「Today and Tomorrow」5



 それは、夕食後のことだった。
 いつものように隣家の博士と志保をよんでの楽しい食卓。美味しい食事に弾む会話。ほのぼのと穏やかな時間を過ごしていた時だった。

 「「はい!」」

 新一と志保は微笑みあいながら、徐に盗一に紙袋を渡した。
 それを盗一にしては珍しく瞳を見開いて驚きを素直に表しつつ、言われるままにその紙袋を受け取った。そして、その袋を胡乱気に見つつ笑顔の二人を見返した。

 「………何だ?」
 「開けてみろよ」
 「そうそう、開けてみて」

 楽しげに新一と志保は盗一を見るし、阿笠も側でにこにこしている。盗一は些か疑問に思いながらも紙袋から箱を取り出しテーブルに置き、その箱をまた不思議そうに見つめて丈夫そうな厚紙の蓋を開ける。中には分厚い説明書ととても薄くてコンパクトな現代の機器。

 「携帯電話………?」

 盗一はそれを持ち上げてしげしげと観察する。
 折り畳み式で色はメタリックホワイト。盗一の手の中に納まる携帯は照明にきらりと反射する。盗一は不思議な面もちで新一と志保、阿笠を順に見つめた。

 「これ………」

 盗一の普段見られない間抜けな表情を見られてご機嫌な新一と志保は頷きあう。

 「盗一に………」
 「日頃の美味しいご飯と工藤君のお世話のお礼」
 「君が来てから新一の生活が向上して安心じゃ」

 口々にそんな事を言われて盗一は絶句する。
 
 (これを、俺に………?)

 再び携帯に目を落とし、その軽くて硬い感触から自分が送られたとじわじわと実感する。
 呆然としている盗一に3人は声を立てて笑う。

 「そんなに驚くことか?」
 「あら、感激してくれたのよ?」
 「実は感激屋さんだったんじゃな」
 「そうか、ポーカーフェイスが身についていただけなんだな」
 「それは、そうでしょう。そうでなかったらマジシャンなんてできないじゃない」
 「しかし、盗一君は実は感情豊かじゃと思うぞ?」
 「博士はわかるのか?」
 「おお、年の功じゃ」
 「年の功はいいけど食事には気を付けてよ、博士。糖尿病が怖いんだから。そうだ、盗一に糖尿病用の料理教えてもらおうかしら?これでも気をつけて作ってるんだけど、そうするとレパートリーが限られるのよ」
 「糖尿病用の料理は味気ないのう………」
 「だから盗一に聞くんじゃない!きっと美味しいレシピ教えてくれるわよ」
 「だったら問題ないなあ」
 「………博士、志保に心配かけるなよ」
 「わかっておる。けれど、それを新一に言われたくはないのう………」
 「………博士」
 「当然でしょ、工藤君」

 盗一を一人置いて3人の会話は弾んだ。

 「いい加減、戻ってきたらどうだ?盗一」

 新一がくすくす笑いながら盗一の肩をぽんぽんと叩く。盗一はおずおずと聞いた。

 「………本当に、俺へ?」
 「そう、盗一に。必用だろ?だから3人からプレゼント」

 新一はにっこりと微笑む。

 「工藤君と私で選んできたの。出資者は3人よ」

 志保も隣でにこにこといつになく微笑んでいる。

 「ワシだと趣味とかわからんからのう。デザインは若い二人に任たんじゃ。………普通のじゃなく小型のイヤリング型携帯電話とかボタン型とかスパイグッズみたいなのなら、いつでも作ってやるぞ?」
 「………博士」

 またそんな事を言って、と新一は咎めるように呼ぶ。

 「まあ、しょうがないわね。博士の発明があってこそよ、それで私達は助けられたんだから」

 志保は苦笑する。過去を振り返って見ても危険な時も困った時も博士の発明とその心配りに助けれたのだ。全てを知っている味方。それはとても心強かった。

 「………博士の発明は一応保証はする」

 それをわかっているから、新一も苦笑しながら答える。

 「一応とは何じゃ」
 「保証します」

 たまに、不発もあるけど、と小声で付け足して新一は真面目に頷いた。そんなどこか漫才めいている会話を聞いて盗一は心がざわめく。
 ただ、嬉しくて。
 異分子である自分なのに、これほど受け入れてもらえるなんて思わなかったのだ。

