「吐息までの距離」8
〜約束編 前編〜




 「絶対行くから!」

 新一は声を大にして言い切る。

 「………そう?」

 快斗は首を小さく傾けながら、新一の意気込みに少々瞳を見開く。

 「うん。約束する。例え事件があっても行く」
 「無理しなくていいからね?新一がいないと困る事件もあるだろ?」
 「でも………」
 「いいから。なかったら、でいい」
 「快斗」

 小さく快斗の名前を呼びながら唇を噛みしめる新一に、快斗は指を伸ばして優しく頭を撫でた。

 「本当に、無理しなくていい。新一が来てくれるのは嬉しいけど、負担に思ってほしくないんだ。だって、もし凶悪な事件や時間を争う事件が起こったらやっぱり新一は行かねばならない。それは、新一が探偵である理由でもあるけれど、人間として見過ごせないからだ。人の命がかかっていたら新一は自分のことより優先するだろ?」
 「………」

 快斗の言う通りで新一は反論できない。
 
 快斗のステージが来週末にある。
 マジシャンを目指す学生や最近デビューした新人とを集めた野外ステージには快斗を含めて10人ほどが出演する。大きな公園の一角にあるステージで行われるプログラムはもちろん無料だ。まだまだ未熟な者が多いためと、市が文化的行事の一環として開催するためだ。席も自由で決まっておらず、どれだけ観客が来るかもわからない。そのステージ自体が急遽決まったせいで、宣伝も十分にできていない。快斗へのオファーも一昨日だったのだ。急なため出演者が思うように集まらないと困窮する主催者に快斗は喜んで引き受けることを告げた。
 どんな形でも、例え大きな自分のためのステージでも、小さな名もないステージでもマジックを楽しんでももらえれば快斗には大差なかった。マジックで幻みたいな時間を過ごしてもらえれば、一時の夢に酔ってもらえればそれで満足なのだ。

 「ね?新一」

 快斗が新一に優しく穏やかに微笑む。
 快斗の慈愛に満ちた瞳を向けられて、自分をこれほど理解してくれる彼を新一は嬉しく思うのだが、どこかやり切れない気持ちを抱く。
 快斗のステージを見に来たい。
 その気持ちはとても強い。
 新一が事件があっても行く、と宣言するほど優先することなど過去にあっただろうか?
 それを快斗はわかっているのか。
 彼は自分を第一に考えてくれる。でも、新一も同じだけ快斗に返したいのだ。快斗を優先したいのだ。そう、新一は快斗にただ一言「見に来てね」と言って欲しかったのだ。
 それは、自分の我が儘なのだろうか?
 新一の都合ではなく快斗の望みを叶えたかった………。快斗に望んで欲しかった。
 それが通じていないのが、とても歯がゆい。

 「わかった。………でも、俺は行くから。行きたいから」
 
 新一は快斗の瞳を真っ直ぐに見つめて、静かに告げた。そんな新一の至極透明な瞳を間近に見て取って、快斗は瞬時に嬉しげになると緩く笑んだ。

 「うん。じゃあ、待ってる。どうせなら、一番前で見てね?」
 「ああ、任しておけ。早くから行って場所取っておくから」
 「そうなの?………あ、でも風邪引いたりして体調が悪かったら駄目だからね。これは譲れないから!」

 快斗がくすくす笑いながら、急に気付いて付け加えた。

 「………ああ」

 一方新一は痛いところを突かれて、しかたなく頷いた。
 体調が悪かったら絶対快斗にばれる。隠せるなんてありえない。無理に行けば、速攻で家に返されることは必至だった。

 (風邪引かないように、気を付けよう………)

 新一は心の中で殊勝に誓った。

 (しばらくは早く寝ないとっ。深夜の読書タイムを我慢しないとな………)
 
 新一がそこまで思いこんでいるとはさすがに快斗も想像しなかった。だが、自分のステージを見に行くんだという意志表示をされて、嬉しくない訳がない。
 新一が見てくれるなら、絶対に素敵なショーにしようと快斗も決めた。
 いつもより、腕がなる。
 一番大切な人が見てくれるのだから、これが張り切らないでいられようか。





