「Today and Tomorrow」6




 「それで、聞かせてもらえるかしら?」

 新一をベットに寝かせ治療を施し点滴を打ち終えて、志保は盗一を振り返った。少し睡眠薬を混ぜてあるため、今は穏やかな寝顔で熟睡している新一。その様子に些かだけ安堵して盗一は、ああと頷く。
 新一には後でゆっくりと聞くとして、その場に居合わせた盗一にどんな状況だったか志保は確認しておかなければならない。それは盗一もわかっていたから、手が必用な時だけ貸して、邪魔にならないようにずっと後ろに控えていた。

 「新一はKIDを庇って撃たれた」

 一言できっぱりと盗一は原因を告げた。

 「………どういうことかしら?」

 志保は首を傾げる。瞳が続けて、と言っていた。

 「新一がKIDの逃走経路のビルの屋上にいて、そこにKIDが姿を現した。………俺もKIDの姿で降り立った。今のKIDに逢ってきたよ。KIDは今も変わらず敵がいるらしく狙撃されて、新一が一番最初に気付いて前に出た。KIDの身代わりに撃たれた。俺がいたのに、守れなかった。KIDが、俺がいたから撃たれた。すまない………」

 盗一は頭を下げた。

 「まず、KIDが狙われたということだけど、別に貴方を狙ったかどうかはわからないんでしょう?その場にKIDは二人いたのだから。まあ、状況から考えて現代であるのだから現代のKIDを狙うつもりが、二人いて迷ったというとこでしょう。それに、工藤君がKIDを庇ったのなら、それに対して私は何も言うことはないわ。工藤君がこの場合庇ったのがどちらのKIDであったとしても、それが工藤君の意志であるなら、私に止める権利なんてないもの。………まあ、怪我した分はお小言を言わせてもらうけど、盗一が自分を責める必用なんてないのよ?」

 志保は気遣うように微笑む。

 「でも、どんな理由でも側にいたのに、新一に怪我を追わせた。それなのに、大丈夫だ、大したことないって笑うんだ。それじゃあ、自分が許せない………」

 ぎゅっと拳を握って、情けない自分に耐える盗一の姿に志保は思う。
 自分を責めている盗一はいつかの自分だ。
 劇薬で死ぬところをどうにか子供に縮んで免れて、不自由をして過ごしそれでも小さな身体で組織と戦って今の仮初めであろうと安全を手に入れて、元の姿に戻るにしても保証などない薬を飲んだ。当然負担がかかって以前と同じとはいかない身体。その間劇薬の研究者である志保に恨み事一つ言わなかった。反対に守ってやると言ってくれた。お前はお前の人生を歩んでいいんだと言ってくれた。そんな人なのだ。誰かを庇うくらいのことは平気でする。

 工藤君を守りたいと思う。
 与えてもらっただけ感謝を心を返したいと思う。
 それが、自分のせいで怪我をさせてしまったら、落ち込むだろう。
 自分だって同じ立場なら、申し訳なさ過ぎて耐えられない。
 彼は決して責めないから。

 「そうね、許せないわね。彼は優しすぎるから、こっちの気持ちなんてお構いなしだし」

 志保は自分を真っ直ぐに見つめてくる盗一に優しい目で答える。

 「あのね、本当に盗一を責める権利なんて私にはないの。盗一は自分のせいで怪我をさせてしまったといって悔やむけれど、本当は私の方がもっと罪深いのよ。こうして普通に工藤君の側にいるけど、殺されたって文句が言えないことを彼に私はしたの。責められて詰られた方がずっと楽だけど、彼は一切そんなことしない人。自分より、ずっとずっと他人に優しい人なの。知ってるでしょう?」
 「ああ」

 盗一は頷く。
 良く知っている。側にいれば自然とわかってくる。

 「ねえ、工藤君を好き?」

 志保は盗一を見上げながら率直に聞く。

 「好きだよ。志保も好きだ。博士も好きだよ」

 目を逸らさずにきっぱりと言葉にする。自分の中の偽ることない真実だ。

 「私も好きよ。盗一も、博士も。大好きよ」

 盗一の答えに満足そうに志保は瞳を和らげる。

 「そして工藤君も、私たちを好きでいてくれるわ。別に自意識過剰でも何でもないと知ってるわ。工藤君優しすぎるけど、誰構わず優しい訳じゃないもの。私たちに心を預けてくれるし、私たちを頼ってくれる。本当に必用なことなら厳しいことも言ってくれる優しさだわ」

