「星に願いを 2章 2」






 そして、二階の廊下を挟んだ向かいには衣装部屋が二つあった。衣装部屋というには広い部屋はハンガーがかけられるようにポールが何本も設置され、棚が作り付けられている。
 一つは新一のものだった。
 すでに並べられている衣装の数々は見たことがないものが多い。小物もそれはもうたくさん。いつ持ち込んだのか新一の持ち物も当然あったが、それ以外にもなぜか誂えられたらしい洋服が詰め込まれていた。
「なんだこれ」
「……ジジイの愛?」
「……愛情の押し売りは嫌みだ」
 きっぱりと新一は切って捨てた。
 おもむろにかかっている洋服を取り出してみても、冬にはまだ遠いコートがある。もちろん新品だ。コートだけでも何着かある。薄手のトレンチ、編み込んだウールのコート、厚手のダッフルコートなどなど。スーツにシャツに様々な上着。
 小物部分は帽子に靴にスカーフ、マフラー、手袋。装飾品としてカフスに時計など。
「これ、箪笥の肥やしになること請け合い!俺の身体は一つしかないっていうのに、こんなに使える訳ないって!」
 新一は正論を吐いた。その様子を快斗がなま暖かく見守っていた。なぜならそれは自分に跳ね返ってくるからだ。
 
 快斗の衣装部屋も同様だ。新一の衣装部屋の横にあるのだが作りは全く同じである。
 だが、中にあるものは多少違う。
 目に付くのは、マジシャンらしくステージ衣装だ。漆黒のタキシードが何着かと上質なダーク系のスーツ。そういった黒系のスーツ類が一角を占めている。
「なんか、納得」
 新一が快斗の衣装を見てうんうんと頷く。
「そうか?」
「快斗はマジシャンだろ?プロになるんだろ?だったらこの衣装は頷けるものがある。やっぱりマジシャンは清潔感がないとな!」
 力説する新一に快斗が小さく笑う。
「それって社会人としての常識にも通じることだと思うけど。まあ、マジシャンは夢を売る者だからいつでも颯爽としているべきだとは思うよ」
 父親である黒羽盗一はいつも身綺麗だ。皺のないシャツにぱりっとしたスーツに磨かれた靴。そんな姿を保ち、いつでもマジックを披露できるようにタネが仕込んである。
 快斗の見本は父親だ。師でもある父親から学ぶことは多い。
「うん、そう思う」
 二人は顔をあわせて微笑んだ。
 ここにはスーツ類だけでなく普通の洋服ももちろん並んでいて、コートや上着、パンツなどなど多様にある。
 小物にはシルクハットなどの帽子があるのが特徴的だ。それ以外は大抵新一と同じようなものだ。
 新一が物珍しそうにシルクハットの箱を開けて感心している隣で快斗はあるものを見つけた。
 いつ着るんだこれはと疑問に思う代物だ。なんと純白のタキシードがハンガーにかかっていた。一瞬、快斗は目眩を覚えた。何のためにこんなものが、あるんだろうと。その使い道は一つであるのだが、認めたくないのが人情だった。
 実は言いたくないので語っていないが新一の方には純白のウェディングドレスがあった。先ほどとんでもない物を見つけてしまったと思った新一はその存在を抹殺したかったが、思わず奥に押し込んで忘れることにした。
 嫌そうな表情の快斗に同情を寄せながら、新一は同じ不幸を味わっている我が身にもの悲しさを感じた。
 それぞれの衣装部屋の隣はトイレである。その隣の部屋はまだ何もない空間だった。好きに使えということだろうかと二人は勝手に思うことにした。これだけ充実しているのだから、そのまま何もないか物置となってしまう可能性が高かったが。
 
 それらが、屋敷の右側だ。
 玄関から左側の一階にはまず広間がある。毛足の長い豪勢な絨毯が敷かれた部屋には豪奢なシャンデリアが下がりきらきらと煌めいている。中央に年季の入った飴色のテーブルが置かれテーブルと同じような流麗なデザインの椅子が並んでいる。
 普通の生活をしていたら、どう考えても活用できない空間だ。
 それもそのはず、お金持ちの人間がパーティを開く時に使う部屋である。部屋に置かれた他の家具も上品で高価なものが並んでいて、ここを使う人間は世間一般とは人種が違うと思わせた。
「無駄な空間だな……」
「俺達にここで何を催せというんだ?」
 二人とも口元がひきつる。
 なぜ、こんな無駄なことにお金をかけるか理解できない。何不自由なく暮らせるようにという爺共の愛は全く孫達には伝わっていなかった。
 
