決めた後は早かった。次の日の新聞、テレビ、ラジオ、すべてへ大々的に広告を打った。 KIDへの挑戦状だ。 ビックジュエルを持っている。KIDよ、今晩鈴木邸へと来られたし。さもなければ、ビックジェルは捨ててやる、と。 ある意味脅迫である。 鈴木家には、財力も権力もツテもある。元々ビックジュエルと言われる宝石だって所有している。それは個人で所蔵せず美術館で公開しているものがほとんどだ。 今回のために、園子はすべてのコネを使った。 鈴木家の力を総動員してKIDが未だ盗んでいない、通常表に出てこないビックジュエルを手に入れた。 朝から、延々と宣伝を流した。至るところでKIDへの挑戦状が聞こえる。 これで、KIDが現れなかったらプライドがない人間決定であるが、派手に売られた喧嘩である。KIDは必ず買うだろう。 それでなくて、新一が認める清浄な空気などまとえはしない。 園子はそう確信していた。 鈴木家の次女園子の大々的な宣戦布告を聞いたKIDが鈴木邸へと現れたのは、夜だった。指定した時刻ちょうどにKIDは園子がいる部屋の窓へと降り立った。 月光を背にして立つKIDは白い衣装がまさしく鳥のようだった。翻るマントが夜風にひらひらと揺れる。 「こんばんは、KID」 園子は、さくっと挨拶する。半ば強制的に呼び出したとも思えないほどだ。 「……こんばんは。今回は随分熱烈に呼び出して頂きましたね」 言葉の裏は、用件はなんだ、である。 ビックジュエルが餌であることくらいKIDでもわかる。誘いがあからさま過ぎなのだ。緊急に呼び出す理由など、園子にあるようにはKIDには思えなかった。 「お会いできて、嬉しいわ。……ねえ、取り引きがあるの。私のお願いを聞いてくれないかしら?」 園子はすぐに本題へ入った。余分な時間など彼女にはない。 「願いですか?」 「ええ。聞いてくれたら、ビックジュエルはあげる。好きにすればいい。……でも、もし聞いてもらえないなら、そこの池にでも投げ捨てるわ」 鈴木邸には広大な庭園があって、もちろんその中に大きな池がある。そこへ、ビックジュエルとはいえ宝石を投げ込んだら溝さらいを根気よくしなければ探せないだろうことは必至だ。KIDが鈴木家で溝さらいなど不可能であるため、その場合はあきらめるしかない。 なにより、園子が持っているのは透明で青い宝石だ。水の中では見分けはつかない。 「……なにがお望みですか?」 KIDが肩をすくめて、問う。 「私と一緒に来て。いいえ、KID、あなた新一君の家を知っている?探偵の工藤新一の家」 「はあ。一応」 いきなりの話題転換に胡乱げにKIDは答える。 「なら、すぐに向かって。地上より空を飛んでいった方が早いでしょ?」 「……?」 「早く!そのまま玄関から入ればいいから。私もすぐに追いかける」 園子はそれだけ言うとすでに部屋から飛び出しそうとしている。時間がないのだと、その言動からKIDが推し量るには十分だった。 「わかりました」 KIDは白い翼を広げて窓から飛び立った。風を掴み夜空をしばらく飛んで、やがて洋館が見えてくる。工藤邸だ。屋敷の周りには緑も茂っていて鬱蒼としている。 KIDはいわれた通り工藤邸へと降り立ち、翼をたたんで玄関へと歩む。玄関は、内から開いた。そこには毛利蘭がいた。待ちかまえていたように蘭はKIDを認めると、真剣な眼差しで見る。 「入って」 そして、蘭はKIDを中へと促す。 「園子からこっちに向かっていると聞いたから。付いて来て」 どうやら、すでに連絡が入っていたようだ。KIDは、一体なにが起こるのかと心中思う。もちろん顔に出すことなどしないが。 廊下をまっすぐに進み、奥へと蘭は案内した。蘭は一つの部屋の前で足を止め扉を開く。中は明かりが付いていない。だが、窓から月明かりが照らされていた。 静寂でしんとした空間。犯しがたい雰囲気がする部屋だ。 ベッドの上に寝かされているのは工藤新一だった。KIDが知る探偵だ。 新一は目を閉じて生気がとても薄い。 白い顔。閉じられた瞼。力無く横たえられている身体。シーツに散らばる黒髪。 白い着物姿の新一は血の気がなくて生きていると思えないくらい存在感が希薄だ。 「……名探偵?」 KIDは、唖然と彼を呼んだ。 「新一を助けて!」 蘭は縋るようにKIDを見上げる。 「私が?」 「あなたしかいないのよ。ねえ、新一が言っていなかった?