「探偵と怪盗のRondo」2−8




 


 その日は朝から気温が低く冷たい風が吹いていた。
 そろそろ暖かいコートやマフラーが必要かと思う気候だった。冬になれば空気も乾燥するし、インフルエンザウイルスもはびこる。
 志保は、新一にも言って聞かせなかればと窓から青い空を見上げながら、思った。
 
 
 だが、志保が心配している工藤新一は事件まっただ中にいた。

「その人を離して下さい」
 新一は犯人に穏やかで丁寧に語りかける。
 犯人は女性を人質に取っている。
 ここは銀行だ。たまたま用事があって来たのだが、銀行強盗に遭遇してしまった。また、事件体質だと言われるのだろう。
 目の前で起こった犯行。
 犯人は一人で、ナイフをもって銀行内にいた女性の腕を取り引き寄せるとナイフを突き付けた。女性は悲鳴を上げた。だが、犯人は黙れと言って女性の頬にナイフを当てて脅した。
 そして、そのまま窓口まで行き、行員を脅して鞄に金を詰めるように指示した。
 人質を取られているため、行員も抵抗できず言われるがまま金を鞄に詰める。だが、鞄はよくテレビドラマのように札束で埋まる訳ではない。
 犯人は、もっ出せ!と行員に詰め寄る。行員は、困ったように責任者の顔も見た。ここでの支店長であろう男性が窓口までゆっくりと歩いて来て、説明する。
 銀行だからといってこんな支店に何億も用意してある訳がない。取引のある企業や大口の客から前もって用意しておくように言われて初めて大金を準備しておくものだ。それに、今は午後だから、朝から用意していた資金はちょうど出払っている時間だ。ATMも大抵お金を引き出すものだ。つまり、こんな時間、こんな小さな支店には通常大金はないものだ、と支店長は丁寧に説明した。
 犯人は当てが外れたという顔をする。
 支店長の説明はある程度納得できるものだろう。
 新一は様子を見ていた。支店長が説明をしている間犯人の注意は支店長へといく。たぶん、副支店長だろう男性がそっと動いて机の下にあるだろうボタンを押していることを確認する。
 おそらく、警察への緊急連絡だろう。
 警察がここまで来るのに、どれくらいかかるだろうか。
 通常、銀行強盗ならさっさと逃走しないと捕まる確率は高くなる。犯人は時間を掛けすぎている。つまり、逃走が不可能に担っていく。そうなると、当然人質を盾に立てこもることになる。まずいだろう。女性の緊張感もそう長くは続かない。いずれ、切れるだろう。
 
 犯人が、ちっと舌打ちをして鞄を締め女性を盾に出口へと向かおうとする。このまま出口で女性を離して逃走してくれれば外で警察に捕まる確率も高い。時間がもう少し欲しいところだが。
 だが、警察の到着は持ったより早かった。
 ちょうど近くにいたのかもしれない。パトカーのサイレンの音がする。
 犯人を刺激するんだけどな、と思いながら、それでも仕方ないかと思い直す。サイレンをならしたからこそ、早くここまでたどり着いたのだろうから。
 新一は、びくりと肩を揺らして動きを止まめた犯人に話しかけた。
 
「逃走するにしても、立てこもるにしてもこのままでは女性の精神が持ちません。そうなれば、あなたが迅速に動きたくても、全く動けないでしょう」
「……」
「ですから、僕が代わりになろうと思うのですが、どうですか?」
「おまえが?」
 犯人は新一を胡散臭そうにじろりと見た。そして、顔、身体付きなど全身を見て、自分より力がないと判断したのか、にっと唇の端をあげた。
「……まあ、いいだろう。人質と代わろうなんて酔狂なヤツだ」
「よく、言われます」
 新一は同意した。犯人の方もそうかと頷き、ゆっくりとこっちに来いと言う。新一は言われるがまま、手を上に上げてにじり寄る。そして、犯人の目の前まで来ると、女性を離して下さいと言った。
 犯人も二人を人質にするには無理があると思ったのか、新一の要求通り女性を突き放し、新一の腕を引いて抱き込むとナイフを突きつけた。
 ひとまず、人質だけは解放できた。心中でそう思いながら、さて、どうしようと考える。
 
「これから、どうするんですか?」
 新一が話しかける。
「ああ?おまえには関係にだろう?じっとしていればいいんだよ」
 苛立ったように犯人が吐き捨てる。警察のサイレンが鳴り響き、なんとなくだが人の輪もできてきたようだ。ざわめきここまで聞こえる。これでは、逃げられない。
「人質ですから関係はありますし、いつまでもこのままでは進展しませんから」
「……おまえ、人質って自覚がねえのか?怖くないのか?」
「いえ、そんなことありませんが。よくあうんですよね」
 動ける範囲で肩をすくめて、新一が小さく笑う。
「人質慣れ?なんだ、そりゃ。……警察が助けてくれるの思っているのか?だったら今回は悪かったな。脅しじゃねえぞ」
 犯人はそう言ってナイフを新一の首に当て、すっと引いた。血がまっすぐの線に滲む。
 細い首に白い肌。そこに流れる赤い血は犯人の興奮を高めのか、傷口を見てにやりと口角を上げて嗤った。
 ますます、犯人は新一の身体をナイフを持ってる腕で拘束する。もう片方は金が入った鞄を持っているのだ。
 この体勢なら、隙を見て拘束を解き犯人を投げれそうだ。それとも時計に仕込んだ麻酔針で眠らせるか。
 