 だから、貴方が好きなのよ。
 特別にしてくれてるって知ってるわ。
 気にかけてくれるって知ってるわ。
 幸せになれって言ってくれるし、思ってるってわかってる。

 「志保………」

 名前を呼ばれて志保はふんわりと微笑むと、自分より随分高い盗一の頬に指を滑らせる。そしてその暖かさを確認するように数度撫でて、瞳を覗き込む。

 「自分のやりたいように行動するべきだわ。悔いないように」
 「………」
 「盗一の望むように、すればいいのよ?心を抑えては駄目よ」

 盗一が何を考えているのか志保にはわかるような気がした。決して口には出さないだろうが、望みが叶うとはいえないことを彼は願う。
 やらなければ、ならないこと。
 やり通したいこと。
 望んではいけないとわかっているのに、願うこと。

 「志保は新一と似ているな」

 添えられた指を盗一は上から軽く包んで目を閉じる。

 「そうかしら?」

 次いで開いた瞳は迷いのないいつもの盗一だった。

 「ああ。そういうところがそっくりだ。きっと同じように新一も言う」

 (………そう言ってくれる)

 かの存在は、その瞳に真実が見えるのだから。
 望むと望まざると瞳に映し出される、自分の心の鏡。
 きっと欲しい言葉をくれる人。それに甘えるだけではいたくないのだけれど………。





 「起きたか?」
 「………盗一?」

 ぼんやりと覚醒した新一は瞼を開ける。慣れた声音に視線だけ動かして相手を見つけると、状況をわかっていないのか見つめ続けるだけだった。段々と意識がはっきりしてきたのか、自分がなぜ寝ているのか理由に思い当たったらしい。

 「具合はどうだ?おかしいとこ、ないか?」
 「う、ん。………ない」

 新一は少し掠れた声で返事をする。

 「水分取った方がいいな」

 盗一は新一の状態を見て、枕元に置いておいた水差しからコップに氷水を注ぐ。

 「身体、起こすか?痛くないか?」
 「平気」

 腕を回して新一を慎重に抱き起こしベットの上に座らせる。コップを腕が安定するまでもっていてやり、ごくんと喉が飲み干すのを見守る。
 昨夜の血の気のない白い顔よりずっと良くなった顔色に安堵して盗一は新一を見つめる。

 「ありがとう、もういい」

 新一がコップを返すのを受け取って盗一はテーブルに戻す。

 「俺、どうなったんだ?あの後」

 途中から記憶が曖昧になっている新一である。車に乗せられ治療を受けたところまでは覚えている。

 「ここに着いてからもう一度しっかり措置して点滴して、ぐっすり寝てたよ。………もう昼だ」
 「そっか………」

 随分眠っていたことになる。そのせいなのか、薬のせいなのか少し頭がぼんやりとする。そんなことを頭の隅で思っていると盗一が額に手を当ててきた。

 「ちょっと熱いな」

 首を傾げながら、眉を寄せる。

 「熱くないか?発熱してると思う」
 「なんかぼんやりする」
 「熱のせいだ、新一」

 さて、どうしようかと盗一が思った時、扉をノックする音と共に開けられる。

 「あら、起きたの?」

 ちょうどいいところへ志保が顔を出した。

 「調子よさそうね………」

 医療用の小さな鞄をもって志保はベットの側まで歩いてくる。盗一にありがとうと声をかけて盗一が席を空けた、ベットの横に置かれた椅子に座る。

 「志保、診察と治療が終わったら珈琲飲んで行けよ。………下で待ってるから」

 ここからは志保に任せるのが一番いい。なにせ新一の主治医だ。
 盗一は気を使い、二人を残して部屋から出ることにした。志保も新一と二人だけで話したいだろうとわかったから。

 「腕出して、薬塗ってガーゼも取り変えるわ」

 志保に言われるままに腕を出す。志保は新一が片手しか仕えないため自身でボタンを外して上半身からパジャマを取り去る。包帯が巻かれた左半身から腕に手を添えて、傷に触らないように包帯を取る。傷口を診て薬を塗ってガーゼを変えて包帯を巻き直す。一連の作業をてきぱきと無駄なくこなし、鞄から点滴と注射針を取り出す。
 ゴムチューブで腕の上部を圧迫して、注射針を刺し点滴の管に繋げる。点滴は天井から下がるフックにかけて。

