「星に願いを 4章 7」






 その要望とうか、命令というか脅迫の知らせが届いたのは、秋も深まってきた頃だった。
 
『儂の誕生日を祝ってくれるだろう?もちろん』
 
 祝ってくれるか、ではなく。祝ってくれるだろう。当然の事のようないいざまだ。普通だったら、何様のつもりだ?と言われるだろうが、残念ながら御大様だ。
 祖父、黒羽重三郎からそんな電話が掛かってきた。なんとなく、いつかはそんな要望という名の脅迫が来るのではないかと思っていたが、本当に来るとは……。嬉しくもなんともない。
 快斗は電話口で、相手に見えないため息を付く。
 
『そうだな、儂はモーツァルトと和食が好きだ。秋の味覚なんていいな』

 何だそれは。
 思わず力が入ってしまった携帯電話が壊れるのではないかと心配になった。
 つまり、演奏しろと?モーツァルトを。
 ご飯を作れと?和食を、秋の素材で。
 誕生日を祝えと、この家に押し掛けるんだな、あんな年齢になって。取り巻き達というか、爺の権力にすがろうとする欲望にまみれた人間達に盛大かつ豪勢に祝ってもらえるだろうに。
 なぜ、孫の家まで来てたかろうとする。
 快斗は散々な文句が口の端まで出かかったが、懸命に押さえた。言っても聞いてなんてもらえないからだ。そうでなくて、どうして男の孫同士を結婚させようなどと思うか。
 馬耳東風なんて表現可愛すぎる。あの、狸爺は。
 
『カズちゃんと一緒に行くから。二人分だ』
 
 やはり。当たって欲しくなかった予想通り過ぎて、笑いたくなるほどだ。それも苦笑だ。
 この爺達は二人とも、まさか誕生日になるとたかりに来るつもりだろうか。
 年に二度も俺たちに奉仕させるつもりか?ああ?
 柄が悪く、やさぐれたい。
 これから、ずっと爺達に振り回されるのかと思うと。先行き暗い。
 
『じゃあ、な。快斗。新一君にもよろしく』
 
 そう言って電話が切れた。
 ああ。快斗は肩から大きな息を吐いた。
 疲れるというか、腹立たしい。
 あれと血が繋がっているかと思うと、嫌で堪らない。
 これを新一に伝えなければならないのだ。まるで、不幸の手紙だな。
 
 
 


「新一」
 夕食が済んで、お茶を飲んでまったりとくつろいでいる時。快斗は言い難そうに、困ったように新一を呼んだ。これから切り出す内容は歓迎したくない、嫌な報告だ。
「快斗?」
 快斗の浮かない表情を感じ取って新一は心配そうに首を傾げる。手には湯飲みを持ったまま。
「どうかしたのか?何かあった?」
「ああ。……爺から電話があってさ」
 その告白は、新一を緊張させた。
 爺たちからの電話。それは、自分達にとってありがたくないことばかりだと経験で知っていた。
「誕生日を祝えって。モーツァルトと和食が好きだそうだ」
「はあ?えっと、祝って欲しいのか?で、つまり。モーツァルトを演奏しろということ?ご飯は和食を作れって?」
 さすがに、新一も唖然とした。段々と理解していくにつれて、形のよい眉がつり上がる。
「そうなるな」
 身内の我が儘に、すまなそうな顔をして快斗は項垂れる。が、そういえばと付け加えた。
「一成さんも一緒に来るらしいよ」
 新一は目を見開く。
「ジジイも?なにを考えているんだ。……待てよ、ジジイの誕生日は春なんだけど、その時も来るつもりか?二人で……」
 誕生日を祝えとやってくる爺達。片方を祝ってもう片方を祝わなくていいとは言わないだろう、決して。
「そうじゃない?二人とも仲がいいし」
「信じられない!孫に迷惑ばっかりかけやがって。ジジイのくせに。もういい年して、弾けすぎだ。家でじっとしていればいいのに」
 身内である祖父に関しては新一も殊の外口が悪くなる。快斗もその気持ちはよくわかった。自分も全く同じだったからだ。
「それをじっとしていなのが、爺だよなー」
「まったくだ。行動力ありすぎだ。年寄りなのに」
 口惜しそうに、新一は呟く。
 見かけも若々しい爺達は、傍若無人に生きている。
「……でも、拒否権がないからな」
「……意地でも、リクエスト通りにしろって?畜生」
 自分達には、拒否権がない。
 大変、悔しいことに。それはれっきとした事実だ。真実だ。
 新一は探偵だが、そんな真実いらない、と常々思っている。こういう時は探偵棚上げである。
 二人は一度互いの顔を見合わせ、ため息を落とし仕方なさそうに笑いあった。
 ここで、項垂れていても解決方法はない。あの爺達に精神的に振り回されたら、負けだ。いつまでも勝てはしない。
 気を取り直して、相談することにした。
 
