「おはよう、新一」 「ああ、おはよう。快斗」 ベッドからのそのそと起き出して新一は快斗に挨拶を返した。昨夜は少々遅かったせいで眠い。それでも目を擦りながらベッドから起きあがる。 「じゃあ、早く降りてきてね」 エプロン姿の快斗が手を振って出ていくのを眺め新一は着替えることにした。 新一が制服に着替えて階下に下りて行くとキッチンからいい香りが漂ってきた。今日は洋食らしくすでにベーコンとスクランブルエッグが皿に盛られてテーブルに置かれている。 「パン一枚でいいよな?」 「ああ、サンキュー」 快斗にお礼を言いながら新一はたっぷり入ったサーバーからマグカップに珈琲を注ぐ。いれたてのため湯気と香りがカップから立ち上がる。新一はそれを味わいながら色違いのマグカップの一つにだけミルクと砂糖をたっぷりと入れて快斗の方に置く。 新一はブラックだからそのままだ。 「はい、焼けた」 トーストされたパンを皿に盛り快斗はテーブルに置くと自分も新一の向かいの椅子に座る。 「「いただきます!」」 手をあわせてから二人は朝食を取ることにした。 トーストしたパンに塗るのはバターに苺ジャムかマーマレードだが、今日は昨日快斗が手作りしたりんごジャムがある。 「あー、やっぱ美味しい!快斗料理上手だよなー」 バターを塗りその上にたっぷりのりんごジャムを乗せてトーストを囓った新一はしみじみと呟く。甘さ控えめでりんごの欠片が入っていてとても美味しい。余分なものが何も入っていないせいだろう。 「美味しい?それならまた作るな」 「うん」 素直に頷き新一はぱくぱくと食べた。ベーコンはカリカリで卵はちょうどいい半熟。自分も料理がまったくできない訳ではないが快斗には負ける。 朝食はそれでも交互に作ることにしているのだが、明らかに自分が作る日の方が味が落ちるのは遺憾ともしがたい。 それでも負担ばかりをかけることはしたくないから、新一なりにがんばっているのだけれど、快斗に追いつくにはまだまだ道は遠い。 「ああ、今日の予定何かあった?俺は真っ直ぐに帰ってくるつもりだけど」 「俺もない。呼び出しがなければ」 毎日の確認に新一は毎回同じ答えを返す。警察からの要請が来たらそちらを優先するため、いつ帰れるかわからないのだ。 「わかった。その時は気を付けて」 そして、快斗も同じ言葉を返す。 何分、これに関しては二人とも仕方ないことだとわかっているのだ。新一が探偵だと聞いた快斗がどんなことをするのかと質問した時、新一は率直に語った。生活を同じくする人間に隠し事をするべきではないし、新一は事件が起これば駆けつける。それは新一の中の絶対であり侵すことができない領域だ。だから、警視庁にいる警部から事件の要請があることや主に殺人事件に関わることなどを包み隠さず話した。 一端事件現場に行くと解決するまで帰ることが難しいことは伝えておくべきことだから。 その結果、快斗は快く承知してくれた。新一の精神的負担が減ったことは言うまでない。 「行ってきます。快斗、早く!」 「わかってる。今行く」 鍵を掛けている快斗へ先に玄関ポーチに出た新一がせかした。 朝学校へと向かう二人は一緒に家を出る。ちょうど新居が二人の学校の真ん中にあるせいだ。 二人の新居は、豪邸と呼ぶにふさわしい物件だった。広い敷地に立つ白い壁、赤い屋根の洋館。屋敷と呼ぶに相応しい建物だ。高い塀に囲まれた屋敷は外からはその外観しか見えないようになっていて、住人のプライバシーは厳守されている。 門から玄関に向かうまでの道は花々で埋もれ、右側にはウッドデッキが張り出しテーブルや椅子も置かれている。 新一と快斗は共にその花で埋もれた小道を急ぎ足で歩き門の外に出ると、門扉を閉め鍵をかけた。 