あなたに触れていると楽になるって」 「確かに、言われました。抱きつかれて……」 KIDの答えに、蘭は新一が素晴らしいと言った人材がKIDで間違いがないのだと確信した。ほぼ確定であったのだが、それでも絶対ではなかったのだ。1パーセントでも違う可能性があったら、絶対ではない。 「あなたのまとう清浄な空気で新一を触って!その手で覆って!」 蘭は必死に頼む。声が悲鳴のようだ。 「お願い。早く。新一を」 助けて、と声にならない言葉をKIDは聞いた。 KIDはあの時、ビルの屋上での事を思い出しながら、新一に近寄ってその頬をそっと撫でた。細い手首を手で掴んでみる。 抱き付いてきて胸に顔を擦り寄せていた新一を思い浮かべ、同じようにした。ベッドに座り新一を抱き留めて自分の胸に頭を預けるように手で支える。 しばらく、KIDはそのままでいた。蘭は無言で見つめるだけだ。 外で車のブレーキ音がして、扉が開く衝撃と廊下をぱたぱたと走る音が響く。立ち止まり、そっと開かれる扉。園子が到着したのだ。 園子は音を立てないように部屋に入り、KIDと新一の様子を見てから蘭の隣に立ち同じように無言で見守った。 身体をぎゅうと抱きしめる。 背中に腕を回して自分へ、もたれるようにする。 細い黒髪を撫でて、薄い背中を撫でて。 頬を優しく手で包んで、覗き込む。 意識がないと、探偵とは思えない存在だ。 その青い瞳が隠されているだけで、精巧な人形のようだ。整った鼻梁、白い額、小さな顔。うっすらとした形のいい唇は今色つやが悪い。伏せた瞼に縁取る長い睫毛。どこをとってみても、神が作ったとしか思えない造形をしている。 どのくらい時間が過ぎただろうか。 「……っ」 新一の瞼がぴくりと動く。 「名探偵?」 指がわずかにKIDのシャツを掴む。 KIDが見守る中、新一がゆっくりと目を開けた。蒼い瞳がぼんやりとKIDを見た。 「気が付きましたか?」 KIDの声に、新一は唇を動かす。 「……っ。き、っど?」 「はい」 瞬いてKIDを見つめ、新一はぼんやりと視線を動かす。あ、と口が開く。 「新一君!」 「新一!」 園子と蘭が同時に名前を呼ぶ。視界に入れた新一が、うんと小さく頷くと二人は安堵の息を漏らした。 やっと意識を取り戻した。回復には時間がかかるのだが、それでもよかった。このまま目を閉じたままだったら、どうしようかと心配したのだ。 「新一、いいから寝て」 「そうね。ここで無理しないで」 二人の声に、新一は目元だけで笑みを作り、瞼を閉じた。すぐに安らかな寝息が聞こえてくる。 「よかった」 「うん」 お互いを見つめ合い、蘭と園子は笑顔でKIDにお礼を言った。 「KID、ありがとう」 「ありがとう。ほんとうに、ありがとう」 「いいえ」 事情はわからなくても、せっぱ詰まっていたことだけはKIDにも理解できた。 「詳しい話は、これからするわ。ビックジュエルも約束通り渡すし」 園子が、こちらにどうぞと椅子を勧めた。 新一が寝ているベッドから少し離れた場所にソファとテーブルがある。ほかの部屋に移動しないのは、新一の姿を視界に入れていないと安心できないからだ。また何かあったらと不安だからだ。 お茶でも入れてくるわ、とさっさと蘭が部屋から出ていった。 KIDが座った向かいに園子が腰を下ろし、ふうと息を吐いた。緊張をしていたせいで張っていた身体から力抜ける気がした。 「おまたせ」 そう言って蘭が盆に三つカップを乗せて戻ってきた。カップからは暖かそうな湯気が立っている。中身は紅茶だった。 そのお茶を一口飲んでから、園子は説明を始めた。 「新一君には特殊能力があるの。人の感情が伝わってくるの。人の考えを読めるような超能力ではないけど、感じることができるの。嬉しい、楽しい、悲しい。許せない、恨んでやる、殺してやる。離れていても強い感情は勝手に伝わってくるし、触れている方がより入りやすい。だから、新一君はなるべく人と接触しないようにしている。人は欲望を持っているものだから、自覚しない感情も新一君にとっては害にしかならないの。そういったものに囲まれていると、新一君の体調に影響を及ぼすわ」 園子はそう言って紅茶を飲んだ。 次に蘭が続ける。 「小さな頃からそうなの。昔は少しのことでも倒れていたの。大きくなって来るに従って多少は免疫っていうのかしら、自分の力を制御できるようになってきた。人の感情を遮断する術を覚えたのね。