 そしてその奥には新一のための書庫だ。
 書斎というか図書室というか、天井までの高さのある作りつけの本棚が所狭しと部屋にずらっと並んでいる。本棚には様々な本が並んでいることが伺えた。どの本を厚みがあって装丁も豪華なものが多い。中には希少価値のある古い本などもあり、それはガラスのはまった本棚に収まっていた。
「すげーーー」
 その部屋の扉を開けた新一は歓喜の声を上げた。ぐるりと本に囲まれた部屋を見回して満面の笑みを浮かべてそっと正面にある本棚に近づく。
 一冊取り出してみると、新一が前から読んでみたかったイギリスの本だった。その隣には前から欲しかった稀少な本がある。自分好みの本が新一を囲んでいる。
 新一的には大満足である。
 新一の待望の部屋は期待を裏切ることがなかった。この部屋につられたことも今回の要因の一つである。
 それにしても、祖父に思いっきり自分の趣味がばれていることを自覚した。わかっていたことであるが、喜んでいいのか、まずいと用心した方がいいのか。おそらく、両方であろう。
「へえ、ふうん」
 新一の後ろから快斗も部屋に入る。部屋の中央には大きめの机と椅子が置かれ、その前には簡易のソファがある。書斎であるから、当然といえば当然である。窓の部分を除きそれ以外は本が埋め尽くされていて、天井まで届く高さにある本を取れるように三段くらいの踏み台まで置いてある。
「ずいぶん分野が幅広いな。……俺も借りていい?」
 本のタイトルを眺めながら快斗は新一を振り返って聞いた。
「いいぞ。好きなの読めよ。これだけあれば当分楽しめるって!」
 にこりと上機嫌に新一は笑うが、一体この豊富な蔵書をどのくらいの期間で読む尽くすつもりであるのか。疑問に思うが、快斗は聞かなかった。本好きの人間に何を言っても無駄である。趣味とはそういうものなのだ。
 
 
 廊下を挟んだ向かいには快斗の仕事部屋というか工房があった。これが、とにかく広い。半端でなく広い。
「……」
「……あ?」
 その空間を見た時、思わす間抜けな声を上げてしまうほどだった。
 確かに快斗はそういう部屋が欲しいとはいったが、これほどのものが出来上がっているとは思わなかった。
「まじで?」
 快斗自身が問いたかった。自分はこのだだっ広い部屋を本当に使っていいのかと。
 何十畳もある部屋の床はフローリングで出来ていて、一部分だけ畳が置かれている。今は何も置かれていないせいで余計に部屋の広さを浮き彫りにさせていた。
 快斗は部屋を横切り二畳分の畳を見下ろしてからそのまま突っ切って部屋の奥まで来た。そして、そこにある扉を開けようとして鍵がかかっていることに気付く。
 そういえば、爺に一つの鍵を渡されていたことを思い出しポケットから摘み出して鍵穴に差し込みひねる。かちりと音と立てて扉が開きそのまま内側へと押し開けると細長い部屋があった。快斗は一瞬違和感に首を捻る。しかし、今はこれ以上の追求はしない方が賢明な気がした。
「どうした?」
 新一が快斗のすぐ背後からひょっこりと中を覗いた。そして、何もない室内を見て快斗を見上げる。ここは何?と視線で聞いている。新一からすれば快斗が欲しがっていた工房であるから、その一種であるのかと問いたかったのだろう。爺が気を回しているのだからそう考えても間違いでない。
「ああ。多分、マジックのタネでも人が無闇に触ると危ないものがあるからそういうのを置く場所にいいんじゃないかな。それ以外にも、マジシャンは秘密がいっぱいだから」
 快斗はにやっと口の端をあげて笑った。新一は目を見開き同じようににやっと笑い目を細めた。
「そうだな。マジシャンは秘密の香りがするもんだよな。……そうそう、また見せてくれよ、おまえのマジック!」
 すっかり快斗のマジックのファンになっている新一は快斗にねだった。
「おやすいご用!というか見て見て。新一なら大歓迎」
 公園で目を輝かせて見て誉めてくれて、また見たいといってくれる新一に快斗は嬉しくなる。
「サンキュー。期待してるからな」
「ああ」
 
