「探偵と怪盗のRondo」2−4






 
 ちょうど昼ご飯にしようと、読んでいた本にしおりを挟みテーブルの上に置き、キッチンへと向かおうとした時だった。喚起のために開けてあるリビングの窓から白い鳩が入ってきた。
 くるくる旋回して新一の肩に止まる。
「おまえ、ブラン?」
 新一の頬にすり寄る鳩はとても人なつこい。初対面とは思えない懐き方だ。
「やっぱり、姿形が変わってもわかるのか?すごいな」
 コナンの姿の時に仲良くなった。だが、新一は初対面なのだ。
 それなのに、鳩には誰なのかわかっているように見える。というか、これほど誰にでも懐いたらおかしい。
 しかし、鳩はどんなもので人間の区別をしているのだろう。臭い、気配?顔立ちもあるだろうが。いや、声だろうか。
 それともやはりKIDの鳩は特別性なのだろうか。頭がいいなとは思っていたけれど、コナンと新一が同一人物だとわかるのは、大層興味深い。
「ありがとうな、ブラン」
 鳩の脚に付いている折り畳んだ紙にはKIDの予告状がある。彼の約束通りのものだ。
 あいつ、昔から本当に律儀だ。いつもいつも、ちょっとした約束も誓いのような約束も守る。
 KIDがそれを聞いたら、名探偵だけですと答えただろう。
 新一は鳩の脚に結ばれた紙を外して広げてみる。中には当然の如く楽しそうな暗号が並んでいた。
 後でじっくりと考えよう。
 ちょうどいい暇つぶしが出来た。体調が少しだけよくなくて、今日は家でじっとしている。事件が起こると無理は駄目だと言われても突っ走ってしまう自分である。志保から時間の余裕がある時に体調を整えなさいと厳命されているから、今のところ守っている新一だ。そうでなければ、軟禁される。
「何か、あったかな。パンはあったな」
 鳩の餌に何かあったか考えるが、食パンしか思い当たるものがなかった。
「今度、何か買っておくな。ブラン、好きだもんな」
 コナンの時に度々会ったが、蘭にパンに焼き菓子などをもらってやると嬉しそうに食べていた。
「それとも、何か作るか?ホットケーキくらいなら出来るしなあ」
 簡単に出来るお菓子といえばホットケーキだ。フライパンで出来るので手間のかかるオーブンで焼く必要はない。クッキーもマドレーヌもケーキもオーブンが必要だ。手間がかかって新一はあまり作りたくはない。時間がありあまっていれば、暇つぶしに作ってもいいが。それなら、ご飯を時間をかけて作った方がいい。
 新一は見かけによらず家事は一通り出来た。そうでなければ、一人暮らしを親が許すはずがない。ふつうは未成年の子供は親に付いていくものだ。新一も両親にロスに行くよと言われ、行きたくないと言った。いつまでも親の保護を受けているのもイヤだったし、有名人の親から離れたかった。それに日本を離れたくなかった。
 当然親は反対したが、最終的に条件を付けて折れた。
 その条件が家事である。一人で暮らすのに、なにもできないでは許さない。今は便利でコンビニで弁当も買えるしカップメンも冷凍食品もある。一人で放っておいてそんなものばかり食べて済ませ身体を壊すなど言語道断だ。親としてそんな子供を一人で日本においておくなんて責任問題だ。だから、両親は新一が家事全般、一通りが出来るようにした。両親が日本を発つまですべて出来るようになることが条件だったから、新一は努力した。
 その甲斐あって、家事は出来るのだ。一人分を作るのは面倒だが。
「な、ブラン。ホットケーキ食べるか?」
 新一が問いかけると、鳩は言葉を理解したかのように、嬉しそうに鳴いて首を左右に揺らす。これは、是の返事だろう。新一はそう判断した。
「よし。じゃあ俺の昼御飯もホットケーキにしようか。で、一緒に食べよう」
 いい案だなと思いながら新一は肩に鳩を乗せたままキッチンへ向かった。
 ホットケーキは料理下手な母親の唯一美味しかったものだ。ほかのものは味付けがいまいちだった。自分で料理が作れるようになってから、新一は母親より自分の方が腕は上だと自覚した。父親はよく母親の料理に文句を言わずに食べていたものだ。もしかして、時々感謝の印だといって父親がキッチンに立っていたのは、そのせいなのか。自分と同じ気持ちなのか。
 謎が解けた気がする。
 こんなの謎でも何でもなかったな、と新一は冷蔵庫から卵を取り出しながら思っていた。
 
 
 
 
 
