「あなたのとりこ 8」




 


 里と呼ばれる場所は山奥にある。そこにたどり着く道は細くて長く曲がりくねった山道を延々2時間越えてこなくはならず、そこに里があると知っている人間しか入ることはない。地図上には載っていない。そのあたりの山々や下ったところにある村などを含めてどこかの郡に属している。
 それでも道は車が一台通れる幅がある。里は基本として昔から自給自足であるが、今時すべてが里内で補うことは不可能だ。昔はよかったかもしれないが、今時電気もガスもなくては暮らしていけないし、肉も魚もいっさいない精進料理で通してる訳でもない。暮らしに必要なものは週に一度ほど車で山を下りて買い求める。
 里には田畑が広がり、そこで米、麦や季節の野菜が作られている。鶏も飼っていて卵を生む。果物の木もあって無花果、葡萄、柿、桃、桑に枇杷、栗などもある。
 野生の野いちごや山菜、山の恵みに少し離れた場所にある川では川魚が取れる。
 
 山の合間にある里はそれなりに広い。田畑が広がった盆地に家がいくつか建っている。どれも見るからに日本家屋であるが、ひときわ大きな屋敷が山の側面を背に建っている。この屋敷は、外観からは想像できないくらい広く、中に入ると迷路のような作りになっている。板間の廊下に座敷が連なり土間があり、一本しか奥へ繋がる道はないがそれを進むと、庭を挟んで小さな社がある。
 社になにが奉られているのか、知ってる人間は里でも限られる。
 鏡であるとか、剣であると言われていても実物を見ることができる人間は、里で長と呼ばれる人物だけだ。
 
 そもそも、なぜこんな場所に能力者が住んでいるのか。
 どんな経緯で、特殊能力を持つ人間が里に住むに至ったのか。
 
 人から畏怖される、異端の力を持つ人間が普通に村で暮らせるはずがない。そういった人間が流れてこの地に住み着いたと言われるが、その基礎は斎宮の血を引く者であったともいう。
 斎宮はとは、伊勢神宮に奉仕する斎王のことだ。斎宮は、未婚の内親王、女王の中から選ばれる。彼女たちは役目を終えて下退しても婚姻は皇族に限られた。内には臣下と婚姻した者もいるが、多くの人間は生涯ひっそりと暮らしといわれている。
 その斎宮が秘密裏に子供を産み、当然表沙汰にはならず、誰か信用できる人間に預けた。その子供は、斎宮の血を色濃く受け継ぎ、特殊能力があった。
 そんな風に伝えられていると里では聞いた。が、それが事実であるのかは、誰も証明はできないだろう。
 特殊な能力を持った人間が集った里には、能力のある子供が多く産まれた。才には差があったが、強い力をもった者を時の権力者が野放しにしておくはずがなかった。里は時の権力者と契約を結んだ。己達の力を提供する代わりに里の安全を。生きていくための報酬を。権力者に逆らったら命がないため、里は生き延びるために契約をしたのだ。
 現代では、当時とは違い能力者も減り極一般的に生きている人間も多い。減少した能力者も、日本の法律によって守られている。
 それでも、この里はその特殊さ故、強力な結界が張られている。
 里に入ると、境に配置された道祖神と顔をあわせることになる。道祖神は路傍の神だ。見えない部分に多くの仕掛けがされた結界は、普通の人間が踏み込んだとしても、空気がふるえたと感じるだろう。
 すべては、能力者を里を。守るために。
 
 
 
 そんなことを新一が知ったのは、随分大きくなってからだ。
 まだ三歳に満たない童子である時、初めてその地を踏んだ。母親に連れてこられたのだ。生まれた時はわからなかったが、意志疎通ができるようになると新一に特殊能力があることを母である有希子は知った。
 人と接することを怖がる。普通の人間なら理解できないことを言う。読めてしまった人の感情について、怖いとか悲しいとか嬉しいとか話す子供に、自分の血を受け継いでしまったのだと理解した。
 新一自身は、まだそれがどういったことか深く理解はできていなかった。三歳では、それも不可能だ。
 有希子はそんな新一を里まで連れて行った。能力を有している子供を普通に、世間で育てることは難しい。特に新一は人の感情に敏感であるから、それによって左右される。強い感情に中られたら倒れてしまう。
 それまで、結界に守られた場所で力を制御する術を学ばなければならなかった。
 有希子は新一が里の生活になれるまで側にいたが、やがて「どうかお願いします」と頭を下げてその地を後にした。
 