 「寝ていいわよ」

 志保は作業を終えると新一をゆっくりと寝かせる。

 「………志保」
 「何?」

 治療する間志保は何も余分なことは言わなかった。
 昨日のことを聞きたいだろうに、と新一は思う。それでも新一から話すのを待ってくれている。無理になど絶対に志保は聞いてこない。

 「いつも、ごめん」

 まず、謝った。

 「………慣れてるわよ、工藤君」
 「でも、………心配させたよな?」
 「したに決まっているじゃない。………身体だけは気を付けて欲しいわ。貴方が怪我をする度に私の寿命が縮まる思いがするもの。わかっていて?」
 「………ごめん」
 「謝って欲しい訳じゃないわ。貴方は確かに厄介事に巻き込まれるし、歩いているだけで事件に遭遇するし、他人のために身体を張る無鉄砲なところがあるし、実はお人好しで面倒なことを引き受ける人だけど。今更それについて私はどうこう言う気はないわ。無駄ですもの。それで怪我したらどれだけでも治療くらいしてあげるわ。別に迷惑なんて思ってないし、本当に慣れたもの」
 「………」

 志保の台詞に新一は帰す言葉がない。
 耳が痛い、所ではない。恐縮するというか、小さくなるしかない。

 「組織を潰すことができただけ奇跡的。生きてここにいられるだけで、幸せだわ。………だから、死なないで。言うことは、それだけよ。貴方が何をしようとも、何に関わろうとも構わないわ」
 「志保………。ごめん、そして、ありがとう」

 新一は志保を見上げて真摯に伝える。

 「俺、今回のことも身体が勝手に動いていて。志保には申し訳ないけど、だからって後悔なんてないし。人が傷つくことを手も出せずに見てられない。自分にできることならしたい」
 「それで、KIDを庇ったの?貴方らしいわね」

 精一杯自分の気持ちを伝える新一に志保はくすりと笑う。

 「………俺らしい?」
 「ええ、とっても」

 瞳を丸くして聞き返す新一が妙におかしくて、志保は微笑む。
 そうか?と首を傾げながら新一は眉を寄せる。それでも志保が笑ってくれたからいいと感じた。
 いつもいつも迷惑も心配もかけてしまう彼女。運命を共にした彼女の幸せを心から新一は祈っている。普通の生活を送って欲しいのに、自分のとばっちりでこんなことばかりだ。
 今度、美味しいケーキでも買ってこよう。
 志保と博士に。
 盗一には何にしよう。料理だけでなくケーキまで焼ける盗一のお眼鏡にかなうケーキってどこだろう?新一は幼なじみの少女が美味しいといっていたケーキ屋の名前を思い出して、リストアップする。もしわからなかったら教えてもらおう。

 「しばらく寝ていてね。私ひとまず下で珈琲でももらってくるから」
 「わかった。ありがとう」
 「どういたしまして」

 志保は顔だけ振り返ってそう告げると部屋から出ていった。





 玄関ポーチ脇に置かれた純白の薔薇の花束。
 大輪の花弁からは優しい香りがした。病人にもきつくない程度の微香。
 他には何も、店名もメッセージカードもない。
 けれど、誰からなのか盗一にはわかった。

 
 「新一………?」
 「何だ?」

 部屋で寝ている新一に盗一がそっと名前を呼んだ。寝ているのなら起こすつもりはなかった。しかし、目は閉じていても眠ってはいなかったらしい。うっすらと瞼を開けて盗一を見上げた。

 「これ」

 大輪の白い薔薇の花束を抱えて盗一が、新一に見せる。

 「玄関出たところに置いてあった。誰からとか、メッセージはない。………でも送り主は一人しかいないだろ?」

 そう。新一が学校を休んでいる理由は無難に風邪を引いたことになっている。それだけで花束を黙って置いておく友人などいない。
 彼が普通でない怪我をして寝ていると知っている人間は自分達以外は一人だけだ。そして、おそらくかなり責任を感じているだろう人物、名前も名乗れず、メッセージもない、そんな該当者はたった一人。

