犯行予告は午後8時。 すでに報道陣と野次馬で美術館の周りは埋められていた。世間に人気の怪盗KIDの予告があると現場に必ず訪れる人々。そこからでも人気の程が伺える。まして、土曜日の午後8時なら十分に許容範囲どころか、歓迎するべき娯楽の時間だ。 夜の帳が降り銀色の月が輝く頃には、美術館を皓々と照らす照明と赤いランプを付け警備に当たるパトカーの光があった。 もうすぐ、予告の時間が迫っていた。 捕り物に参加した探偵達も、折り合いの悪い中森警部に警備の助言をしながら対応策を練るのは骨が折れる作業だ。 警備体制の確認と助言。それは、難なく行われそうでできないこと。中森警部はなかなか他人の言うことを素直に聞かない。警察官の誇りがあるのだろうか、探偵風情が口を出してと思っているのが見え見えだった。 自分の意見が行き届かない分を補うため、探偵は仕方なく単独で試行錯誤してみたりすることになる。しかし、今日の探偵は2人。1人よりは動きやすいだろう。 全ての最終確認を済ませて強固な硝子に囲まれた宝石を部屋にいる全ての人間………中森警部と彼率いる他の警察官、探偵達、関係者………が見つめていた。その宝石は『奇跡の虹』と呼ばれているレインボームーンストーンである。ブルームーンストーンのようにネオン発色の美しいシラーが虹のような七色で輝く様は月光を集めたような奇跡の宝石を体現している。 今回美術館がアールヌーボの装飾美術展を開催するにあたり、さるところから借りた特別展示品である。そのため、警察と警備会社の威信をかけて最新・強固なコンピュータに守護しつつ人為で固めることになっていた。 いよいよ予告時間だ。 誰もが緊張をもって、時計の音をやけに大きく聞きながらKIDの出現を待つ。 カチ、カチ、カチ………。 時計の針が8時を示すとと同時に暗転する。 予測していた事態。彼は暗闇を作り出したり煙幕で身を隠したりと様々な手を使う。素早く非常時に切り替えられた電源で明かりが戻る。 「KIDか………?」 「持ち場を動くな!」 気を引き締めるように大声で中森が叫ぶ。が、彼は目を見開いた。すでに純白の怪盗はどこからか姿を現していたのだ。ガラスケースの上に優雅に立っている。白いマントが緩やかに翻る様は大層絵になっていた。そして、コンピュータで制御されているはずの、誰にも開けられないはずのガラスケースを簡単に開くと、鎮座している宝石をその手にした。 いつのまに、その強固なケースを開けたのか? 彼にとってコンピュータの内部にハッキングしてロックを無効にすることなど造作もないことであった。 機械に頼り過ぎるとプロテクトが破られた場合脆いものだ。 KIDは獲物を手ににやりと微笑む。 「それでは、確かに『奇跡の虹』を頂いていきますよ、中森警部」 「KID〜!!!」 中森が叫んで飛びかかる。しかしKIDは余裕でかわして飛び上がった。 「待ちなさい、KID」 「待てやKID!」 探偵達もまんまと宝石を盗み自分の頭上のシャンデリアに優雅に座っている怪盗を忌々しげに睨み付ける。 「今宵も、ご苦労さまでした。しかし、手応えがなさ過ぎですね、探偵さん」 手応えがない、と馬鹿にされて白馬も服部も顔を赤らめて、唇を噛みしめる。その悔しそうな表情をKIDは無表情で見下ろした。 (お前達に掴まるようなKIDじゃない………) KIDは内心冷笑しながら、それでも優雅に一礼して、窓から飛び出した。 「追え!!!!!!!」 中森の怒号で警備に当たっていた警官が廊下を走っていく。やがてサイレンが聞こえてきて、KIDと警察の追いかけっこが始まった。 探偵達もすぐに外に飛び出して、KIDを追いかけた。 しっかりとダミーに踊らされていたとわかるのはそれから30分後のことだった。 「佐々木順子さん、貴方ですね?」 「………!!!」 現場のマンションに容疑者に集まってもらい名探偵の推理が披露されていた。 参考人として連れてこられたのは3人。 昨日マンションに訪れたと確認できた者達だ。もちろん、誰にも知られていない人間がいたかもしれない………。が、それぞれに状況説明や質問を署でしていた。そこから新一は推理したのだ。 新一に名前を呼ばれた女性は、驚愕に瞳を見開いた。ふるえそうになる身体を押さえるように新一に瞳を見つめる。それを新一は真っ直ぐに受ける。 「凶器は灰皿です」 「でも、それは流しにあっただろ?