「あなたのとりこ 9」




 


「申し訳ありません」
 翌日工藤邸へとやって来たKIDはベッドに横になっているが意識のある新一に謝った。頭を深く下げて心から詫びた。
「謝るな。俺だって、前に助けてもらっただろ?」
 まだ青白い顔色で身体を動かすことは億劫なのだろうが新一は、KIDを強い瞳で睨んで止めた。
「けれど、今回は私の不徳の致すところです」
「犯罪者のくせに不徳とか言ってもな。意味ないからやめておけ」
 布団から手だけを出してひらひらと振る新一にKIDが言葉を失う。気にするなと、気遣われていることはわかるが、それでもKIDの気は済まなかった。
 じっと新一の顔を見つめKIDは、どう言葉にしていいか悩む。一方の新一も、これ以上謝ってもらう事は願い下げだった。誰かに頭を下げてもらうなんて、落ち着かない。
 自分が勝手にしたことで、罪悪感なんてもたれても困るのだ。
 見つめあう二人の間に割って入る子供の声。
「あなた達、いい加減不毛なことは止めておいたら?こんなことで気力を落としてどうするの、シン」
「アイ……」
「哀さん」
 二人から名前を呼ばれても、哀は鼻で笑った。
 KIDは昨日哀をどう呼べばいいのか一応確認を取っている。候補としては、灰原さん、哀さんがあった。園子から自分たちより年上だと聞かされて目を違ったが、その後は特に礼節を重んじて対応しようと心に決めた。
「なんのために来たの、KID?謝罪するため?自己満足のため?」
「いいえ。少しでも名探偵の力になるためです」
 哀から揶揄されて、KIDは姿勢を正す。
「そう」
 なら、すべきことをしたら?と哀に視線で言われてKIDはおもむろに新一が横たわるベッドの側に腰を下ろす。そして、細い手を取って自分の手を絡ませる。
 新一はKIDから流れ込んでくる気持ちのよい気配に目を閉じた。重い身体がだんだんと軽くなる。
 細い息を吐く新一の様子を眺め、KIDは「起きあがれますか?」と聞いた。小さく頷く新一の身体に腕を回しゆっくりと上半身を持ち上げる。そして抱きしめた。
 何度か、こうしてKIDは新一を抱きしめている。この方が手だけ繋いでいるより身体中にKIDの持つオーラが行き渡るらしい。
 力が入らない身体をKIDにもたせかけ、じっとしている新一は小さな声で呟く。
「……気持ちいい。身体がすげー楽」
「それならいいです」
 ぎゅうと腰に回した腕に力を込めてKIDは微笑した。
「KID。あなたの家系ってそういう血筋なの?」
 二人を眺めながら哀は気になっていたことを口にする。
「そういうとは?」
「清浄な空気をまとう人間は、そういないのよ。まして、犯罪者である人間なら尚更ね」
「……特に、ありません」
「そうなの?別に私たちのような能力者である必要はないわ。精神統一なんかを必要とする家とか。たとえば、武道。武芸。そうでなければ、神社や寺院の関係者ね。あなたは知らなくても、実はそういった家系の色濃い血が入っている可能性が高いわよ」
 精神の安定や研ぎ澄まされた空気は、清浄なオーラを作りやすい。蘭などがいい例だ。武芸をしている人間は邪気を浴びにくい。
「……そうでしょうか。思い当たる節がありませんが」
 KIDは首をひねった。
「まあ、今はどっちでもいいわ。安定しているのなら、問題がないもの」
 自分本位というか、新一本位の台詞だがKIDには気にならなかった。KIDは哀と会話しながらも新一の髪を梳いたり頬を指で撫でたりした。うっとりと擦り寄る新一の様子を目に入れながら、なるべく望むように触れる。
 自分の手が新一に効果があるとわかるから、優しい手つきで撫でるように触れた。
 