 「………KID?」
 「そうだろ。………ここに、飾っておくか」

 ベットからちょうど見える位置にあるテーブルの上を視線で指して盗一は新一の言葉をなにげなく流して聞く。

 「ああ………」

 新一がそう言いながら起きあがろうとするそぶりを見せたので、盗一は慌ててベットに寄り花束をベットの上に無造作に置くと新一の身体を支える。腕を回して起きるのを助けてベットの上に座らせて背中にクッションを当てる。

 「ありがとう」
 「いいや」

 片手しか使えないのに起き上げるのは不便だ。ましてちょっとの動作で傷に響くのだ。
 新一は盗一の気づかいにお礼を言って視線をベット上に散らばった花束に移す。透明なセロファンに包まれ薄紅のリボンで結ばれている花束。誘われるように指を伸ばしてそっと白い花弁に触れると僅かに薔薇の優しい香りが漂う。
 そんな新一の仕草を見て盗一は口を開く。

 「………気にしているんだろ、あいつも」

 どこか自嘲気味の声音に新一は盗一を伺い見上げる。
 「あいつも」と言う。つまり自分も、だ。自分も気にしている。そう告げている。
 新一が撃たれてから、盗一はKIDを庇って撃たれたことについての言及は避けていた。ただ怪我人を気遣って、面倒を見ている。以前熱を出した時と対応は同じだ。それが普通でない怪我なだけだ。そのせいか、いつもより過保護だと新一は感じていた。

 「なあ、聞いてもいいか?」
 「何を?」
 「聞いていいかってずっと思っていた。新一は俺のことに口を出さないって言ってそれを実行してただ見ていてくれるのに、これは新一の問題で俺が聞いてはいけないと思っていた。だから答えてくれなくてもいいけど、質問するのを許してくれるか?」
 「盗一?………いいさ、何だ?」

 新一は迷いを見せる盗一の瞳を見つめて口元に笑みを浮かべた。

 「なぜ、KIDを庇った………?違うな、そうじゃない。根本は別だ。なぜ、KIDに協力的なんだ?KIDを捕まえることもしないで盗んだ宝石を返してやって、俺の時もそうだった。KIDの姿をして怪我した俺を助けてくれて、ここにおいてくれている」

 どうしてなのか。
 ずっとずっと思っていた疑問。
 KIDに関して新一が思うこととは何か。
 新一は真っ直ぐに反らさず盗一を見つめたままだ。そこにあるのは、どこまでも蒼く透明な空の色。

 「俺は、側で人が傷つくのが見ていられないだけだ。見ず知らずの人間だろうと犯罪者だろうと関係がない。だから、庇ったなんて思ってない。勝手に身体が動いていただけだ………。それで盗一も、KIDも気にすることはないんだ。怪我したのは俺のミスなんだから」
 「………」

 無言で気にすることないと言い切る新一を盗一は見つめ続ける。

 「………KIDは、ただの愉快犯じゃないだろ?目的があるんだろ?それが何かまで俺は知らないけど、早くKIDの戦いが終わればいいと思ってる。その白い衣装を脱げたらいいと思う。それだけだ」
 「何で?何でだ?」
 「何でって言ってもさあ。覚悟した人間の目をしているってわかるけど、誰かがああして苦悩しているのは見ていて辛い。………別にKIDを同情している訳じゃない。蔑んでいる訳でもない。それはKIDに失礼だ。なあ、そうだろ盗一」

 現代のKIDと対峙した盗一にそう告げた。
 ちゃんと盗一は確認したのだ。
 自分ではない誰かがKIDを継いでいる。それは果たして、幸せなのだろか、と。そこに意志はあるのか。
 答えは、歴然としていた。
 自分にも見えない未来。自分がいたことによって今後どうなっていくのか。不確定のことばかりである。あのKIDは、俺の何?まるで鏡だ。俺ではないのに、俺だったかもしれない未来の形。
 どうして、こんな風に認めてもらえるのか。
 盗一はそっと新一の頬に手を伸ばして、そこにある瞳を見つめる。

