「星に願いを 2章 3」






「ただいまー、と」
 新一は玄関からすぐにリビングへと入る。リビングからダイニングキッチンまで一目で見渡せるため、まだ快斗が帰っていないことがわかる。大概先に帰宅した方がお茶をいれて待っているのだ。着替えるために自室に行っている場合でも、気配で帰宅しているかどうかわかる。
 新一は自分の方が先だなと気付くと鞄をソファに置いてキッチンへ行くとケトルに水を注ぎ火にかける。湯が沸く間に着替えてこようと思いながら再び鞄を持って二階の自室へと向かった。
 手早くシャツにジーンズに着替えて階下に降りて来ると珈琲を入れる準備をする。
 ドリッパーにペーパーフィルターを敷き、挽いた珈琲豆を入れて均一にする。それをサーバーの上に乗せ、カップ暖める。湯が沸いたらホーローのポットに注ぎドリッパーに円を描くように注ぐ。少しだけ置いて二度ドリップして完成だ。
 いい香りが鼻をくすぐる。
 そのうち快斗も帰ってくるだろう。新一はサーバーから自分のマグカップに注いでテーブルに置くと椅子に座り昨日から読み始めた本を開く。
 ミステリの新刊が出ていて読み始めたのだが、これがなかなか嬉しいことに長編で読み終わらなかったのだ。さすがに一人で徹夜は避けた。以前なら多少くらいの無理どってことはなかったのだが、今は寝食を共にしている人間がいる。共にご飯を作り食べて同じベッドで眠るのだ。無茶はできない。
「ただいま」
「お帰り」
 しばらく経つと快斗が帰ってきた。声をかけてリビングに入ってきた快斗に新一は笑って返し、珈琲入ってるぞと告げた。
「サンキュー、もらう」
 快斗は鞄をソファにひょいと下ろし、真っ直ぐキッチンへと向かうとサーバーから自分用のマグカップに珈琲を注ぐと冷蔵庫から牛乳パックを取り出しマグに注き砂糖を入れる。自分好みのマグを手に持ち新一が座る前の椅子に腰を下ろし一口すすり、ほっと息を吐いた。
「あー美味しい」
「それはなにより」
 新一は楽しそうに目を細めて快斗のゆるんだ顔を見た。
 この家に帰ってきてほっと安心する姿を見かけると、なんだかこっちも照れくさいような暖かいような気持ちになる。そして、自分がいれた珈琲を美味しいと言いリラックスしている様を見ると嬉しい。
 料理の腕では快斗に敵わないから、このくらいしか自慢できないけれど。
「そういえば、今日はいつもよりひょっとして早かった?これでも俺の方が先だと思って帰ってきたんだけど」
「ああ。SHRが早くて。ちょうど担任の授業が最後の時間だったから、一緒にやったせいだ。掃除もないし。多分最速だ」
 今日は授業がみっちりとあって、帰宅できる最速だったのではないかと新一は思う。
「やっぱそうだな。俺もすっごく早く終わって、絶対新一は帰ってないって思ったくらい」
「そうだろうな。だって、俺も快斗が帰って来るのはもう少し遅いと思っていた」
 二人ともこれほど早いなんて、3週間経って初めてではないだろうか。
 ゆっくりできそうだなとのんびりと二人はそれぞれ思った。
 なにせ、怒濤の3週間だったのだ。
 この家に何もかもがそろっているとはいえ、引っ越しは必要だった。細々としたものを荷造りして運び込み、私室で荷ばらしをする。パソコンを繋ぎ、本を並べ小物を置き、通常使う衣服……もちろん制服一式もである……をクローゼットに入れて、ひとます生活できるようにする。
 快斗も同様に必要なものを持って引っ越しをしてきた。同日に引っ越しをしたのだが、快斗の方が荷物が多かった。生活に必要なものだけではなくマジック関係の小物や大物を工房へと運び、鳩や兎などの生き物を小屋に入れるために先に掃除して住み易いように準備した。そして餌をやってと甲斐甲斐しく世話を焼いている姿を休憩にしようと声をかけた時に新一は初めて見て、生き物を飼うのは大変だなと思った。
 工藤邸では生き物は飼っていないため、実際の世話を見ていると感心するばかりだった。
 その後、冷蔵庫に納める食料を買いに出た。この時快斗が率先して動き何を買うか、何が必要かなど的確に意見して無事に購入し、その日は二人で適当にご飯を作って食べた。
 土日を利用して引っ越しを完了して日常生活に突入したのだが、最初は朝食、夕食は交互に作るというアバウトな取り決めをしてスタートした。
 それが、当然ながら上手に機能しなくて眉をひそめたのは新一だ。それ以外にも掃除や洗濯など家事と呼ばれるものは多くの種類があり慣れるのに必死だった。
 互いに、どうしようこうしようと試行錯誤をして1週間を過ごしたら、その日曜日爺共がやってきた。
 新婚さんのお宅訪問だからとほざきながら、お土産だとホールのケーキと高校生に対してワインを寄越した。今更何もいうことはないと二人はありがたく受け取った。
 そして、その後は凄まじかった。
 自分達が用意したというのに、一通り見て回ったのだ。当然というか必然というか、ベッドルームは最初に覗かれた。意気揚々と開けられた扉の先にあるキングサイズのベッドに使われた形跡を見て爺二人は人の悪い笑みを浮かべた。にやっと悪戯そうに目を細め、新婚家庭はこうではなくては!と叫び高らかに笑った。
 それを新一も快斗も苦い笑いを堪えて見ていた。
 それから私室を見て衣装部屋で騒いで……その時の会話は二人にとって思い出したくない記憶ベスト1に輝いている……快斗の工房を見て回り新一の希望が詰まった書斎を見て重三郎が儂も読んでみたいなと漏らしたりと忙しかった。
 ピアノや楽器が置いてある部屋では当然の顔をして、今度演奏を希望すると脅迫した。
 爺共の誕生日に演奏をしろという希望に、二人は口の端がひきつりながら頷いてやった。
 そして車庫では車のうんちくを聞き流し鳩小屋では妙に嬉しげに戯れて、夕食まで食べて帰って行った。
 そのせいでめっきり疲れてスタートした次の週であるが、新一は事件の要請が入りまくった。帰宅できない新一は家事に参加できない。その分快斗が一人で請け負った。買い出し一つ困ることに、やっぱり免許は必要だからすぐに車校へ行くよと快斗は決めてすぐに申し込み現在通っている最中である。
 新一も出来るだけ協力をしたいと思っている気持ちは本物だから、話し合いの末、どうにか改善しようとした結果今がある。
 