そして、屋敷の前の通りを二人で歩き十字路で反対方向に別れる。それぞれの学校の方向が違うせいだ。 「じゃあな!」 「ああ。そっちもな!」 二人は、手を振って挨拶を交わし学校へと急いだ。それも毎朝繰り返される日課だった。 二人が共に暮らしてそろそろ3週間経ったであろうか。 最初は他人が一つ屋根の下で住むのだから不慣れな部分が多かったが、そろそろ慣れてきた頃合いだ。 二人は、この屋敷に初めて連れてこられた時のことを鮮明に覚えている。新居と言われ明日からでも住むがいいと爺から場所のメモと鍵を渡された。顔見せの翌日のことだ。 新一と快斗はすでに連絡ができるようにと携帯の番号やメールアドレスなど交換していたから、二人で即刻見に行くことにした。近所で待ち合わせ、地図にある住所にたどり着いた時、目の前にそびえる屋敷に目眩がした。 たった二人の高校生の新居が、立派な屋敷である。外観から見て、どこをどう差し引いて見ても、まだ成人していない子供が住む場所には到底豪華過ぎた。 「なんだこれ」 「やっぱりっていうか、なんていうか」 二人は疲れた声を漏らした。もちろんそれはただの序盤に過ぎなかった。 門扉を開け……門扉も鍵があって簡単には開かないようになっている……玄関までの小道を進み、ポーチでまた鍵を開け玄関扉を外側に開く。 玄関部分は広く、吹き抜けになっているせいで明るく開放感がある。 玄関の右側に大きなリビングとダイニングとキッチンが続き、その向かいには水周りがそろっている。お風呂に脱衣所と洗面スペース。トイレ。そして、アイロンや雨の時に洗濯物を干したりできる多目的スペース。 「無駄に広いよなー、このリビング」 二人しかいないのに、どうしろというのだろうか。新一はしみじみと呟いた。リビングは二十畳ほどあるだろうか、そこにヨーロッパ家具らしい生地のソファが並び、一枚板で出来た重厚なテーブルが置かれている。それ以外にも薄型大型テレビに、オーディオ機器、などが揃っている。リビングの窓から外に張り出したウッドデッキに出ることができるようになっていて、天気の良い日はとても気持ち良さそうである。 「はは、いったい俺達に何しろっていうんだろうな。でも、このウッドデッキはいい感じ」 快斗は窓を開けて、新一へと振り返る。 「そうだな。読書とかいいな」 開け放した窓から風が舞い込む。その爽快感に目を細めて新一は初めてこの屋敷を好きになった。少しは過ごしやすいかもしれない、と。 「だろう?」 快斗も小さな笑みを浮かべて、後でここでお茶でもしようと誘った。 「賛成」 新一に異論はない。ウッドデッキで風に身を任せながらお茶をするのは、さぞ気持ちがいいだろうと想像できる。 そして、キッチンスペースで快斗は喜びの声を上げた。 「すごいな、まるでどっかのレストランの厨房みたいだ」 深いシンクは二つあり、コンロは大二つに小一つの三つ。グリルに二段になった大きいオーブンが揃ったシシテムキッチンには引き出しがたくさんあって、収納力抜群だ。隣におかれたレンジ台には、電子レンジと炊飯器があり、その下には米櫃がある。中央には厨房用の調理台が鎮座し、その背後には業務用といわんばかりの冷蔵庫。メタルに輝く冷蔵庫は大物野菜から肉魚、調理した鍋ごと入れられる大容量。冷凍庫も並んであって、冷凍食品も好きなだけ収納できる。 側面にある食器棚には、すでにあらゆる食器が並んでいた。 「うわー、冷凍庫に食品が入ってる……」 試しにと開けてみた冷凍庫の扉の中には、高級松坂牛や蟹、海老、帆立などの海の幸が入っていた。冷凍食品だから、すぐに腐ることはない。 