 「どこまで見えているんだろう。この目には、俺たちの、KIDの真実も本質も見えているのか?」

 それは奇跡だ。
 しかし、犯罪者の本質をそこまで見える新一は果たして幸せと言えるのだろうか。
 もっとも本人は構わないさと笑うだろうが。

 「………それでも、感謝している」

 盗一は己の言葉に目を丸くした新一を一瞬だけ抱きしめると、ふわりと腕を離して花束を持ち上げて「生けてくる」と言いながら扉へ消えた。

 「………盗一?」

 新一の小さな呟きは盗一に届かなかった。


 それから毎日花束は届けられた。
 薔薇だけでなく、チューリップやスイトピー、胡蝶蘭、百合等季節を関係なく、届く様々な花々。しばらくすると工藤邸は花に埋もれることになった。さすがに新一の部屋だけでは収容できなくて玄関、居間、キッチンと至る所に置かれた。
 そんな見舞いを贈られる怪我人の新一はひとまず学校を休んでいた。怪我が怪我だけに身体に無理は効かない上、当然がら志保から外出禁止が言い渡されていた。
 そんな新一の身体も大分良くなったある夜のことである。
 
 窓から月の輝きが差し込んで、ぼんやりと部屋を照らしていた。
 新一はベットの中で目を閉じて横になっている。昼間も動くことを禁じられているので溜まった本を読んだり眠ったりしているため、夜電気を落とされてもすぐに眠くはならない。それでももし電気でも付けて起きていようものなら、盗一と志保から小言が待っている。新一を心配しているからこその言葉だから無下にはできなくて、しばらくは言うことを聞いていなくてはと殊勝に思っていたのだ。
 それでもふわふわと意識を漂わせている時、カタリと音がして滑るように空気が動いた、と新一は感じた。
 
 (何だ………?)

 新一が瞼を開けて月明かりで照らされている室内を見ると、白い鳥が窓から入ってきた。新一は急いでベットの上に起きあがる。
 その間に白い鳥はマントを翻して新一のベットの前で片膝を付いて新一と視線をあわせる。

 「こんばんは、名探偵」
 「………KID」

 新一は目を見開いて、驚く。
 新一にはKIDがこうして目の前にいることが信じられなかった。いつも現場で、逃走経路で逢うことしかなかった。そこにしか接点はなかった。まさか自分の屋敷まで来るなんて思わなかったのだ。怪盗が天敵である探偵のテリトリー、自宅にまで来るなんてどうかしている。

 「ご加減はいかがですか?」

 KIDは至極真面目に聞いてきた。

 「もう、大分いい………」
 「本当に?腕は痛みませんか?………まさか化膿はしていないと思いますが、発熱したりしませんか?傷が後に残るのではありませんか?」

 KIDらしからぬ矢継ぎ早の言葉に新一は苦笑する。

 「痛みも引いてきてるし、熱は今はない。すこぶる順調だ。傷は、男だからこのくらい訳ない。………それに俺、銃創初めてじゃないし」
 「名探偵………」

 KIDは眉根を寄せて、咎めるように呼ぶ。
 新一は探偵の性なのかよく事件に出くわし巻き込まれる。そのせいで、犯人に斬りつけられたこともあれば、撃たれたこともあった。第一組織と戦っている時など、怪我で済んだだけ儲けものだった。生きていることが成功だったのだから。

 「そんな心配そうにしなくてもいい。これは俺のミスだから」
 「そうではありません。私のミスです。私を狙った銃弾に貴方が撃たれた。私の代わりに、身代わりとなって撃たれたのです。すみません、謝って済むことではありませんが、本当に申し訳ありません」

 新一の手を取って床付くように己の額を寄せて真摯に謝罪するKID。

 「謝る必用はないさ。………ああ、花ありがとう。あんなにたくさんいいのに」

 忘れるところだった、と新一がお礼をあわてて言うのでKIDはその優しい声に下から新一を覗き込むようにして見つめる。

 「少しはお心が晴れましたか?」
 「屋敷中花に埋まっているぞ?趣味はいいと思うけど………」
 「だったら、よろしいでしょう。せめてもの償いに、それくらいさせて下さい」
 「償いなんて、いらない、KID」
 「それでは、ただのお見舞いで結構です。受け取ってもらえて私も安心しました。本当は突き返されることも覚悟していました」
 「………突き返すことなんて、しない。………それに、どこに突き返すんだって!」