「今日はなにを作ろうか」
 夕食の相談を新一はする。現在の取り決めは朝食は交互に作り夕食はできる方がすることになっている。新一ができる時は率先して作るようにしている。できない時が多いからであるのだが、意気込んでいても悲しいかなできないことがある。
「うーん、肉にするか?」
「快斗が決めるのに魚はありえないだろ?」
 新一は揶揄かうように笑った。
「魚なんて使わなくてもレパートリーがあるからいいんだよ」
 すねた口調で快斗は唇を尖らせた。
 新一がそれに対して何か言おうと口を開いた瞬間携帯が鳴った。新一の携帯から流れるメロディはボレロだ。その音で誰からなのかわかって新一は瞬時に顔を改めて電話に出る。
「もしもし?……はい。……ええ。はい、……はい。わかりました。はい。では後ほど」
 新一は携帯電話を切って振り向く。快斗はその視線を受けて笑った。
「警部さんからだろう?行っておいでよ。……遅くなりそう?」
「ごめん。どうだろう、状況を見てみなりとわからないけど、難しそうらしい。だから、俺に連絡があるんだけどな」
 簡単な事件なら新一に連絡はない。つまり、要請があるということはそれだけ難航しているか、どうにも難事件の臭いがする時だ。
「わかった。じゃあ、ご飯は温めても美味しいものにしておくから」
「サンキュ。折角今日は俺が作ろうと思ったのに、ごめん。あと掃除の分担もできないから、明日必ずやる。ごめんな」
 新一は申し訳なさそうに謝った。
「いいって。無理しない程度で構わない。俺、家事趣味だしさ」
「うん」
 そう言ってもらえるから自分はこうして一緒に暮らせるのだろう。新一は自覚があった。
 洗濯や掃除でも一応分担をしているけれど、新一はできない時がある。それでも、無理する必要はないと快斗は言う。
 他人が共に暮らすということは互いに尊重しあうことが何より大切なのだと新一は知った。もし、何かして欲しいことがあった場合、してもらえないという不満になる。不満が溜まれば喧嘩になる。喧嘩が駄目ではないのだろうが、言い合っても解決できないことは存在する。帰宅時間など最たるものであろう。新一が探偵をしている限り、予定は未定であって人との約束は後回しになる。これはもう必然であって、守ってほしい優先してほしいと言われてもできないことだ。
 結局、相手に何を求めるか、それだけなのだ。
 何をしてくれないと思うのではなく、何をしてくれたと感謝する。そういった心意気が大事なのだ。
 新一は快斗と暮らして、なんてできた奴だろうと感心した。
 まさしく、夫の鏡である。それなのに、自分と暮らさなければならないなんて、本当に申し訳ないと思うし、爺共に訴えたくなる。もったいないだろう、と。
「じゃあ、行って来る。すぐに迎えが来るって言ってから」
 新一は立ち上がる。そして、携帯をポケットに入れ、こういう時のために用意してある……来客用の帽子やコートかけに引っかけてある薄手のジャケットを着込み、玄関へ向かった。時間短縮のため家の前で待つつもりなのだ。
 玄関で靴を履いている新一に快斗は気を付けてと声をかける。それに、うんと頷き、いってきますと新一は手を振った。
 最近恒例の光景である。
 新一を見送った快斗は今晩の夕食は栄養のあるものにしようと決めた。
 