「あ、アイスまで入ってる」 別の扉を開けると快斗の好きなアイスクリームが入っていた。それ以外にもデザートが入っている。アイスクリームなど賞味期限などあってなきが如しの代物だ。すでに入っていても何の問題もない。 冷蔵庫にはさすがに物は入っていなかった。 爺達がすでに二人が住めるように準備しいていることが端々から伺えた。 「……快斗、嬉しい?」 歓喜を上げている快斗に新一は不思議そうに首を傾げる。男子高校生がキッチンを見て喜ぶ図は、ある意味不思議であろう。 「ああ、うん。俺お菓子作るの趣味だし。結構料理も上手いよ」 「へえ、そうなんだ。それは初耳」 感心したと新一は頷き、そして笑った。 「で、快斗的にはこれは満足なんだな?」 「もちろん。ちょっと感激ってくらい。いやあ、これは嬉しい誤算ってやつだな」 機嫌よさそうに頭を掻きながら快斗も笑った。 自宅でも父親と共に母親の誕生日にはケーキなどを焼く。お菓子を食べることが好きだから自然と作ることを覚えた。手作りでプロ並のお菓子を作る見本が側にいたせいだろう。父親は当然ながら手先が器用だ。母親も料理上手。快斗が二人から料理を学ぶのは当然の結果だ。 男子厨房に入りまくりな黒羽家で育った快斗は現在男子高校生が持つとは思えない腕前を持っていた。 だから、キッチンが充実していると嬉しい。何でも作りたい放題だと思うと心も弾む。元々ものを作ることが好きなのだ。料理だけでなく、工作も何でも。 「これなら、後でちゃんとお茶も入れられるよ。じゃあ、次見ようか」 照れくさそうに、快斗は新一を促した。そうだなと同意した新一は反対側の水周りへと向かった。廊下を挟んだ反対側にはまず風呂があった。扉を開けると洗面台と脱衣所スペースがあり、その先が浴室になっている。洗面台は広い。鏡は大きく、台は大理石でできていて、清潔感がある。角には棚と洗濯機が設置してある。洗濯機は大物も洗える大きさで、最新式のドラム式もので、上に別で乾燥機がある。最近はドラム式で洗濯機と乾燥機両方が使えるものがありこの洗濯機も両方兼ね備えているが、別々にもちゃんと使えるように乾燥機も設置してあるのだろう。多分、別室にアイロンや雨の日に干すことができる多目的スペースが確保されているほどだから何でも待たないでできるように配慮されているのだろう。 浴室は、一言でいえば大きい。 足を軽々と伸ばせる広さの湯船に床暖房になっている白いタイル。広々と開放感溢れる浴室は、なかなかに気に入るものだった。 「あ、いいなー」 お風呂は好きだよと快斗は笑った。 「俺も、温泉とか好きだし。ゆったりと浸かれれば疲れも吹っ飛ぶな」 風呂に関しては同意見の二人である。 リラックスは身体に必要である。お風呂で身体を暖めて心もゆったりと一日の緊張を解いて寝れば、良い睡眠が取れるだろう。 「バスソルトやバスオイル、温泉の元とか好き?」 「もちろん。結構試すの好きだぞ」 「いいね!いっぱい試そう」 二人は気があった。 他人はこうして少しずつ近づいていくものだ。これが、全く別意見であったり趣味であったりすると互いにすり寄ることが難しい。たとえ同じではなくても、歩み寄ることができれば共に過ごしていけるものである。それは、今後二人が相互理解していけばできることだ。 浴室の隣がトイレ。その横がアイロン室兼多目的スペース。 ここまでが玄関から向かって右側の一階部分である。玄関の正面に階段があり吹き抜けを囲むように左右それぞれ別れて伸びている。 生活部分の二階は廊下を挟んで南側に三つの扉があった。一つ目の扉を開けるとそこは個人の部屋だった。机や本棚や二人ほど座れるソファなど家具が置かれている。