その後、教室へ行く。 扉を開けて顔を覗かせると蘭が振り向き新一の姿を認めてくしゃりと顔をゆがませた。驚いていないことから、すでに新一が登校していると噂になっていたのだろう。 「新一!」 蘭が叫んで駆け寄る。 ものすごい形相で新一の肩をぎゅうと力一杯掴み矢継ぎ早に質問する。 「いつ戻ってきたの?なんで教えてくれないの?もう事件はいいの?」 「悪い、蘭」 新一は申し訳なさそうに謝まり目を伏せた。 蘭の気持ちは痛いほど理解できる。どれだけ心配をかけたのか、姿は違っても側で見てきたからよく知っている。 いつにない殊勝な新一の態度に蘭も腕から力をゆるめた。 「もう。新一ったら。……でも、もうどこかに行ったりしないんでしょ?」 「……そうだな」 「なら、いいわ。許してあげる」 蘭は腰に手を当ててわざと尊大に笑う。 「これで、また毎日一緒だもんね。新一寝坊しないでよ?」 幼なじみらしい言葉は昔のように過ごすことを疑うことがない。だが、新一はそれに頷くことができない。 「……それは、どうだろうな。出席日数足りてないし。卒業は難しい。留年もあるかもな。まあ、もし学校側が卒業できるように配慮してくれても、無遅刻、無早退、無欠席は無理だろうしな」 「なんで?もし留年にならなくて一緒に卒業できるなら、がんばればいいじゃない」 蘭からすればそれは当然だった。高校生が毎日学校へ来て授業を受ける。放課後は時々遊んで。受験生だから勉強も励まなければならないけれど。 「……警察に呼ばれたら早退や欠席もあるだろう?今までもそうだった」 新一の高校生活は、バラ色ではなく、殺人事件と密接な関係だった。 「新一、自分の卒業がかかっているんだよ?」 「でも、事件が起こったら仕方ないだろ?」 新一が呼ばれるのは殺人事件がほとんどだ。それ以外も厄介なものばかりだ。 「事件、事件、事件!新一が探偵に憧れてそうあろうとしていることも知っているけど!でも、自分を優先してもいいじゃない。警察も高校生の新一に頼り切りなんだもん。ねえ、一緒に高校生活を送ろうよ。卒業しよう?」 「……」 切々と訴える蘭に新一はなにも返せない。 是と答えることは不可能なのだ。 「新一ってば!」 「蘭、やめなって」 責め立てる蘭の後ろから園子がいさめる。今までは久しぶりの幼なじみの再会を黙って見守っていたのだが、事態が嫌な方向へ流れ始めたためあわてて止めたのだ。 「でも、園子!新一ったら自分を全然大事にしないのよ。探偵ってそんなに大事なの?高校生なんだから、その生活を大事にしてなにが悪いの?」 自分の親友である園子は絶対に同意してくれると思った蘭は否定の言葉にぎゅうと唇を噛む。 「今だけでも探偵をしなくてもいいじゃない!なんで、一緒にいてくれないの?今までずっと待っていたのに!」 「……蘭!」 園子は涙を瞳に滲ませた蘭を後ろから抱きしめて、新一から引き剥がす。 心からの言葉であることはわかるが、言っていいことと悪いことがあると園子は思った。今、蘭は決して言ってはならないことを言ってしまった。 探偵をしなくてもいいい。自分のそばにいて欲しい。 それは好きなら当たり前に思うことだが、相手を否定することでもある。園子だって京極が外国に武者修行へ行ってしまい寂しい。側にいて欲しくても京極に大事なのは自分を鍛え極めることだ。だが、格闘技をやめて自分の側に居て欲しいといったことはない。言った瞬間、彼の信念や生き方すべてを否定してしまうからだ。つきあっている自分でもそうだ。それに側にいてくれる人がほしいのなら別の人を捜せばいい。 この恋愛が永遠であるなんて信じていない。でも、今好きなのだ。大事にしたいのだ。 「だって、園子」 なぜわかってもらえないのかと蘭が泣く。普段気丈な蘭らしくないが、恋愛が絡めばそれも仕方ない。恋する女は強くもなるが弱くもなるのだから。 「わかったから、ねえ蘭。