「モーツァルトか。快斗、何で演奏する?」
 二階には楽器がそろっている。ピアノにヴァイオリン。トランペットにチェロ。演奏しろと言わんばかりの品揃えだ。
「そうだな。ピアノで演奏しておけばいいか。トランペットではちょっとな。……最近弾いていないから練習しないと。新一は?」
「俺もやるんだよな、やっぱり。……じゃあ、ヴァイオリンにしておく。俺も練習しないと」
 曲はこれから決めるしかない。モーツァルトで。
 しばらく二人で練習しなくてはならないだろう。
「ご飯は?和食っていってもさ」
 いろいろあるだろうと、新一が首を傾げた。
「何でもいいんじゃない?和食なら文句ないだろうさ」
 快斗が、ふんと吐き捨てた。気分を変えても、少しだけ腹立たしいのだ。
「誕生日だけど、ケーキっているのかな」
「……ケーキ?いるかー?食べるか?」
 新一の提案に、快斗が腕を組んでうーんと首をひねる。
 食べないことはないが、和菓子の方が絶対に好きだろう。あの黒羽重三郎は。和が大好きなのだ。
「どっちかっていうと、ケーキよりアンコの方が好きだよ、爺さん」
 饅頭やドラ焼き、羊羹、みたらし団子。羽二重餅、栗きんとん。白玉あんみつ。抹茶のカステラ。上げたら切りがない。
「ふーん。じゃあ、和菓子で考えようか。それでメニューはどうする?」
「秋の味覚がいいって言ってたから、栗ご飯とかかな。それとも、きのこご飯?」
「肉より魚がいいのかな。秋なら、鮭?秋刀魚?秋刀魚は快斗がだめだな。ごめん。鮭ならムニエルにでもする?この間作ったきのこのクリームソース掛けとか美味しいと思うけど」
「あれか。いいかもな。魚はそれでいいとして。肉系もやっぱりいると思う。何がいいか。こってりとしない方がいいのかな。一応老人だし。何でも食いそうだけど」
「ジジイも、好き嫌いない。和洋中なんでも食べる。かなりグルメだ。高くなくても自分の舌にあったものが一番。だから、近所の小さな和菓子屋の栗羊羹と酒饅頭が和菓子で一番好きだ。その反面、杏仁豆腐は三ツ星ホテルの高級店のが最高とか言うような人だ」
 気むずかしいのだ、好みが。高級だからという理由で貢がれたモノでは、いい顔はしない。柔和そうな顔の裏で、下らないと思う人間だ。
 新一はそれをよく知っていた。
「……なかなか難しい人だね。でも、爺もそうだよ。ついでに気まぐれだ。それにつき合わされる方の身になって欲しい」
 過去を思い出したのか快斗はどこか遠くに意識を飛ばした。よほどの事があったのだろう。深く追求をしてはいけない。
「なあ、快斗。肉料理は、牛?豚?鶏?どれがいいんだろう」
 そこを選ばないと、決められない。
「牛なんて食べ飽きているかもしれないから、この際鶏でいいんじゃなかな。庶民の味で。高級料理が食べたくて、ここには来ないと思うし」
「それはそうだろうな」
 うんと新一も頷く。そんな豪勢なものが食べたかったら高級レストランに行けばいいのだ。お抱えの料理人だって一流人であることだし。
「鶏肉で、美味しいものね。和食?トマトで煮込んだもの美味しいけど、和じゃないな。しょうゆベースがいいのか。うーん。考えよう」
「和の鶏料理ね。唐揚げじゃ駄目なんだもんな。きっと」
 ほとんど日本の料理だと思うけど、と新一は苦笑した。それに快斗も笑い返す。
「あとは、茶碗蒸し。爺が大好きだ」
「ジジイも、かなり好きだよ。茶碗蒸し。それから白和えも」
「白和え?お浸しとかよりも、そっちの方がいいのかな」
 ほうれん草のお浸し。小松菜の胡麻和え。白和えなら、どの青菜がいいだろう。
「牛蒡のきんぴらとかもいいかもな。里芋の煮物とか。和食って感じがする」
「これぞ庶民だよな。家庭の味。そういうのでいいな」
「そうそう。なら、デザートはおはぎで」
「いかにもだな。ケーキじゃなくて、おはぎ!賛成」
 こうして、献立は大まかに決まった。
 