一つ気になる部分は、隣の部屋へ続く扉があることだった。隣の部屋は両開きの扉があったはずだが、と二人が思いながらその扉を開けてみると。 そこには、キングサイズの大きなベッドがどどーんと真ん中に置かれていた。 「は?」 「え?」 二人は、目を見開いて絶句した。 呆然と見つめる先にあるベッドはゆうに二人が寝ても広々と手足を伸ばせるくらいの代物で、マクラはちゃっかり二つ並べられているし、ベッドカバーなど裾にはひらひらとレースが付いていた。確かに寝心地の良さそうな上質感漂うベッドである。どこから輸入したのだと問いたくなるくらい立派な寝具だ。 そう、ここは二人の寝室である。先ほどの個人の部屋にベッドはなかった。それが否応にも事実を物語っている。 「……何を考えているんだ?ジジイ」 「なにも、っていうか、ピンク色の夢?ジジイのくせに……」 下した判断はきっと正しい。 新婚仕様のベッドを見下ろしていると、どっと疲れてくる。 「ひょっとして」 新一は自分達が入ってきた扉とちょうど正面になる扉を見つけ開いた。 思った通り個人の部屋らしきものがある。机に本棚、ソファなどなどがそろっている。だが、当然ベッドはなかった。 つまり、新一の部屋と快斗の部屋はベッドルームを挟んで位置することになる。それぞれ個人のプライベートはあるが、夫婦なのだから寝ることは共にと言わんばかりのレイアウトだ。 それにしても、隣の部屋なのにわざわざ寝室に入るだけの扉を個々に付ける根性がすごい。本人達にとってみれば嬉しくないが、ある意味天晴れな所業である。 はあ、と新一はため息を付いた。快斗も扉を開けたままの新一の後ろから部屋を覗きながらため息を漏らした。きっと以心伝心である。考えていることは相手に伝わっていると確信を持っていた。 「どうしたもんかな」 快斗がぽつりと漏らす。 「そうだな、どしようか」 新一も力無く息を吐いた。 二人は問題に直面して困っていた。 嫌だからといって、もしそれぞれの部屋に無理矢理ベッドを持ち込み寝たらどうなるか。一時はそれで済むかもしれない。だが、それをあの食えない爺共が許すのか。断固として邪魔されるのがおちだ。 実は爺共に二人が住み始めたら一度招待してくれと拒否できない要求がされていた。絶対、この部屋の使い心地など聞くに違いなかった。細かく見てわまってチェックを入れる姿が目に浮かんで、二人は嫌そうに肩を落とす。 「ほんとに困ったジジイだな。俺達になにして欲しいんだか」 「求めるものはわかってるんだけど、俺達の気持ちはお構いなしだからなー」 「真面目に悩むもの馬鹿らしい……」 新一はそういってベッドに腰を下ろした。 ふわりと身体を受け止めるスプリングが予想以上に心地いい。思わずそのまま後ろに転がってみた。思った通り素晴らしい寝心地である。新一は目を見張り側に立つ快斗を見上げて手招いた。 「は?」 「いいから、寝てみろって」 新一の誘いに快斗も隣に寝ころんだ。 ベッドはキングサイズらしくとても大きく広い。スプリングの柔らかさは身体に負担のかからない設計らしく、抜群の寝心地である。 「これって、すごいな」 快斗は感嘆の声を上げる。 「だろ?このベッドは最高」 うっとりと目を閉じて新一は答えた。このまま目をつぶって寝てしまいたい気になる。 眠りを誘うベッドであることは間違いない。 「「……」」 二人はふっと互いに見つめ合った。そして、妥協することにした。 「まあ、いいか」 「そうそう。問題がある訳でもないし。どうしても駄目ならその時考えればいい」 「だよな」 「ああ」 と安易に流され現在に至る。 結局二人は一緒に寝ているのだ。爺共の計略にはまっている。 |