志保や阿笠より先に現場へKIDが到着した。点滅している発信器は一点で止まっている。 ここだろう。KIDは中をそっとうかがう。 古びた一軒家。周りにある家より生活感が感じられない。KIDは、志保にメールで先に付いたことだけ連絡を入れた。時間の無駄は省き、内容も一行だけだ。 そして、何気なく敷地内へと入る。音は立てない。壁沿いに進み窓から中を覗き込む。そこは何もない。窓から簡単に進入できそうだ。KIDは七つ道具で鍵の部分を丸く穴を開け、手を内側に入れて鍵をは外す。そして、中に忍び込む。 家の中に人の気配がする。KIDは気配を殺し、物音も立てずに目的の場所へと向かった。一人の気配は、激しい。もう一人は、新一だろう。 KIDが彼の気配を間違えるはずがない。そっと歩き、ある部屋の前で止まる。中の様子を探ろうとすると、物音がする。男の声。そして、彼の悲鳴。 KIDはトランプ銃を構えて室内へ踏み込んだ。 新一が男に襲われていた。KIDは素早い動きで、男を背後から手で一撃する。そして、意識を失った男をごろりと横へ押しやる。本当なら殺してやりたいくらいだが、それを堪える。事件をもみ消せば、自分がどれだけ犯人に報復しようと表に出てこない。そんな誘惑に負けそうになる意識を押しとどめる。 新一はそんなことを望まない。悲しむだけだから。 KIDが新一に手を差しだそうとすると、新一が目を大きく見開き見上げていた。 「名探偵?大丈夫ですか?」 「……KID?」 「はい」 新一は自然、張っていた身体から力を抜いた。ぐったりと力が抜けた身体が床に落ちる。 シャツを破られ白い肌を晒している新一の首には絞められた赤い痕がくっきりと残っている。KIDはそれを見て、怒りがこみ上げてくるが我慢して、縛られた手をほどき、新一の前をコートごとあわせをKIDの白いマントでくるむ。 「KID。なんで?」 されるがままマントにくるまれた新一がKIDを不思議そうに見る。 現在KIDは当然ながらKIDの扮装をしていない。ふつうのどこにでもいる青年の姿だ。ジーンズにシャツ、皮のジャンパーとい出で立ちはバイクに乗っていたためだ。 「名探偵が浚われたとお聞きしましたので」 そんな情報をどこから仕入れるというのか。経過した時間から考えると、新一は志保にだけSOSを送った。その志保がKIDに知らせたことになる。 「そっか。助かった」 余計なことを、とは思わない。 これが公になったらもっと大がかりな捜索になり、新一は警察からお小言をもらうだろう。 それどころか、男に襲われていた。あの男も罪を増やすことになる。 本当に、感謝した。今、来てくれて。 「いいえ。無傷とは言えませんが、それでも名探偵が無事でよかったです」 KIDはそう言いながら新一を抱き起こす。新一はKIDに身体を預けた。男に触られた時はさすがに気持ち悪かったが、KIDなら平気だ。絶対自分に危害を加えないのだとわかっているからだろう。 「ああ。ドクターと博士が付いたようですよ。連絡が入っています」 KIDは携帯に入ったメールを確認して新一に安心させるように笑いかけた。その間犯人の男はKIDが出した縄で手足を縛られている。ついでに、催眠スプレーもかけられて、しばらく意識は戻らないだろう。 「……そうなのか?」 新一は手際よく男を縛っていくKIDを見つめつつ会話を続ける。 「ええ。心配しているでしょうね。……では、失礼します」 KIDは新一を横抱きにして立ち上がる。とても高校生の男を抱き上げているとも思えないくらい揺るぎない。 「悪い、重いだろ?」 「いいえ。名探偵は軽いですよ?些か軽すぎるくらいです。ちゃんと食べていますか?」 「……うるさい。食べているけど、小食なんだから仕方ないだろ?」 ぷいと拗ねたように新一は横を向く。 