洗ってあったが、ルミノール反応も出なかった」 目暮が疑問を口にする。 「ええ。犯行に使われたのはあの灰皿ではありませんから」 「?」 「おそらく、佐々木さんは元々リビングに置いてあった灰皿で彼を殴ってしまった。そしてその勢いでテーブルに再び頭をぶつけた被害者は死んでしまった。それは計画的ではなく突発的な犯行だったのでしょう。そこにあった物で殴ってしまったのですから」 「………」 順子は新一の言葉を無言で聞く。 「当然、吸い殻が散らばり、灰皿には血痕が残った。貴方はその場に置いて置くことができなかった。だから、その凶器になった灰皿を自分で持ち去ることにした。………しかし、吸い殻をゴミ箱に捨てても灰皿がないのはおかしいと気づき、書斎にあった灰皿をもってきて代わりに置くことにした。それをわざわざ洗ったのは、もし自分以外の人間がその日訪れて煙草を吸い灰皿に触った時指紋がでなかったらおかしいからだ。それに、そのままテーブルに置いておくことができなかったんだ。誰かがそれはリビングの灰皿ではないと気付いてしまうことを恐れて………」 静かな声で新一は推理を続けた。 「工藤君。なぜ、洗って置いてあった灰皿がリビングのものではないとわかったのかね?」 目暮が首をひねりながら質問する。 「洗ってあった灰皿はどうもリビングに置くには不相応に見えました。普通リビングには来客を前提としますから大きめで見栄えの良いものを置くでしょう?あれは、とてもシンプルで小さかった。この大きなリビングの重厚なテーブルには似合わない。社長である被害者なら来客やお付き合いも様々でしょうから、このリビングも上品な調度品が揃っているでしょう?それなのに、灰皿だけ不自然だったんですよ」 「………なるほど」 目暮は納得した。それに軽く新一は頷いて佐々木に向きなおった。 「違いますか?佐々木さん」 「………。けれど、それは私である証拠にはなりません。なのに、どうして私などと言うのですか?」 順子は唇を噛んで、眉をひそめる。 「僕が貴方に『訪れた時、被害者は煙草を吸っていましたか?』と質問した時、貴方はこう答えましたね。『吸っていた』と。『いつも吸いすぎじゃないかと思う』と」 「ええ、でもそれが?」 それが何だというのだろうか?順子は首を傾げる。新一は続けた。 「貴方は煙草を吸われませんね?この部屋はヘビースモーカーである彼の煙草の匂いが染み込んでいます。煙草の匂いは衣服や髪に付きます。おそらく帰宅した貴方は血の匂いと同時にその煙草の匂いも消したはずだ。………でも、鞄や財布あらゆるものに匂いは付いているものですよ?服を着替えても寒くなってきましたから上着とかコートとか着るでしょう?それは同じだったりしませんか?貴方の全てから彼の銘柄の煙草の香りがしました。この部屋だとわかりにくいと思いますが、署ではとてもわかりやすかった」 「………それも何の証拠にもならないわ」 反論する順子に新一は視線を向ける。 「煙草の吸いすぎを心配するほど、貴方の持ち物に香りが移るほど親しい関係にあった。それはどうですか?」 「………それは、そうかもしれません」 彼女は被害者の秘書をしている。もう5年になるらしい。随分有能な秘書で平気で社長である藤田に言い難いことも言っていたらしいと社内では評判だった。そこに恋愛関係があるのか、と聞かれればそんな風には見えなかったというのが周りの評価だった。 しかし、事実を彼女は認めた。 香りがわからない程傍にいた、ということに。 「被害者は、テーブルの角に頭をぶつけてすぐに死亡したと貴方は思っているかもしれませんが、少しだけ息があったと思いますよ。動転していてわからなかったでしょうが。でも、彼は何も残さなかった。つまり、彼はこのまま犯人を知らせなくてもいいと思ったんですよ。犯人は彼が庇いたいと思う人物である、ということです」 順子は俯いていた顔を瞬時に上げて新一を見た。 「嘘………」 「嘘ではありませんよ。彼は貴方を愛していた。結婚を申し込むつもりでした」 「そんなことあるわけがないわ!」 「本当ですよ。宝石店に調べが付いています。指輪が注文してあったようですよ。『H to J』弘司さんから順子さんへとね。貴方の誕生月、2月の石である紫水晶がはめ込まれているそうです。間違いないでしょう?」 「そんな!だって、私………。