12月始めのことだ。 快斗の父親である黒羽盗一のマジックショーに二人は行くことになった。 東都で大がかりなショーを行うから、是非いらっしゃいと招待されたのだ。招待状が届いた時、思わず目を見張ってしまった。 会ったことはあるが、それほど親しく会話をしたことがないのである。世界的に有名なマジシャンであると聞いてはいるが、それがどれほどのものなのかも知らない。 新一が知っていることは、快斗が尊敬し目指している、いつか越えたいと思っているマジシャンであるということだ。 マジシャンとしてではなく父親としても尊敬を抱いていると話を聞いているだけでわかる。 折角チケット送ってくれたんだから、用事がなければ行こうと快斗に誘われて新一はマジックショー出かけることになった。 その時、事件が起こりませんようにと祈ってしまった。 快斗の影響でマジックには興味が沸いた。 素晴らしいマジックなら見たい。楽しみでならない。心臓がどきどきする。 以前、一度会った時。 それは、新居に引っ越した日だ。新一は快斗の父親である黒羽盗一に初めて会った。 穏やかそうな、フェミニスト。でも、どこか子供みたいに茶目っ気がある。悪戯気質がないと、マジシャンは向いていないかもしれない。誰かを楽しませたい。驚かせたい。笑顔にしたい。そんな気持ちがないとできない仕事だ。 快斗とどこか似ている人だった。 親子だから当然なのだけれど、それでも血の繋がりを確かに感じる。 初めましてと挨拶して、にこやかに笑われ「君が新一君?あえて嬉しいよ。快斗をよろしく」と言われた。 こちらこそ、としか返せなかった。 爺達の陰謀のため、孫が迷惑を被ることになった途中経過として、盗一もいたのだ。盗一と、優作は男同士だという理由で次世代へと持ち越しになった。全く同条件で、自分達は結婚しろという脅迫にあった。そんな子供達をどんな目で見ているのだろうと新一は思った。 爺達の命令であるから逆らえないだろうが、本当は嫌ではなのだろうかと会うまで心配していた。自分の父親のように、面白半分で笑う人間ばかりではないはずだ。 快斗にはかわいい嫁をもらって欲しいと間違いなく思っていたはずだ。それなのに、結婚相手は自分だ。最悪だっただろう。自分だってその話を聞いた時は耳を疑った。 なんだそれは、と。正気かと思った。 「いろいろ大変だろうけど、何か手伝えることがあったら遠慮なく言って。協力は惜しまないから。快斗、あれで気難しい所があるから。人当たりはいいから皆騙されるけど、本心はかなり我が儘だよ。どうでもいいことは、本当にどうでもいいんだから」 「え?そんな。こっちこそ。快斗に迷惑いっぱいかけるかもしれないし」 新一は戸惑う。親から我が儘、気難しい、どうでもいいことはどうでもいい、などと言われると新一は否定の根拠を持たない。どんなにいいヤツだとわかっていても、最近知り合ったばかりだからだ。親の年月には負ける。 「全然見えないけど、あれで実は冷酷だしね。決めれば、同情なんてしないし。自分と、大切な人と、そうでない人の境界線が明確なんだよ。だから、新一君。快斗をよろしく」 そういって盗一は頭を下げた。 新一はやめて下さいと慌てて止めて、 「自分の方こそ探偵なんてしていて、人間としての大事なものを落としている時があるから。だから、俺の方が難しい」 と切々と訴えた。それを見て盗一は安心したように、相好を崩した。 そのやり取りを快斗は知らない。あれ以来、黒羽盗一は新一に強力な印象を残したのだ。 また。その日、快斗も初めて新一の両親である優作と有希子に会った。そして同様の会話をした。心配する親の気持ちは誰でも一緒だ。新一をよろしくと言われた快斗がこちらこそと返したのは、当然といえば当然だった。 まったく、育てた両親よりも爺に会った回数の方が多いのが何ともいえない。 二人はとてもいい席で並んで、マジックショーを見ることになった。会場は人でいっぱいだ。12月になると、こういう催しが増えてくる。年末、クリスマスを控えて盛り上がる季節なのだ。 時間が夜だから、大人ばかりだ。昼の部は子供もいたのだろうが。 新一は、パンフレットを広げ、快斗と話しながら開演を待った。快斗も父親のマジックを見るからか、どこかいつもと違うような気がする。身内であり、先輩でもあるマジシャンだ。思うことは複雑なのかもしれない。 幕が上がった。 そこには、見たことのある人物が黒いタキシード姿で立っていた。会場からは拍手が贈られる。優雅に一礼してからマジシャンは、ステッキを取り出す。 黒いステッキを振ると、先から花が出る。初歩的なマジックだ。だが、マジシャンが数度振り床をとんと叩くと、なんとステッキは紺色の傘になった。その傘を広げてくるくる回しながらさすマジシャンは、どこか楽しそうに笑う。 その傘の上にボールを投げて、傘を回してボールも一緒に回す。宴会芸だ。