「KID?」 その姿を認めると猪突猛進、新一はKIDに抱きついた。ぎゅうと背中に手を回して離れたくないとばかりに力を込める。 「……っ」 「ああ。……すげーーーー」 唖然とするKIDなんて頓着しないで、新一は甘い声をあげる。 「……名探偵!」 やっとKIDは、抗議した。 新一は顔を胸にすりすりと擦り寄せる。焦るKIDは、新一の肩に手を置いて引き離そうとするが、新一はいやいやと首を振ってますますしがみつく。 「名探偵!名探偵!」 「……ああ。家に連れて帰りたい」 連れて帰る?自分を?家に? KIDは自分のことを無視して、勝手にうっとりしている新一の言葉につっこみを入れた。 「……気持ちいい」 うっとり。新一の顔は、惚けている。まるで、猫が主人に喉を撫でられごろごろしているようだ。目を閉じて、ふわんと笑う。 「生き返る……。やっぱり、すげー」 KIDには意味不明だ。理解できない。どんなに考えても、原因に思い至らない。KIDは新一の言動に振り回されていた。 「もう、おまえなしでは生きていけない」 なんだ、それは。 しかし、新一に嘘を付いている気配は全くない。 ほとほと困った。 問題発言をしている自覚が皆無であるのか、新一はKIDの服をきゅうと握りながら細い身体を預けて脱力している。 KIDが危害を加えないと思っているからなのか、危機感はゼロだ。 おかしい。 もっと、探偵は周りに気を配って誰にも弱みを見せるような人間ではなかったのに。 誰かに、こんな風にもたれる人間ではなかった。性格でもなかった。 勝手にKIDがそう思い込んでいたのだろうか。だが、そんな素振り今まで見たことはない。警視庁や現場でも、新一はもっと悠然と立っている。どこから見ても日本警察の救世主として相応しい姿だ。 「名探偵。……いったい、どうしたんですか?」 KIDは口調を変えて、問う。今までの困惑していた自分を上手に隠して、ポーカーフェイスを付け直した。 新一は顔だけあげて、KIDを真っ直ぐに見上げる。 「あれだ、肩や身体がすっげー凝っていて全身マッサージを受けてニュートラルな状態を知ってしまった感じ。それまで、凝っているのが普通でどれだけ辛くても、耐えられた。でも、一度でも楽な状態を知ってしまうともう戻れない。耐えられないんだ」 「……」 名探偵。 意味がわかりません。日本語の意味はわかっても、それが指し示す意図がわからない。 「おまえ、まとう空気が清浄なんだって。だから、俺にとってはありがたい訳。おまえに触れていると降り積もったヤツが浄化される」 「名探偵?」 首をひねるKIDに新一は小さく口元に笑みを浮かべる。 「信じる信じないはおまえの自由だけど。ちょっと、俺にとってはせっぱ詰まっていてさ」 そして、新一はくすくすと機嫌よく笑い出す。和やかな笑みは探偵をしている時には見せないものだ。怪盗に見せるものでも決してない。今までは。 「少しばかり、人より感覚が敏感に出来ている。そのせいで、まあ疲れやすいんだ。で、おまえは、俺にとって最高の癒し」 わかったようでいて、わからない言葉。 だが、彼が自分を必要としたことはわかった。なにせ、突拍子もないことをするくらいだ。 仕事を終えた怪盗KIDを逃走経路に当たるビルの屋上で待っていて、姿を見ると突然抱きついてきた。怪盗だとて、驚かない訳がない行為だ。 「しっかし、滅多に会えないのが難点だな。おまえが仕事をする時しか癒せない……」 ちっと残念そうに舌打ちする新一に、KIDの方が疲れた。 本気で言っているですか?名探偵……。 押し掛ける満々ですか? KIDの心の声を聞くものは誰もいなかった。 「顔色がいいわね」 「ああ!絶好調だ」 朗らかに新一が笑う。朝から笑顔がまぶしい。 「いい傾向だわね」 ふうんと園子が腕を組んで新一の顔をじっくりと眺める。 昨日までは、かなり体調が悪かった。顔色も青白くて、指先も冷たかった。大丈夫だろうかと二人とも心配していたのだが。 今日は打って変わって、神々しいばかりの美しさ。頬に薄い赤みまである。 「特効薬があるからな」 「へえ」 「あれでしょ、前の話の」 「そうそう。奇跡的な人材ね!」 園子も蘭も新一が以前言ったことを覚えている。 清浄な空気を持った人物は、新一が天国気分になってしまうほどの逸材だ。 「でも、月に一度か。いや、こっちでは予定なんて組めない。あっちの都合次第だからなー」 KIDはターゲットとなるビックジュエルがなければ現れないし、当然予告状も出さないから新一は残念ながら会いたくても会えない。 新一は、殊の外残念そうに、諦めがちに薄く笑った。 「なに、それ?定期的には補給できないの?」 蘭が、眉をひそめる。折角の人材なのに、と顔は言っている。 「無理だな。白い鳥は俺の都合では動かない」 「……白い鳥ねえ」 園子が、胡乱そうな目でちらりと見やる。 「捕まらない大きな鳥だ」 「ふん」 新一の揶揄する言葉に、園子が意味深に口角をあげた。心中では、それがどうした、と思っていることがありありとわかる。 基本的に、蘭も園子も新一を中心に世界が回っている。新一がよければ、何でもいい。他者に迷惑がかかろうと、知ったことではないのだ。 「惜しいわね」 こんなに、顔色いいのに。 園子が新一の頬を両手で包み込みながら、すべすべの肌を堪能する。肌理が細かくなめらかな肌は触れているだけで気持ちいい。 「ほんとねー。昨日までの新一がこんな絶好調になれるんだもの。欲しいわねー」 蘭も、新一の黒髪を梳きながら宣う。 新一が言う白い鳥に人権はない。二人の思考回路は、そう特別に出来ている。 「……欲しいとは思うけどな、俺も。でも、それとこれとは違うから」 新一自身、KIDに「連れて帰りたい」とか「おまえなしでは生きていけない」とか、かなり問題発言をしている。心情は、「欲しい」で間違いない。 だが、怪盗なんてしている人間は訳ありだ。そうでなくて、あんな危ない橋は渡らない。新一個人の都合なんて押しつけられない。 まあ、あまりの不調に、ついつい逃走経路に押し掛けてしまったが。それぐらいは、許して欲しいと身勝手にも思う。 「違うかしらね?」 「違うらしいわね」 ふふふと蘭と園子は顔をあわせて笑いあった。目は全く笑っていない、見せかけの笑みだ。 新一の精神の安定のために、必要な人材。 それをみすみす逃すなんて、あり得ない。二人の共通意識だった。 彼女達が新一を癒せる訳ではない。多少は、関与できたとしても一度大きな打撃を受けてしまった新一を回復させることは不可能だ。その術を持っている人間は限られる上、完璧でもない。 幼い頃からのつきあいである彼女たちは新一が倒れる現場に遭遇したことが、何度もある。小さな頃の方が、少しのことでも影響が出た。成長するに従って自分で力を制御できるようになってきたから、随分増しになったけれど。 蘭と園子は常に新一を心配していた。それは新一にも十分に伝わっていたから、困ったように、照れたように笑って二人を見るのだった。 |