 「ありがとう」

 盗一は心からお礼を述べた。そんな心からの微笑を認めて新一と志保は満足そうに微笑みあった。そして、悪戯っ子のような表情を浮かべて、

 「短縮1番が俺の携帯で、2番がこの家」

 新一は片目をつぶる。

 「3番が私の携帯で4番が博士の、5番は阿笠邸よ」

 志保も珍しくウインクする。

 「………」

 再び絶句して見つめてくる盗一に、3人は笑えてくる。大成功だ、と皆心中思った。
 盗一に、携帯を渡そうと決めたこと。現代にいるのだから、必用になるだろう。いつ、帰るかわからない。帰れるかどうかもわからない。そんな彼に自分達の気持ちを知っておいて欲しかった。
 例え異分子でも、ここにちゃんと居場所があるから………。
 だから、心配しないで。
 

 「新一………」
 「盗一?」

 新一がふわりと振り向いた。
 博士と志保を玄関まで送って、その後はお風呂に入って寝る準備をした。明日学校がある新一が先に入って後で盗一が入るのがいつの間にか決まりになっていた。
 お風呂から上がった盗一がすでにリビングにいない新一に、もう部屋に行ったのかと不思議に思い………いつもはリビングで湯上がりに冷たいものを飲んでくつろいでいる………新一の部屋へ赴いた。ノックして扉を開けると、新一は窓を開けてぼんやりと頭上を眺めていた。

 銀色の月光を降り注ぐ月。
 窓から差し込む月の光を背後にして新一が佇む。
 神秘的に綺麗な存在。
 
 女性に見える訳ではないが、KIDである盗一にとっては月の女神のような存在だ。
 同じ人間だからこそ、強くて優しくて、悲しくて。
 でも、女神のように慈悲深く。
 限りなく、美しい。
 
 思わず一瞬見惚れてしまう。
 名前を呼ぶと新一は振り返って盗一を見つめて首を傾げる。

 「どうした?」
 「いや、珍しいと思って。いつもはもっとゆっくりしてるから」
 「ああ。別に意味はないけどな。ちょっと月を見ていた」

 新一が再び月を振り仰いだ。蒼い瞳が月光を反射している。盗一も新一の横に並んで月を見上げた。

 「月か………」

 あの日も、今と同じように月の光量が多かった。
 そう、夜だというのに明るいと思った程だ。
 だからこそ、狙われて銃弾が命中してしまったのかもしれないが………。
 
 そう、満月だった。
 丸くて大きな月が、KIDを照らしていた。
 いつも守護されているかのような穏やかな優しい光が、とても強かったような気がする。
 
 「あの日は満月だった………。とても明るくて、強い強い月光が降り注いでいたと思う。………ああ、意識を失う前、まるで月に守られているような気がしたな。光に包まれるみたいな、不思議な体験だった。こうして未来に来るくらいだから、これ以上の不思議はないがな………」

 新一は真っ直ぐに盗一を見つめた。

 「満月?過去のその時も満月だったんだ………。あの夜、こちらも満月だった。綺麗な月」

 細い顎に指を当てて新一は思考を巡らす。

 「月か………。KIDと月は切っても切れないものだな。月下の奇術師。月の守護を受けると言われるくらいの、月夜の使者。………何かあるんだろうか?」
 「月に?」
 「ああ、月に。月には不思議な魔力がある。迷信みたいだけど、一概に無視できないだろ。事実、過去から未来へ来る者がいるくらいだ。この世に不思議な事が存在する。俺は知ってるさ。人間だって子供に縮むし再び元に戻ることができる」

 新一はそういって読めない表情で薄く笑う。
 人間が縮んで子供になり再び元に戻るなんてある訳がないと盗一は思う。けれど、自分は過去から未来へ来た異分子だ。ありえないなんて何事も否定できないのだ。新一が何を思っているかなどわからないけれど、何か気になったのだろうか。
 
 (月か………。なあ、戻らなければならないって知ってるけど。戻る方法もわからないけど。ここに俺はいてはいけない異分子だって自覚だってあるけれど、それでも、こうして居続けたいって思ってしまうのはいけないんだよな………。居心地が良すぎて怖いくらいだ。いつか、いつか別れる時が来るのに………)
 
 「新一………」

 盗一は少し苦しそうに眉を寄せ新一の瞳を真っ直ぐに見つめる。そこには、微妙な感情が浮かんでいて、それでも自分の悲哀を読ませるような盗一ではなかったけれど。

 「そんな顔するな。帰れるさ。お前の時代に、お前が生きる時代へ帰れる」

 元気付けるように、新一は盗一の肩を叩く。
 盗一の悲哀と新一の気づかいは行き違っていたけれど、それでも互いを大切に思う気持ちは同じだった。

 「俺も、志保も、博士もいるから。なあ、盗一」

 少しでも安心させようと新一はそんなことを言う。
 
 (決して言わないけど、帰りたくない。そんな気持ちあるなんて知ったら新一達が困るだけだ………。でも、それも正直な気持ちなんだぜ?)
 