 
 
 

 いよいよ、午後から爺達がやって来る。
 快斗と新一は朝から準備に追われていた。いつも掃除はしているので、簡単に掃除機をかけてテーブルなどを拭くだけにとどめた。
 それからは、料理だ。
 ある程度下拵えが昨日してあるので、今日でないとならないものだ。野菜を切ったり、出汁を取ったり、下味を付けておいたり。やることはたくさんある。
 そして、大まかに料理の準備をすると、二人はおはぎ作りに入った。
「粒餡って作れるんだよなー」
 新一がしみじみと感じ入る。
「ちょっと手間だけど、時間をかければ簡単だよ」
「うん。簡単な作り方説明してもらったから、わかるけど。こういうのって、美味しく作るのが大変なんだろ?上質な餡って、違うもん」
 快斗にいろいろ習ってきた新一だが、粒餡は初めてだった。洋風なものを先に習っているせいだろう。そちらの方が素人にも簡単だ。
 快斗が小さく笑いながら、説明を交えて手を動かす。
「まず、小豆をさっと洗って鍋一杯の水と一緒に強火にかけて、沸騰したらアクを取りながら7分くらい茹でて、ざるにあげて水気を切る」
「うん」
「こまめにアクを取ること。……こうやって」
 新一も快斗をまねて、アクを取る。そして、言われるがまま、ざるにあげる。熱湯がシンクに落ちて、湯気がふわんと浮き上がる。快斗はそれを黙って見守り、そのざるを取って鍋にざっと入れる。
「で、この小豆を4から5倍くらいの水と一緒に強火にかけて、沸騰したら中火にして一時間くらい煮る。途中、水がなくならないように、差し水をしながら」
 新一はこくんと頷き、時々差し水をする。
 小豆を煮ている一時間に、餅作りだ。料理の準備の前に餅米を洗い水に2時間くらい付けておいたのだ。そして炊飯器で炊きあがったものを蒸らし、餅米を好みの粗さに潰す作業をする。
 そして、きなこ作りをする。
 さすがにきなこは作れないので、国産大豆を使ったきなこを選んだ。そして、砂糖を加える。その砂糖だが、総合スーパーで探した甘みがまろやかなこだわりの砂糖だ。これは、餡にも使う。
 一定量のきなこに砂糖を注ぎ入れ、程度に混ぜ合わせる。
 小豆を煮て一時間が経過して。
「それで、指で簡単に潰せるくらいになったら砂糖とひとつまみの塩を加えて、弱火にして木ベラでかき混ぜる。煮詰まってくると焦げ付きやすいから、こまめにかき混ぜる。煮詰まったら火をとめて、冷ます」
 煮詰まった小豆を見て取って、快斗が次の作業を説明しながら手を動かす。こまめに手を動かして、やがて火を止めた。
 
 冷めたら、おはぎを丸めて周りに粒餡ときなこを付ける。半々くらいに仕上げて完成だ。
 
「おはぎ、完成!」
「美味しそう。ちょっと味見な」
「うん」
 キッチンで二人は味見をする。文句ないできだ。
 
「準備は、終わったな。一息といきたいとこだけど、もう一回練習しておく?」
 ピアノとヴァイオリンの練習は時間を取って行っていたのだが、なにぶん久しぶりなのだ。プロでもない。どんな曲でも弾きこなせる訳ではない。自分たちが弾ける曲。そこから、リクエストのモーツアルトを選ばなければならない。そして、練習だ。
 あまり時間がなかったせいで、少々自信がない。
 完璧を求めている訳ではないのだろうが、爺達に弱みを見せるのも気が引けた。
 二人は時間のある時に、それぞれ練習していた。
 ピアノはあの部屋でしか練習できないが、ヴァイオリンならどこでもできる。新一は快斗が練習している時はじゃまにならないように別室で練習に励んだ。
 とはいっても、同時に練習している時もあった。この曲にしようと思うんだけど、どう思う?と相談しながら。
「そうだなー。練習しておくべきか」
 時間あるし、と新一も同意した。
 二階へと上がり、防音設備の整った部屋で何度か曲を弾く。
 そして、階下へと戻ってきて、またキッチンへと入り簡単な昼食を作り食べる。今日は余裕がないので、作っておいたサンドウィッチだ。昨日作ったスープだけ暖めて、いつもより早く食べ終える。
 いよいよ時間になると、お茶の準備もしておく。お茶請けは昨日焼いたクッキーだ。食べやすいように薄く焼いて、甘さ控えめで胡麻入りのものを作った。
 