 ああ。それにしても、志保に怒られる。
 新一は危険な状態で、そんなことを考える。志保は新一が傷付くことを極端に嫌う。血を流すなと言われてるし。凝固し難いからなー。
 新一は心中でそんな考えごとをしながら、犯人の隙を探る。一応時計の麻酔針だけは用意しておきたい。自然な仕草で腕を触る。犯人は自分の事に手一杯であるし、新一を近くで拘束しているせいで注意が足下まで向いていない。
「あれ?警察じゃないですか?」
 新一は視線で犯人に訴えた。犯人は警察の一言に視線を向ける。注意がそちらに向いた隙、新一は両肘を思い切り突き隙間を作りしゃがみ拘束から外れると、そのまま犯人の腕を取り反対側にひねり、床に押しつけた。ナイフは足で蹴り上げ遠くへと飛ばす。反撃に出ようとする犯人にすかさず麻酔針を打ち込む。体重では適わないから、早業で仕上げないとならない。
 動きを止めた犯人に注意を怠らず、足で背中を押しながら腕を後ろ手に掴んで、「ロープ!なかったらガムテープ!」と叫ぶ。支店長は慌ててガムテープを持ってくる。新一はそれを受け取り犯人の腕をぐるぐると巻き、ついで足もぐるぐる巻いた。
 そして、もう大丈夫ですから、外にいる警察を呼んできて下さいと指示する。
 はい、と返事をした支店長が外へ駆けていった。それを見送り新一はほっと息を吐く。銀行内にいあわせた客も、ほうと安堵のため息を付く。
 やがて、警察が入ってきて新一は事情説明が待っているなと思って、ちょっと出かけてくるといって銀行まで来たのに帰宅が遅くなることが予想できて、遠くを見上げた。
 
 
 
 
 
「あなたね、何しているの?」
「……」

 結局馴染みの警官がパトカーで送ってくれた。もちろん、帰宅が遅くなるとわかった時点で連絡は入れていたが、それで志保の怒りが収まるはずがない。
 一応、怪我をしたため阿笠邸へと赴いた新一に志保の説教が待っていた。
 すぐに傷は消毒されてガーゼが貼られその上から包帯が巻かれている。血が凝固し難いためそれ専用の薬もちゃんと塗られている。怪我自体は大したことはないと思うが、見かけは大仰であると新一は思う。もっとも、志保はそうは思っていないけれど。
「私言ったわよね。探偵業は止めない。でも命に関わることは止めるって。それが私の存在意義なんだから」
「ごめん。でも女性が人質になってて」
「か弱い女性を人質にしておきたくなかった?」
「ああ」
「ふざけないで!あなたの方がか弱いのよ。風邪一つで命の危険の人間が何しているのよ?それであなたが命を落としたら女性は罪の意識にさいなまれるわよ?いいの?」
 志保は腕を腰に当てて、ぎろりと睨む。
「よくないけど、でも。あのままでも、まずかったし。犯人が逆上したら女性、刺されていたかもしれないんだ」
 あの状況では、自分が人質を代わるのがベストだった。新一はそう信じている。
「女性の命を優先したのはわかったわ。でもあなたが死んだら私も生きていないから」
「志保」
 志保の言葉に新一が咎めるように名前を呼んだ。
 私も生きていないなんて、聞きたくないし、言ってはいけないことだ。
「無理よ。あなたがいるから私は生きているのよ。たとえ、罪悪感があっても」
 だが、志保は拒否をする。
 志保の価値観は新一にも介入できない。
「家族が誰もいなくて一人だったわ。組織を許せないって思ったわ。でも、組織が潰れるならそれで命は惜しくないと思ったわ。どうせ追われていたし。自分がしたことは、わかっていたもの。あの薬で死んだ人が大勢いるもの。私は殺人者よ。……けど、そんな私に、博士が家族だって言ってくれて本当に嬉しかった。私の研究で人生をねじ曲げられたのに、工藤くんが生きていてくれて幸せなの」
「志保……」
 志保の心の裡を聞いて新一はどう返していいか迷う。
 ずっと罪悪感を抱き続ける志保。もういいのに。新たな人生を生きていのに。
 未だに、抜け出せない。確かに博士が側にいて家族ができ、組織から解放された。だが、自分がやった罪は消えないと志保は思っている。
「ごめんな。心配かけて。でもさ、俺だって志保が生きていてくれて嬉しいよ。罪の意識なんてもう捨てて新しい人生を歩んで欲しい。けど、それを志保は許せないんだろうな。似ているよな、俺たち」
「工藤くん」
「俺もこれから出来る限り気を付ける。志保を死なせない。だから志保も幸せになる努力をして欲しいんだ。志保は幸せになっていい存在なんだから」
「私、幸せになってもいいの?」
「いいに決まっているだろ?志保が駄目なら、俺なんてもっと駄目だな。いいか、幸せになるために、資格なんてない。幸せになったもん勝ちなんだ。それに幸せなんて人の価値観で違う。平和で暮らせたら幸せだと思う人間もいれば、贅沢三昧しても幸せを感じない人間もいるから」
「うん。なら、なるわ」
「ああ。志保ならなれる」
 新一は志保に心からの笑顔を見せる。志保もつられたように笑った。
 
