「探偵と怪盗のRondo」2−6




 


「よう」
「こんばんは、名探偵」
 今夜もKIDがやってきた。月の綺麗な晩だ。月の光を背に立っている姿がまさに月下の奇術師の名前にふさわしい。
 純白の衣装を身にまとったKIDは優雅に一礼して挨拶すると慣れた仕草で室内に入った。
「今日も無事に盗んだようだな。結構時間的に早いけど、中森警部をさっさと撒けたのか?」
 新一の考えではもう少し時間がかかるはずだった。
「ええ。今日は深追いしなかったですね。早々と諦めたようです。中森警部も事情があるのでしょう」
 熱血の中森が諦める事情とは何だというのだろう。
 新一は疑問に思ったが口にしなかった。きっと、警視庁内部でなにかあったか、持ち主の指示だろう。
 それより新一には気になることがある。
「あのさ。おまえ、現場からここへ来るのやめない?」
 宝石を盗んだ足でKIDが訪れるのは、些か警視庁のみなさんに申し訳ない。知っていて通報しないからこそ思う。
 それに、逃走に時間がかかることもあるだろう。
 新一の答え合わせに来るのが負担になるのも気が引ける。
 
「ご迷惑ですか?」
 だが、KIDは反対の意味で気を回す。心配そうな声音で新一に問う。
「……迷惑というか。時間によっては俺寝ているし。志保と約束してて、夜11時就寝なんだ。それ以降だとせっかく来ても寝ているから」
 いまのところ夜の時間が早めだったから起きていただけである。
「……そうですか」
「だから、どうせ答え合わせならいつでもいいだろう。予告状を解いたらいつでもいい訳だし」
「なるほど」
 KIDは機嫌を直す。新一は来訪を拒否している訳ではないのだ。日程や時間を相談しようと言っているのだ。
「それなら、予告日ではない日にします。時間も名探偵が寝る前で、ご迷惑でない時刻に」
「時間は、そうだな。事件で出ていなければ、9時か10時だな」
 就寝11時だから、それより1時間か2時間前がいい。事件で帰宅が遅くなる場合は、さっぱり読めないが。
「わかりました。適当な日を選んで来ます。警察の動向は元々探っていますから、大丈夫ですよ。名探偵が事件に関わっているならわかります」
「……そうか」
 堂々と盗聴していると言われたも同然で新一は心中でため息をこぼす。
 警察の動向を知らずしてKIDなど不可能だが、警視庁にどれだけの盗聴器が仕掛けられているのだろう。
「名探偵の動向はわかりやすいですよ。一課が主な活動場所で目暮警部が要請をすることが多く、名探偵が呼ばれれば自然と話は通りますから。もちろん、世間には公表されていませんし、それは気を配っているようですよ」
「なんだそれは。俺はそんなに目立つのか?」
 盗聴で動向がわかりやすいと言われると考えさせられる。もし、万が一他に無線などの内容がばれたら、まずい。
「名探偵が目立たない訳ないでしょう。内容としては、『工藤君』『彼』と呼ばれていますね。『彼』で通る場合も多いですから、少し内容が傍受されても知識がないとわかりませんよ。ご安心下さい」
「それは、安心していいことなのか?」
「いいことですよ。日本警察の救世主なんですから、警視庁内でささやかれるのは仕方ありません」
 KIDは断言した。
 第一、『彼』で通じることの方がすごいことだ。
 『彼』にお願いしよう。もしかして、『彼』ですか?『彼』だ。
 KIDが盗聴していると聴こえる内容の数々。『彼』のイントネーションが違うからわかるのだ。
「まあ、いい。俺には関係ないし。……そうだ、これから珈琲を入れようと思っていたところなんだけど、どうする?」
「せっかく誘って頂いたので、よろこんでいただきます。前回は時間がなかったせいで勿体ないことをしましたし」
 KIDは小さく笑って新一の誘いに乗った。
「なら、ちょっとまっていろ。ああ、適当に座っていていいから」
 新一はそう言い捨てて、階下のキッチンへと向かう。その後ろ姿を見送ってKIDは困ったようにため息を付いた。無防備にも程があるだろう。なにもしないけれど、一応犯罪者を自分の部屋に残していくなんて。それも適当に座っていろなんて言って。
 信じてもらえていると嬉しいが、反面、多少は意識して欲しい。
 
