「へえ、すごいな………」 「まあ、そうだろ。ここは家電製品やパソコン機器を取り扱う店では東都で一番大きいっていうから」 駅前にある大型ビル、店頭からは店の耳に付く軽快なテーマソングが流れてくる。それに誘われているかのように店内は人がごった返している。何でも揃うというだけあって10階建てにはぎっしり商品が詰まっているため、休日ともなると遠方からも買い物客がやってくる。 新一と盗一は入り口にあるデジタルカメラの一角で小振りなカメラを手に取り眺めている。 「フィルムじゃないカメラね………やっぱり技術の進歩はすごいな」 「そうだろうな………。でもここ最近だぞ。たった5年前なんてこんな風になるなんて思わなかった」 盗一ではないが、最近の技術の進歩は目覚ましい。 現代に生きる新一だって、目まぐるしく流れていく時代を感じるのだから、見たこともない機器を盗一がいかに驚愕の思いで見つめるかわかろうというものだ。 今日は、二人で買い物に来ている。 正しくは盗一の社会勉強。 家にいて少しは現在の生活がわかってきているが、やはり限度がある。 本当なら過去の人間が未来を知ることはいけないのかもしれない。が、いつ帰ることができるかもわからないのだから、ここで生活するための知識を増やすことは、また仕方のないことだろう。 その結論に達してから、やっと何もない休日なのだ。 今日は今のところ警察に呼ばれていない。このまま呼び出しがなければ新一は丸1日盗一を連れていろんな店を回り説明ができる。社会見学を決めてから、実は何度も約束は反故になっていた。新一が警察に呼ばれて事件にかかりきりだったり、体調が悪かったり、待ちに待った推理小説の新刊が出て部屋に籠もったりと理由は様々だ。 昨日から、明日こそは行こうと新一がきっぱりと宣言していた。 そして、念願叶って二人は街中にいた。 「一番上まで上って降りてくるか?見るものきっとたくさんあるぞ?」 「そうだな………。そうするか」 盗一は手にしているデジカメを棚に戻す。 「思うんだが、きっと腰ぬかすくらい想像していないものがあるんだろうな」 「盗一が腰ぬかすのか?」 盗一が苦笑しながらそんなことを言うので、新一は何冗談言うんだという顔で見上げる。 「これでも、現代からすれば、異分子なんだけどな………」 「見えないな。馴染んでる」 新一はくすくす笑う。 確かに、言われてみれば異分子なのだろうが、適応能力が優れているせいか馴染みすぎるくらいに馴染んでいた。違和感がないのだ。 「笑いすぎだ、新一」 盗一は穏やかな顔で新一の頭をくしゃりと撫でた。 「ごめん。上、行こう」 「ああ………」 二人は仲良く上りのエスカレーターに乗った。 あの夜。 KIDと対峙している時盗一が現れた。 新一を迎えに来たという盗一の言葉は嘘ではないが、それだけでもない。 「どうして?」 新一は帰りに再び疑問を口にした。 「何がだ?」 「なぜ、来たんだ?」 「新一を迎えにだって言っただろ?」 「………それだけじゃないだろ?それだけで、この場に来る訳がないだろ?」 KIDである盗一が、あの場に来ることは可能だ。 予告状から逃走経路を割り出す。KID本人なら、予告状の暗号を解くことも逃走経路も当然の如くわかる。それは彼の身体に染みついたものだ。たとえ現代のKIDと別人であっても、KIDが正しく受け継がれていることから、盗一の流れを汲んでいると考えれば妥当だろう。 しかし、まるで新一があの場にいることを予め知っていたようだった。新一が出かけたことを知っていたとしても、どこに向かったかまでは推測できないのではないか。KIDの現場付近にいるかもしれないとは思わなかったのだろうか。それとも、自分と現代のKIDがこうして逢うことまでも予想済みだったのか。 