 宛名も送り先もない花束だった。それは花屋から届いたものではない、つまりKID本人が玄関ポーチに置いていった可能性が高いのだ。

 「そのまま放置されていれば、同じ事です」

 そうでしょう、とKIDは薄く口元をゆるめる。しかし、和んだ表情を改めると真摯でどこか硬い雰囲気に変えて新一を見据えた。

 「名探偵。………もう逃走経路にはおいでにならないで下さい。宝石の返還にお力を貸さないで下さい」
 「………はあ?何でだ?」

 突然のKIDの予想に反した言葉に新一は柳眉を寄せる。

 「私は他の誰も巻き込むつもりはありませんでした。それが、こうして事実貴方に怪我をさせてしまった。それは許されないことです。今後、同じようなことがあるやもしれません。どうか、危ない場所にいらっしゃらないで下さい」
 「そんな勝手なこと聞けない」
 「名探偵」

 KIDは横に首を振る。

 「私はKIDとして自分に責任をもたねばなりません。誰かを傷つけるなど以ての外です」
 「だから、あれは俺が勝手にしたミスだ!」
 「………名探偵。どうして私など庇うのです。そんな事を貴方はしてはいけない」
 「してはいけないって、何だ?庇ったんじゃない。身体が動いていたんだ。人が怪我するところを黙って見てろって言うのか?」
 「こんな犯罪者を庇ってはいけません。貴方を必用としている人はたくさんいるのですから」
 「関係ない!」

 新一は唇を噛みしめながらKIDを見つめる。

 「今までのことはとても感謝しています。でも、今回は怪我で済みましたが今後はどうなるか保証などないのですよ?折角自分の戦いを終えられたのに、また厄介事に関わってはいけません。これは私の戦いです」

 新一の瞳から反らさずにきっぱりとKIDは告げる。しかし新一もだからといって承知はできなかった。

 「それはお前の事情だろ?俺は俺の責任であそこに行っている!」
 「駄目です。………もしいらしても、今後は宝石をお渡ししません」
 「KID!」
 「名探偵………」

 聞き入れて下さい、とKIDは訴える。
 新一が撃たれた時、KIDは身の毛が凍った。危ない、と叫んで前に出た新一の身体が沈んだ時目の前が真っ暗になった。誰も巻き込まないと決めていたのに、自身になぜか協力的である名探偵に絶対迷惑をかけないと誓っていた。だからほんの少し必用な時間しか近寄ることもしなかった。
 それなのに………。
 偽のKIDに言われたことは屈辱的であるが、自分が狙われているのだから狙撃者をあの場から離さねばならなかった。自分のやらねばならない役割をしていても、怪我をした新一のことはずっと心配だった。どうなったのか。傷は深いのか。
 しかしKIDは新一に逢うことはできなかった。
 ずっと様子を伺い花を贈った。それしか自分はできなかったから。
 
 自分など、なぜ庇うのか。
 ぐるぐると頭を悩ませた。新一が怪我をしてから今日逢いに来るまで、頭を占めていたのは彼のこと。
 敵対しているはずなのに、犯罪者と探偵なのに。
 それなのに、そんな枠を飛び越して新一は行動する。
 優しい、優しい、名探偵。
 けれど、これ以上関わること、それはしてはならないことだ。
 これ以上、彼を危険な立場に立たせてはいけない。そう決めた。

 「………KID」

 新一が名前を呼んでもKIDは首を振って拒否すると、そこから一歩退いてふわりとベランダへ飛んだ。そして、もう後ろを振り返らずに飛び立った。




 「不器用なのは、血筋なのか………」

 盗一は壁に背中を預け腕を組み、何もない天井を眺める。一度目を閉じて再び見開くと大きな窓から差し込む月を見上げた。
 身体に降り注ぐ月光。
 両手を月に差し出すようにすると、手のひらに月光が集まるような不思議な感覚が沸き上がる。染み渡るような、何とも言えない陶酔感。
 
 (ああ………新一が言ったことは間違いではなかったのだ………)

 盗一は己の手をぎゅっと握って、広げる。そこからパラパラと落ちる月の破片のような銀色の粉末。

 「本当に、不器用すぎて嫌になる」

 落ちる銀色の砂のような粒を見つめながら、呟く。

 (砂が落ちるように時間は止められないのだ。未来にいる自分でさえも………)

 「もっと、自分勝手に生きられたら楽だったろうに」

 その囁きを聞くものは月以外誰もいなかった。
 





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