 
 
「ただいまーーー」
 疲れた声で新一が帰宅した。すでに夜中の十二時だ。
「どうにか今日中に終わりたかったんだけど、ちょっとシンデレラ」
 新一はそんな冗談めかした例えをしながら、出迎えた快斗に懐いた。メールでこれから帰ると知らせてあったため、快斗は夕御飯を暖めて準備していたのだ。エプロン姿の快斗からは暖かい匂いがする。それに食欲をそそられながら、ああ自分は空腹だったのだと自覚した。事件の最中は精神をすべてそれに費やしているため、三代欲求さえおろそかにしがちである。というか、まったく気にならなくなるのだ。おかげで、昔悲しいことに事件が解決した瞬間栄養不足と睡眠不足で倒れたことがあるくらいだ。現場で倒れなかったのが唯一の救いで、家でしばらく休養を取らなければならなかった。いくら若いとはいえ、そこまでの無茶は禁物である、と堅く両親から言い渡されていたのだがあまり改善はされなかった。それでも倒れることは探偵として屈辱だと思った新一はそれだけはないように心がけている。
 だが、こうして迎えてくれる人間がいるとなれば話は変わるし、栄養も睡眠も取れることは必然である。
「おかえり」
 暖かい快斗の声音にじんわりと新一は嬉しくなった。
「へへ、遅くなってごめん。あと、ありがとう」
 謝罪ではなく感謝で示そうと二人で決めているから、新一はしっかりとお礼を言う。
「ああ。じゃあ、座って。ご飯にしよう」
 新一が席に付くと、快斗はご飯と鳥肉団子入りのスープに、中華風春雨サダラと牛肉とナスとトマトのウスターソース炒めを並べた。
「いただきます!」
 新一は手をあわせて箸を取ると、まず牛肉とナスを一緒に摘んで食べる。ウスターソースの味が口に広がり絶妙の味付けに頬がゆるむ。スープは出汁がきいていて、すっきりとした味がするし、鳥の肉団子がこれまた美味だ。
「美味しい……」
 春雨のサラダは中華風らしくぴりっとした味が堪らないし、全部の料理がご飯のお供だ。ぱくぱくと新一は食べ進み、自分でも不思議なほどよく食べた。
「はい、お茶」
 向かいの席で新一が食べる姿を見守っていた快斗がお茶の入った湯飲みを新一へと押し出す。
「ありがと」
 受け取った新一はふーと冷ましながらお茶をすする。香ばしい香りが鼻に抜けた。
「玄米茶だ」
 新一は嬉しげに呟く。
「そう。今日は玄米茶にしてみた。どう?」
「文句なし!絶妙!美味!」
 新一は手放しで褒め称えた。ご飯は美味しいし、お茶も手抜かりなく旨い。自分はなんて幸せなんだろう。
 これが料理上手な奥さんっていうものなんだろうな、と新一は快斗が聞いたら力が抜けるような馬鹿なことを考えた。探偵は少々一般とは違う感性を持っていた。探偵を続けるために爺共の無理難題を受けただけのことはある。普通は男同士で結婚しろと言われたら拒否するだろう。それを考えれば、自分のためとはいえ快斗も普通とは感性や常識が違うといっていいだろう。
「ご飯食べたら、お風呂に入ってきて。疲れも取れるから」
「うん」
 新一は残りのご飯を食べてお茶を飲み、ごちそうさまと手をあわせて席を立った。自分が風呂に入っている間に快斗は洗い物をするのだろう。それに感謝して新一は風呂へと向かった。自分がいろいろ済ませていかなければ快斗も終わらないからだ。
 