でも、相手を否定だけはしてはダメだよ」 「……そんなの」 「蘭だって、もし女らしくないから空手をやめておとなしくして欲しいって言われたら例え彼氏でもイヤでしょ?」 「……言われたことない」 「うん。蘭は凛として格好いい。ちゃんと女として綺麗。ナイスバディで、美人だもん」 笑いながら、園子は蘭の背中をなでる。 新一も蘭の強くて格好いいところは好きだろう。女らしくおとなしくすればいいなど思ったことがないはずだ。そばで見ている園子にだってわかる。蘭が新一を好きなことも知っている。 頼りになる幼なじみで、推理馬鹿。でもサッカーも強くて頭もいい。気障なせりふを吐くくせにぶっきらぼう。 お似合いだと思ってきた。まだ気持ちを伝えあっていないが、二人は両思いだ。 でも。園子はそれだけでは、どうにもならないことを知っていた。 園子は沈黙し続ける新一を見やる。反論もしないで、申し訳なさそうに諦めたように微笑んでいる。 「ここはいいから行って。新一くん」 任せてと目に力を込めて伝えると、新一は少し驚いてついで、ありがとうと小さく笑った。 「悪かった、蘭」 そう謝って新一は背を向けた。その後ろ姿を見送って園子は思い出す。 少し前のことだった。父親と話していたことのことだ。 工藤君とは仲がよかったな、と切り出された。しばらく顔を見ていない親友の幼なじみを思い浮かべて、そうだけど?と返すと父親は真剣な表情に変えて明言した。 「鈴木家は彼を全面的にバックアップする。表だって何もしないが、彼が必要とするなら何でもしよう」 それは鈴木財閥の決定だった。園子は戸惑った。なぜ?ともちろん聞いた。 「おまえには話しておく。将来、この家を継ぐ人間だ。彼は、本当に有能で得難い人間だ。はびこっていた悪の集団を壊滅に追い込んだ。公表されることはないが、その中心的な人間だ。もちろん秘密裏だ。だが、情報とは伝わるものだ。わが鈴木家も情報を得た。いや、鈴木財閥だからこそ得た。あの組織は鈴木家としても困っていてね。だが対策など立てようもない。いいか、これは世界の出来事だ。彼は世界の機構が手を焼いていた組織を崩した。それまで不可能だったことを、彼が加わっただけで」 「うそ」 信じられなかった。 確かに、工藤新一が世間で評判の探偵であることは知っていたが、世界規模であるなど誰が思うだろう。だって、彼はクラスメートだ。高校生活を送っている姿を見ていると想像もできない。 だが、父親がいうのなら、真実なのだろう。疑うことなどない。 かなり重要な話であるのに、娘に打ち明けておく必要性。つまり、それ相応の対応を求められている。鈴木財閥の跡継ぎとして。長女である姉は嫁に行った。次女である自分が継ぐのは当然のことだ。園子自身も向いていると思う。 「わかったわ」 だからそう答えた。自分が今必要なことはクラスメートとして見守ることだ。側にあれば、何かあった時友人として力になれる。 その時親友である蘭の顔が思い浮かんで、彼女の恋が決して楽なものではないとわかってしまった。今でさえ、隣にいられない。そして今後も、やっぱりいられない。蘭のことをどんなに大事にしても、彼は蘭を優先しない。選ばない。悲しい事実だが、どうしようもなかった。 「さんざん待たせておいて、ひどいよ。時々連絡くれたけど、いつも事件だからって」 蘭が園子の胸に顔を伏せて泣き声で訴える。 「うん」 確かにそうだ。蘭は散々待っていた。一緒にいる時だって事件が起こると飛んでいってしまう幼なじみを心配しながら見守っていた。仕方ないわねと苦笑して待っていた。 「いつもいつも、振り回して。昔から、私が困った時、確かにいてくれた時もあったけど。今は、隣にいてくれない。寂しい時も悲しい時も嬉しい時も。私は新一のなに?ただの都合のいい幼なじみ?……ずっと待っていたの。帰ってくるのを。私だって寂しいのよ?」 「うん」 蘭の寂しさは幼なじみだけのことではない。 ずっと居候をしていた弟のような子供が親元に戻ったのだ。そのこと事態は喜ばしいことだ。