 ピンポーン。
 
 ベルが鳴る。二人の間に緊張が走る。不手際は許されない。嫌みなど言われてなるものか。すでに戦いの気分である。
 兎に角、あの爺達に文句など言われない対応をして、演奏を聴かせ夕飯を食べさせてさっさと追い出す。そうしないと心の平安が訪れない。この平和な生活をこれ以上乱されたくない。只でさえ、穏和とは言い難いのに。いろいろ、本当にいろいろあって、本人たちの努力と心意気で、楽しく心穏やかに暮らしているが、傍目から見れば波瀾万丈なのだ。
 
「よし」
「うん」
 頷きあって、玄関へと出迎える。門は開けてあるから、爺達はそのまま玄関まで来るだろう。運転手に送ってもらって、門扉の前で降ろされたはずだ。
「「いらっしゃい」」 
 玄関のドアも開けて爺達が現れた。相変わらず元気である。黒羽重三郎はいつもの着物姿で羽織を上に着ている。工藤一成は、洋装がよく似合いロマンスグレーっぷりは健在だ。
「おお、元気そうだな。快斗も、新一君も。新一君は美しさに磨きがかかておるようじゃな」
「まあ、確かに元気そうだ。ああ、時々は実家に顔を出しにおいで、新一。快斗君も男っぷりが上がっているようだね。うん、素晴らしい」
 その、誉め言葉なのか誉め殺しなのかよくわからない先制攻撃に、二人はぐっと喉が詰まった。ありがとうというべきなのか?それとも、そんなことはありませんと謙遜すればいいのか?
「お爺さんも、元気そうですね。いいお年ですのに。羨ましい限りですよ」
「ジイさん。この間も実家で会っただろ?忘れたのか?……耄碌か?」
 快斗も新一もめいっぱい切り返す。孫に睨まれて、爺達はにっと笑った。孫達の反撃も可愛いものなのだろう。彼らにしてみれば、猫が爪でひっかいているに過ぎない。
「ほら、入って」
 こんなところで一戦交えても意味がないため、快斗は中へと促した。新一も頷いて、先に歩いてキッチンへと入る。そして、お茶をいれはじめた。
 快斗は、爺達を椅子に座るように即して自分もキッチンへと来る。そしてお茶請けをもってテーブルにおく。お茶がはいるとそれを運ぶ。二人の協力で、手際がいい。
「「どうぞ」」
「ああ」
「いただきます」
 彼らの向かいに快斗と新一は腰を下ろしお茶を飲む爺達を見つめる。
 旨いな、と満足そうに微笑を浮かべる重三郎に快斗は小さく安堵の笑みを漏らす。
「美味しいね。新一も作っているのかね?腕が上がったようだよ。うん、本当に。今度作って持っておいで」
 一成の誉め方は、とんと困る。誉めて終わっておいて欲しい。そんな風に催促しないでくれ、と新一は心中で思ったが、我慢した。
「快斗に教えてもらっているから、俺も上達しているんだ。ジイさん、このクッキーより、チョコレートケーキの方が好きじゃん。適当なこと言うなって」
 胡麻入りクッキーより一成はチョコレート味の方が好きだ。それは昔から筋金入りで、新一は知っていた。
「なんだね、新一。それならチョコレートケーキ作れるようになったのかね?それなら、是非、披露して欲しいね」
「そこまでは、俺も無理だって。快斗と一緒になら作れるけど、一人じゃ、まずいぞ。これ以上、贅沢いうな」
 ふんと新一はそっぽを向く。
「仕方ないね、それならチョコチップが入ったクッキーで我慢するよ。よろしくね」
「全然俺の話を聞いてねえだろ?」
「聞いているよ。だから妥協しているだろ?うん?」
「どこがだ!」
「わからないのかい?困ったね」
「どこが困っってる、その顔で!」
「見てわかるだろう?ほら、これだよ、これ」
「ふざけるなっ」
 孫と祖父の絶妙なやりとりは、他の孫と祖父の関係からすればとても微笑ましい。新一が喧嘩腰でも、所詮本当に嫌っていたら話など弾まないのだから。心の奥底で許しあっている。だから、いいたいことが言えるのだ。
 それが決して羨ましい訳ではない快斗は、この二人はこれでいいのだろうと思った。
 お茶のお代わりをいれ、主に新一と一成のやり取りが中心となり話が続いて、しばらく経った頃。
「そうだな。お茶も頂いたし、モーツァルトでも聞きたいな」
「ああ、いいね。モーツァツト。私は、バッハやベートーベンも好きだけど」
 不吉なことを聞いた気がした新一と快斗は、ひとまず一成の言葉は無視をした。そして、演奏をするために、爺達を連れて二階へ上がる。
 別名音楽室である部屋には、椅子が用意してある。さすがに爺達を立たせておくのも忍びなくて。
 快斗はピアノの前に座って、ピアノのふたを開け楽譜を譜面置き場に広げる。そして、鍵盤に指を置き、
「俺はピアノで。最初は、歌曲『別れの曲』。ピアノアレンジになっているヤツ。その次は、代表曲である『ピアノソナタ8番イ短調』」
 そう告げて、快斗はピアノを弾き始めた。
 別れの曲はモーツァルトにしては珍しい短調だ。他の歌曲とは違う雰囲気がある。もの悲しいメロディなのだ。
 ピアノソナタ8番イ短調は、とても有名だ。きっと誰でもどこかで聞いたことがあるだろう。
 快斗はそれらの曲を豊かな音で弾き切った。
 黙って聞いている爺達も、どこか嬉しそうだ。ひねくれていても、そこら辺は素直なのだ。美しいものは、美しいと。素晴らしいものは素晴らしいと誉めたたえる心を持ってる。
「お粗末でした」
 快斗は最後の一音が空気に消えると、小さく頭を下げた。
 拍手が起こった。重三郎も一成もにこやかに拍手をしている。気に入ったようだ。新一も一緒に小さくだが拍手を贈った。
 そして、次は自分の番だというように、ヴァイオリンを構える。右手には弓を持って。
「俺はヴァイオリンで演奏するよ。曲は、『ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調。第2楽章』。それから、『魔笛 夜の女王のアリア』。どっちもかなりアレンジが入っているから」
 そして、弦に弓を滑らせヴァオリンの滑らかな音を奏で始めた。
 ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調。第2楽章は優雅な曲だ。そして、魔笛 夜の女王のアリアは、とても有名でCMなどにも使われるため、きっと聞き覚えがあるだろ。
 新一は一心に弾いた。ヴァイオリンは人間の声に一番近いと言われる。だから、自分が歌うように弾くようにしている。
 新一がすべてを弾き終えると、また拍手が起こった。
 爺達と快斗が拍手をしている。新一はヴァイオリンを持ったまま一礼して、微笑した。
 