「これは失礼を。でも重くないのでご心配には及びません。落としませんから、身体寄せていて下さいね」 まだ身体から力が入らない新一は素直にKIDに身体を任せた。 外へ出ると、ビートルが止まっている。 新一の姿を見て、志保と博士が外へと飛び出す。 「怪我は?」 駆け寄った志保が開口一番質問した。 「大丈夫だって」 新一が笑ってそう言うが、KIDのマントでくるまれていて信じられる訳がない。 「詳しいことは車の中で。ここでは、少々……」 KIDに即されてひとまずビートルに乗り込む。 そして、新一がいい難そうにしているため、KIDが軽く説明する。 「私が踏み込んだ時、名探偵は犯人に襲われていました。シャツも破られて上からのしかかられて。男は今足と手を縛り、眠らせてありますから、ご安心を。そして、手を縛られていたため、赤く痕がついています。また、首を締められた痕があります」 KIDは失礼と言って新一から覆っていたマントを取り去り、志保に痕を見せる。 「……!」 志保の目が険しくつり上がる。 「見せて。消毒するから」 志保はもってきた救急箱から消毒液や脱脂綿、包帯を取り出す。そして、治療をし始める。 「名探偵。なにやら薬を使われたのではないですか?」 KIDとしては手を縛られ自由を奪われ、首を絞められ男に襲われるという状態で、新一が力尽きている可能性があったため、少々迷っていたが、いまだKIDに身体を預けて志保の治療を受けていることから確信した。 「……ああ。浚われる時、使われた。だから、まだ身体の自由が効かない」 新一は観念して話し出した。 思い出したくもないことばかりだ。 「帰宅途中で声をかけてきた男がいて、あやしいと思ったんだけど、拳銃を向けられて周りにいた子供を人質にされた。で、薬を使われた。意識がいったん戻ったところで志保にSOSを入れた。手首は縛られてて、目が覚めたのはここだ。犯人は妹を失っていて。それも強姦で、その果てに自殺だ。その犯人は捕まったけど、殺人じゃいから死刑でもないし、無期懲役でもない。それを不満に思った男の犯行。俺が事件を解決したからさ。もっと早く犯人を捕まえてくれれば妹は助かったのにと」 新一は一度言葉を切る。志保は話を聞きながら治療を進める。 「八つ当たりというのか、なんというのか。結局どうしたかったのか、わからないけど。段々犯人の精神状態もおかしくなっていって、首を締められた。途中で止めたけど。で、自分が憎悪する妹の敵と自分が同じだと絶望して、襲われた。なんというか、妹がされた行為。敵のヤツがやったことを繰り返して、妹の苦しみを吐きながら。……で、KIDが助けてくれた」 新一は簡素に結ぶ。 「……身体はまだ動かない?脱力感?しびれ?めまいは?」 志保は脈を計りながら新一に聞く。 「まだ、だるいというか力が入らない。めまいはない。首を絞められた時はめまいに、心臓も激しく波打つし、ちょっと苦しかったけどな」 ちょっとどころではない。首を絞められたら死ぬ。 「成分がわからないから、無闇な薬は飲ませられないわね」 「それなら、ちょっと探ってきますよ」 KIDは志保の迷いをさっくりと打ち切った。KIDなら犯人が持っているものくらい簡単に探れるだろう。新一をこれ以上刺激したくなかったため、誰もあの中に入る可能性を捨てていたのに。 「あら?ならお願いするわ」 志保はすぐに提案を受け入れた。使われた薬品がわかれば、新一の処置も早い。 「では」 KIDはそういって、新一を優しく背もたれに預け素早く家へと入っていった。あっという間の出来事だった。さすが、KIDと志保も博士も思った。 「あのさ、警察に連絡しようと思うんだけど?」 控えめに新一が志保に言うと、ちらりと強い瞳で見やった後、大きく息を吐いた。 「すれば?仕方ないでしょう。