 里には大人がほとんだったが新一と同じくらいの女の子が一人いた。
 自分より少し上くらいの、童女と呼ばれる年齢の子供だ。薄茶の髪に焦げ茶の瞳。日本人にしては色素が薄い。
 彼女は「アイ」と言った。この里では名前を呼ぶ時注意しなさいと最初に教えられた。
 言霊というものがある。その名が能力者を縛る。能力の高い者が名前を呼ぶと強制力を及ぼす。とても危険なのだ。
 だから、能力者同士は真名に当たる音で呼んではいけないといわれていた。

「アイ」
「どうしたの?シン」
 だから、新一もシンと呼ばれる。
 新一は縁側に座って足をぶらぶらさせている哀の側まで近寄った。そして告げる。
「こんど、いちど、もどるって」
 新一は外へ出ないで里にいる訳ではない。俗世と離れてばかりいても、だめなのだ。だから、里の生活と外の生活を適度な周期で交互にしている。
「そう」
「うん。だから、こっちにもどってきたら、おもしろいホンもってくるよ。よみたいっていってたでしょ?」
「あら、ありがとう」
 ふふと哀は目を細めて笑う。
「そうねえ、あなたじゃまだタイトルが読めないでしょうからリスト渡しておくわ。もってきてくれる?」
「わかった!」
 新一は了解と片手を上げた。
 見かけは新一より少し年上だが、哀は実際もう少しお姉さんの年齢だった。彼女はその能力のため、ゆっくりと年齢を取っている。だから、そのうち新一の方が彼女の外見を追い越していくのだ。
 哀は微笑みながら、肩を越すくらい伸ばされた新一の黒髪をさらりと指で梳く。新一も哀も髪を伸ばしている。髪を伸ばしていた方が能力を制御できやすい、と新一は聞いている。子供なのだから、どんなことをしても安定を図らねばならない。おかげで、新一は一見可愛らしい女の子にみえた。だが、ここで育つ子供は髪を伸ばすのが習慣となっていたため、文句も言えない。
 それに、大人の男性であろうと長く髪を伸ばしている人間もいたから、ここでは男性が髪を伸ばすという行為はあまり珍しいことではなかった。
「でも、残念ね。もうすぐシンの好きな無花果がなるのに」
「……うん。ざんねん。そとでたべてみたけど、ここのがいちばんおいしいよ」
 新一は、唇を尖らせて哀と並んで縁側に腰掛けた。
「ここの果物が美味しいのは、仕方ないわ。だって、土地が違うんですもの。空気、水、太陽、外とは違うわ。山に住む神が春になると降りてきて秋の実りを終えると山へと帰っていくというけれど、あながち間違いじゃないわね。守られている土地には確かに、加護や祝福があるのでしょう」
 新一にはまだ難しい言葉で哀が朗々と語る。
 哀は新一よりここにいる時間が長く、滅多に外には出ないため知識は半端なく多く深い。
「そうだ、お茶でも飲む?この間、香りのいい葉をもらったの。あなたの方にもいただいたのかしら?」
「おちゃ?それはまだあるよ。このあいだもらったのは、おかしだった。コンペイトウとラクガン」
 金平糖はともかく落雁など子供のお菓子としては適さないが、ここではそれが普通だ。スナック菓子など里内にもち入ることなどない。
「そう。お茶だけいれましょうね。いいお天気だもの」
 哀は立ち上がり室内へと戻る。
「てつだう!」
「ええ」
 二人は、廊下を歩いて台所へと向かった。
 この里では、子供だからと甘やかされない。自分でできることは自分でするのだ。
 哀が住んでいる屋敷は里の東寄りにある。里にある屋敷の中では中間くらいの大きさだが、都心の一般的な住宅の三倍はあるだろう。このような立派な日本家屋を首都圏で建てようとすれば馬鹿高く嫌でも目立つが、この里にひっそりと建っているため分にはとても似合う。
 新一が住む屋敷は西側寄りにある。これは哀が住む屋敷より一回り大きい。その奥の部屋で新一は寝起きしている。それは、まだ新一が自分の力を制御できていないからだ。強固な結界に守られている里の中にあって、屋敷の中をも結界を張り巡らせる。人の気持ちが流れ込んで来て精神を犯され、自滅してしまわないように。能力に応じて里は様々な教えを授ける。力は役立つこともあるが、それによって破滅する危険性もある。その血筋の人間を決して里は拒否しない。受け入れて、現代に生きていけるようにする。
 里は、能力者を育てるための場所ではない。守るための場所なのだ。
 その能力を頼られて、仕事を受けることもあるが、それが目的ではない。ただ、里を維持するために仕事を受けないということはないが。
 