 
「お待たせ」
 新一が盆にカップを二つ乗せて戻ってきた。ミルクとスティックシュガーもある。
「砂糖とミルクは好きに入れてくれ」
 新一は自分用のミルク少しのカップを先に取って何も入っていないカップをKIDに渡した。
「ありがとうございます。いただきます」
 KIDは珈琲にミルクと砂糖を入れスプーンでかき回してから飲む。
「おいしいです。ほっとしますね。ところで、ブラックではないのですね?」
 KIDは細く息を吐き、新一のカップが少し濁っていることに驚く。ブラックを好む新一にしては珍しい。
「志保だ。夜飲む時はミルクを入れろって。珈琲で胃が荒れるなんて嘘だと思うけどなー。カフェインだけなら緑茶が高いし、紅茶だってあるのに。でも、仕方ない」
 志保には頭が上がらないのだ。新一は反論したくてもできずしぶしぶ夜は珈琲にミルクを入れている。
「そうですか。でも、いいことではないですか、健康に気を配って。ドクターの言うことは聞かないといけませんよ」
 くすりとKIDは柔らかく微笑む。
「だから聞いている。口を酸っぱくして言われているからな」
 わかっていても、時々息が詰まりそうになる。探偵をするなと言われないだけましなのだろうが、それに関しては無理しないでよと言いながら、何かあれがフォローしてくれるのだ、志保は。
「注意事項があるのは、仕方ありませんからね。で、最近はいかがですか?体調は」
 新一に出されている警告や注意事項を知っているKIDが心配そうに聞く。
 こいつも心配性だなと思いながら新一は軽く肩をすくめてみせた。
「変わりない。風邪も引いてないし。志保の診断だから保証付き。ああ、怪我厳禁って言われたな」
「名探偵、怪我も絶えない方ですからね。小さな身体の時も怪我しまくりでしたし」
 彼は自分より他人を優先する。避けて欲しいと思っても探偵であるため、無理なのだ。志保やKIDがどんなに心配しても変えられない。
「放っておけ、と言えないのが難点だな。志保に泣かれるのは困る」
「それだけわかっていれば、まあいいでしょう」
 KIDは珈琲を飲み干し、ごちそうさまと言ってカップを新一へ返す。新一は、ああと受け取って、盆の上に乗せた。
「あまり長居してもご迷惑でしょうから、失礼しますよ」
「迷惑ってことはないけど。あ、そういえば答えあわせしてない!」
 目的をすっかり忘れていたことに新一が気付く。KIDがやってきた時点で答えがあっていたも同然のため、確認するのを忘れていたのだ。
「……そういえば、そうですね」
 KIDも一拍おいて思い出した。工藤邸にやってきて新一とあうことが彼の最大の目的であるため、話し始めた時点でまるっきり意識に上らなかった。そんなKIDの事情を残念ながら新一は気づいていない。
「そうだよ!もう。……えっと、東都近代博物館の展示物、『虹の光』だよな。時間が9時10分。警察が早めに諦めたのなら、東都グランドホテルあたりで止まって、その後は悠々と飛んだのか?ダミーはいくつか出して誘導して?風力はある程度にあったし」
 顎に手を添えて新一は自分が予測していたことをやっと口にする。
「ダミーは一つで済みましたね。今日は本当に警部がさっさと引いたので。それ以外はほとんど当たりです。ああ、東都グランドホテルで止まる必要がなかったですよ」
 つまり、かなり優雅な飛行だったようだ。
 月の光の下ではその力を発揮できるのだろうかと新一は思う。もうすぐ満月だから月光が明るいのだ。今日KIDが訪れた時のことを脳裏に思い出しながら新一は自然に笑った。
 その笑みを見たKIDは、自身も口元に笑みを刻み流れるような仕草でマントをひるがえす。
「では、おいとまします、名探偵」
「ああ」
「おやすみなさい」
 KIDは別れ際、自分を見つめる新一の頬にするりと手を添えて、軽く右頬にキスをする。
「……えっ」
 新一がKIDの顔が近づいたと気付いた頃にはすでに頬にキスされていた。さすが怪盗KID、手際がいい。
「おまえ……」
 KIDの唇が触れた頬に手を添えたまま新一は呆れた目で見上げた。
 すでにKIDは窓際にいて空へ飛び立とうとしている。本当に手際がいい。
「おやすみの挨拶です。今度会う時までの、約束のしるしですよ。お元気でいて下さいね」
 そう言ってKIDは夜空に飛び立った。
「ここは日本だろうが……」
 海外で過ごしたことがある新一は、多少の慣れはある。KIDも実はそうなのだろうか。そうでなければ、あんな気障な言葉使いや仕草出来ないな。もしKIDが聞いたら、名探偵もですよと返されただろうと新一の自覚はなかった。
 