犯人をそのまま放っておく訳にもいかないし。ただあなた説明するにしても、今日はすぐに帰してもらってちょうだい」 「わかった」 新一は携帯で目暮警部に連絡を入れる。すぐに向かうと言われ、その場で待つことになる。 「そのままだといらない心配をかけるし、好奇の視線が向けられるわよ。全部留めてコートにマフラー手袋をすれば、隠れるるかしら?」 新一の有様はひどいものだ。襲われましたと言うものだ。 志保はボタンが取れたシャツは仕方ないとして、制服のボタンを留めコートの前も留め、マフラーで首もとをぐるぐると巻き、手にも手袋をはめた。 力の入らない新一では出来ないからだ。 そこへKIDが戻ってくる。そして志保にどうぞと薬品らしきものを渡す。ありがとうと志保は受け取りポケットへと入れる。 「そうそう、今警察に連絡を入れたの。だから、工藤くんはここで待機よ。私達もね」 この寒空の下、新一ひとりになんて絶対にできない。帰れと言われても帰らないが。 「そうですか。では私はいない方がいいですね。後で伺います。……名探偵、くれぐれもお身体は無理なさいませんように」 KIDは新一の髪をさらりと撫でて、去っていった。 やがて、警察が到着した。 新一は目暮警部に簡単に説明する。犯人が縛られて、意識がないことから、新一に事件のあらましを聞く以外ないのだ。 だが、新一の体調が優れないため、志保が先に帰らせて下さいと申し出た。それはもう、逆らうことなど許さない迫力だった。 薬品を使われて力が入らないため、早く治療したいのだと言われれば、警察として強くは出られない。犯人が目を覚ましたら、じっくりと取り調べて下さいと眼孔鋭く言われ、警察官はたじたじだった。 彼女には逆らってはいけない。そう刑事の勘がが告げていた。 その夜、KIDがやってきた。後で伺うと言ったように、時間も選んでいるようで、夜9時くらいだ。 たとえ9時でも、志保に言われ当然新一はベッドの中だ。 「こんばんは、名探偵」 KIDは寝ている新一の傍らまでゆったりと歩いてきて、片膝を付いて顔を覗き込む。 「ああ。本当に来たんだな」 「もちろんですよ。嘘など付くはずがありません」 「そうだな。有言実行だよな、おまえ」 「そうですよ?」 KIDが優しい口調で新一に語りかける。そして頬にかかる新一の黒絹のような黒髪をそっと払う。 「本当に無事でよかった」 「サンキュ」 本心からの言葉に、はにかんで新一はお礼を言った。 あの時KIDが助けてくれなかったら、どうなっていたか考えるだけで恐ろしい。近年まれにみる危機だった。男に押し倒されるなんて。 コナンの時でも手段は選ばなかった新一だ。誘拐された時、男を誘惑したことだってある。その時は哀も一緒で変態だ、ロリコンだと怒っていた。身震いするくらい気持ち悪かった。 「名探偵。聞いてもいいでしょか?」 一応車の中でざっと説明はした新一だが、かなり内容は端折っている。 本当のところ、詳しい事情は本人しかわからない。話したくないと言われれば無理に聞いていいことではない。 「ああ。俺を浚った男な、妹さんが大事だったんだ。早くに両親を亡くして、妹さんの幸せだけが大切だった。妹さんが結婚が決まって、幸福の絶頂で、一ヶ月後に挙式という時に、強姦された。婚約者に言うこともできず、その果てに自殺した。で、犯人はその後捕まった。それに俺も噛んでいたらしい。たぶん、一年生の時だと思うんだ。該当する事件はあった。手詰まりだったみたいで頼まれて。犯人を割り出すのに協力したけど、逮捕までいた訳じゃなかったし。その後殺人事件が起こっから現場に直行したはず」 「それで、どうして名探偵を?」 「警察に関しての不信感。なぜもっと早く逮捕してくれなかったのか。妹さん、最後の被害者でさ。俺が早く動いてくれれば妹さんは助かったのにって。