「あー、気持いい」
 湯船に浸かり新一は力を抜いてお湯の中で体を伸ばす。縁に頭を預けてゆったりと目を閉じると、一日の疲れが取れていくようだ。
 今日のお湯は温泉の元が入っているらしく白濁している。香りは少なめでリラックスできるものだ。
 お風呂になにを入れるかは先に入った者が優先的に選べることになっている。今日は快斗の選択だ。それに不満は一切ないが、偶には自分で選びたい。たくさんバスソルトやバスオイル、バスバブル、温泉の元が購入してあって試したいのだ。
 明日は自分で選びたいな……。
 新一は些細な希望を胸に風呂から上がることにした。
 
 
「おまたせ」
 寝室へと入るとすでに快斗がベッドの中で本を読んでいた。
 待っていてくれたことがわかっているから、新一はいそいそと隣に入る。
 広々としたキングサイズのベッドは二人が寝ても問題ない大きさだ。スプリングは身体にちょどいい反発で柔らかくて埋もれるだけではない良さがある。
「髪がちょっと濡れてる?」
 洗い髪は一応乾かしたのだがまだ若干濡れている場所があったようだ。快斗が新一の漆黒の髪をちょいと引っ張っる。
「そうか?」
 新一は自分の髪を触ってみるが、それほどではない気がする。自分より快斗の方がそういうことに敏感だからだろう。
「早く済ませようとしてくれるのは嬉しいけど、無理はだめだ。眠かったら俺だって先に寝ているから、そんなに気にしていたら疲れるよ」
 真摯な言葉と瞳で諭されて、新一は頷いた。
 人と一緒に暮らすことの難しさと楽しさと嬉しさを新一は快斗と暮らして知った。
 できる時にできることをする。
 無理をするべきことと、しなくてもいいことがある。
 相手に求めることだけをしてはいけない。
 感謝を忘れないこと。
 挨拶をすること。
 人間として当然のことだけれど、それができる人は少ない。
「うん、気を付ける。ありがとう」
 心から感謝を込めて、新一はお礼を言う。何度となく新一は快斗にありがとうと繰り返す。自分はありがとうとこんなに言える人間だったのかと思う。
「もう寝よう。電気消すから」
 新一は快斗に笑顔で促す。快斗は頷いて読んでいたページにしおりを挟み本を閉じると枕元へとおく。それを見て取って新一は電気を消した。枕元にあるスイッチで寝室の至る所にある照明が消せるようになってるのだ。ベッドの両脇に置かれているスタンド……枕元の明かり用だ……と、部屋の隅にある背丈のあるフロアランプ、天井にある蛍光灯がある。それらを一つ一つ消すには手間がかかるため、まとめて消すことができるようにしてあるのだ。
 真っ暗になった室内で隣にある快斗の温もりが急速に眠りへと誘った。新一は安心して眠りに落ちた。
 
 






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