「………本当に新一を迎えにいったんだけどな。薄着だったから心配した。まあ、ついでにKIDも見られたからラッキーだった」 「ラッキー?」 「そう、ラッキー」 盗一はにっこりと微笑んだ。 (………嘘付け………) 新一は内心毒付く。 絶対、嘘だろ………。そんな笑顔では騙されない。 食えない。さすがに初代KID。ついでに世界的なマジシャン。 ポーカーフェイスはお手の物か? 新一は盗一を無言で睨む。しかし盗一はどこ吹く風でにこにこ笑っている。 これ以上何を聞いても盗一は答えないだろう。新一には強く追求することができなかった。 たとえ盗一が何をしても、新一に口を出す権利はない。 過去から来たのであろうが彼はKIDであり、現代のKIDをどう判断してどう関わるかは彼の心次第だ。すでに、彼は現代のKIDが自分ではないことを知っている。出逢ってしまったKID。それは未来の自分にしては、絶対的に若い。 そして、自分の末路も。 彼はきっと知っている。 そうでなけれが、あの場に来なかっただろう。 何を見定めたいのか。それは本人しかわかり得ない。 自分は、やはり見守るしかできない。 どうか、と祈る以外ない。 「………そういうことに、しておいてやる。俺には何も口を出す権利がないからな」 新一は真っ直ぐ前に視線をやって、本心を告げた。 どこか、寂しげな横顔。新一の表情を読みとって盗一は目を細める。 (優しいな、新一は………) 探偵であるのに、犯罪者である盗一の意志を尊重している。 新一に断罪されたいという思いは、決して間違いじゃない。新一が聞いたら、辛そうに顔を歪めることを盗一はしみじみと実感していた。 3階にはパソコン機器がメーカー毎に山を作り置かれていた。新型モデルを触っている者や店員に説明を受けている者、値引き商品をじろじろと見ている者様々だ。 「何か、買うか?」 今日のところは必用なものがない新一はそんな様子を見ながら盗一に尋ねた。家では一応新一のパソコンを使えるように指導はしていた。最初はさすがに難しそうだったが………というかどうしてこんなことができるのか疑問であったようだ。ウインドウズという代物だって95年に突如として出現して驚くほど早く普及したのだから、彼の気持ちもわからなくはない。現在ではとても興味深かそうに操作していると思う。飲み込みは早いので扱えるようになっているし。 「別にいい。新一は、用事ないのか?」 「………今日はいい。ここが済んだら、どこに行く?本屋?ショッピングモール?ディスカウントショップとかもあるぞ?帰りにスーパー寄るだろうけど………。そうだ、服買うか?いつまでも親父の着てるのも何だろ」 盗一のサイズからいって新一の着ているものは小さすぎるため、父である優作の洋服を身につけていた。海外に住んでいるが工藤邸にもたくさん洋服は置いたままになっていたから、着る物がない訳ではなかった。が他人のものを借りっぱなしでは気が引けるのではないだろうか。 「………でも、俺は現在無収入だからな」 盗一は苦笑する。 何から何まで買ってもらうというのは、男として情けない気になる。 家事をしているから、食費は預かり近所のスーパーに買い物には行くが………。 「気にすることないけど………気になるもんか?」 新一は盗一の瞳を覗きこむように見上げた。盗一はそんな新一を見つめながら、ポンと手を打つ。 「手っ取り早く、稼ぐのも手か?」 「稼ぐって、どうやって?」 新一は首を傾げた。 盗一がどこかで働いていいのだろうか?履歴書もないから正規では無理だし、ここであまり顔を覚えられても困るだろう。盗一が現代にいたという痕跡を残すのは良くない。それは盗一自身もわかっていることはずだ。 