 それぞれの決意を秘めて、当日がやって来た。

 朝から新一はうきうきしていた。
 いつもなら、休日はゆっくりと睡眠を貪るのだが、今日は早くから目を覚まして珈琲を飲みトーストをかじった。ついでにヨーグルト、ビタミンCに気休めだけど、みかんまで食べた。
 今のところ順調である。昨日は事件の要請もなかった。身体に疲れも残っていない。風邪も引いていない。そのために、読書を我慢し睡眠を取り身体を暖かくするように務めてきた。快斗にしてみれば、いつも同じくらい気に掛けて欲しいところであるが、それができれば苦労していないだろう。
 シャツに暖かなセーターとジーンズ。ロングコートを羽織ってマフラーと手袋。
 野外ステージであるので、防寒は完璧だ。
 一番に行って最前列の席を確保するため新一は開催時間より随分早く家を出た。
 
 
 会場に付いてみるとまだ誰も席を取っていなかった。
 開演時間はまだ先であるため、公演を見つもりの人間も公園の中にいるのかもしれない。親子なら子供をじっとさせておくより遊ばせておく方が楽であろう………。
 初冬を迎え寒くはなって来たが、快晴であるから野外ステージにはもってこいの良好な天気である。
 新一は最前列の少し横側、さすがに中央は避けた、に座り場所を確保する。そしてポケットから携帯を取り出した。いつもポケットに入れ持ち歩いている携帯は外では大抵マナーモードである。ポケットに入れておけば振動で連絡が入ったとすぐにわかるから。今日もかかって来ませんようにと祈りながらコートに忍ばせていた。新一はその携帯をじっと見つめ、目を閉じて電源ボタンを押した。やがて、小さな電子音がして電源が切れたことを告げる。
 ほんの少しだけ、快斗を優先させて欲しい。
 快斗が知ったら驚くだろうことを新一は実行して、携帯をポケットにしまうとさっぱりした笑顔で前を向いた。
 新一がしばらくそこで何も考えず無防備に座っていると、

 「あー、工藤君だ!」

 少女の甲高い声が響いた。
 
 (………え?)
 
 新一は誰だろうと声のする方に振り向いた。

 「うわ〜、本物だ。ひょっとして快斗の応援に来てくれたの?」

 記憶にない少女がにっこり笑顔で新一に話しかけて来るため対応に困る。しかし、快斗という言葉から、彼の知り合いであろうかという予測だけは付いた。

 「中森さん、工藤君が困っていますよ?」
 「ああ、そっか。ごめんね、工藤君」

 ぺこりと謝る少女の横に探偵仲間である白馬が並んだ。そして、にこやかに挨拶する。

 「こんにちは、工藤くん」
 「白馬?」
 「ええ。お久しぶりですね。お元気そうで何よりです。………そうそう、こちら、中森青子さんです」

 白馬は少女を紹介する。それに釣られるように少女も微笑みながら自己紹介をした。

 「初めまして。中森青子です」
 「彼女は中森警部のお嬢さんなんですよ」

 中森警部とは、怪盗KID専属を自認する警視庁捜査二課の警部だ。KIDを追いかけている白馬からすれば、顔を頻繁にあわせる人間である。

 「………そうなんですか?こちらこそ、はじめまして」

 新一はにっこり微笑んで手を差し出した。青子はその新一の綺麗な笑顔に赤面する。そして慌てて自分の手を出して握手する。

 「えっと、さっきはいきなりごめんね。青子は快斗の幼なじみでお隣さんなの」

 新一はその青子という名前に内心、ああと頷いた。
 今までに快斗から聞いたことがある名前だ。自分にとっての蘭と同じ立場の幼なじみの少女。まるで家族のような親しい位置にある、気心しれた相手だ。

 「聞いてますよ。幼なじみの女の子がいるって、まさか中森警部の娘さんとは思いませんでしたけど………」
 「お父さん、工藤君にも名前を知られるくらい有名なんだね?今度誉めてあげようっと。………えっと、今日はね、快斗のステージだから白馬君も誘って見に来たの。来るなっていうんだけどね、折角なら応援したいから、来ちゃった」

