「吐息までの距離」9
〜約束編 後編〜





 やがて、ステージが始まった。
 次々にマジシャンが出てきてマジックを披露していく。
 けれど、どのマジックを見ても心ときめかない。快斗のマジックを見慣れているせいだろうか?マジックはタネがあるはずなのに、彼だとさっぱりわからない、まるで魔法みたいに見えるその滑らかな指を知っている。それを常々見ている新一からしたら新人のマジシャンは一応プロだというのに、粗が見える。タネがわかってしまう。
 夢を与えるのがマジシャンの仕事だよ、という快斗の言葉が脳裏に蘇る。
 夢を与える、とはなんと偉大で素晴らしいことなのだろう。
 それが成功すれば人に感動を与えるが、失敗すれば滑稽だ。
 冷静にそんなことを考えながら新一は快斗の出番を待っていた。この次が快斗の出番だと気付いた新一はどきどきする心臓の上に手を当ててその瞬間を待つ。

 そして、待ちに待った時が来た。
 快斗が舞台袖から真っ黒のスーツに身を包んで現れると拍手を送り、その一挙手一投足を見つめた。快斗の視線が舞台から客席へ向けられた時、自分を確認して微笑んだ。新一もちゃんと約束通り来たんだと伝えるように微笑み返した。その時、新一は気付かなかったが、快斗は舞台上で新一の隣にいる白馬に一瞬目を細め、鉄壁のポーカーファイスで隠しマジックに集中した。
 
 快斗は舞台中央で一礼して優雅に指をひらめかせる。
 何もないところからカードが現れる。滑らかな手さばきでカードが指から指へと移動する。
 最初は得意のカードマジックから始まり、そのまるで生きているようなカードさばきだけで見る者を彼の世界へ引き込んだ。
 シルクハットからはお決まりの鳩が何匹も現れて空に向かって飛んで行き、その次には兎がぴょっこりと顔を出す。
 奇想天外なマジックも大がかりな仕掛けもない。
 けれど、彼のマジックは華がある。夢がある。
 この場に現れた若くて優美な魔術師は鮮やかに世界を染めた。観客は酔いしれる。
 新一は目をきらきらさせて魔術師を見つめる。
 一人の持ち時間は短い。あっという間に夢の時間は終わりを告げた。
 魔術師の返礼と共に、会場中から拍手喝采。

 「すごいな………」

 新一は自身も拍手をしながら後ろの客席を振り返る。だれもが笑顔で手を叩いている。
 「ほんとに、マジックだけはすごいんだから!」
 青子が笑顔で誉めた。
 「そうですね」
 白馬もそれに関しては認めざるを得ない。





 「快斗」

 全ての演目が終わり人々は去っていった。客席にはほとんど人は残っていない。3人は舞台を終えて快斗がやってくるのを待っていた。やっと姿を現した快斗に新一は気付いて名前を呼んだ。

 「どうだった?」
 「すっごく、良かった!」

 穏やかに微笑む快斗に新一もにっこりと笑顔を向けた。その新一の笑顔に満足すると快斗は隣にいる青子に視線を向けて目を細める。

 「アホ子、来てたのか?どうだった、俺様のマジックは?」
 「馬快斗!………でも、マジックだけは誉めてあげるわよ」

 ふーんだ、と横を向く青子に快斗はくすくすと笑う。

 「白馬鹿まで来てたのか?」
 「ご挨拶ですね、黒羽君。これでもクラスメイトの活躍を応援しに来てあげたというのに」
 「頼んでないねえ」
 「相変わらずですね、貴方は」

 そっけなく返す、そんな快斗の反応は白馬の予測したものだった。だから白馬は見せつけるように肩をすくめてみせた。

 「変わる訳ねえだろ?」

 快斗が白馬に真面目に対する気がないことは、誰の目にも明らかだった。
 快斗と白馬の会話と先ほどの白馬自身の言葉から、新一はやっぱり複雑な友情だからか?と外れたことを思っていた。理解しにくいが、人間関係とは複雑なものなのだ。自分も決して上手とは言い難いから、こんな友情も成立するんだなと二人が聞いたら大きく首を振って間違いを正すことを考えていた。