 盗一は我ながらに自嘲する。
 どうして出逢ってしまったのか。出会いを感謝しているのに、別れが前提の出会いは悲しすぎる。それでも、後悔などしない。
 出会いがあったら別れがあることくらい知っている自分はいい大人だ。
 
 (そうだな、もうしばらく側にいられたらいいかな………それくらい望んでもいいか?)

 決して表に出さない胸の内。隠して見せることなどない。気取られることなどしてはならない。
 自分はKIDなのだ。それくらいやって見せる。

 「ありがとう、新一」

 微笑んで、盗一はそう告げた。





 『帰りが遅くなるのか?警察への協力も大概にしておけ。身体が一番だ。今日のご飯は何がいい?盗一』
 『ごめん。遅くなると思う。ご飯は温かいものがいい。新一』

 『新一がまた無茶している。事件要請で帰ってくるのが遅い。一度身体を見た方がいいと思う。盗一』
 『ありがとう。そうね、強制的に検診を受けさせることにするわ。明日捕まえておいてね。志保』

 盗一が携帯を送られてから、携帯でもメールのやり取りが行われるようになった。
 折角のメールが送れる現代の携帯を使いこなそうと、最初はおはようやおやすみなど盗一に義務づけて慣らした結果今では軽々と使えるようになった。かなり役立っているといっていいだろう。
 盗一は自分のメタルホワイトの携帯を見つめる。
 そこに下がるストラップは実は4人で色違いのお揃いだった。
 細いが丈夫な銀色の鎖で、一つだけ銀のプレートが付いていた。そのプレートには小さな宝石のようなビーズが埋め込まれている。盗一が透明で、新一が青、志保が赤、阿笠が緑色。市販されているものではなく盗一が作ったものだ。もらった携帯のお礼に皆に渡した。
 皆「ありがとう」と微笑んで、受け取ってくれた。
 まさか盗一がそんなものを贈ると思っていなかったのか驚いて、手作りだということに再び驚いていた。自分が携帯をもらった時の驚きに比べれば些細なものだと盗一は思う。
 自分がもらった喜びを返したかったのだ。
 だから、この世でたった4つしかないものを作った。
 最初に新一は渡した。

 「これ?」
 「お礼だ………」
 「そうか………、携帯だからちょうどいいかな」

 そのストラップを手に納め見つめて、新一はふんわりと笑う。そして、すぐに自分の携帯に取り付けた。

 「すごく嬉しかったから、志保や博士にも渡したいと思ってる」
 「皆、きっと喜ぶぞ」

 新一はにこにこしながら保証する。そして、盗一の手にある二人分のストラップを見て、盗一を伺い見る。

 「ひょっとして、お揃い?」

 石の色違いのストラップを指差して新一は首を傾げる。

 「そう。4人で色違い。この世でたった4つしかない………」
 「………手作り?」
 「そう」

 瞳を丸くして盗一を見上げる新一に盗一はウインクする。新一は、盗一なら作れるだろうけど、器用だしと呟きながらもう一度ストラップを見て再び盗一に視線を向ける。

 「盗一。ありがとう。大事にする」

 にっこりとそれは嬉しそうに微笑み返されて、盗一自身も嬉しさが込み上げる。こんなに喜んでくれるなんて思わなかった。
 この世でたった4つのストラップは盗一にとっても宝物だ。