誤解だったの?どうしよう、殺してしまったわ………」 そう叫んで順子はぽろぽろと涙を流す。大粒の涙は絨毯に落ちてシミを作った。 新一は悲しげに、憂いを浮かべて犯罪を悔いている女性を見つめた。 真実を見抜く瞳はいつも透明な色で。 暴かれた罪は、彼の前にただ佇む。 彼女の絶望的に嘆き悲しむ声だけが、静寂の中響き渡った。 そして、彼らは一度本庁に戻ってきた。 「今回もすまなかったね。………大丈夫かい?」 「ええ」 目暮は心配そうに新一を見つめる。 疲労の色が隠せない青白い顔をした新一は無理をして笑って見せる。それが目暮にはわかるため内心ため息を付きながら申し出た。 「送らせるから、ゆっくり休んでくれ」 「はい。すみません」 新一が小さく頷く。 結局身体がそう強くないのに新一に徹夜させて協力させてしまったことを、目暮は申し訳なく思う。警察だけで事件が解決するのならどれだけいいかしれないのだが。現実は犯罪も多種多様を極めてわかりずらいものが多くなっている。 「本当に、いつもありがとう」 目暮は新一の肩に手をポンと乗せながら感謝の言葉を伝える。そして、玄関まで送ろうと促した。 「あ、終わったんか?」 「解決しましたか」 彼らが廊下を歩こうとした所へ、KIDにまんまとやられた探偵達は戻ってきた。 にぎやかな足音が狭い廊下に響く。警部や今日の捕り物に参加していた2課の面々が次々に現れた。 「そっちは………聞くまでもないか」 新一は今日もKIDの仕事が成功したことを知る。もっとも、簡単にKIDが掴まるなどと思っていないが。 「ああ。やられたわ」 「すばしっこい奴です」 新一に良い報告もできず、KIDにも馬鹿にされ服部も白馬も落胆していた。 しかし、ここで折角新一に逢うことができ、しかも彼は無事に事件を終えているのだ。そう頭を巡らして、このチャンスは有効に使わなければと現金にも復活すると彼らは新一と行動を共にしようと考えた。 「工藤君、もう帰られるんですよね?お家までお送りしましょうか?」 当然ながら白馬には彼専用の車が待っていた。白馬がそう申し出て新一がそれに答えようと口を開いた時。 「必要ない」 柔らかな声がした。聞き覚えのある声に新一はその人物を見た。 「快斗?」 「黒羽君………」 白馬は憎らしげに快斗を睨んだ。 厚手のシャツにブラックジーンズ。腰が隠れるくらいの真っ黒のコート。なんの変哲もない衣装が妙に様になっていた。 KIDであると確信している相手が、こんな警察の本拠地に来るなんて………。 白馬は苦々しく思う。 先ほどまで追いかていた人間の面々の前に姿を現すなど、大した度胸である。この事実を知ったら中森警部は卒倒するだろう。それを思うと一生KIDの正体を知らないのが彼の幸せかもしれなかった。 「迎えに来たよ、帰ろう?新一」 白馬など視界から排除して快斗は新一ににっこりと微笑んだ。 新一は快斗の笑顔を認めてすとんと肩から力が抜けた。………知らず緊張していたらしい。事件が起これば、毎回そうならざるを得ないのだ。 「ああ、帰ろう」 素直に頷いて新一は快斗に近付く。そして、快斗の肩にことりと頭を預けてふう、と吐息を付いた。 「お疲れさま」 耳元で快斗の声を聞いて新一は安心して意識を手放した。あっという間に身体から力が抜ける。 快斗は心得ていたように新一の軽い身体を支えて、ひょいと抱き上げた。 すでに眠りに付いている新一は穏やかな表情で瞼を閉じている。 今まで神経が張りつめていたのだが、実際の新一は疲労困憊であった。本を読んでいて徹夜して、事件が起こりずっとつきっきりで頭を巡らしまたもや徹夜である。体力も精神力も限界だったのだ。ただ、警視庁で仮眠も取れず、倒れる訳にもいかず踏みとどまっていたのだ。 それが、快斗の笑顔と気配に気が緩んで、もう彼が側にいれば大丈夫だと心が安堵して睡魔に身を任せた。 「工藤君?」 「工藤?」 目の前で起こったことが信じられない二人は唖然とする。 人の気配に敏感で服部を家に泊めることさえ嫌がるというのに、いくら疲れているとはいえ、これだけ人のいる前で熟睡するなんて………。 茫然自失の体でただ、目の前で起こっていることを見つめる。 快斗は新一を抱きしめたまま目暮に視線を向ける。 「それでは、目暮警部、高木刑事失礼します」 「ああ。