 「あのね、工藤君」

 新一がそんな考えに捕らわれていると、青子がおずおずと声を掛けてきた。

 「どうしたの?中森さん」
 「………あの、えっと………」
 「何?」
 「お願いがあるの!!!こんな機会二度とないだろうし、快斗が工藤君に逢わせてくれるとも思えないし、それはわかるんだけど………。だって工藤君すっごく綺麗で格好良くて美人さんなんだもん。誰にも見せたくないのはとっても、とってもわかるんだけどね、青子だって快斗だったらそう思うから!だからね、折角の機会だから写真撮ってもいいかな?駄目?」

 一気にまくし立てる青子に新一は唖然とした。

 「………俺の?」
 「うん。一緒に映ってもらっていい?」

 快斗にとって青子の勢い余った台詞はいつものことであるが、新一がその勢いに負けているのに快斗は目を眇めた。

 「………青子、まさかお前売らねえだろうな?」
 「青子、そんなことしないよ。ただ、記念に欲しいんだもん!」
 「………、まあ青子にそんな知恵ある訳ねえか」

 青子がそんなことしないだろうと快斗だって知っている。けれど何事も見過ごしてはならないのだ。
 新一の写真は高値で売れる。それを影で売っている人間が江古田にも存在していた。
 どこで撮ったのか学校帰りの制服姿や私服、事件の時らしい怜悧な雰囲気を漂わせたものまである。もちろん、全部隠し撮りだ。
 1枚でも映りのいい写真があれば、かなりの儲けになる。
 青子はそんな犯罪まがいなことをする気はないし、快斗がそれを心配していることも理解していた。

 「ほんとに、記念だもん………」
 「新一、青子と映ってやってくれない?」

 下を向いて意気消沈している青子に苦笑しつつ、快斗は新一に頼んだ。

 「俺でいいのか?」
 「ああ」
 「わかった。………いいですよ、中森さん。俺でよければ」

 快斗が頼むよと苦笑するので新一は青子に優しく微笑んで、了承した。

 「ありがとう、工藤くん」

 青子は安堵の表情を浮かべて、ぺこりと頭を下げた。そして鞄からカメラを取り出して異常がないか確認すると快斗に向き直る。

 「あ、じゃあ、お願いね快斗」

 青子は快斗にカメラを渡して新一の隣に緊張しつつ並ぶ。

 (どんな顔していいか、わかんないよ〜)

 青子は胸の中で動揺を抑えるが、簡単には治まらない。

 「よ、よろしくね、工藤君」
 「ええ」

 穏やかに微笑んでくれる新一の横顔を見て、青子はその綺麗な顔と瞳に赤面する。

 「そんなに緊張しなくてもいいだろ?」

 すかさず、快斗から突っ込みが入る。
 フレームに収まるように少し距離を置いた場所から、からかうように苦笑している。

 「だって、だって〜」
 「俺、そんなに怖い?」

 青子が快斗に言い募ろうとすると見当はずれの心配を新一はする。心配そうに青子をその蒼い瞳で見つめる。

 「え?怖いなんてないの!だた、私が緊張してるだけなの!それだけなの!工藤君は悪くないの!」

 青子は即答した。
 折角一緒に映ってくれるというのに、新一に自分の態度で勘違いされたら申し訳ない。
 青子は顔と手を大きくふって、違うのと伝える。
 
 (怖いなんてあるわけないのに〜。青子そんなにこわばった顔してたの?)

 美人の隣は緊張するものだとしみじみ青子は実感しつつ、どうにか笑うように努力する。

 「撮るぞ?」
 「うん、綺麗に撮ってね」

 快斗がカメラを構えていいか?と聞いてくるので青子はささやかにお願いする。

 「………綺麗な人はより美しく、そうでない人はそれなりだろ?」
 「バ快斗!!!!!」

 快斗のからかいのせいで青子がいつもの表情に戻った瞬間シャッターが押された。
 カシャン。
 カシャン。
 快斗は写真を数枚撮る。

 「ありがとう」

 青子は自分のカメラを抱きしめながら快斗と新一に満面の笑みを浮かべて、お礼を言う。そして次の瞬間突然思いついたように口をぽかんと開けて手を打った。

 「快斗も撮ってあげようか?工藤君とどう?」
 
 いいことを思いついたと、喜色を瞳に混ぜて快斗を青子は見上げる。

 「………そういえば、新一と一緒ってないなあ」

 記念に写真を撮るという習慣がない二人である。片方を撮ること機会ならあるが、二人一緒となると、誰かに撮ってもらうことが前提になる。さすがにオートでわざわざ撮ることなどしない。頼まれて二人写真に収まったことはあるが、手元に写真は残っていない。
 これも記念になるかもしれないなあと快斗は思う。