 
 
 二階部分の南側には客室が二つあった。誰でも気軽に泊まれるようになっているらしい。どの部屋も机や椅子などの家具とテレビが揃っている部屋とベッドがある寝室の二部屋で構成されている。バス、トイレも別々に完備されていいて、部屋の隅にはミニバーのようなものまであり、電気ポットとカップも置かれている。部屋自体はカーテンやクロスと家具の色彩があわせてあって落ち着いた雰囲気がある。
 寝室にあるベッドはセミダブルで、二つ入ってることから一部屋で二人が過ごせるようになっているとわかる。
 本当に、どこのホテルだろうと疑問に思いたくなるくらいの部屋だった。
「なあ、これ掃除するのか?」
 普段全く使用しない部屋だ。今後使う機会があるのかどうかわからないが、部屋は使わないと痛む。そして、使わなくても埃は積もる。
「多分。……それをいうなら広間もだろ。あれ掃除機かけるんだ?」
 二人の間に長い沈黙が降りた。
 余分な部屋があり過ぎる。
 必要ないのにあるせいで余分な掃除が待っているのだ。考えるだけで、頭が痛い。
「…………まあ、おいおい考えていこう」
「ああ」
 一旦は思考を放棄することにした。ある意味賢いとも言える。
 今考えても仕方ないことは、考えない。後で考えればいいのだ。
 
 そして、疲れた二人が次に進んだ部屋は客室の向かいの部屋だった。
 今日はすでに何度も驚いているが、やはり目を見開いて新一も快斗も声を詰まらせた。
 そこには、フローリングの広い広い部屋があった。窓も大きく作られていてレースのカーテンから太陽の光が射し込んでいて明るい。
 その陽光の先に、なんとグランドピアノがあった。漆黒に輝くグランドピアノは部屋の中で存在感を主張していた。
 その上、部屋の奧にある棚には楽器がいくつか並んでいた。ヴァイオリンやヴィオラ、チェロ、コントラバス。弦楽器がひとそろいと管楽器もあった。
「……おまえ、弾けるのか?」
 ひとまず聞いてみるべきだろうと新一は素朴に快斗に問う。
「新一こそ、どうなの」
 快斗も聞きたい気持ちでいっぱいだ。
「俺は、ピアノもヴァイオリンもやらされた」
「俺はピアノかな。それからサックスとか」
 互いの事情を聞くと瞬間黙り、結論が導き出された。
「つまり、弾けと」
「……」
 どう見積もってもそうだろう。
「いつか、余興させられそう」
「たぶんな」
 爺共の無言の催促だ。弾いてみせろ、ついでに呼べと。
 なぜ自分たちはあんな祖父をもってしまったのだろうかと、不幸を嘆きたくなった。今更遅いが……そうしみじみと思った。
 
 そして、屋敷の左側には車庫があった。屋敷の中を見て回った二人は西側へと出る扉を開けて車庫があると知った。そこには車が何台も停めてあった。
 
 オフホワイトのバンデンプラス・プリンセス。1300。1925年生産。
 銀色のジャガーを彷彿とさせる、光岡自動車のヴュート。
 トヨタ、プリウス。濃紺色。
 コンパクカーとして、メルセデスベンツのAクラス。メタリックレッド。
 