 KIDの予告日が訪れたのは、それからしばらく経ったある日のことだった。
 すでに暗号が解読されて誌上にも公表されている。相変わらず人気が高いため、美術館の周りには見物客が集まっている。警察も警備を行っているが、いつもいつもKIDに出し抜かれているため、今度こそと力が入るのが返って無駄に終わっていると気が付かないのが敗因だろうか。
 月が空に姿を現して、KIDの時間がやってくる。
 綺麗に輝く月光を背にして、その日もKIDは鮮やかにビックジュエルを盗み出した。
 サイレンの音が木霊する。
 赤いランプが街を徘徊していることから、警察がKIDを追いかけていることがわかる。
 それを欺いて振り切り、その日もKIDは中継地点であるビルの屋上へ降り立った。強風のビル風に真っ白のマントを棚引かせながらふわりと降り立った貯水棟の上。
 見下ろす暗闇の中フェンスに背を預けてひっそりと佇む探偵の姿を見つけた。

 「こんばんは、名探偵」

 KIDは優雅に一礼して探偵の前に降り立つ。
 そして宝石を手に掴み腕を上げていつものように月に掲げる。見つめる先には希望はなくて小さく息を吐いて腕を降ろす。そんな落胆というものを、相手は気付かせるようなそぶりは見せないが新一には伝わってくる。

 「KID………」

 自分には何も言う言葉がない。
 慰めるなんて、立場でもない。
 そんな間柄でもない。

 「それでは、お願いできますか」
 「ああ」

 新一は手のひらに落とされた宝石の重みを感じながら受け取り、己のポケットに入れる。そんな新一の様子を見つめていたKIDは、意を決したように口を開く。

 「名探偵………」
 「何だ?」

 普段はそれほど会話もせず飛び立つ事が多い。会話するにしてもせいぜい世間話に毛が生えたようなものである。なのに、何かいいたそうなKIDに新一は首を傾げる。

 「今日は、お一人なんですね」
 「………」

 今日は、というが今まで新一が誰か連れて来たことは一切ない。
 ただ………。
 新一は前回のことを思い出す。
 こうしてKIDと対峙している時、盗一が現れた。それまで誰かが踏み込むことなどなかった。つまり、盗一を気にしているということだろう。ここに現れる人間。それ以上にきっとKIDには無視できない理由がある。そう新一は推測していた。
 初代のKIDと現代のKIDの関係。
 もしかしたら、盗一の正体にうっすらと気付いたのかも知れない。
 しかし、彼は20年以上前からやってきているのだから、過去の彼を知っていたとしても随分若いだろう。その事実を受け入れることは難しい。
 どこまでKIDが勘づいているのか新一には検討が付かなかった。

 「俺は、いつも一人だ」

 前回も新一が盗一を連れて来た訳ではなかった。だから、そう答えた。
 

 今日、家を出てくる時も盗一は何も言わなかった。
 いってらっしゃいとにこやかに送り出してくれただけだ。新一がこれからKIDに逢いに行くと知っているだろうに。
 盗一がこれからKIDに逢う可能性を新一は考える。
 彼はKIDに逢いたいのだろうか。………逢いたいのだろう。そして、何をしたいのかなどわからないけれど、確かに目的というか突き動かされる衝動があるのだろう。

 「あの男は?」
 「さあ、誰のことだ?」
 「先日、ここにいらっしゃったお客様ですよ。お知り合いでしょう?」
 「知り合いだけど、それが何だ?」

 KIDの疑問。新一はそれに答えを与えてやることはできなかった。

 「名探偵は、あの男と随分親しいように思いますが?」
 「それがどうした?関係あるのか?」
 「………」

 自分の疑問、あの男は何者なのか………。

 「そうですか、わかりました」

 KIDは答える気のない新一に見せつけるように肩をすくめて吐息を付いた。
 そんなKIDを見つめることしか新一にはできなかった。
 風が二人の間を吹き抜ける。
 距離にしてわずかしかない隙間が、実はとても遠いのだと感じる瞬間だ。その風の流れが急に変わった。ばさりとはためく布地の音。頭上を見上げれば、そこには………。

 「………」

 白い鳥が降り立った。
 KIDの衣装を身に纏った、どこからどう見ても本物らしいKIDが………。
 白いシルハットにスーツにマント。青いシャツに赤いネクタイ。片眼鏡が揺れる顔。怜悧な存在感とひやりと切れるような視線。

 (………盗一)
 
 その姿を見るのは二度目だった。一度目は怪我を負っていてそれどころではなく、KIDとして立つ姿を見るのはこれが初めてだった。そう、彼は今、盗一ではなく紛れもなくKIDだ。