 「じゃあ、中森さん撮ってくれる?」

 快斗がそう思っていると、新一も二人で撮った写真がないことに気付いたらしく青子に自分から頼んだ。

 「いいよ。じゃあ、並んでね?」

 青子は少し離れて、カメラを構えた。
 快斗と新一は寄り添うに並んだ。

 「撮るよ?」
 「ああ」

 レンズ越しに青子は二人を見つめた。少しだけ照れくさそうに微笑んで寄り添っている。二人の間に距離がない。まるで家族か恋人のような雰囲気を醸し出している二人に青子は微笑む。
 カシャン。
 カシャン。

 「上手く撮れないかもしれないから、もう少しね?」

 カシャン。
 カシャン。
 青子が撮れたよ、とにっこり笑いながら手をふった。

 「まだ、フイルムあるみたいだから………一人づつ撮ろうか?すぐ現像出すから余るともったいないし」

 フイルムの残り枚数を確認して青子が提案した。

 「そうだな」
 「そうするか?
 「いいんじゃないですか?」

 それぞれの同意を得て、一人ずつの写真を撮ることになった。

 「一人、2〜3枚撮ってね?快斗」

 最初に青子が快斗を映して、残りを快斗に撮ってもらうためにカメラを渡した。

 「任せておけって」

 快斗は青子を笑わせながら映し、白馬を憎まれ口を叩きながら映し、新一を愛おしそうに映した。そして青子にカメラを返した。

 「ほら、青子」
 「ありがとう。後で、焼き回しするね?」
 「ありがとうございます。中森さん」
 「ありがとう、中森さん」
 「たまには青子も、役立つなあ」

 二人からは素直なお礼を受け取りいいよと微笑むが、快斗からはいつものからかいを受けて青子は拗ねたように横を向いた。

 「そんなこと言うと、快斗にはあげないわよーだ」
 「嘘、冗談だって………青子」

 快斗が手をあわせて拝むようにしながら、だからくれよ?と片目を瞑るので、青子もしょうがないわねとお約束のように許した。

 「じゃあ、帰ろうか」
 「ああ」

 快斗が新一に促すと、新一は頷く。
 写真撮影をしている間に先ほどの観客は姿を消している。残っているのは公園の広場で遊んでいる元気な子供達だけだった。

 「それじゃあな、青子」
 「うん」
 「さようなら、中森さん」
 「工藤君も、またね。今日はありがとう」

 青子は手をふって二人の後ろ姿を見送った。横で白馬も一緒に手をふっている。
 
 
 「帰ろうか?白馬君」
 「そうですね、中森さん」

 その後ろ姿が消えてなくなると青子は白馬の顔をご機嫌に見上げた。

 「中森さん………。僕にも焼き回し、お願いできますか?」
 「もちろん白馬君の写真は渡すよ?」
 「それ以外も欲しいんです」
 「えー。でも、売らないって快斗と約束したし」

 白馬が自分以外に誰の写真が欲しいかなど、聞くまでもなかった。

 「売らなければいいんですよ。中森さんのご厚意で下されば。ただ単に、今度僕が美味しいケーキをご馳走することがあるだけです。そこには因果関係はありません。それなら、いいでしょう?」
 「………そうかな?」
 「そうですよ。売らないんですから何ら問題ありません。もちろん僕も他人には決して渡しませんし。この写真が漏れることはありませんよ?一緒に撮った写真を記念にもらうだけですから………ね?」
 「そっか。じゃあ、いいよ」

 白馬の説得に青子は頷いた。

 「ありがとうざいます。できるなら、工藤君、一人のがいいです」
 「それは………そうだろうね。わかった!」

 新一一人映った写真がいい、とはやはり男心なのだろうか。
 青子は自分だったら、快斗と二人で映った写真もいいと思うんだけどなと、内心呟く。なぜなら、二人一緒の方がとてもいい表情だったからだ。

 「でも、快斗があんな風に笑えるなんて初めて知ったわ」

 とっても、とっても優しい笑顔だった。
 大切な存在を見る瞳だった。

 (工藤君は快斗が優しいって、青子も優しいって知ってるでしょうって言ったけど。あれは、あの優しさは工藤君限定だと思うんだよね………)