 幼い頃は、頻繁に里と家とを行き来した。小学生になると、それほどではないが、それでも里へと赴いた。学校もあるから、長期のお休みに足を向けることが多かった。だが、まだ自己制御ができていなくて倒れることがあったから、その度に学校は休むことになった。
 蘭や園子はそんな新一を気遣って、側にいた。
 
 古い、古い記憶だ。
 里での生活はとても思い出深い。
 特殊な自分の側にいてくれる友人との学生生活も楽しかった。
 やがて中学生になり、多少は丈夫になったしスポーツも勤しみ、サッカーにも入れ込んだ。身体を動かすことが好きだった。スポーツをしている時は頭を真っ白にして、余計なことなど考えずに済んだ。友人も増えた。
 蘭や園子のように、気兼ねなく触れることはできなくても、一緒に一つのことに打ち込んで笑いあうことはとても楽しかった。
 高校生にもなれば、もっと世界が広がった。
 探偵として警視庁から要請を受けることも増えた。自分の探偵としての能力が認められたのだ。特殊能力ではない、頭脳や洞察力、推理力を認められることのなんと嬉しいことだろう。
 そんな自分を心配そうに、それでも暖かい目で見守っていてくれた蘭と園子と哀。
 ほんとうに、ありがたかった。
 遡る記憶は、決して辛いものばかりではない。多少体調が悪くても自分は恵まれていた。優しくて暖かい人に囲まれて。
 
 
『ねえ』
「何だ?」
『お人好しって言われない?』
「言われない」
『もう少し自分を理解したら?こんな事をしていたら、死ぬわよ』
「……」
『性格だって知っているけど。人にはできることとできないことがある』
「わかってる」
『わかっていたら、こんなことになっていないわ』
『すべての人を救うことなんてできないわ』
「知っている。……でも、さ。放っておけない事だってあるだろ?」
『誰かを助けたいって気持ちを捨てろとはいわないわ。でも、そのせいであなたが倒れていたら世話ないわよ』
「ごめん」
『……さあ。そろそろ、戻っていらっしゃい』
 
『新一』
 
 
 名前を呼ばれた。
 
 
 