「あのね。もっと効率がいい方法があるんだけど、やってみる?」
 傍目からすれば、とても仲睦まじい光景を目にしつつ哀は、徐に提案した。
「あるんですか?」
「ええ」
「教えて頂ければ、私にできることなら何でもします」
 KIDは即答した。当然だ。自分にできることなら何でもする心情だ。
「そう。手で触るだけではなく、口で触っても効果があるわ」
 だが、哀の提案は想像の範囲外だった。
「……くち?」
 間抜けにも、KIDは言葉を繰り返す。
「そうよ。口で触れればいいのよ」
「え?でも……」
「何でもするって言ったのは嘘な訳?」
「いいえ。そんな事ありません。私にできることなら何でもします」
 きっぱりと言い切ってKIDは新一を困ったように見つめる。
「ええ、と。名探偵?」
「ああ?」
 哀の言葉に唖然とし戸惑を露にする新一に、KIDはどうしたらいいだろうかと悩みながら、頬にキスを落としてみる。
 そして、首筋にまた、一つキスを落とす。
 口で触れる、とはつまりそういうことだ。
 新一は耳から首筋まで初々しく赤く染めた。だが、拒絶などしなかった。KIDは厳かに、手で触れながらキスを落とす。
 新一の細い指先に。白い額に。耳元に。頭の上に。
 キスを落とした。ゆったりと丁寧に。優しい仕草で。新一はうっとりとそれを受け取っていた。
 哀の目からすれば、遅々として進んでいない。
「……ぬるいわ」
 哀は、顎を反らして睨みあげる。
「あのね、あなた達なにをやっているの?ちんたらと。それじゃあ、効果も薄いわ」
 小さな腕を胸の前で組んで、哀はふんと鼻を鳴らす。
「しかし……」
 KIDの反論に、哀は畳みかける。
「口が効果があるって言ったけど、つまりね、口での接触、舌とか唾液とか、わかるでしょ?清浄なオーラを持つ人間の体液に触れることで、直接取り込むのよ」
 つまり、口にキスしろと哀は言う訳だ。
「ええ?」
「はあ?」
 驚く二人に哀はじろりと視線で黙らせる。
「なに?何か反論があるの?」
「でも、アイ」
「哀さん」
「あのね、そんなに恥ずかしがる必要も暇もないのよ。これは治療の。わかっているの?」
「「……」」
「男なら、ぶちっとしなさい。KID?」
 とんてもない台詞を吐く哀の目がぎらりと鈍く光る。
「……」
「シンの回復のためなら何でもするんでしょ?キスだったら出来ないなんて、今更言うの?この、役立たず!」
 哀は、蹴飛ばす勢いでKIDを詰る。哀の視線を真っ正面から受け止めてKIDは腕の中の新一に視線を移した。
「えっとですね、名探偵」
 心を決めて、KIDは新一を瞳に捕らえる。
「これは治療です。人工呼吸のようなものです。それを恥ずかしがるのも拒否するのも、かえって意識するのは変ですから」
「……うん」
 ちらりとKIDが哀に視線をよこす。だが、哀は、腕を組んだまま口の端をあげた。
「治療でしょ?私が見ているからできないなんて呆れるわ」
 ははんと哀は鼻でKIDの羞恥を笑い飛ばした。
 つまり、哀が見ている前でしろと言っているのだ。KIDも新一もいろいろ諦めた。哀には絶対に逆らえないものがある。
 KIDはそっと新一の頬に手を伸ばして、唇を寄せる。近づいた唇はゆっくりと重なった。
 人の温かさ。唇から伝わる熱。
 一度、触れてから離してKIDは新一を見て表情を観察すると、もう一度触れた。
 何度か、触れるだけの口づけをする。
 そして、今度は少し長く。
 暖かくて、熱い体温とオーラが唇から新一の中へとすごい早さで伝わってくる。心臓まで届いた熱が身体中の血管を通って巡り、じんわりと指先まで伝わった。
 新一は指でぎゅうとKIDのシャツを握りしめてKIDの胸に身体を寄せる。KIDも新一の細い腰に手を伸ばして引き寄せた。
 KIDの舌が新一の唇をたどる。濡れた感触に、びくりと揺れた身体を宥めるように抱きしめて、薄く開いた唇から舌を忍ばせて口中を探ると奥に逃げる舌を捕まえて絡めた。吐息を漏らしてしがみつく新一をより抱き込んでKIDは深い口づけを繰り返した。
 
「ふう……」
 息を吐く新一をKIDはじっと見る。新一の唇は赤く色づき濡れて光っている。目を閉じて睫を震わせる姿にKIDはどきりとする。
 果たして、自分は新一を少しは楽にできているのだろうか。
「どうですか?」
「……う、ん。身体は、たぶん、軽い」
 その証拠に、新一は起きあがっていてもそれほど辛いと感じていない。軽くなってふわふわしているせいで、脱力感があるくらいだ。とても、気持ちがいい。
「なら、よかった」
 KIDも安堵の息をもらす。
 そして、夢見心地のような新一をKIDは優しく腕に抱く。
 
 
 哀は思う。
 普通だったら、恥ずかしがる反応なんてあり得ない。まずあるのは、嫌悪感だ。
 男同士なのだから、抱きしめろ、手で触れろ、までは百歩譲ることはできても、口で触れろと言われたら、なかなか実行できない。そんなことをされたら嫌悪で身体が拒否をする。それなのに恥ずかしがっている二人をみて、哀はひょっとしてと思った。
 だから、キスしろと言ったのだ。
 そうでなくて提案なんてしない。まず、無理だ。
 それも、ふつうのキスだけではなく唾液や舌といった表現を使って深いキスを示唆した。それまでクリアできる確証はなかったが、実際は見事にやってのけた。
 素晴らしい。まさに適任だ。きっと基本の相性もいいのだろう。KIDは清浄な生気を簡単に新一に分け与えることができる。
 なんて、喉から手が出るほど欲しい人材だろう。
 二人がそれなりにまとまってくれれば、こちらがお願いしなくてもKIDは新一のために通ってここまで来るだろう。
 いっそ、くっつけてもみようか。
 この際、男だとか犯罪者だとかなんて気にしない。幸い、新一もKIDのことは気に入っているようだ。信頼が見える。
 
 哀はくすくすと笑った。
 所詮、哀も新一の利益になることしか考えていなかった。ただ、多少意志を無視している部分はあっても、その身体、健康、心の安定を大事にしているため、さほどの問題は、たぶん、ない。
 
 おそらく、あの二人も反対はすまい。
 彼女たちも新一の体調や幸せのことしか考えてない。適任の人間を逃すなんて馬鹿げている。きっと話し合えば賛成してくれるだろう。
 哀は喉の奥から笑いがこみ上げる。
 
 なんて素晴らしい計画なのだろう。哀は実行に移すことに決めた。
 




                                                         END



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