 自分に向ける優しさとは違う。
 他の人よりも幼なじみの自分に対して確かに優しいとは思う。どんなにからかっても最終的に青子に快斗は優しい。
 でも、たった一人に向ける優しさとは違うのだ。
 青子は幸せそうに笑う幼なじみを思い出して、嬉しくなる。
 同時に隣で綺麗に微笑んでいる新一を見ることができて、本当に良かったと安堵した。

 (ずっと幸せそうに笑っていてね………)

 青子は大切な幼なじみの幸福を祈る。
 




 「約束、守れて良かった………」
 「来てくれてありがとう、新一」
 「ううん」

 新一は嬉しそうに首をふる。

 (本当に、守れて良かった。破らずに済んで良かった………)

 新一は安堵していた。
 事件が起こると、どうしてもそちらを優先してしまう自分を知っているから、余計に今日は約束を守りたかったのだ。快斗のステージを見たかった。

 「新一に見られてると思ったら緊張しちゃった」
 「………快斗が?」
 「そうだよ。失敗できないって思ってどきどきした」

 不思議そうに快斗を見上げてくる新一に、本当だよと告白する。

 「あんなに堂々としてるのに?」
 「ポーカーフェイスは得意ですから。夢を見せる魔術師が格好悪いとこなんて見せられません」

 ウインクを付け加えてそう新一に快斗は微笑む。

 「そんな風に見えなかったな。やっぱり、お前すごい」

 新一は快斗の瞳を見上げながら、見惚れるほどの綺麗に微笑んだ。
 快斗が認められてたくさんの拍手をもらった時、自分のことのように嬉しかった。夢みたいなマジックが彼の優雅な指先から生まれる瞬間を見ることが好きだ。ステージで見るマジシャンらしい姿も、家で練習している姿も自分だけに見せてくれるマジックも、どれも好き。

 「好きだな………」

 新一は心から思う。
 快斗が好きで、快斗のマジックが好き。長くて綺麗な指も優しい笑顔も、全部好き。

 「………」

 新一の言葉に快斗は絶句する。
 とても嬉しいのだけれど、その好きは微妙だな………と思う。
 好き、という言葉は難しい。
 新一の「好き」という言葉に恋情がこもっているとは言えない。全くないとは言わないが、そこには欲がない。沸き上がってきた好きだという気持ちをただ、声にして言葉にして伝えているに過ぎないのだ。それでも、ものすごく進歩であるのだけれど………。前途は長く厳しいらしい、と快斗は思う。

 「俺も、好きだよ」

 たとえ、新一が感じている好きとは微妙に差があろうとも快斗は真摯に告げる。いつか、ちゃんと伝わるといいと願いながら。

 「新一」

 快斗は新一の腕を引いて自分の中に抱き込むと一瞬だけ、その存在を確かめた。囁くような小さな声で「好きだ」と呟いて、冷えている黒髪に口付ける。

 「………快斗?」

 腕の中の新一が大きな瞳で見上げてくる。それに快斗は安心させるように腕をゆるめて解放する。

 「帰ろうか、随分冷えてる」

 冷たくなった新一の頬、耳を指で確認するように撫でてから背に手を回して促す。

 「うん、快斗も冷えてるな。指が冷たかった。早く帰って暖まろ?」

 快斗が振れた頬に自分の指を添わせて新一は首を傾げた。

 「ごめん、指先、冷たかった?」
 「冷たかったけど、謝ることじゃないだろ?………快斗の大切な指が冷える方が重大なんだから!俺に注意する前に、自分も暖かくしてろよ?」
 「わかりました。以後気を付けます。………だから新一も一緒に暖まろうね」

 新一の忠告に至極真面目に丁寧な答えを返して、笑いながら新一の手を取った。繋いだ指は暖かい。
 快斗のマジシャンとしての指を心配し、大切にしてくれるのが嬉しい。
 その気持ちが心を暖かくする。指先から伝わる熱と思い。

 「そだな。一緒に暖かいお茶飲んでご飯食べて、暖かい毛布にくるまって、寝よ?」

 新一は快斗と繋いだ指を嬉しそうに絡めて、にっこり天使のように微笑んだ。

 

 二人の微妙な距離が埋まって。
 快斗の想いが届くまで、あと一歩。
 
 




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