 
 新一は目覚めた。見慣れた部屋の景色が視界に入り視線を移すと、ベッドの両脇に哀とKIDがいる。新一の左手を哀、右手をKIDがしっかりと握っている。
「……あ、れ」
 ぱちぱちと瞳を瞬いて新一はかすれた声を上げる。
「気が付いた?大丈夫?」
「アイ……?」
 傍らの哀を見上げて新一は視線をばちりとあわせた。哀はその新一の瞳を見つめて深刻な声音で告げた。
「強行手段を取ったの」
 能力者が、名前を呼ぶ。それは、とても危険だ。
 だが、このような場合効果的な方法でもある。ある種の賭だ。
「う、ん。へーき」
 淡く新一は笑って、ありがとうと返す。
 現実の世界へと意識を呼び戻す。そのために、危険な名前を呼ぶ哀の気持ちが十分に理解できて新一は申し訳ない気になる。自分も危険だが、危険に晒す哀の方が精神的に辛い。
 精神はしっかりしている。名前を呼ばれた後遺症も今のところ見られない。多少の後遺症があっても、意識を取り戻せないようにずっといい。
「兎に角、よかったわ」
「うん」
「眠りなさない。まだ目を開けていることも辛いでしょ?」
「ごめん。……KID、も、ごめ……ん」
 新一は哀に謝り、視線だけKIDへと向けて同じように謝ると瞼が落ちてことりと意識を手放した。
 眠ったのだ。穏やかな寝息が聞こえる。
 ほうと、哀は細い安堵のため息をこぼして肩から力を抜いた。
「……もう、危機は脱したわよ。園子。KIDも」
 少し離れた場所で、邪魔にならないようにずっと沈黙を守っていた園子を振り向き、哀は安心させた後にKIDへと視線をやった。
「よかったわ」
 園子は強張っていた頬を緩め、はあと息を吐いた。
「じゃあ、蘭に知らせておくわ。ヤキモキしていると思うから」
 園子は携帯電話を使うためにいったん部屋から出ていった。
 蘭は母親と一緒に旅行中である。旅先から母親を放っておいて駆けつけることもできずいらいらしているはずだ。新一に何かあった場合、旅行中だからといって遠慮し連絡をしないなんて、できないから園子は状況だけ知らせていた。旅行先で気で気が気ではない蘭に早く新一が気が付いたと報告してあげなければと園子は思ったのだ。
 園子の後ろ姿を見送り、無言で新一の顔を見続けているKIDを哀はじっと見る。KIDは哀の苛烈な視線を受けたまま尋ねた。
「……私は、このままの方がいいのでしょうか?」
「そうね。その方が回復が早いと思うけど。……でも、ずっと付いている訳にもいかないでしょ?泥棒さん」
 暗に犯罪者が、こうしていていいのかと言っている。
「構いませんよ。私にできることなら、いくらでも」
 対するKIDはきっぱりと言い切った。KIDの覚悟を見て、哀がちらりと視線を流して眠る新一の白い顔で止まる。そのまましばらく見つめてから、口を開いた。
「そう。なら、しばらくお願いするわ。でも、あなたは怪我をしているから無理してもらうと困るの。怪我が酷くなって傷口が開くと逆に悪影響が出るわ」
「はい」
 KIDは頷く。自分の怪我のせいで宝石の邪気に犯され、結界まで壊した事実がある。これ以上迷惑など掛けられなかった。何かしたいという自己満足のために、状態を悪化させるなんて、あってはならない。肝に命じている。
「まあ、罪悪感があって罪滅ぼしがしたいなら、明日とか日にちをずらしていらっしゃい」
「はい。そうします」
 神妙なKIDを仕方なさそうに見やってから哀は立ち上がる。飲み物でも取って一息入れなければ続かない。
 哀も少し休憩を入れることにした。
 
 
 哀はKIDに事情を聞いてから、ずっと詰めていた。
 KIDから新一に何があったのか話を聞いて哀は頭を抱えたくなった。己に禁忌としている力を使ったというのだ。原因がわからないと今後どうしたらいいか対策が立てられないと耳を傾けてみれば、最悪の事態だ。
 何度も警告していたのに。それでも誰かを見捨てられないのか、性格故か。本質故か。
 宝石の呪いなのかどうか現場を見ていない哀には判断が付かなかったが、人を狂気へと落とす邪気のようなものがあることはわかった。取り付かれた人間から自分へとその邪気を移す。危険な行為だが、能力者の使う解決方法でもある。問題は器がそれに耐えられるかどうかだ。
 哀もその能力を持っている。
 恐らく新一よりも器として適している。だが、おいそれとできる実行に移せる技ではない。
 それなのに、新一は迷いなく他人を助ける。
 哀がどんなに言い含めても、駄目だ。里でも自分にできること以上のことをしてはならないと学んでいるはずなのに。
 今更性質が変わるとは思えないが、意識が戻ったら説教をしようと堅く心に決めて哀は迅速に処置を施すことにした。
 まず、KIDの怪我の手当の後に血が滲んでいないか、手首に新一の数珠があることなどを確認する。それから哀の札を新たにいくつか持たせる。
 そうでないと新一の側に寄せることはできなかった。
 哀はKIDに新一の右手を掴むように指示した。自分も反対の手を取り力を使う。
 哀だけの力では無理があるが、幸いKIDがその足りない役割を果たしてくれる。浄化できる力があれば、哀は最小限の力を使えばいい。もっとも、それでも難しいのだが。
 
 意識がない新一。KIDが乗っ取られそうになったものを自分へと移し持てる力で浄化を試みたのだろう。すべてを邪気に覆われている訳ではないことから推測できる。
 新一の力ですべてをはね除けることは不可能だ。多少は弱めたのかもしれないが、全力を使い切った身体は意識を失うことになった。当然、身体は邪気をまだ浴びていた。意識も深いところに落ちている。
 そこから、呼び戻す。邪気を払って。つまり浄化をして邪気を身体から追い払いつつ、深い部分へと落ちた意識、自我を浮上させなければならない。
 
 だから、哀は二人掛かりにしたのだ。
 まだ信頼の欠片もない相手を使ってでも。それでも。
 
 その甲斐あって新一は意識を取り戻した。
 
 
 



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