「ありがとう。素晴らしかった」
 重三郎にしては、本当に正直な感想だ。心からお礼を言っているとわかる。快斗も少し驚いた目でそんな祖父を見た。
「よかったね。とても心に伝わる演奏だった。新一のヴァイオリンも久々に聞いたけど、時々は弾くべきだと思うよ」
「それはどうも。……時々はな」
 一成の言葉に、新一も素直に頷いた。本心から言われた言葉には本心で返すしかないのだ。
「さてと。以上で演奏は、終わり。下に戻ってよ。しばらくしたら、ご飯を始めるから」
「もうか?ずいぶん早いな」
「一度に出す訳じゃないからね。料亭とは違うけど、暖かいものは暖かいうちに食べたいだろう?だからだよ。食べ始めたら、時間なんて関係ないって」
「そうか。では、楽しみにしよう。行くか、カズちゃん」
「そうだな。サブちゃん」
 爺達は、どこか楽しそうな企んだような顔で承諾した。そして立ち上がり、階下へと向かう。快斗はピアノのふたを閉めて、すぐに後を追う。新一はヴァイオリンをケースに納め保管庫に置くため少々時間がかかった。全部終えてから並べておいた椅子を壁側に置き、ドアを締めて、自分も料理の用意をするため急いで階段を下りた。








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