 そう言って青子は舌を出して悪戯っ子のように茶目っ気に笑う。

 「そうなんですか?喜ぶと思ういますよ」
 「そうかなー?見に来るの嫌がってたから、喜ばないかもしれないよ?」
 「中森さんが見に来てくれて嫌がるなんてないですよ。仲いいんでしょう?」 
 「快斗、青子のこと話したの?」

 自分のことを知ってるふうの新一に青子は首を傾げる。

 「ええ。当たりでしょう?大切な幼なじみのことなんですから」
 「そうなんだ………。でも、快斗は工藤君のこと教えてくれないのよ?青子がどんなに紹介してよって頼んでも快斗は無視するの。きっと誰にも見せたくなかったのね。案外心が狭いわ………」

 プンプンと青子は怒る。けれど、同時に苦笑もする。
 初めて間近に見た新一は見惚れるくらい綺麗だ。さらさらの絹糸みたいな漆黒の髪に神秘的な蒼い瞳。色ももうすぐ降る雪のように白くて寒さのために赤く色づく唇が可憐。どこからどう見ても奇跡みたいな容姿をしている。そこにある存在そのものが綺麗過ぎて、青子には近付きがたい。けれど、できうるなら、見るくらい許して欲しいと思う。
 こんなに美人だとその魅力に寄って来る人も多いだろう。
 それこそ、一目見ただけで虜になる。そして叶わぬ片思いしてしまう。

 (そんな人、自分で増やすのなんて嫌だろうな………)

 通りで新一が江古田に来るのを渋る訳だ。青子は納得した。
 納得したが、一人締めしている快斗に対する腹いせに言葉を続ける。

 「快斗はね、いつも馬鹿ばっかりするし、青子に意地悪するんだよ?口悪いし、よく授業さぼるしね、もうスケベだし………!!!なのに、成績がいいなんて許せない〜。自分がちょっと出来がいいからって、青子のことバカにするんだから!腹立つったら、ないわ」

 新一は言い募る青子に微笑む。
 容姿だけでなく、内面も自分の幼なじみと似ている。その存在そのものが。
 聞いていて、微笑ましい。幼なじみとはどこも一緒なのだろうか?
 憎まれ口を叩いても心配しているのが明らかで。きっと自分が言うのはいいが、人が言うのは許せないという身内意識の固まりみたいな可愛らしい感情。

 「でも、快斗は優しいでしょ?中森さん」
 「そりゃ、優しい時もあるけど………。でもでも!」
 「快斗はとても優しい。俺はそう思うし、知ってる。中森さんだって本当はそう思ってるのに………。だって、快斗は中森さんのこといつでも心配してる」
 「………本当?」
 「本当だよ」

 言い方は、素っ気ないのに、本当は心配していることがありありとわかるのだ。
 「青子は馬鹿だからな〜」という口癖の快斗。
 新一は笑顔を浮かべながら保証するように請け負った。
 


 「隣、よろしいですか?」
 「ああ」

 新一は軽く頷く。青子と白馬も快斗のマジックを見るために早く来たのだ、席が自由なのだから最前列を確保するのは当然だろうと新一は思う。が、白馬の新一の隣に座りたい、話がしたい、お近づきになりたい、という思惑など露ほども知らなかった。
 白馬は新一の了承を得てそそくさと隣に座る。そして間近にある綺麗な美貌を横目に見ながら声をかけた。

 「今日は黒羽君のステージを見に来られたんですよね?」
 「そうだけど?………ああ、白馬は快斗とクラスメイトだったよな。じゃあ、あいつのマジックは何度も見たことあるんだろ?」
 「ありますよ。クラスで披露するのは当たり前。毎日飽きもせずに繰り返しています。学園祭なんかでも目玉ですから」
 「そっか」