でも、犯人が捕まったから一応は収まっていた。が、当然ながら性犯罪だ。まさか死刑になる訳ではない。妹さんは死んでしまったのに、なぜあの男は無事なのかって思ったんだな。復讐したくても男は塀の中」 「……つまり、やはり八つ当たりですか?」 「そういうこと。たぶん、当時俺の名前が目立っていたんだろう」 「ですが。首を絞められたでしょ?つまり殺そうとした。憎い相手を殺したいと思うのは理解できますが、どうして名探偵を殺す気になりますか」 「それはあの男に聞いて欲しいな。ただ、せっぱ詰まっていたみたいだ。復讐したい相手が手の出せないところにある。押さえきれない気持ちが爆発しそうになる。人を殺したいと思ったことがあるか?と聞かれたし。俺は同意できなかった。人殺しの気持ちがわかるなんてない。……その結果だな」 新一に自身で冷静に分析されて、KIDは困る。 「でも!それならば、なぜ、あのような野蛮なまねを?」 まさか、強姦されようとしたとはKIDも言葉にできなかった。 「……」 新一も答えに窮する。 「……そうだな。絶望したんだ、たぶん。俺を殺そうとしてしまった。自分も憎む敵の男と同罪なのだと叫んでいた。それから、どんどん精神状態がおかしくなっていったから。妹さんがされたことを再現している感じだった。再現しながら妹さんの叫びや悲しみを訴えながら」 「再現。よりによって再現。精神が壊れますよ」 大事な妹がされた最低の行為の再現など、ふつうだったら出来るはずがない。 「ああ。そうだな、絶望の目をしていた」 「でも、それでも許されないことです。こんな痕を付けられて、その上……」 KIDが言葉を詰まらせる。首に残る指の痕。手に残る戒められた痕。そして身体に残る男が付けた痕。本当に、あの時男を殺さなかった自分を誉めてほしいとKIDは思う。 「うん。本当にありがとう、KID」 「間に合ってよかったです。でも、大丈夫ですか?」 人に弱みを見せることを嫌い、気丈であろうとする新一だ。辛くても笑っている。 「ああ。……前、コナンの時も助けてくれたな。あの時はすごく気持ち悪かった。今回は、ちょっと錯乱状態というか、あの男、俺も見えていない感じだった。危機一髪だと思ったけど。あのままだと不味かった。俺の声が聞こえていないし、抵抗してもきかない。このまま男の自由にされるのかと、思ったら。イヤで、みっともなく叫きそうになって」 「当たり前です。危機に陥って、みっともないも何もありません。叫んで当然です。そんな行為を無理矢理することがおかしいのですから」 「うん」 新一は触れているKIDの指に甘えるように頬を寄せる。 「前は消毒しましたけど、今回はそうもいかないでしょ?私が触れていても不快ではありませんか?」 男に襲われた後なのだ。不愉快に思っても不思議ではない。 「KIDなら平気」 「……」 「だって、おまえ優しいから」 新一の嘘偽りない本心だった。KIDなら触れていても、平気だ。反対にふわふわと重たい身体が楽になって、安心する。 「そう、いって頂くと嬉しいです。もっと、触れても?」 許しを請うようにKIDが新一に尋ねると、新一は綺麗に微笑んだ。 笑みで許しを悟り、KIDはさらさらとした髪の感触を楽しむようにすき、白い頬にそっと指を添え撫でゆっくりと唇を落とす。触れるだけの優しいキス。そして、目を閉じた新一の瞼にもキスを落とす。 「名探偵」 耳元で名前を呼びながら、新一の目を手のひらで覆い隠し、唇の端にキスをした。 「おやすみなさい」 驚きで震えた肩を丁寧な仕草でゆるりと慰めるように撫でて、KIDは新一から離れた。 新一が瞬いて、KIDに視線をやろうとする時にはすでに彼は姿がなかった。 自覚はなかったが、新一の頬や首筋が赤く染まっていた。 |