「そこのところは、任せろって」 盗一は綺麗にウインクを決めて、新一の腕を引っ張る。 「そうと決まれば、広場とか公園へ行こう」 「は………?」 「いいから、いいから」 引き連られるようにして店を出て、大通りを横切りいくらか歩いた先にある公園へ向かう。休日だから人も多い。恋人同士や家族が散歩していたりベンチに座りひなたぼっこしていたり、子供が広場で遊んでいたり。自由気ままに過ごしている。樹木も多いから日光浴だけでなく森林浴らしきものも味わえるようだ。 盗一はきょろきょろ見回し公園の一角にあるゴミ箱から空きビンを取り出し中を綺麗にすると、中央の広場になっている場所の地面に置く。そして、公園を見回せる場所まで戻ると、大きく息を吸った。 「レディース、アンド、ジェントルマン………。イッツ、ショータイム!」 盗一は大きくはないのに響く声で呼びかけた。そして優雅に一礼を決めると、そこにいるのはただの青年ではなくマジシャンだった。 どこからかシルクハットを取り出して、上下にしてみせて確認するとちょっとしたものを取り出す。それは花だったり、キャンディだったり、カラフルなボールだったり、皆が喜ぶものだ。最後にトランプを取り出す。 そして、カードマジックを始める。 流れるような手さばき。 右から左へ、上から下へまるで生きているように動くカード達は彼に自在に操られる。 見る者を惹き付ける確かなカリスマ。 そこにいるだけで存在感と華がある。一流の舞台でもないのに、彼の周りにはスポットライトが当たっているようだ。 カードマジックを終えカードを仕舞うとポケットからチーフを取り出し、裏表を見せて何もないことを確認させて自分の右手に被せ呪文を唱える。 ウインクすると、薔薇の花が一輪。 もう一度同じ事をすると消えていて、次は二輪に増えている。花びらだけだったり。茎だけだったり、赤い色が白になったり、マジシャンの手の中で自在に形を変える花。 まるで、遊んでいるみたいなマジシャン。 盗一を囲んで人垣ができる。遠巻きにしていた人間も寄ってきて突如現れた腕のいいマジシャンを見つめている。 夢みたいなマジックに目を奪われてきらきらと瞳を輝かす。大人も子供も楽しそうだ。 盗一は両手を握って一度目を瞑りone two threeと数えて、瞬時に頭上に両手を掲げた。すると広場全体に花びらが降ってきた。色とりどりの薔薇の花びらが降り注ぐ。 まるで雨のような雪のような、天から降る祝福の恵み。 自分達に向かって降ってくる花びらに観衆は手のひらで受け止めて笑みを浮かべる。 やがて盗一が一礼して終わりを告げると大きな拍手が贈られた。 どんな場でも、一流のマジック。 今の状態では決して道具が揃っている訳でもないだろうに。 にっこりと満足そうに微笑んでいる顔から、彼がマジックをすること自体がとても好きなのだと伝わってくる。 観客は、素晴らしいマジックにポケットから気持ちに見合った料金を投げた。 子供は親にせがんで自分がビンに小銭を入れて、ありがとうと笑う。 親子連れは3人分ね、といいながら1枚の札を。 中には万札を投げ入れた太っ腹な人間もいたようだ。 魔法使いに払う、夢の代価。 それは人それぞれの思いの形。でも、決して金額で推し量れるものでもない。 新一も手を叩きながら盗一の側に寄った。 「大成功だな」 「うーん、まあまあってとこか?」 盗一は驕らず、しかし満足そうに口元をほころばせる。 「十分じゃないのか?」 「そうか?」 「ああ………志保にも見せたかった」 「じゃあ、帰ったら志保にも見てもらうよ」 「喜ぶな」 新一は志保の笑顔を思い浮かべてにっこりと微笑んだ。 盗一がもらったお金を拾い上げてポケットに仕舞うのを見届けて新一は聞いてみた。 