会場から笑いが漏れる。しばらく回してからもう一つ、二つボールを増やす。全部で色違いの三つを回して、傘でひょいと勢いを付けてボールを片手で次々に受け取める。 傘を閉じる。ボールを床に落として傘の先でどんと叩く。するとボールは消えた。マジシャンが傘を広げると、なんと丸い円の模様の柄に変化している。さっきの、ボールの色だ。ボールは柄になったようだ。 マジシャンは傘をまたくるくるまわして、やがて閉じた。傘は横に置いてある可動式の台の縁にかける。 ついで、マジシャンはポケットから箱を取り出しそこから流れるようにカードを出すとちょいと向きを変えて反対側の手に落とす。収まった手から手へとまるで生きているかのように、自在にカードが動く。それだけで、目を奪われる。 舞台から一番前の客席の女性に手を伸ばし、いらっしゃいと声をかける。女性は、照れながら舞台へと上がる。 マジシャンはシャッフルしたカードを扇形に広げて、そこから一枚選んでもらう。女性が抜き出しカードを女性と客席へと見せて、絵柄と数字を覚えてもらう。カードはハートのエースだ。 そのカードを伏せ台の上に置いて、指を一本立てて、そのカードの上にそっと乗せる。軽く指を弾く。そしてそのカードを指先で摘んで掲げてみせる。 違う。スペードのエースに変わっている。そのカードは表面を見せたまま、扇形に広げておいたカードを表側にして女性に見てもらいながら探す。 当然、スペードのエースはない。だが、ハートのエースもなかった。 どこにいってしまったのか。 マジシャンが、両手をあわせ中を膨らまして息を吹きかけ、女性の手の平へそっとを移動させてやがて手を広げる。女性の手の平にカードが現れた。ひっくり返すと、ハートのエースだった。 女性を優雅にエスコートして客席へと戻し、次のマジックへと移る。 再び、可動式の台からガラス瓶を取り出す。透明で中にはなにも入っていない。それを台の上へ客席に見えるように置き、これまた透明なピッチャーを取り出し、中に入っている水を瓶に注ぐ。口いっぱいまで注がれた瓶の中に、小さなビー玉を落とした。 青、赤、黄色。 沈んだビー玉は、反射して、きれいだ。 その瓶の上にスカーフを乗せる。うっすらと中が見えるか見えないかくらいの、大きさのスカーフ。 マジシャンは、自分の胸ポケットを叩き、そこから貝殻を出した。 なぜ、貝殻。 その観客の疑問を流して、マジシャンはそれを耳に当てる。そして、目を閉じた。海の音が聞こえるのだろうか。そして、再びもう一つの貝殻を取り出すと同じように両耳に当てる。満足したように貝殻を耳から離し台の上に置いて、その貝殻に指を押し当て、懐かしいメロディを歌う。海の歌だ。 その貝殻を一度こつんとテーブルに叩くと、ビー玉が現れた。 一つの貝殻から青色。もう一つの貝殻から赤、黄色。先ほど見た色合いだ。 マジシャンは、ビー玉をしげしげと見つめつつ、瓶からスカーフをさっと取り去る。すると瓶の中から色鮮やかなビー玉が消えていた。しかし、そこには。何か丸いものがある。今度は瓶からピッチャーに水を注ぎ入れる。すると、ころんと出てきたのは真珠だった。 真珠色に輝く宝石。 マジシャンはそれを指で摘んで持ち上げ、客席へと見せる。そして、本物である事を証明するかのように、真珠をこつこつと台で叩く。堅い。 マジシャンがスカーフをその真珠の上に乗せて、指を弾く。スカーフを引っ張ると、今度は、真珠が消え白い鳩が一羽現れた。 あれ?真珠はどこに?不思議に思うと。 鳩が真珠を咥えている。鳩をマジシャンは指の先に乗せて、指の腹で頭を撫でてやってから頭上に飛ばした。会場を羽ばたいて飛んでいく鳩。やがてその鳩は一人の女性の前まで来て真珠をぽとりと手に落とすと、再び飛び上がりマジシャンの元まで戻ってきた。 会場から割れんばかりの拍手が起こる。 新一も拍手をした。夢中で拍手を贈った。 派手ではないが、なんて綺麗で夢があるのだろうか。どれも、気負って見る必要がない。笑ったり、あれっと不思議に思ったり、驚いたり。楽しくて堪らない。 次から次へとマジックを披露するマジシャンに皆が酔いしれた。 新一は感動した。素晴らしいマジックの数々だった。こんなマジックは見たことがない。 あれほどのものなら、また見に来たいと皆が思うのは当然だといえよう。 そして、人気があることを実感した。チケットが取れないと有名なのだと園子から聞いていた、その理由がわかった。 園子はやたらに世情に詳しい。新一が知らないような事でも妙に何でも知っている。さすが、鈴木財閥の次女と言えばいいのか、高校生社長と言えばいいのか。きっと、どちらもだろう。素地があった上、今は磨いている最中なのだから。社長業をしていたら、周りの流行などに敏感にならざるを得ない。 その園子が、日本でも有名だけれど世界でも人気なのよと言っていた。