「すげー温情だぞ、工藤!」
「なんですか?」
 帝丹高校から呼び出されて、新一は飯島の前に座っていた。先日の結果が出たから聴きに来いと言われたのだ。
 飯島は柄にもなくかなり熱意があった。
「基本はレポートでいい。体調が悪いことと事件の要請をそれでも断ることができないという事実からな。もし病気で入院生活を送っている生徒がいたとしたら授業は無理だから、レポートしかないしな。出席日数が足りない分は警察への貢献を課外授業ということで単位にする。それから、強制ではないが、週の何日か可能なだけ出席してくれ。事件で早退、遅刻は構わない。どうだ?すげーだろ?」
 飯島はバンバンと勢いよく机を叩く。
「どうしたんですか?いいんですか?それ。学校として」
 新一の方が心配になるくらいの大盤振る舞いだ。
 いくらなんでも、便宜を図りすぎだ。
「いいんだよ。校長をはじめ、父兄の中にも工藤のファンは多いんだ。それを退学なんてさせてみろ、帝丹高校が批判されるぞ。それに、この少子化の時代。評判を落として入学希望者が減ってみろ。帝丹は痛手だ。損害がありすぎる」
「つまり。世間体?」
 ぽつりと呟く新一に飯島が大きく頷いた。
「その通りだ!世間体だろうが何だろうが、利用できるものは利用しとけ!おかげで出席日数はチャラだ。ほとんどないのにな!レポートさえ出せば卒業ができる。建前上、できる限り授業に出席と付くが」
「ありがとうございます。お礼を言うべきですね。飯島先生、骨を折ってくれたでしょ?」
「生徒のために動くの教師として当然だろ」
 ぷいと飯島は横を向く。照れているとわかって新一も笑う。
「それに、もし俺が事件に巻き込まれたら助けてくれるだろう?つまり、誰でも同じ境遇になる。情けは人のためならずっていうだろ?」
「もちろんです。飯島先生に何かあった時は駆けつけますよ。まったくの他人でもそうですから」
 飯島が生徒のために礼を尽くせば、自分に返って来るだろう。新一だけではなく、そういった教師が困っていたら教え子は手を貸すはずだ。
「……ま、そういうことだ。頼むな。ああ、レポートはここにある分もっていけ」
 飯島は机の上に置いてあった大きな茶封筒を新一の方にずいと押しやる。封筒だけ見てもかなり分厚い。
「教科が多いからな、枚数がかなり嵩張る。……出来たら俺のところにもって来い」
「わかりました」
 新一は茶封筒を受け取って頷いた。
 
 