工藤君を頼むよ」 「はい」 快斗はすでに馴染みになっている目暮と高木に挨拶をしてぺこりと軽く頭を下げると背を向けた。その背中に高木が慌てて声をかける。 「工藤くん眠ってるけど、車で送らなくて大丈夫?」 「ええ。阿笠博士が一緒に来てくれていますから」 「そうかい。それなら良かった」 高木は安堵する。 新一の意識があれば電車でもバイクでもいいのだが、意識のない人間を運ぶなら車しかない。 そんなことを普通に会話しているにはもちろん訳があった。 快斗が新一を迎えに来たのは今回が初めてではない。すで何度も顔を見せている。そして、快斗が工藤邸に出入りして新一と親しいことももちろん周知の事実となっていた。 高木など、工藤君が倒れた時助けたことがきっかけだろう?と理解を示している。工藤邸で初めて快斗を見かけた時に、ああ、と納得したのだ。 きっと雰囲気とか気配とかあうんだろうなと高木は仲のよい二人から敏感に感じている。 快斗の頼りがいのある背中を見送って、彼なら安心と目暮は思いつつ事件の後始末、書類や世間への発表など追われる仕事を頭に思い浮かべて吐息を付く。 それでも、新一のおかげで早期解決できたのだ。 自分たち警察ががんばらなくて、どうするのか。 「高木君、もうひとがんばりだぞ」 「はい!」 目暮は部下に一声かけて、机に戻ることにした。高木もきっぱりと返事をして後を足早に歩く。 残された迷探偵達が意識を取り戻すまでしばらく時間が必用だった。それまで誰も声をかけず放っておいたらしい。それは賢明な判断であっただろう。 「新一?」 そっと囁くように名前を呼ぶが熟睡しているせいか、ぴくりとも動かない。 阿笠に車で送り届けてもらい、その間ずっと快斗が抱いていた乗っていたのだが、一度も目を覚ますことなく工藤邸に着いた。博士にお礼を言って別れ、着替えさせてベットに寝かせたのだが。 これはしばらく起きないな、と快斗が思いシャワーでも浴びてこようかと離れようとすると、意識がないはずであるのに上着を指が掴んでいた。 「………無意識?」 その指を一度見つめて、快斗は苦笑する。 (嬉しいんだけどなあ………。困ったなあ) 自分の理性なんて、吹き飛びそうなんだけれど。よくもっていると誉めてやりたいくらいだ。 一緒にお昼寝したり、休日には泊まるため同じベットでも眠ったりするのだけれど。 毎回、毎回幸せなんだけれど、実際はすごく困っていたりする。 そんなに安心しきった無防備な寝顔で自分を煽らないで欲しい。 枕に散らばる漆黒の髪も、パジャマから覗く鎖骨も細くて白い指も、どこからか香る新一の甘い匂いも、唇から漏れる吐息も全てが快斗を誘惑する。 新一の無意識の色気に快斗はぐらりと、眩暈を覚える。これでもKIDで養った鉄壁の自制心、平常心で危ういところを踏みとどまっているのだ。快斗がこんな状態であるのに、本人に自覚が皆無であるのが、一番の問題なのだ。 もっとも新一に言わせれば、誰も彼も一緒に寝られる訳がない、となる。快斗だから、こんなに熟睡できる。安眠できる、と。 「身体が勝手に反応して眠りに入るらしい」とも言っていた。 何度となく切れそうになる理性をそれでも繋げているのは新一が好きだから。 大切だからだ。 自分より、何より優先順位が上にある人。 守られる程弱くないことも知っている。真実を見抜く瞳は決して綺麗なものばかりを映してきただけではない。汚いことも辛いこともたくさんその蒼い瞳で見てきたはず。それでもこうして探偵として立っていられる新一の強さを尊敬している。 けれど、自惚れでもいいから彼を守れるほど強くいたい。 強くて儚い美しさをもった新一を支える強さ。 自分の前で無防備でいてくれること、それは信頼されていること。 心から安心を与えられること。 これ以上を性急に望んでも意味はない。 時間だけはたっぷりとあるのだから。傍にいると決めているのだから。 (そうだよね、新一………?) 「一緒に、寝ようか」 快斗は新一の横に入り込みその華奢な身体を抱きしめる。自分の腕に収まる大切な存在を愛おしげに見つめて。唇に触れるだけのキスを贈る。 (どうせだったら、俺の夢を見てね?) それはささやかな怪盗の願い。 快斗の上着を握っている新一はこの時だけは快斗のもの。 眠っている姿も天使みたいだななんて思いながら快斗は目を閉じた。 天使を抱きしめて眠れば、楽園の夢が見られるのかもしれない。 |