快斗がニューヨークは行ったことはないが、ロスなら言ったことがあると言っていた通り世界を相手にしている父親に付いていったのだ。 「すごいな、快斗……」 新一は快斗にこの感動を是非伝えたいと思った。帰り道、コートを着込んで街を歩きながら口を開く。 「ああ。俺の目標だからさ」 当然だと快斗は胸を張る。 「うん、すごくびっくりした。驚いた。本当に、持ってる雰囲気が柔らかで上品だし、手先が優雅に動いてどこにタネがあるかなんて全くわからないし。それで、そんなこと気にならないんだ。不思議だけど、その不思議をいつの間にか楽しんでいて、タネなんて探そうと思わなくなるんだ。ああいうのが一流なんだよな、プロなんだよな。すごいなー」 にっこりと極上の笑みを見せて新一は誉めちぎった。 「特に、あの水の中から生まれた真珠がよかった。貝殻から海の香りさえ漂ってきそうだったし」 「……」 「快斗はあの父親を、毎日見ていたんだろ?だったら、快斗がマジシャンになりたいって思うのは当然だな」 「そうか?」 「うん!」 大きく新一は頷いた。 快斗は黙った。 新一が手放しに父親を誉める。それはとても嬉しいことだ。自慢の父親なのだ。自分が目標にしているくらい素晴らしい。まだまだ自分では太刀打ちできないくらい実力差がある。それに追いつき、追い越すために日夜努力している。 マジックが好きだから。だから、続けられることだ。 見てくれる人が笑ってくれて、感動してくれる。そんな夢みたいなものを自分の手で作れたらいいと思っている。 今では自分の第一の観客は新一だ。 その新一が、父親をこれこそ理想と言わんばかりに誉めるのは、気分が良くない。これは、多分我が儘であり嫉妬だ。 自分のマジックを好きだと言ってくれて、披露する度笑ってくれてもっと見たいと強請ってくれる新一の一番のマジシャンであるという位置に父親が座ってしまったのが悔しい。 だが、それを表に出す事は、さすがにできなかった。 男してのプライドが邪魔をする。 心の底では、自分だけを見て欲しいと思っていても。新一の唯一で最高のマジシャンは自分でありたいのだ。 快斗は暗く、そう思う。 新一に決して知られたくない。 だが、新一は快斗の予想の軽く上をいった。 「でも、快斗のマジックが一番好きだ。大好きだよ」 にこっといつも快斗に見せる綺麗な笑顔で、そんな嬉しいことを言う。 「……え?」 快斗は間抜けにも問い返し目を瞬いた。 「俺にとっては、快斗のマジックが見られることが一番幸せ。盗一さんが素晴らしいマジシャンだってわかる。プロとして一級品だ。俺はマジックは門外漢だからどれが難度が高いかなんてわからない。どうやって区別していいかもわからない。でも、俺は快斗のマジックを見ている時が一番好き。目の前の不思議が、俺だけのためみたいに思えるのは、贅沢だよな。だから快斗が練習しているのも好き。なんか楽屋裏にいるみたい。それに、手の中でトランプが生き物みたいに動くだけで、感動するからさ」 「……」 そんな透明感のある澄んだ綺麗な笑顔で、そんな事を言ってもらったら、困る。 俺のマジックはまだまだ及ばないのだから。父親を筆頭に世界には素晴らしいマジシャンが多く存在する。それを見ていないからそんな事を言ってくれるんだと思う反面、新一ならそれでも快斗が一番だと言ってくれるような気もする。 ああ、身内に甘いんだから。 贔屓目が過ぎる。 それとも、毎日見せているから刷り込みみたいなものだろうか。 なんにせよ、嬉しい。とても、嬉しい。さっきまでの斜めに傾いた気持ちが浮上する。 あまりに的確で、自分の中の醜い気持ちが新一に一瞬ばれたのかと思った。でも、新一はそんな事気づいてもいない顔で快斗に笑う。 「ありがとう、新一」 感謝の気持ちが伝わればいい。自分をこんなにも喜ばせる新一に、少しでも返せたらいい。 「こっちこそ、いつもマジック見せてもらっているし。ありがとう、快斗」 俺は果報者だよ、と新一は目を細めて満面の笑みを浮かべた。 俺の方が果報者だよ、と快斗は思った。自分は恵まれている。隣に一番のファンがいてくれるのだ。がんばれないはずがない。 「ううん、俺の方が嬉しい。毎日見てくれるのは励みになるから。これからも、よろしくな」 「うん!」 新一は即答した。 「寒いから、急いで帰ろうか。そして、暖かいものでも飲もう」 街はすでに、クリスマス一色に彩られている。赤と緑のクリスマスカラーだ。 町中にはすでに大きなツリーが飾られていて、イルミネーションがきらきらと瞬いて美しい。 デパートのディスプレイには、羽や雪の中にラッピングされたプレゼントが並んでいる。 吐く息が白い。冬が来ているのだ。 「そうだな。寒いな。早く我が家に帰ろう」 新一も快斗の誘いに乗って、手を差し出した。その手を取って、快斗は頷く。 「早く、我が家に帰ろう」 なんて、素敵な言葉だろう。そう思いながら。 |