「吐息までの距離」2
〜枕編〜





 「じゃあな」

 キンコンと校内に響く終業の鐘が鳴ると、いそいそと快斗は薄い鞄を担いで教室を去ろうとした。

 「快斗!またなの?たまには青子にも付き合ってよ」

 幼なじみの少女は急ぎ足で去ろうとする自分のお隣さんに唇を尖らせながら文句を言う。

 「悪い。俺、急いでるから」

 快斗は片手を上げて青子に謝りながら片目を瞑ってウインクする。

 「もう………」

 しょうがないわね、と青子は腰に手を当ててため息を付いた。そして思案げに首を傾げる。

 「毎日、毎日………彼女でもできたの?」
 「それはどうでしょう。来週KIDの予告がありますから、その準備かもしれませんよ?ねえ、黒羽君」
 「………白馬。お前、まだそんなこと言ってるのか?」

 快斗ははあ、と大げさにため息を付いた。
 先週英国から再び帰ってきた白馬探。彼は快斗のクラスメートであるが、KIDの正体が快斗であると常々言い続けている自称探偵である。決定的証拠もないのに、断定的に言い切る様は快斗からすれば片腹痛い。快斗が唯一と認める名探偵とは明らかに違い過ぎて、彼が同じ探偵と名乗ることすら不愉快だ。

 (迷探偵なら納得いくけどな………)

 「何度KIDじゃねえって言えばわかるんだ?俺は単に、人と待ち合わせてるから急いでるんだけだ」
 「へえ、じゃあ誰とですか?」
 「そんなのお前に関係ないだろう」
 「言えないんですか?怪しいですね」

 白馬は目を細めながら快斗を胡散臭そうに観察する。

 「馬鹿馬鹿しい」

 快斗は吐き捨てた。
 今日は新一と待ち合わせて買い物に行くのだ。珍しく新一から買い物に付き合って欲しいと言われて快斗は嬉しくて溜まらなかった。まるで、デートのようではないか。放課後になるのをそれはそれは楽しみにしていたというのに、白馬に掴まるなんて。付いてないったらない………。
 
 (全く、遅刻したどうしてくれる?)

 1秒でも新一を待たせてはいけないと快斗は思っている。待つのが嫌で帰られたら、こんなにも楽しみに浮かれている自分が情けなさ過ぎるではないか。

 「本当に、急いでるんだよ。じゃあな」

 快斗は白馬など気にせず廊下を走る。

 「待ちなさい、黒羽くん」

 自分の引き留める言葉を快斗が聞かないので白馬は快斗の後を追う。

 「五月蠅いなあ。付いてくるな!」

 快斗がどれほど言っても、廊下から正門まで白馬は後ろをぴったりと付いてくる。面倒だな、どこかで巻くしかないか?と快斗が思っていると向かっている正門周りが騒がしい。何かあったのだろうか、それにしては嫌な予感がするなと、首をひねり視線を向けた。

 「あ、快斗」
 「………新一!!!」

 時計台で待ち合わせのはずの人物が正門近くの塀に背中を預けて立っていた。

 「どうしたの?」

 快斗は慌てて駆け寄り新一の前に立つ。

 「事件で、近くまで来たから。どうせならって待ってた」

 にっこりと微笑みながらそんな嬉しいことを言う。が、それは大層不味かった。
 快斗としてはあまり江古田の人間に新一を見せたくなかった。
 はっきり言って、勿体ない。
 そして、遠巻きにせよ、うっとりと見つめている視線も気に入らない。それはただの独占欲であるが、新一に寄ってくる害虫をこれ以上増やさないため、なるべく江古田まで来ないように今までし向けていたのに………。
 快斗の思惑は大きく外れた。
 無邪気に綺麗な笑顔を振りまけばそれだけ分、誰構わず惹き付けてしまうしまうのだが、新一にそんな自覚はなかった。

 「工藤君、どうして?………黒羽くんと知り合いですか?」
 「白馬?………白馬ってこの学校だっけ?」

 新一は不思議そうに首を傾げた。

 「そうですよ………。それより、黒羽君と随分親しそうですけど、いつ知り合ったのですか?」
 
 自分の学校さえ新一に知ってもらえていなかったことに内心ショックを隠せない。が今はそれより二人の関係が気になった。
 自分がほんの数ヶ月英国に行っている間に何があったのだろうか?
 少なくとも、白馬は現場で何度も逢ったことのある新一から快斗のことを聞いてこともない。快斗も新一と知り合いなどと白馬に言ったこともない。わざわざ、そんな事を言うはずはないかもしれないが………。けれど、二人は名前で呼びあっているではないか。それほど親しいなんて、どうしたことだろう。白馬は新一に詰め寄りたい気持ちを抑えながら返事を待つ。