 
 
 
 
「名探偵!」
 その夜、KIDがやって来た。随分慌てているようだ。いつものポーカーフェイスが剥がれ落ちそうだ。
「あれ?KID」
 志保から一晩ぐっすりと寝るように命令されて、新一はすでにベッドの中だ。本も読むなと厳命されているため、ぼんやりとまどろんでいたところだ。
「心配しましたよ、名探偵」
「おまえ、何でも知っているんだな」
 ちょっと感心する。
「KIDですので、それなりに。でも、名探偵のことだからですよ」
「ふーん?」
 新一はKIDを見上げて、視線をあわせる。KIDがベッドの横に跪き距離を縮めているせいで、よく表情が見える。
「傷はどうですか?」
「こんなの掠り傷だ。大げさなんだよ」
 包帯を巻いていると、酷く見えるものだ。
「でも、人質になったのでしょ?女性に代わって」
「そうだけど。仕方ないだろ?」
 拗ねたように、唇を尖らせて新一がKIDを睨む。
 すでに、志保から懇々と説教されているため、KIDからまで聞きたくない。
「名探偵はそういう人だと知っていますけど。ドクターに怒られたでしょ?」
「そんなことまで、わかるのか?イヤな奴だな」
「仕方ありません。KIDですから。それにわかりやすいですよ、とっても」
「……」
 嬉しくもなんともない。確かに志保からお小言をもらうことは想像の範囲だろうが。でも、なあ。わかりやすいのか?そんなに。
「でも、私だって心配したのです。名探偵が、これくらいのことでどうにかなるとは思っていません。一人でどうにかしてしまう力があります。けれど、でも。それとこれとは違います。心配はします。信じていても、これはどうしようもありません」
「……おまえ、さ。俺のこと信じているのか?」
「もちろんですよ。私が認める探偵はあなただけです」
 にこりと笑い、誇らしげに語るKIDに新一はくすぐったい気持ちになる。
「そっか」
「ええ。今までさんざん態度で示してきたので、ご存じだと思っておりました」
「……そうか?そうかな?そうだったか?」
 新一は過去を振り返る。KIDと対決した昔。その時はコナンの姿だった。そして、監獄に入れてやると言っていた頃からそのお人好し加減に呆れたり。だんだん距離が近づいて、結局予告状をもらい暗号を解くことに特化し、捕まえる気はなくなった。だって、何かを探しているKIDは信念があって、決して犯罪を楽しんでいる訳ではないのだから。
 新一の姿に戻って、我が事のように喜んでくれて。ここにやって来るようになった。
「そうですよ。お忘れなら、何度でも言いますけれど、多少は覚えておいて下さいね」
「……俺はそこまで記憶力は悪くない」
 むっとして新一は言い返す。だが、KIDは微笑ましそうに表情をゆるめ新一の頬にそっと手を伸ばして指で撫でた。
「名探偵はご自分ことは、無頓着ですからね。自覚が薄いのです。好意を寄せられても、関係ないとつい忘れてしまうでしょ?」
「なんで?」
 そんなことまで知っているのかと新一は疑問に思う。
 無頓着とか鈍感とかいろいろ言われていたし、つい好意も忘れがちだ。謎や事件があれがそれに天秤が傾くため、意識がすべてそれらに向いてしまう。
「名探偵のことですから。……長居してはいけませんね。そろそろ失礼します」
「ああ。わざわざ悪かったな」
 心配をかけたことだけはわかったから、素直に謝る。
「では、お休みなさい」
 KIDはくすりと笑うと、頬から額へと指を伸ばし新一のさらりとした前髪を払うと、白い額にキスを落とす。
 瞬く間に寝ている子供にするようなキスをされ新一はKIDを見上げた。すでに、KIDは窓まで移動している。相変わらず早業だ。そして、振り返り「ではまた」言い置いて飛び立った。
 なんだか、暖かい気持ちになる。
 こんなかすり傷に、わざわざ心配して来たKID。そっと触れた指先は優しくて、慈愛がこもっていた。
 思い出すと、ふんわりとした気分で、今夜はよく眠れそうだ。
 
 

 


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