、蘭と鈴木公爵家の園子も一緒だった。鈴木家と毛利家は仲がよく、蘭も園子も幼少の頃から親しかった。当然新一にも出会い、親交を深めていた。
 新一と蘭と園子は、信頼の置ける人間と師と共に離宮で過ごした。
 離宮は、別名薔薇屋敷と呼ばれるほど美しい薔薇に囲まれていた。母親である有希子のために国王が作らせたのだ。
 一般の前に出ることはほぼないが、薔薇屋敷に住む姫君として新一は有名だった。国王が愛した妾妃が住んでいた場所に住む王女は、まことしやかに秘中の薔薇姫と呼ばれていた。強ち間違ってはいなかった。国王が特別に愛する王女。その証拠に、お忍びで国王がやってきたこともあった。なかなか会えない新一の成長を見て国王は心から喜んだ。
 だが、その新一がまさか他国の王妃として嫁ぐことになるとは国王といえど夢にも思わなかっただろう。
 本来なら、人質として他の王女を差し出すべきだった。本当は王子である新一など論外だった。だが、エウーダ国側が第五王女を名指したのだから、否とは言えなかったのだ。
 おそらく、エウーダ国としてはたった一人の王女を差し出すのだから、それに見合う王女でなくてはならなかった。国王から愛されていると噂のある王女でなくては、人質として釣り合いがとれないと思ったのだろう。
 ティターン国でも、エウーダ国の思惑を悟り、断れなかった。せっかくの和平の道である。エウーダ国の第一王女は若い国王の唯一の妹姫だ。戦いで死んだ前国王は王妃一人だけを愛し、王子と王女一人ずつ生んだ。後に病死するが、前国王は誰も妃として迎えなかった。おかげで、王位継承権がある王子は、現国王一人だけだったのだ。
 直系の唯一の王女を嫁がせる国として、ティターン国を選んだエウーダ国は、どうしても同等の価値のある王女が必要だった。王妃が生んだ王女はすでに他国に嫁いでいたし、妾妃が生んだ他の王女で年頃があう王女は二人。だが、王妃として娶るにはティターン国の価値が足りない。そこで選ばれたのが、国王が寵愛した妾妃の王女だ。その王女も殊更大事に愛しているらしいと、他国にまで噂は広がっていた。
 国の思惑が交錯して、新一はシン王女としてエウーダ国にいる。
 
 
「ほら、そんな顔しないで。きれいな顔が台無しよ。シン姫」
 蘭がからかい混じりに新一のベールをまき直す。
 公爵家の娘であるが、蘭も園子も新一についてきた。一ヶ月前までの敵国に可愛い妹のような新一を一人やるなど、できるはずがなかった。だから侍女として二人は新一の身の回りを世話しながら守っている。
 基本的に、自国から連れてきた侍女は二人だけだ。
 秘密を知る人間は少ない方がいいし、周りに人がいればいるほど性別がばれる危険性があるからだ。
「たく……」
 新一もベールを深く被りなおす。女官や他の人間にうっかりと姿を見られる訳にはいかない。
「それにしても、似合うわね。それ」
「本当ね。姫様にぴったりよ」
 新一がまとっているエウーダ国の衣装は、この国に来てから国王からもらったものだ。自国の衣装はややこの国の風土にあわない。あう衣装もあるのだが、国王から渡された衣装を拒否などできるはずがなかった。実際は着心地もいいため気に入っている。
「……嬉しくない。服はいいんだけど、全然嫌われてないじゃないか!」
 唇を尖らせて拗ねたように新一は呟く。
 国王に徹底的に、嫌われよう計画というものが彼らにはある。
 
 成人を迎えたら王妃となるために式を挙げる。
 だが、新一は実際王子であるから表面上の王妃として隣にいることしかできない。王妃としての役目など不可能なのだ。通常は世継ぎが最重要課題である。それに、夜伽なども無理である。そんなことになったら、夜寝台の上で男だとばれる。そうなれば、戦争再勃発である。
 それだけは避けなければならない。
 三人は毎日夜遅くまで話し合った。こうなったら、国王に嫌われるしかないと。我が儘で気位の高い王女を演じ、なるべく顔も会わさず、打ち解けない。そうなれば、王妃の価値は人質のみとしてさっさと妾妃を迎えるだろう。そこで世継ぎが生まれれば、万々歳だ。
 新一はただ王妃として、人質としてあればいい。
 王から嫌われて、王妃の元に通わなくなればいい。所詮政略結婚だ、誰も国王を責めないだろう。
 
 それなのに、国王は毎日やってくる。
 未だ成人していない王女を気遣っているようで、様々な贈り物を携えて顔を出す。
 まず、この国の衣装だった。
 新一用に特別に仕立てたと一目でわかる、上質な衣装だった。新一に似合う色合いと意匠だった。
 贈り物を大切にしないという態度でもよかったが、それはいくつか他の理由から却下した。まず、この国で快適に過ごすためには、どうしても必要なものだった。それから、頑なに自国に固執していると見える態度は、城内からいらない敵を作ることになる。この間まで敵だった国から嫁いできた王女を快く迎えられるかどうかは別問題だ。女官など城内の中の人間が新一を害する危険性がなとはいえない。そのため、衣装は潔く身にまとうことにした。無駄に城内で敵を作ることは得策ではないのだ。
 
 翌日は耳飾りだった。
 瞳の色にあわせた蒼い宝石でできた代物で、繊細な作りが可憐だった。
 その次は、薔薇の花束だ。純白の花は現在居間の花瓶に生けられている。
 その次はエウーダ国の果物だった。甘酸っぱい果物はとても美味しかった。
 そのまた次は、ベールだった。いつもベールをしているので、といって顔を隠して見せもしない新一に似合いそうだといって笑った。
 その次は、百合の花だった。庭で咲いたのだといって一輪持ってきた。ベッド脇に飾られている。
 その次は、何だった?この国の果実酒だった。
 寝る前に飲んでもいいですよと言われた。
 
「どうしろっていうんだ?」
 顔を隠して、たいして声をかけず、なるべく不機嫌に我が儘な感じで相対している。それなのに、全く懲りない。
 ふつうは、もっと、こう、思うものではないのか。
 この王女は駄目だとか、あわないとか。いろいろ思うはずだ。
 自分の好意に対して、そっぽ向いている人間なんて、許せないし腹立たしく思うのが当たり前なのだ。
 なのに、毎日現れる。
 
「さー。気長に行くしかないんじゃない?」
「あっちも必死なんでしょ。だって、仮にも王妃よ。ちょっと年齢足りないけど。最初から適当に扱ったなんて知れたら、立場がないじゃない。わざわざテイターン国の秘中の薔薇姫もらっておいて」
 外交上、ティターン国の王女は貴重だ。
 大事にしていますという態度は重要だろう。不自由させていないというのはその内の一つだ。愛情がそこにあるどうかは別問題であるが。誰もそんなことは気にしてない。
「早く嫌ってくれればいいのに……」
 新一はぼやいた。
「それも、難しいわね」
 あの国王の態度は、蘭と園子の目から見ても誠実だった。表面だけではなく大事にしようと伝わってくるのだ。通常であれば、素晴らしいことであるが、今回ばかりは無駄な優しさだった。
 
「失礼します」
 そこに、トントンと扉をたたく音がした。声から国王がやってきたとわかった。第一、王妃の部屋にやってくる男性は王以外いる訳がない。
「はい」
 すぐに園子が出迎えに行く。
 開けた扉を内側で持ち、園子は頭を下げた。


 


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