 
 
 
 
「こんばんは、名探偵」
「ああ、KID?」
 新一が振り返ると、そこにKIDがいた。現在新一は机に向かいレポートに励んでいる。今日学校へ行き、前回出されていたレポートを提出して授業も受けてきたのだ。
 新たに出されたレポートの数は多い。各教科につき5枚もあると、大量になる。
「お忙しそうですね」
 近寄ってきたKIDが新一の手元を覗き込む。机の上には紙の束と辞書、参考書なども積まれている。
「まあな。大温情だから、やるしかないだろ。これで、俺が卒業できるのが不思議だな」 どう見積もってみてもレポートで補える出席日数ではない。一年半も休んでいては駄目だろうと自分で思う。
 久しぶりに授業に出た新一に教師は、なんとも言えない顔をしていた。担任だけは全く変わることがなかったが、さぞかし授業がやりにくかっただろう。
 新一を当てる教師は担任だけだった。担任だけは、休んだ分答えておけと新一に何問も答えさせた。
 蘭と園子は、すでに卒業できると聞いていたのかよかったねと喜んでいた。昼休みは久しぶりに一緒に昼食を取った。
 
「よかったですね、卒業できるそうで。……さすが帝丹高校のアイドルさまです」
「はあ?なんだそれ?」
 KIDの揶揄うような合いの手に新一は目をつり上げる。
「帝丹高校の受験者数、ここ二年ばかり以前より増えましたよ。あの工藤新一が通っていると噂になって。高校としては宣伝効果抜群です。ついでに、文化祭で演劇とか出演されたでしょ?これがまた評判になったようですよ。お母様に引き続きミス帝丹に選ばれたようですが?」
「な、なんでそんなこと知っている?」
 新一は羞恥で叫んだ。
 己が帝丹高校の入学者に影響があることや校長、父兄にファンが多いと担任からは聞いていた。だが、アイドルなどと言われて嬉しい男はいない。ついでに、握り潰した事実をなぜKIDが知っているのか。それとも、KIDだからか?こんなことにその情報能力を使わなくてもいいのに。
「知っていますよ、当たり前ではないですか。名探偵のことなんですよ?」
「そんなの理由にならねえ!今すぐ、忘れろ!脳から削除しろ!そして思い出すな!」
 KIDの腕をむんずと掴み新一は命令した。
「そうはいいますが、知る人は知っているようですよ?私だから知っている訳ではありません。近隣の学校でも名探偵は有名人ですからね」
「嘘だ……!」
「嘘ではありません。秘密裏に開催したミスコンの集計結果を隠匿されたでしょ?名探偵がぶっちぎりだったのに。名探偵が一年の時のことですね」
「……!」
 思い出すのも、腹立たしい過去である。
 なぜ、ミスに自分が選ばれなければならないのか。母親が女優であったのが悪いのか。面白がるのも程度があるだろう。いくら母親に似ているからといって、男を選んでどうする?ミスだぞ?ミスターじゃないんだ!
 二十年も前に開催されたミス帝丹だが、新一の母親である有希子と蘭の母親である英里が対決し互いのファンが詰めかけて結局決着が付かなかった。だから、正確に言えば、母親がミス帝丹というのは正しくない。どんなに似通っていても。その時以来なくなったミスコンだが、復活させようとした生徒会の人間がいた。大々的に文化祭でやりたかったらしいが、都合がいろいろあわず、内輪で秘密に行うことにした。ところがやってみれば、結構な人数が投票していた。男女半々の割合で。
 もっと驚いたのが、その結果だった。さすがに迷って相談があった。本当なら校内新聞くらいには結果を載せるつもりだったのだ。
 もちろん新一は握り潰した。だからミスコンは復活しなかったのだ。二十年前から行われていないことに公ではなっている。
「名探偵?お母様似なんですから、諦めたらいかがですか?」
「諦められるか?おまえなら、諦めが付くか?」
「私に言われても、少々困ります。変化自在ですからねえ」
「……。おまえに聞いた俺が馬鹿だった」