 「こんばんは、名探偵」
 KIDが予告通り宝石を盗み終えて、家までやってきた。新一の部屋の鍵がかかっている窓をさっと開けて、ひらりとマントをひるがえし優雅にお辞儀してみせる。
 やっぱり律儀なヤツだと新一は思う。
 読んでいた本を閉じ、本当に来たなと心中で呟きながら、新一はKIDを観察した。
 いつも通りの白い衣装。純白のスーツにマント、シルクハット、手袋、靴。そして、片眼鏡。明るい灯りの下で見るなんて、思いもしなかった。それに、コナンの時に会ったことが多いせいか、目線が近くなったのだと実感して自分が元の姿に戻ったのだと再び感慨深い。
「名探偵?」
 しみじみとKIDを見つめる新一にKIDはいぶかしげに呼ぶ。
「ああ。なんだかなって思って。無事に仕事は終えたみたいだな」
「はい。答え合わせに訪れると約束しましたから。では、予告状から導き出した答えは?」
 ベッドの上にいる新一にKIDは近寄ってきて、面白そうに問いかける。
「今日の午後八時八分。東都近代美術館で展示されているビックジュエル『暁の女神』だな。中間地点は今日の風向きからいって、東都スカイタワーかホテルリージェントあたりだな。美術館は近郊にあるから周りは高いビルがないし。現場に行っていないから、そのくらいだな。まあ、警部達がどこまで追ってくるか、帰る方向によって変わるだろうが」
 新一は考えていたことをつらつらと述べた。
「大正解ですね」
 KIDが機嫌良さそうに笑う。
「あなたがいらして下さったら、さぞかし楽しいでしょうが、これ以上高望みをしても仕方ありません。今日は、警部達がしつこかったので、ダミーをいくつか出して巻きました。私は風に乗ってスカイタワーまで行きましたよ」
 いくつか候補としていた高層の建物があったが、ホテルリージェントの方が美術館に近いのだ。タワーはそれより少々遠い。
「で、ちゃんと返した訳?今日の獲物」
「もちろんですよ。以前、返して来いと言われましたからね」
 新一がコナンであった時、KIDが急いで会いに行くと、まだビックジュエルを返していないと知りコナンは返してこいと叫んだ。
「なら仕事は全部終わった訳だ」
「そうですね。一応は」
「一応?」
「そうですよ。KIDの姿を解くまでは終わっていないということですから」
 KIDの姿は目立つ。それだけで犯罪者だと宣伝しているようなものだ。
「……プロ意識があることだ。それくらいじゃないと確保不可能なんて言われないよなー」
「誉め言葉ですよね?もちろん」
「誉めているぞ、かなり。警察機構から逃げ切るだけの力がなければ、国際的な犯罪番号が付く訳ない」
「なるほど。認めて頂けているんですね」
「それなりにな」
「ありがとうございます。光栄です」
 優雅に礼を取るKIDに新一は我慢できずに吹き出す。
「おまえの誉め言葉なんて世の中にたくさんあふれてるだろう?声音は変化自在。神出鬼没。どんな姿にも変装可能。これは、大人だけな。大がかりなマジックを好み、人を傷つけない怪盗紳士。月下の奇術師。それから平成のルパン?」
「……誉め言葉なんですよね?」
 笑いながら再びKIDが問えば新一も、もちろんと答えた。
「それなら、名探偵の誉め言葉というか呼び名もありますよね?日本警察の救世主。迷宮なしの名探偵。平成のシャーロックホームズ」
 KIDが並べたてると新一はへえと感心する。あまり自分の呼び名やあだ名に関心がないのだ。
「……そういえば、東の高校生探偵、東の工藤とか言われていたらしいな。人から聞いた話だと」
 新一は思い出す。昔コナンであった時いわれたのだ。その時初めて知った。
「その呼び名は別にカウントする必要はないでしょう。すでに名探偵は全国区なのですから。日本警察の救世主ですから、皆が知っていますよ。わざわざ東の高校生探偵と狭める必要はありません」
 KIDがきっぱりと断言する。
「そうか?」
「そうですよ。高校生探偵を売りにしてどうしますか」
 実際なぜか高校生探偵と呼ばれている人間はそこそこ存在する。だが、それは自称である場合も多いだろう。本当に役に立つなら新一のように警察から直接依頼も来る。
「俺もそう思う。大学に進学したら大学生探偵なんて変だし。探偵は探偵だ。それ以外の何者でもない」
 KIDは胸中で名探偵は名探偵という生き物だから特別性なんだよなと思うが口にしなかった。自分が認める探偵は彼だけなのだが、本人はどこまで理解してくれているだろう。
 だからKIDは茶目っ気にウインクして続けた。
「……ええ。探偵は探偵ですよね。それから、もう一つありましたよ、呼び名が。ジョーカーです」
「……おまえなー。どこまで知っているんだ?」
 新一は大きなため息をこぼす。
「少しだけですよ。裏の組織をつぶしたメンバーの中心にいる人物がジョーカーと呼ばれていたことくらいですか。ついでにその姿を知るものはほとんどいないそうです」
「ある意味全部じゃねえか」
 新一はがくりと肩を落とした。
 コナンという子供の姿では皆の前には出ていけなかったのだ。頭脳の役割はしても、名乗れなかった。それに子供の姿を侮る人間など必要ないが、いらない不安感は作りたくない。第一攻撃されたら、子供の身体では死ぬ確率が高い。あらゆる理由からコナンの姿は隠されていた。ジョーカーは代わりの名前だ。
 絶対に偽りの姿であるコナンの名前が出ないようにした。親しいメンバーは正体を知っていたから、それとなく工藤新一の名前に振り替えた。幼児化など世間に知られていいことは一つもない。闇に消さなければ災いを呼ぶ。
「大丈夫ですよ。それ以外は知りません。私は名探偵のことを知っていたからそれに気付いただけですし」
「ならいいけどな。まあ、工藤新一の名前ならいいんだ」
 元々探偵としての名前は売れている。噂が立ってもまさかその高校生が組織を本当につぶしたと信じる人間は少ないだろう。眉唾だと思うだろう。
 関与していたことが世間にばれても、工藤新一の名前ならどうにかなる。
「そうだ。せっかくだから、なにか飲むか?」
 新一はふと喉の乾きに気づく。
 本を読んでいたため結構な時間が過ぎていた。喉を潤すついでだ。
「とても素敵なお誘いですが、今日は失礼しますよ」
「ああ、仕事帰りだもんな。気をつけて帰れよ」
「ありがとうございます。それではお休みなさい」
 KIDはそう言って優雅に新一の細い手を取り甲にキスをした。新一が目を瞬く合間にKIDは窓まで移動して、翼を広げて飛び立った。
「……忙しいヤツだな」
 ぽつんと新一は呟いた。
 

 
 

 


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