とはいっても、許容量をオーバーすると駄目だけど」 「そうね、通常でさえ良い状態じゃないし、負けないよう踏ん張っているのに、一気に邪気が入り込むと昏倒してしまうもの」 「私たちではどうしようもなくて。唯一、どうにかできるかもしれない人間に連絡も取れない」 「だから、残るはあなたしかいなかったのよ」 園子がにたりと笑った。 「新一君が白い鳥って言っていたから。素晴らしく清浄な空気を持った貴重な人材だって。触れているだけで身体が楽になるって。本当に、体調もよくて。顔色もいいし、体温もいいし、身体が軽そうだったわ」 「そうなのよね。機嫌もよさそうで、最近あんなに輝かしい新一を見たの久しぶりよ」 「助けることができるのは、KIDだけだった。だから手段を選ばなかったわ」 園子が挑むような眼差しでKIDを見た。 「ふむ。経緯はわかりました。それで、名探偵はもういいのですか?」 KIDは一度頷くと落ち着いた声音で聞いた。 「……そうねえ。危機的状況は脱したわ」 「回復すると思うわ。ゆっくりだけど」 二人の答えは、はっきりしない。視線を困ったように落として小さく笑う姿から、あまり良い状態ではないことがわかる。 彼女達の口振りから、とても全快とはいかないようだ。 「しかし、このような状態に今までなったことはないのですか?その時、困りませんでしたか?」 KIDの疑問も最もだ。 KIDが目にした状態を今までどうして乗り切ってきたのだろうか。あのように青白い顔色で冷たい体温をした人間が、簡単に回復できるとは思えない。普通の病気ではないのだから、医者では直せない。 「ああ。うん。そうねえ。少し長くなるけど聞いてくれる?」 少し顔を傾げながら園子が、苦笑する。 「はい」 もちろん、KIDは了承した。 ちらりと見やった園子の視線の先で蘭が頷いて、口を開く。まずは幼なじみの蘭の話からスタートさせるべきだろう。 「新一の母親の有希子さんがその血筋なの。だから、息子である新一に特殊能力が現れた。その血を継ぐ人間すべてに現れる訳ではないそうよ。私も、新一や有希子さんや、哀ちゃんから聞いたんだけど。哀ちゃんは新一の又従姉妹。新一のお爺さんと哀ちゃんのお婆さんが兄妹になるの。有希子さんと哀ちゃんのお母さんが従姉妹ね。その血族の者達は里に住むらしいわ。携帯も繋がらないすごい田舎よ。元々、特殊能力を持った人間は、時の帝に仕えたとも、尊い血が入っているとも伝えられているらしいわ。私にはっきりと真実を教えてもらえるとは思わないから、本当のことはわからないけれど」 実際、その一族の人間で蘭が出会った人間は三人だけだ。新一と有希子と哀。彼らから聞いた話しか知識がない。 それでも、眉唾ではないことは察せた。 特殊能力を利用しない帝、時の権力者などいない。その時代朝廷に逆らうことは死に値する。どのように利用されてきたのか、その分血を絶やさないよう保護の名目で掌握されていたかもしれない。現代まで流れている血族は、人里離れた場所でしっかりと生き続けている。 蘭も園子も詮索はしない。 他人に踏み込むことを拒むのは、自己防衛だ。知っていいことと知ってはならないことがある。 彼女達にとって新一さえ無事ならいいのだ。 「藤峰有希子にそんな血が流れているとは」 KIDも驚いた。 女優である彼女は若くして引退したが今でも根強い人気がある。壮年の男性達にとっては永遠のマドンナらしい。現在でも昔の映画を放映することがあるため、度々見る機会があって密かにファンを増やしている。それだけの演技力と魅力を持った美人女優だったのだ。彼女が作家の工藤優作と結婚が決まった時、世間からかなり工藤優作に非難が集まったらしい。 「まあ、藤峰は芸名だけどね。本当は仁野。神のジンという呼び方が時代によって変わって仁になったらしいよ」 私も又聞きだけどと蘭が苦笑する。 「能力もまちまちで、少ししかない人もいれば、強大な人もいるらしい。新一君のように、人の感情がわかってしまう人間や、先が見える人もいるとかいないとか。巫女のように神域を管理していたり、頼まれて結界を張ったりするみたいね。その一族が何人いるのかなんて知らないけれど。大人になって能力がなくなったり、結婚したり子供を産んでなくなる人もいる。能力は不確定なんですって」 そのため、母親である有希子は現在ほとんど能力がない。多少の勘の良さがあるだけだ。