 どんな姿にでも変装できる人間に聞いても自分の気持ちなど一生理解できないに違いない。
 新一は明後日の方向へ視線をやって、見せつけるように大きなため息を付いた。
「酷いですよ、名探偵」
「酷くない!酷いのはおまえだ!」
 感情が高ぶった新一はKIDをぎろりと目つきも鋭く睨む。
「そんな顔なさらないで下さい。あなたに冷たくされると、私だって傷つくんです」
「させているのは、どいつだ?」
 KIDのいいざまに新一は掴んだ腕を思い切り揺さぶった。側にある澄ました顔に腹がが立つ。
「どいつとは、誰でしょう?これですか?」
 KIDが笑いを喉でかみ殺しながら、腕を伸ばし指を鳴らす。すると、そこから純白の鳩が現れた。
 そして、KIDの腕から鳩が飛び立つ。白い鳩は旋回して新一の肩に止まった。
「今日は、ブランも一緒か?」
 驚きで瞳を瞬くが、ついで新一は嬉しそうに表情を変え鳩を撫でた。
「名前を付けてくださったのですか?」
 新一の呼びかけに気づき、KIDも嬉しそうに声を和らげる。
「ああ」
「よい名前ですね。白いからですか?」
 ブランはフランス語で白である。白い鳩だからブランと付けるなら納得がいく。
「ああ、まあ。白いのもあるけど。おまえの鳩だから」
「私の鳩だから?」
 KIDが不思議そうに首をひねる。奇術師の鳩はほとんど白いが、特別な意味でもあるのだろうか。
「平成のルパンと言われているからさ」
「……?」
 KIDには新一の示唆している意味がさっぱりわからない。
「モーリス・ルブランから取ったんだ」
「……つまり、ルブランのルを省いて、ブラン?」
 KIDは優秀な頭脳を働かせる。優秀でなくとも予測は付くけれど。ルブランからブラン。
「ああ。もちろん白いというも兼ねてな」
 相変わらず彼にネームセンスはない。KIDはしみじみと思った。もしかして、これでも新一は懸命に考えたのかもしれない。江戸川コナンよりは、ずいぶんといい。
「この鳩も喜んでいるようですから、これからは私もブランと呼びましょう。ねえ、ブラン」
 KIDが呼ぶと鳩はくるくると鳴く。KIDが新一の肩に止まる鳩を指でつつくと、指にすり寄る。
「ほら、ブランでいいそうですよ」
「いいのか?ブラン」
 新一も指でちょいと嘴を撫でて、微笑みかけた。
「ブランは名探偵のことが大好きですからね」
 KIDがしつけた鳩であるのに、新一に懐き過ぎである。
「俺も好き。嬉しいな」
 頬にすり寄る暖かい鳩の体温を感じて、新一はきらきらと目を輝かせ綺麗に笑った。
「よかったね、ブラン」
 少し羨ましさが滲んだ声音でKIDが新一に懐きまくる鳩の頭をとんとつつき、手をひるがえす。ぱちんという音と共に鳩が消える。
「……」
 間近に見る度、新一はKIDのマジックの腕に感心させられる。あっというまに消える鳩。さっきは、指を鳴らすと何もないところから現れた。
「それでは、これ以上お邪魔する訳には参りませんから、失礼します」
「ああ。気をつけて帰れよ」
「ありがとうございます。それでは、おやすみなさい」
 KIDは一礼すると、新一の左頬にふわりとキスを落とす。やはり、あっという間だ。
「……KID」
 文句を言おうとした時には、すでにベランダである。前回といい今回といい、手際が良すぎる。
 新一が訴えるように視線で見つめるとKIDは口元に小さく笑みを乗せて、またと言って飛び立った。
「…………あれ?ひょっとして答え合わせしてない?」
 もう遅かった。KIDはいない。
 何のために彼は来たのか。
 いや、自分が答えを言わなければ、KIDが正解を答える訳がない。
 つい、世間話をしていて忘れた。なんだか、KIDの存在に慣らされているような気がする。それがKIDの手だとは新一は気付いていなかった。
 
 
 


 


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