「これからどうする?昼御飯食べるだろ?」 「帰って作ってもいいぞ?」 自分が作ることに対して盗一は全く問題なかった。 「お前のご飯は美味しいけど、いつもいつも作ってもらってるから、偶には外食もいいだろ?それに、まだ見て回るところたくさんあるし」 「………そうだな」 新一の言い分に盗一はくすりと微笑む。 「何にしようか?」 「何でもいいけど、新一は何食べたいんだ?」 「俺?俺はいいんだって。こういう時は普段ご飯を作ってる人間の食べたいものであるべきだ!やっぱり、労わないとなあ」 「労い?」 「そう、家事やってもらってるから」 「働かざるもの、食うべからず、って言っただろ?俺は今それしかできないから、労ってもらうのはおかしいと思うぞ?」 「そういうのは、関係ないんだって。とにかく、俺が感謝してるだけだ。何が食べたいか言え!」 しびれを切らした新一は強引に決める。そんな子供っぽい表情の新一に盗一は苦笑しながらわかったと頷いた。 「そうだなあ………、魚料理なんてどうだ?」 「魚料理?わかった。じゃ、探そう」 「ああ」 自己主張した盗一に満足して新一はこっちだ、と指差して繁華街がある大通りへ向けて歩き出す。その隣を盗一は楽しそうに並んだ。 「あ、結構美味しいかも」 「甘めだな、味付けが………」 結局魚料理の専門店らしきものを探したのだが、見つからなくて日本料理店に二人は入った。そこには当然魚料理があるだろうと踏んでのことだ。それほど敷居の高そうな店ではないが奥に細長く大通りからの喧噪が届かない静かで落ち着いた雰囲気だ。 メニューを見て頼んだ煮魚を口に運びながら、感想を言い合う。 「俺、魚はやっぱり焼いた方が好きだな………」 「焼き魚ね。生は?」 「………普通?」 新一は、小首を傾げながら答える。 「普通ってのは、どのくらいだ?」 好みとは感覚だけれど、普通とは好きなのか嫌いなのか台所を預かる身としては聞いておきたい。 「特別好きでもないけど、食べない訳でもない。出てきたら食べるし、新鮮なものは美味しいと思う。………でもわざわざ自分で頼んでは食べないかな?」 「そうか、わかった。今後の参考にしておく」 盗一は脳裏にある自分の料理ノートに生魚は美味しいものを時々、それ以外は焼き魚をと記した。 「あ、でも盗一の作る料理はどれも美味しいから。問題ない!」 新一は急いで付け足した。 実はさりげなく注文を付けたことに気付いて新一は慌てた。盗一の料理に文句などないのだから。どれもこれも美味しいと思うし、栄養バランスも考えられていると知っている。志保にも彼には感謝しないとね、と先日言われたばかりだった。 「それはありがとう」 「本当だからな!」 「ああ」 盗一は頷いた。 自分の料理を美味しいと言ってもらえるのは、とても嬉しいものだ。 「今日、夕食何が食べたい?」 だから、今日は寄り腕を振るおうと思う。 「今日?あー、そうだな。オムレツ?」 「オムレツだな。それ以外は洋食らしくまとめるか。暖かい具たくさんのスープもいいな」 「それなら、クラムチャウダーがいい」 「わかった。ご希望通りに作らせてもらう」 盗一はにっこりと請け負った。 「どうせなら、お隣も呼ぶか?」 「いいか?」 「もちろん、いいさ」 食事を作るのは盗一のため、余計な手間をかけさせないように勝手に客を新一は呼ばない。だから、盗一の言葉を思わず伺うように聞いてしまった。 博士と志保もよんだ4人での食事は新一にとって暖かくて楽しい食卓だった。それを思うと自然に笑顔になる。 「じゃあ、今日は4人分お願いする」 「了解」 楽しそうに笑ってくれる盗一に、新一は思い出したように付け加えた。 「それと、買い物荷物持ちするから!」 