彼女は、様々なことを夢に見るタイプの能力者だった。利用価値が高い能力は人に知られる訳にはいかないため、ひた隠しにしていた。里の人間は知ってるが、それ以外で知っている人間は皆無だ。 「個人差がある能力ですか。随分種類があるのですね。余計に対処が困りますね」 同じ能力の人間なら融通が利きそうだが、その能力を持つ人間がもし一人だけなら、他からの助けは厳しい。 新一がKIDに出会って、とても喜んだのがいい例だ。 人材がいない。事実をKIDは知っていた。 「哀ちゃんは、結界を張ることもできるし場を浄化に近い形にすることはできるのよ。この場所も哀ちゃんが作ってくれたもの。ある程度の浄化なら哀ちゃんでも可能らしいわ。でも、それ以上のものになると、難しいわね……」 「たぶん、里へ移さないといけないんじゃなかしら?里なら結界が張られて強力な場らしいし、一族の長のような人もいるらしいからね」 「私達の想像だけどね」 二人は見合って、苦い笑みを浮かべる。 自分達の力ではどうしようもない事が多い。 里のことにしても新一や哀から聞いているだけで、場所も知らない。その場所は、里全体に結界が敷かれ屋敷には不浄のものが近づけないようになっていると言うことだ。 新一も小さな頃はそこでしばらく過ごしていた。 「……」 KIDは無言だった。しばらく考えるように目をすがめてから、口を開いた。 「今更ですが、私が聞いてもよかったのでしょうか?機密ではないのですか?」 特殊能力とは、人に利用される可能性がある。 誰にも秘密にしておくべきことだ。それを、犯罪者であり、他人のKIDに漏らしていい訳がない。 「ああ。いいわよ。だって、新一君だってきっと話すと思うもの」 「まあね。ここまで巻き込んで知らぬ存ぜぬで通るとは思っていないから。聞いておきたい事があったら、今はチャンスよ。私達が知っていることは微々たるものだけど、答えるから」 そのくらいは、するわと二人は言う。 「それに、新一が信用している人ですもの」 私達があなたを信じないなど、あり得ないわ。蘭がさらっととんでもない言葉を吐く。 つまり、彼女達は新一が信じるものは無条件に信じると言っているのだ。素晴らしい信頼関係だ。どれだけ大事にしているのか。すべてを伺い知ることはできないが、一端を見た気がした。 KIDは、少しだけ躊躇う。 人間興味を引かれたからといって、何でも聞いてはずがない。聞いて、知ってしまってからは後戻りができないことがある。KIDは自分の勘を信じている。 関わったからには、責任が生ずる。 すでに、かなり事情を聞いてしまっているが……。 信じているのだと、はっきり言われてしまえばKIDとしても沈黙を守るしかない。最初から誰かに話す気など欠片もないが、それでも気持ちの問題だ。 黙ったKIDに、園子は首を傾げつつポケットから小箱を取り出す。 「はい。どうぞ」 約束のものよと、園子がKIDの手に小箱から取り出したものを落とす。 青い輝きのビックジェル。大きなサファイア『永久の祈り』。深い青は傷の一つもなくまるで海を具現化したような宝石だ。 鈴木家の力を最大限に使って手に入れた宝石だ。素晴らしくない訳がない。それでも短時間で用意した根性は執念を感じるが。 ビックジュエルをぽいと渡されてKIDはそれを一旦受け取るが、一度宝石に視線をやってから爽やかに微笑する。 「後でお返しします」 「あら?遠慮しなくてもいいのよ?相当の働きをしてもらったから。強制的に呼び出したし」 園子は、あっけらかんと宣う。ビックジュエルをあげる、などと普通簡単に言えない。いくら大財閥の鈴木家でも、ビックジュエルは世界的財産だ。犯罪者に間違ってもあげてはいけない。 「もらっても困りますから。謹んでお返しします」 KIDは断言する。 まじめに、困る。めいっぱい困る。KIDはビックジュエルを盗むが、必ず持ち主に返している。自分のものにするためにあれほど派手なパフォーマンスをして盗んでいる訳ではないのだ。 「そう?なら、また必要があったら言ってね。うちにあるビックジュエルくらいなら融通が利くから」 器用にウインクして園子は己の胸を叩いて笑った。 大変漢らしい。頼り甲斐もありまくりだ。 ベッドの上で寝ている新一が美貌の眠れる姫なら、こちらは頼れる男前な騎士である。 まったく、立場が逆だ。 KIDはそう思ったが口にしなかった。 |