 「快斗?快斗は俺の恩人」

 しかし、待った新一の答えは簡潔だった。

 「恩人?」
 「ああ。俺が倒れそうになった時助けてくれたんだ」
 「黒羽君が?」
 「そう。見ず知らずの人間なのに家まで送ってくれた。なのに恩着せがましくなくて、さりげなくて………ありがたかった。感謝してる」
 「………新一」

 快斗が新一の誉めように頭をかきながら照れる。それに新一はにっこりと微笑む。

 「あの時、なんて優しいんだろうと思った。誰にでもできることじゃない」
 「………本当に、初対面だったんですか?」

 白馬は新一の快斗に対する信頼ぶりに、不審を覚える。
 KIDとしてなら、快斗は新一に逢ってるはずである。快斗が新一を知らないなどありえない。最初から下心があったのでないかと思えてならない。

 「本当に決まってるだろ?」

 新一は全く疑うことなく答える。
 黒羽快斗としては初対面である、とナチュラルに思っているのだ。この場合新一はKIDに逢っているからなどと深いことは考えていない。

 「そうだね。初対面だったね」

 快斗も、心の中では「黒羽快斗」としてはね………と続けつつ頷く。

 「………黒羽君、工藤君を知らないってことはないでしょう?下心があったんじゃないですか?」
 「はあ?そんなの知ってるに決まってるだろ。日本警察の救世主であり、東の名探偵工藤新一を知らなかったら、問題だろ?第一下心って何だ?」
 「工藤君に近付こうとしていたんじゃないですか?」

 しかし、疑わしげな白馬に快斗ではなく新一が断言する。

 「ありえないだろ、白馬。俺を運んでくれて、快斗は名前さえ告げずに帰ろうとしたのに。それに、俺に近付いて何になるっていうんだ?」
 「………」

 白馬は言葉に詰まる。
 新一とお近づきになりたい人間など腐るほど存在する。テレビや雑誌でしか見ることの叶わない人間、彼と関わることのある学校の人間、警視庁などの警察関係者、上げたら切りがない程だ。
 かく言う自分だってそのうちの一人である。
 警視庁でも評判の迷宮なしの名探偵。その輝く美貌と才能は圧倒的に人を惹き付けて止まない。

 「新一、白馬なんて放っておいて行こう。買い物があるんでしょう?」
 「ああ、じゃあな、白馬」

 快斗が新一の制服の袖口を引っ張って促すので、新一は頷いた。

 「待って下さい。買い物とはどこに行かれるんですか?」
 「東都デパートだけど?」
 「ご一緒しては行けませんか?」
 「お前も買い物があるのか?」
 「はい」
 「………別にいいけど?」

 新一は白馬の魂胆など何も知らずに不思議そうに小首を傾げる。
 白馬は快斗の邪魔を徹底的にするつもりであるし、快斗は新一がいいと言えばそれに従うことしかできなかった。今日の予定は新一の買い物の付き合いなのだから、新一が白馬の同行を認めてしまえば、快斗に反対する権利はなかった。

 「では、参りましょう」

 白馬は新一の答えに満足そうに笑い先に立って歩く。

 「行こう、快斗」
 「ああ」

 新一は快斗の心配を余所に楽しそうに微笑んだ。





 お目当ての東都デパートは最寄りの駅から急行に乗って3駅の場所にある。時間にして15分足らず。大手企業が運営するデパートは何でも揃うと評判で延べ床面積は他のデパートの追随を許さないないほどだ。品数が多く良質であるのでプライベートブランドの商品も好評である。
 その7階は、寝具・家具売場である。

 「ここ?新一」
 「ああ、ここ」

 エレベーターで7階まで一気に上がりフロアに降りる。
 何を買うか聞いていなかったから、快斗も白馬も新一の後を付いて来るしかなかった。
 工藤邸に頻繁に出入りして一緒に過ごす時間が長く物の好みなどがわかってきたと思っている快斗にも新一が欲しい物がわからなかった。
 家具。工藤家には一流で上品なものが揃っている。
 寝具。これまたた一流で良質なものが揃っている。
 そして、快斗の疑問は新一の進行方向で晴れる。新一が向かった先は寝具売場だ。

 タオル?それともシーツ?
 これからの季節に毛布?
 簡易なリネン類だろうか?それとも快斗を誘うことから荷物持ちが必用な大きな物?
 しかし、宅配をお願いすれば済むことだろう。
 ここで買わなくても、工藤邸には何でも上質で素晴らしく高価な物がたくさんあるけれど………。
 