「それは、助かるな」 盗一も新一のほんわかとした気持ちがわかるので、ありがたく受けた。たとえ重い物を持たせる気が初めからなくてもだ。 それから帰途に付くまで新一は始終笑顔だった。もちろん、隣家と囲んだ食卓でも笑い声が耐えなかった。 その二人連れを見つけたのは偶然だった。 目に飛び込んできた印象深い人物に、隣にいて仲良く笑いあっている人間に自然に目がいった。 (あいつ………!!!) 忘れられない男の顔を凝視して、見失わないように後を付けた。 それは、彼にとって当然の衝動だった。 「ねえ、快斗。結構面白かったね」 「そうか?ちょっとヒネリがないだろ。SFXはたくさん使ってあったけどなあ」 「面白かったじゃない。青子は、感動したよ」 「単純だな、青子は〜」 高校生くらいの少年と少女が仲良く並んで話している。彼らが出てきたのは今話題になっているSFXを多用したアメリカ映画を上映している映画館だった。ちょうど上映が終わって一斉に人が出てきた中、彼らも混じっていた。 「なんですって、快斗の方が子供じゃない。バ快斗!」 「アホ子のくせに、何いいやがる」 「青子は、アホじゃないもん。快斗の方が馬鹿なんだから。授業だってさぼるし、遅刻はするし、もう最悪〜」 「俺はこれでいいんだよ。青子こそ、もっと育った方がいいぞ。特に胸のまわり………」 快斗と呼ばれている少年は少女の胸の辺り指差す。 「バ快斗!!!」 青子と呼ばれている少女は持っていた映画のパンフレットをまるめて、快斗の頭を大きな音が立つほど叩いた。 「痛てえだろ、暴力女」 「なんですって、この暴言男!」 再び青子は叩こうとするが、今度は快斗も避けた。そして、へへんと笑う。その笑みに青子は腹立たしそうに拳を握り青筋を立てると瞬時に右腕を快斗のお腹に突き出した。 「げ………っ」 見事に決まったボディブロー。快斗はお腹を押さえて恨めしげに青子をにらみ上げた。 「青子。お前、こんなんじゃ結婚なんてできないぞ。一生叔父さんの面倒見て過ごすことになるぞ〜〜〜」 「………そんなことないもん。青子これでももてるんだから」 「嘘付け」 快斗は、疑わしげに青子を見る。 「本当の、本当だもん。この間だって告白されたんだから!」 「それで、どうしたんだ?」 「………ごめんなさいって言ったわよ」 「何だ、付きあわなかったのか?好みじゃかったかもしれないけど、適当なところで手を打っておかないと、そのうち誰も相手にしてくれなくなるぞ」 「………余計なお世話よ。快斗はどうなのよ?」 青子は唇を尖らして、幼なじみで何より良く知っている、でも最近わからない所がある快斗に聞いた。 「俺?俺はもてるからな。一人に決められないだろ。一人に決めたら女の子達が可哀想じゃないか、なあ」 「可哀想じゃないわよ。そういうのを優柔不断って言うのよ。なんでこんないい加減な男がいいのかしら、わかんないわ。特に、紅子ちゃん!」 青子は大人っぽくて美人の同級生の顔を思い浮かべる。 なぜだか彼女は事ある毎に快斗に構うのだ。ものすごい美人でもてるのに彼氏がいないのが不思議だ。 「………あいつだけは、俺だって遠慮しとく。どんなに美人でも関わりあいたくないな」 「うわー快斗のくせに、生意気」 快斗は青子の言葉を肩をすくめて流す。 (誰が魔女なんかと付き合いたいと思う?恐ろしいだろ………) 同級生の小泉紅子はそれは素晴らしい美人だが、男を虜にするのが生き甲斐の紅魔女だ。魔王のお告げか何かは知らないが、毎度予言を告げられる身からすれば、放って置いて欲しいのが本音だ。 「ねえ、快斗この後どうする?」 「飯でも食うか………?」 快斗が、どこに行こうかと思案して瞳を巡らせると、ある人物が目に入った。