 見た瞬間、絶句した。
 まだ、免許のない二人にどうしろというのか、それもこんな高級車。ついでに趣味に走った車を。
 そのチョイスに不明な快斗は首をひねり、新一は手で頭を押さえた。
「ごめん、俺のせいだ……」
 心底新一は謝った。声も弱々しい。
「新一のせいって?」
「あの、バンプラは絶対俺のせい。ついでに英国車つながりでヴュートも」
 新一は快斗の問いにきっぱりと答えた。
 自分はイギリス贔屓だ。こればかりは仕方がない、自身が平成のホームズと言われ、昔からホームズが大好きなのだから。
 そして、自分が口走った言葉を祖父が覚えているとは……。
 新一はうっかりと口にしてしまった事実を、今心から後悔した。
「昔さ、海外の別荘で見ていいなあって言ったと思う。その別荘の近くに貴族が住んでいてバンプラがあった訳。それで、普通見かけるような車じゃなくて、メンテナンスも良くていかにもその時代を感じさせる気品とかあって、誉めた覚えがある。……見覚えがあるんだ、その色。多分、あの時あった人の持ち物だ。譲ってもらったんだろう。多分」
「……」
「ヴュートはおまけだろう。高級車を多分並べたかっただろうから。さすがに昔のジャガー・マーク2はメンテが大変だろうって配慮で、ビュート。祖父の趣味だな、好きなんだよ、あれ」
 アストン・マーチンでないだけ、ましだろうけどと新一は付け加える。
「……なんて言っていいんだか」
 快斗は突っ込みどころ満載で困る。
「Aクラスはいかにも買い物用というか街中用だなあ。で、コンパクトカーにベンツって何だろうな」
「……ああ」
 新一の説明に疲れた声で快斗が苦笑した。
 場違いというか、不相応といおうか、爺共の思考回路は理解不能だ。
 このようにどれだけお金をかけても惜しくない面は困ったことだが孫をかわいがっているといっていいだろう。その方面が世間と大きくかけ離れているだけで。
「……本当に、ごめん」
 新一は再び謝った。今この事態は間違いなく自分が引き起こしたといっていい。住人が二人でまだ免許も持っていない家に四台の車がある。目の前の磨かれて鎮座する高級車に新一は改めて視線をやった。

 一番奥にあるのは、バンデンプラス・プリンセス。1976年に生産が終了された車だ。
 スモールロールス、ベイビーロールスと称されるイギリスの名車で、バンデンプラス社がロールスやベントレーのような仰々しい車を嫌った貴族のお嬢様のために作った、小型だがロールスやジャガー並の高級な内装を備えた車だ。
 運転手付きが基本コンセプトのセカンドカーとして設計され、上質な皮シート、ウォーツナットパネル、縦グリルや彫りの深いフォグランプ、ピクニックテーブルの豪華な仕様に、ハイドロ使用のサスによる優雅な乗り心地と英国の伝統と気品を備えている。
 現代では走らない、曲がらない、止まらないと三拍子そろっている車と言われるクラシックカーだ。
 
 その手前にあるのは光岡自動車のビュートだ。見かけはジャガーのマーク2にそっくりだ。光岡自動車は昔の品格あるデザインを現在に蘇らせている手作りの車メーカーとして有名であり、そこでは他にもたくさんのクラッシックカーデザインが並んでいる。
 本物のマーク2だと状態の良いものは、なかなか手に入り難い。それでも工藤一成なら手にすることができるのだろうが、さすがにバンデンプラス・プリンセスをすでにチョイスしていることから、国産メーカーのものにしたのだろうと推測される。
 輸入車、それもクラッシックカーを何台も所有するには、日本は高温多湿、季節が存在して車にとっては決してよい状態ではない。
 日本でイタリア車に雨の日に乗ってはいけないのは常識であるように。
 
 一つ手前にあるのはトヨタ、プリウスだ。低燃費、低排気ガスとして世界的有名な環境性能の車だ。車庫に並んでいる中で一番今時の車であるが、別に決して安くはない。
 
 一番手前にあるのは、メルセデスベンツAクラスだ。これはベンツが出した街中での扱い易さと安全性や操縦安定性を併せ持つ車だ。ボディサイズの常識を越える高度な衝突安全性とゆとりのある室内空間。つまりベンツのコンパクトカーである。もちろん、ベンツが出しているのだから小型車とはいえ、当然高い。
 
「免許取らないとな」
 現実に戻った快斗が新一にそう呟いた。新一も車から目を快斗に向けて楽しそうに目をすがめた。
「だよなあ。免許がないと話にならないし。実際車で出かけられれば便利だし。うん、そうだな!」
「車校通うか。訓練所でもいいけど、近くにないと困るし」
「うん。ちゃっちゃと取ろう」
 物事は建設的に考えた方がいい。
「爺達の所業に目眩を覚えていたら、人生の負けだ!」
「そうだ!このくらいで打ちのめされていたら、あのジジイ達に勝つことなどできない!」
 早くも真理たどり着く二人の未来は多分明るいはずだ。
 二人は堅く誓う。
 負けてなるものかと。
 
 その車庫の角には快斗が工房でできないことができるようなスペースが取られていた。
 また、その車庫の延長線上に鳩小屋がある。快斗が世話する鳩のための小屋だ。同様に兎などの動物を飼うための小屋も並んでいる。
 
 





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