 少しだけ羨ましそうな響きの声に白馬は眉間にしわを寄せる。

 「工藤君は、当然見たことあるんでしょう?」

 あの、自己顕示欲の強い黒羽快斗が自分の得意なマジックを新一に見せていないとは到底思えなかった。

 「ああ。よく練習してる」
 「練習してる?」

 白馬は眉を釣り上げ瞳を見開く。
 披露することはあっても、快斗が学校で練習する風景など見たことがない。そもそもマジックの練習は舞台裏であるから、皆に披露するのは当然完成した、成功するものばかりである。白馬は驚くと同時にその新一と快斗の親密さに嫉妬する。

 「してるけど?家にマジックの道具がごろごろしてる。時々鳩も連れてくるなあ」

 その可愛らしく自分に懐いた白鳩を思い出して新一は目を細める。主人である快斗に慣れているのは当たり前であるが、新一にもかなり懐いているのだ。肩に止まり頬にすり寄る暖かくて小さな存在はとても可愛いと思う。
 一方、工藤邸に頻繁に出入りしているという情報は事実であったと知り白馬は苦々しく思う。

 (何時の間にこんなに親しくなったのだろうか?信じられない………)

 二人のどこに接点があったのだろう。
 出会いを少々聞き及んでいるが、それでも信じがたいことだ。白馬は唇を噛みしめる。

 「白馬と快斗って親しかったんだな?マジック見に来るくらいだもんな」

 白馬の内心など知らず、新一は首を傾げながらそんなことを言う。

 「………親しいというほどではないのですが………」

 白馬は返答に困る。快斗を怪盗KIDとして疑い、追いかけているとはいい辛い。予告が出る度見張って観察しているがしっぽを出したこともない。KIDを捕まえることもできない。わざわざ新一に失態を晒すことはできなかった。

 「そうなのか?」 
 「親しくない訳でもないんです………」

 首を傾げてそれはどういうことなのだろう?と不思議な顔で見つめる新一に白馬は困る。

 「クラスメイトというのが、一番正しいかと?友達だと僕は思っていますが」
 「………一言では言えないのか?複雑な友情なんだな」

 新一は白馬の言葉に唇に指を当てて納得した。
 あまり誤解して欲しくないと白馬は思ったが新一にどう説明していいやら、わからなかった。この際、そう思っていてくれた方がいいだろう。しかし、白馬と快斗の間の友情とは、クラスメイトが聞いたら笑い転げることは必至だ。確かに、漫才にはなっている、と頷いてくれるだろうが………。

 「お待たせ〜」 

 そこへ青子がやってきた。

 「はい、工藤君。白馬君」

 青子が両手に持っている缶を差し出した。

 「………ありがとう」
 「ありがとうございます」
 「何がいいかわからなかったから、工藤君はお茶にしたの。好みじゃないなら暖かいから湯たんぽ代わりにしてもいいし。白馬君は紅茶好きだからミルクティね」

 寒いからショーが始まる前にお手洗いに行って来ると駆け出していった青子が帰りに自動販売機によって新一、白馬に差し入れを持ってきたのだ。新一には烏龍茶、白馬にはミルクティ、自分にはカフェオレを買ってきた。

 「女性にこんなことをさせてしまって申し訳ありません」

 白馬がいつものフェミニストぶりを発揮して青子に謝る。

 「いいよ。青子が寒かったから買ってきたの。野外だから寒いし、二人の分も買って来たのはついでだよ?………あ、お金はいらないからね。これは湯たんぽかカイロだと思って?」

 二人が財布を取り出そうとポケットに手を伸ばしたので、青子は手をふって受け取り拒否を伝える。

 「誰だって寒い時に暖かいカイロを友達に渡してお金なんて取らないよ?」

 青子が無邪気に笑うので新一も白馬も苦笑する。

 暖かい。
 腕の中にある缶から発する熱と青子のふんわりとした言葉が身体と心を暖める。

 「「ありがとう………」」
 「えへ、どうしたしまして」

 新一と白馬からにこやかにお礼を言われて、青子は照れながら小さく首を竦める。

 「あ、そろそろ始まるみたいだね?」
 「そうですね」
 「いよいよだな」

 舞台上に司会者が現れてマイクの調整に入っている。15分後から始めるので空いている席に付いて下さいと、宣伝を兼ねて公園にいる人間に声をかけていた。
 






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