遠目でも見間違えることなどない人物とその隣の男。それを認めて快斗は瞬間目の色を変え鋭く見つめるが、次にはそれを綺麗に隠した。 「悪い、青子。ちょっと用事思い出した。またな!」 そして、青子にいつものお調子者の顔で告げる。 「え?快斗?どうしたのよ?………快斗?」 「本当、悪い!」 青子が驚いて止めるのも聞かずに、快斗は手をあわせて謝ると人混みの中に消えた。 休日の今日、彼は幼なじみの少女と映画を見に来ていた。話題作ということで、彼女が見たい、見たいと言っていたからだ。彼女の名前は中森青子。父親は世間を騒がす怪盗KID専属の警部である。そして、その中森家とは隣にある黒羽家。それが少年の住む家だ。 黒羽快斗、高校3年生。趣味はマジック。父親は幼い頃死別したが世界中に有名なマジシャンだった。現在は母親との二人暮らし。それだけなら、別段何の問題もない高校生だ。 少々頭が優秀でコンピュータ並でも、手先が器用で将来有望なマジシャン候補でも、端正な顔と誰からも愛される性格で人気者でも。 彼が父から引き継いだ怪盗KIDでなければ………。 快斗は先程見かけた人物の後を付けていた。 かなり間を空け人混みが快斗を隠している上自身の気配を消しているから、気付かれることはないだろう。おかげで快斗が見失しなう可能性の方が高い。しかし、彼らを尾行するのであれば、このくらいの間は必用だった。そうでなければ彼は絶対に気付くだろう。探偵である、彼なら間違いなく。 快斗が追っている人物は、工藤新一、日本一有名な探偵である。そしてその隣に立つ男。 先日、快斗はKIDの逃走経路のビルの屋上でいつものように新一にあった。 絶対ではないが、新一はKIDの予告日に逃走経路を割り出してKIDの前に現れる。そして、KIDが盗んだビックジュエルを受け取り返却する。本当なら敵対する探偵であるのに怪盗を捕まえるそぶりなどなく、KIDが返却する危険を冒さないように宝石を受け取り警察への橋渡しは協力的だ。 いつも二人だけで相対していた。 あの場に来ることができる人間は彼だけ。 そして、彼は誰も連れて来なかった。 ところが、あの男が現れた。 新一自身驚いていたことから、彼が来ることは予想外のことだったのだろう。 20代後半くらいの青年。銀縁の眼鏡をかけた端正な顔。姿勢が良く細身に見えるが鍛えられた身体とわかる。そして、その存在感。 迎えに来た、と新一に微笑んで親しげに肩を回し、KIDを振り返ってにやりと笑った。まるで、見せつけるかのように。 あの男は何者なのか。 男の視線を受けた時、何とも言えない感情が沸き上がった。 不審な態度。とても怪しい、ただ者とも思えない気配を綺麗に消して一瞬だけ自分に見せた。明らかに挑発していた。 それだけでも腹立たしい上要注意なのだが、何かがひっかかるのだ。 記憶の奥底………? コンピュータ並の記憶力を自負している、一度会えば覚えている。 それなのに、どうしたことだろう。 逢ったことはない。それなのに、気になる。 男の顔がどことなく記憶にある大切な人に似ているせいだろうか。 快斗はそう思う自分に苦笑する。 いつまでも忘れない、忘れられない自分の尊敬する師であり父である偉大なるマジシャン。そして快斗は彼から白い怪盗の姿まで受け取った。 彼がこの世から消えてしまった瞬間から、何を思い何を考えあの姿をしていたのか快斗は知ることができないのだ。それは、この先ずっと謎だろう。 遠目に映る彼らは大層親しげだった。 会話までは聞こえないが、長身の男に新一がにこやかに笑いかけている。 (………二人の関係は何だ?) 快斗は新一の交友関係に詳しくはないが、誰か構わず自分のテリトリーに入れる人間ではないことくらいはわかる。