 「KID………」

 そっと当たり前のようにKIDの名前を呼ぶ新一に、訝しげに少々の腹立たしさを込めてKIDは誰何する。

 「………何者だ?」
 「………見たとおりですよ」

 くすりと口角を上げて面白そうに笑う相手にKIDは眉を寄せる。

 「KIDの偽物か?」

 (ここに自分が存在する限り、父から受け継いだのが自分だけである限り、KIDは己一人のはずだ………)

 それなのに、KIDと同じ衣装を纏い現れた、この男。

 「さあ、どうでしょう」

 はぐらかすような口振り。
 あるはずの遠い時間を縮めて、初代と現代のKIDが対峙する。
 絡む視線。
 怜悧な存在感。
 ぴんと張りつめる空気。
 あからさまに敵意を向ける、KID。鋭く相手の出方を観察しながら、これからどう動くか隙を狙う。この男が攻撃を仕掛けてくるのか、どうなのか。
 敵か味方か。
 否、味方とは思えない。
 かといって、敵とするには相手に殺気がない。
 ポーカーフェイスの下で対応に困惑している様がわかるのか、目を細めて現代のKIDを見つめる初代のKID盗一。それはKIDの内面や精神を見極めようとするかのように研ぎ澄まされたものだった。

 「貴方は、なぜKIDをしているのですか?」
 「………」
 「KIDは貴方の意志ですか?」
 「それ以外に何があるという?私が私の意志でないことをしていると思われるのか?」

 KIDはその質問に憤慨したように答える。
 この男は何が言いたいのか。KIDに関して何か知っているのか。

 「貴方はKIDをしていて幸せですか?」
 「………愚問ですね。それに貴方にそれこそ関係ない」

 KIDは口元に笑みを浮かべる。
 それは拒絶。
 これ以上踏み込まれることを望まない。許さない。
 なんとも気まずい重い沈黙がその場に漂った。

 「KID………!」

 思わず新一は声をかけていた。その空気を壊したくて。このままでいいとは思えなかった。
 新一の声に、二人のKIDが振り向いた。

 「新一?」
 「名探偵?」

 あ、そうかと新一は気付く。
 ここで、盗一の名前を呼ぶ訳にもいかないのに、紛れもなく正当なるKIDである二人をどう呼び代えればいいか悩む。
 仕方なそうに眉をよせて不満そうに新一は区別する。

 「俺を、新一って呼ぶ方だ」

 なんというか、そんな呼び方したくないと思うが、この場では仕方ない。

 「はい」

 白いマントを翻して新一の前に盗一がふわりと近寄った。その様子をKIDは顔をしかめて視線で追う。
 新一、と呼ぶ男。親しげな声音。柔らかな表情。
 自分は名探偵と敬意を表して呼んでいる。名前を呼ぶ程親しくもない。
 しかし、やはりこの男は………。
 その視線や存在感から、もしかしたらと疑っていたのだけれど………。

 「何でしょうか、新一」
 「………俺は口は出さないけれど、いいのか?」

 言外に、現代のKIDとのやり取りを示していた。これでは、あまりにも………。

 「いいのですよ。貴方がお気になさる必用はありません」
 「………」

 新一はそれ以上何も言わず盗一の顔を見て、KIDに視線を向けた。同じように盗一もKIDを見つめる。それぞれ複雑な思い秘めて視線が絡む。

 (………?何だ?)

 その時、新一は身体に僅かな気配を感じた。

 (………殺気?)

 切れるような殺気を感じたのは新一が一番早かった。二人とも普段ならすぐに気付くのだが、何分KID同士の対峙中というか、隠しあった思惑の最中であった。そのわずかの隙。

 「危ない………!」

 新一が手を伸ばしながら前に出る。ちょうど直線上にある位置。新一、盗一、KIDと並んでいた。そこの対角線状にあるビルの屋上からだろうか、狙われている。
 
 ガッンーーーーーー。
 
 闇に響く音と共に崩れ落ちる新一の身体を瞬時に盗一は捕まえた。

 「新一………!!!」
 「うっ………、つう」

 ぎゅっと唇を噛みしめて腕を押さえる新一の身体を守るように抱き留める。

 「新一?新一?」
 「だい、じょうぶだ………大したことない」
 「大したことあるだろっ。急がないと不味いな」

 左腕から血が滲んでくる。盗一はハンカチを取り出して上部にぎゅっと結んだ。その間も狙撃から隠れるように貯水棟の影に移る。

 「名探偵………!!!」

 一方KIDは倒れた新一を認め自分も手を差し延べたかったが一歩新一に近い男に先を越され、瞬時に狙撃相手に向かってトランプ銃を放った。何発か撃ってくるのに銃弾を避けつつ自身も攻撃する。サイレンサーだといっても重くて鼓膜を振るわせる振動を身体に感じる。そして、貯水棟の影で男に身体を預けている新一に声をかけた。