 (まさか、パジャマでも買うとか?それなら納得できるだろう………)

 消耗品で自分で選びたいもの。両親が揃えているしアメリカからたくさん送られてくるけれど、色や形、好みがあるだろう。洋服と同じ感覚だし。
 が、新一の着るパジャマなど白馬に見せたくないなと快斗は思う。
 それも彼が選ぶのに色柄など口を出すことなど、許し難い。
 快斗は決まった訳でもないのに、なぜか狭量になっていた。

 「新一、何が欲しいの?」
 「何をお探しですか?工藤君」

 寝具売場を歩いている新一の後ろに付いて歩きながら、二人ともお伺いを立ててみた。

 「えっと、あ、あった。快斗」

 新一はきょろきょろと売場の並べてある品物を見回して、徐に快斗の腕を掴むとお目当ての場所に歩いていった。

 「え?ああ………」

 新一に引き釣られるまま快斗は歩く。そのまた後ろを白馬が追う。新一が足を止めたのはクッションや枕が置いてある場所であった。そして快斗に振り向くと、ことりと、首を傾げる。

 「どれがいい?快斗」
 「どれって?」
 「枕だよ」
 「枕?………新一のを俺が選ぶの?」

 訳がわからず、快斗は新一を見つめる。
 
 (どれがいいって、俺に聞くのか?新一………。普通は自分の好みだろう?)

 「は?………快斗のに決まってるだろ?」

 しかし新一は呆れたように快斗を見上げきっぱりと言い切る。

 「俺の?何で?」
 「いつも快斗が安眠をくれるから。快斗にも枕をプレゼントしようと思って。そうすれば快斗も一緒に寝られるだろ?」
 「………そうだね。俺専用の枕なの?ありがとう、新一」

 快斗はにっこりと新一の瞳を覗き込みながら微笑んでお礼を言う。
 自分のために枕を買おうなどと新一が思ってくれるなんて。
 とても、とても、嬉しい。

 (ただ、つまり………。本格的に一緒に寝るつもりなのだろうか、新一は?)

 より理性が試されるなあ、俺、大丈夫かな、と快斗は少々天を仰ぎたくなった。
 一方、白馬は新一の言葉に顔面が蒼白になる。聞かずにはいられない疑問が沸き上がり、聞きたいが聞きたくない言葉を口にした。

 「………工藤君。黒羽君と一緒に寝るってどういうことですか??」
 「………?どういうって?言葉通りだけど?」
 「い、一緒に寝ているんですか?」
 「寝てるけど?快斗と一緒だとすごくよく眠れるんだ。な、快斗」

 新一はその寝心地を思い出したのか、幸せそうな笑顔で同意を求める。

 「そうだね。気持ち良さそうに寝てるね、新一」

 快斗はすやすやと自分にもたれかかったりすり寄ったりしてくる新一の可愛らしい寝顔を思い出して、機嫌良さそうに頷く。
 白馬は絶句していた。
 一緒に寝ているとは何事だろう?
 何時の間に、こんなに親しくなっていたのだろう?
 二人の関係は?
 疑惑が頭の中でぐるぐると渦巻く。

 「で、どれがいい?快斗」
 「そうだね………。これなんていいんじゃないかな?ちょうどいい硬さで。柔らかすぎず、寝易そうだ」

 しかし白馬の驚愕など知らない新一はにこやかに快斗にどの枕がいいか相談して、快斗は白馬などどうでもいいため存在を頭の中から消去して枕を選ぶ。何点かある中でちょうどいい物を選んで持ち上げて新一に見せた。
 新一もその枕の感触を確かめて、うんと笑みを浮かべた。
 心地良さそうな、羽毛の柔らかさと弾力。ぎゅっと抱きしめると気持ちがいい。

 「本当だ。これにする?」
 「ああ。これにしようか」

 二人はにっこりと笑いあった。

 「じゃあ、買ってくる。白馬は買う物があるんだろ?見てこなくていいのか?」
 「ええ………」

 ショックのあまり、呆然としている白馬に一声かけるが反応が薄いので、まあいかと新一は納得して会計まで行くことにした。もちろん、快斗は白馬などいないものとして扱っていたので、新一と一緒に会計まで行く。
 しばららくして戻ってきてもまだ白馬は呆然としているので、「俺達、帰るから」と言い置いて、二人は帰途に付いた。その後の白馬の動向は、デパート内でも不審を買ったらしい。
 

 ちなみに、その日新一と快斗は枕を並べて仲良く一緒に眠ったらしい。





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