明らかに心を許しているとわかる無邪気な笑みだ。 あの不審な男と探偵である新一が親しいことが、わからない。 探偵だからという理由で区別する訳ではないが、怪しい人物を側に置くだろうか。 ただ、犯罪者であるKIDに対する態度を見ても、犯罪者自体を全て憎んでいる訳ではないだろうが。そうでなければ、KIDなど当の昔に掴まっていたかもしれない。 やがて二人は公園にやってきた。 男は何やらゴミ箱から瓶を取り出し広場中央へ向かう。 振り向いた男は高らかに呼びかけた。 「レディース、アンド、ジェントルマン………。イッツ、ショータイム!」 (………何者なんだ?………何者だっていうんだ?) 男の手の中から魔法が生まれる。 決して大がかりではないマジック。しかしその動作は優雅で無駄がない。 タネがあるはずなのに、まるで魔法のように見える。 男の紡ぐ夢に惹き付けられる。 決して前もって準備していた訳ではないだろう。動物を使う等のタネを仕込んでおくマジックはない。 それなのに………。 一流だ。彼は一流のマジシャンだ。 それを快斗は認めざるを得ない。 理性では認めているのに、感情は反発しているのだ。 即興のマジックショーが終わりを告げると拍手が贈られる。集まっていた観客は満足そうに笑いながら、お金を投げていた。男は何度も優雅に返礼している。 新一がそんな男に歩み寄り、二人は公園の出口に向かった。 快斗はそのまま後を付けた。 今のところ男への不審感が募っただけだ。 街を歩きながら、並ぶ店を時々指差しながら見て二人は日本料理の店に入った。快斗は、一緒に店内に入ることもできず、どうしようか悩む。 ちょうど斜め向かいにあるファーストフード店が目に付く。2階部分はガラス張りで向かいの日本料理店がよく見えるだろう。快斗はお昼から少し過ぎているため、それほど混雑していないが安さが売りのため客足の途絶えない店に入った。 ハンバーガーとココア、ポテトにナゲットを購入して窓際の席を無事に確保する。 快斗は、すぐには出てこないだろうがもしもの時があるためバーガーだけは早く食べてしまおうと口を付ける。たまたま揚げたてに当たったのかほかほかと熱いポテトを摘んで、甘いココアを飲む。ナゲットはバーベキューソースを付けて、ぱくりと食べる。 店内は快斗のような一人のものは少ない。 平日ならまだしも、このような休日ではカップルや友達同士が断然多い。 楽しげに会話して笑いあっている中、快斗は一人もくもくと食べることに専念する。 自分だってさっきまでは幼なじみの少女と一緒で、ここに集う人間と同じようにファーストフード店に入っていたかもしれない。けれど彼はそうしなかった。見つけてしまった彼らを見なかったことにはできなかった。 探偵である新一一人なら、こんなことはしなかった。 けれど、彼が共にいる青年は快斗の興味と意識と疑惑を最大限に刺激するのだ。KIDとして、そのままになどできなかった。危険人物は確かめておくべきなのだ。そうでなければ、KIDなど続けていられないだろう。 (しかし、何で日本料理なんだ?まあ、似合わない訳ではないけれど………) 高校生の新一一人で入ることはまずないだろう。伴う人間が大人だから普通と映るが………。 ああいう日本料理店は快斗にとって歓迎できない場所だった。 上品な薄味の煮物や繊細な吸い物、からりと揚がった天ぷら等々美味しいと思うが、懐石料理などコースには絶対入る快斗の嫌いな「さ」の付く品が欠かせないものだ。日本料理といったら、「さ」の付く料理が豊富である。きっと店内に入ればその匂いが漂うだろう………。 それを思うと快斗は身震いする。 そしてココアをこくんと飲んで喉を潤し、気分を変える。 今度はカードを使った新しいマジックに挑戦してみようか。 