 「大丈夫だ、KID」

 小さく新一が答える。
 心配そうで、伺うような声音のKIDに新一は薄く笑ってみせる。KIDがそんな心配そうな焦った顔をしなくていいと心で呟きながら。。

 「そうはいかないだろ?新一。………KID、お前には先にやることがあるだろ、行けっ」

 前半部分は新一に向けて、後半をKIDに盗一はきっぱりと告げる。
 狙われたのはKIDであることは明白だ。KIDがこの場から狙撃してきた人間の目を離すべきだろう。そうでなければ、新一を連れて行けない。
 盗一の言葉をKIDは唇を噛んで沸き上がる激情を押さえると、軽く頷いて了承する。ちらりともう一度だけ新一を見るとKIDは屋上を走りフェンスを越えて飛び立った。
 遠くに消えるKIDを見送って盗一は瞬時に白い衣装を解いて、青年の姿に戻る。

 「志保に連絡するから」

 盗一は携帯を取り出して慣れた短縮を押す。

 「………もしもし、志保?新一が撃たれた!………腕だ。………ああ、わかってる。俺が連れて行くより志保に来てもらった方が治療が早いと思う。迎えに来れるか?ああ………。場所は○○ビルだ。降りて待ってるから、頼む」

 すぐに出た相手に簡単な事情だけ説明して切る。そして、新一の顔を覗き込んで辛そうにゆがめている、それでも気丈に耐えている白く色を失った顔色に眉をひそめる。

 「新一………」
 「何………?」

 視線を上げて盗一を見上げる新一に、何と言っていいか迷う。
 なぜ、庇うのか。
 身を呈して、ここまでする理由は何なのか。
 結局他人に優しすぎる新一は自分を大切にしない。自分に優先順位がない。

 (それじゃあ、これからどうするんだ………?長い人生、彼はまた傷つくのか?)

 盗一は、ひとまずKIDを庇った事について何も言わないで、自分の上着を脱いで新一の身体を覆うと傷に触らないように抱き上げた。

 「下まで降りるから。志保と博士が迎えに来てくれる」
 「ああ、悪い」
 「悪いなんて、言うなよ」

 それじゃあ、やりきれないだろと盗一は思う。
 新一はそのまま目を閉じて、身体から力を抜く。時折痛みに耐えるように身体をふるわせるのが、見ているだけの自分が歯がゆく感じる。階段を下りる振動が新一に伝わらないように慎重に素早く階下まで来て、盗一は志保を待つ。
 やがて見慣れたビートルがやってきた。道路脇に寄せて、志保が駆け下りてくる。

 「工藤君は………?」
 「………志保?」

 新一はうっすらと目を開けて志保を見つめる。

 「大丈夫なの?腕を撃たれたって聞いたけど?」
 「大丈夫だ、いつも悪い」

 苦笑しながら、新一は志保に謝る。

 「馬鹿ね。………運んでくれる?車の中で治療をするわ」

 志保は新一の謝罪を受けて、視線で慣れてるわと告げる。そして、盗一に車を指差し指示を出す。

 「ああ」

 盗一は頷いてそのまま後部座席に滑るように入る。その横から志保も入ってドアを閉めた。

 「出すぞ」

 阿笠が後ろを振り返り確認して告げた。

 「お願い」

 志保の声を後ろに聞きながら阿笠はアクセルを踏んだ。
 志保は盗一を助手に簡単な措置を行う。簡易な医療器具は持参していた。車上でできることは限られている。帰ってから再び措置をするつもりだ。
 その間無駄な言葉はなかった。
 どうしてなのか、なぜなのか。原因の追究は後で十分だった。新一の身体が一番である志保は全て治療が終わって新一を寝かせ再び目覚めるという過程の後で聞くつもりだった。その時には新一も話してくれるだろうと志保にはわかった。
 新一と志保の過去の体験からそうわかる。運命を共にしてきた大切な存在だ。
 言わねばならないことは、言ってくれる人だと知っていた。二人の信頼関係のなせる技だった。






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