来月、東都美術館で宝石展があるな、狙ってみるか? 宝石と美術館の見取り図などの下調べを今月中にして、来月になったら行ってみよう………。 その前に、学校のテストがあるか?まあ、どうにかなるだろ。 近日公開の特別展示品であるビックジュエルはすでに予告状を出したけど、今度はどうだろう。また、名探偵は来てくれるのだろうか?そしてあの男は………? 眼下の街並みを見つめ、視界の端に日本料理店を納めつつ脳内で目まぐるしく今後の予定を考えていると、その間に随分時間が経っていたようだ。 二人が並んで店内から出てきた。快斗は急いでトレーを返却して、少しゴミの仕分けが乱雑になってしまったが気にしていられず階段をかけ下りる。店先の斜め前を歩いてる二人連れを無事に見つけて安堵すると、再び間隔を空けて後を付けた。 その後は本屋へ寄り………新一が嬉しそうに新刊らしき本を買っている姿が見えた………大型のスーパーで買い物をして仲良く荷物を持ち合い工藤邸へ帰途に付いた。それを見届けて快斗も自宅へ帰った。 だだいま、とキッチンにいる母親に声をかけ自室に入ると、ころりとベットに転がる。手を組んで頭を乗せてぼんやり天井を見上げる。 自然と今日あったことが脳裏に思い出される。 (………まさか、一緒に住んでるのか?) スーパーで仲良く買い物している風景を見つめていたのだが、どう考えても今晩は何がいい?何か欲しいものはあるか?必用なものはあったか?といった乗りに快斗の目には見えた。野菜や肉、果物を手に取り相談しながら選び、洗剤やトイレットペーパーまで購入していた。当然大荷物になったスーパーの袋をそれぞれもって楽しげに会話しながら工藤邸の門を潜った。遠目にだが、あの青年がポケットから鍵を出して扉を開けたようだった。 用心深いはずの名探偵が随分馴染んでいるように見えた。 そう、まるで家族のように。 親愛の情が互いを見る優しい目でわかる。 (あの男は名探偵が信頼を置く人物にしては、怪しいけどな………) 納得がいくようで、いかない。 快斗は工藤新一という探偵を認めている。優秀な頭脳、観察力、推理力が揃っている探偵。けれど彼は「探偵」に捕らわれる人間ではなかった。そうでなければ、KIDを見逃すことなどしないだろう。はっきりとその理由を聞いたことはないが、それが彼なりの誠意というか心使いなのだろう。 犯罪者の怪盗までも心を配る優しい人間だ。 だから、快斗は新一に自分の、KIDのことで迷惑がかからないようにと思っている。 KIDと親しいなどと思われないように。警察側にいるはずの彼が誰からか非難を浴びたりしないように。 彼との間にはしっかりと埋まらない距離がある。それは縮めるものでは決してない。そう思う。 (ああ、でも親しい心を許した相手には、あんな無防備な笑顔をするんだ………) 人間だからそれは当然のことなのだが、月夜の闇の中で一時対峙する関係ではそんな表情を見ることはなかった。まして、KIDは犯罪者だ。どこの誰とも知れない人物に、無邪気に笑える訳がない。 探偵の顔しか知らなかったけれど、彼だって自分と同じ普通の高校生なのだ。 快斗は苦笑せざるを得ない。そんなことさえ、わかっていないのだ。頭で理解しているのと目で見るのとでは全く違う。 (けれど、たとえ気付いたとしても意味なんてない。自分と彼の距離が縮まることなんてないのだから。あんな笑顔を向けられることなど決してないのだから………) 快斗は考えても仕方のないことに気づき、ベットから起きあがると部屋の中央にある父親のパネルを押す。かちりと開いた秘密の扉。その扉の向こうには父の遺産と己の信念がある。 (俺はKIDだ………) そう自分に囁きながら快斗は扉の中へ滑り込んだ。 |