一時的に預かっていたのだから。子供が両親とともに暮らせることを喜ばないはずがない。ただ時期も悪かった。工藤新一が戻らない状態で、江戸川コナンがいなくなるのは痛手だった。 蘭は笑顔で子供を見送りその後泣いた。幼なじみのいない隙間を子供が埋めていたのだ。 園子は落ち込んだ蘭を気遣いいろいろ誘って気を紛らそうとした。多少は浮上したけれど、それでも幼なじみは戻らず進級した。じりじりと過ごす日々。本当に戻ってくるのかと不安になりながら、受験生として勉学にも励まねばならない。予備校に行くか、夏期講習は受けるのか、そんな相談をして過ごした夏休み。 そして、秋になる頃、工藤新一は姿を見せた。 だが、蘭の元に帰ってきた訳では決してない。どんなに蘭が嘆いても、訴えても、願っても無理だ。それを園子は知っていた。自分は慰めることしかでいないが、それでもできる限り力になりたかった。 自分にとって大切な親友なのだから。 「新一くんだけが男じゃないよ!私がいくらでもつきあってあげるから、あんな男は忘れなさい!蘭は凛とした美人でナイスバディで料理も上手で、もてもて要素いっぱいなんだから、男なんて選り取りみどりよ!……蘭がケーキの自棄食いするなら、どれだけでもつつきあうし!気晴らしに旅行に行きたいならどこへでも!」 「……私、失恋したの?」 「……」 涙目で見上げる蘭に園子の言葉が詰まる。 正確には振られていない。告白もしてない。だが、恋心を抱いていたのだから、失恋に近いのだろう。望みがないと判明したのだから。 蘭があの短い時間でどこまで理解したのか。 事実だけなら、自分が相手を否定する言葉を投げつけただけだ。でも、そこに含まれるものは微妙に感じ取れるものだ。 一緒にいるとは絶対に言わない。 是の言葉ではなく、謝罪しか返さない。 そこから導き出される答えは、緩やかな拒絶だ。ノーと断言しないが、言ったも同然だ。 「……私、いやな女かな。こんなに待たせておいて、今更隣にいてくれないなんて酷いって思った。なんで自分を優先してくれないかって思った。新一、今までは幼なじみの私を優先してくれたもの。そりゃ、事件があると行ってしまうけど、帰ってくるのは私の隣だって思っていた。いない間も携帯電話を送ってくれたし。時々電話やメールくれたし。変わらないって信じていた。好きと言えないけど、いつか恋人になれたらいいなーって」 「うん。そうだね。でも蘭はいやな女じゃないよ。好きな人なら隣いて欲しいって思うもの。自分を一番に考えて欲しいもの。ふつうのことだよ。それが叶えられるかどうかは、わからないけど」 私も真さんにもっと会いたいからと園子は付け加えた。 「探偵の新一も好きだよ。だって、格好いいもの。推理馬鹿だけど、自慢の幼なじみなの。でも、時々すごく事件とか探偵とかイヤになる。お父さんも探偵やっているけど、収入不安定でやりくり苦労するし。お母さんとやり直すにしても、弁護士であるお母さんの方が収入二倍も三倍もあると、やっぱり難しいのかって不安になる。警察官だったのになんでやめて探偵?って子供心に思ったわ。だからお母さんに見放されたんじゃないかって。仲がいいこと知っているし、本当はよりを戻したいことも私にだってわかる。でもさ、仕事が探偵だと決まった就業時間はないし、いきなり事件でしょ?」 「事件いっぱい遭遇したね」 園子も自分が経験した事件を脳裏に思い浮かべる。山ほどある。 「園子もたくさん事件にあったね。お父さん、警部さんに疫病神って言われるんだよ。反論できないのがつらいけど」 「おじさま、探偵だから事件が呼んでいるのかもね。疫病神かー。新一くんも言われちゃうね。でも、警察から要請がある分には違うか。どうなんだろうね」 「新一は疫病神なんてかわいいものじゃないよ。あれは事件体質。いや、事件吸引遭遇体質。謎の神様に愛されているんだよ。だって、新一といると退屈とかあり得ない。どこからともなく殺人事件だけじゃないけど、何か起こるんだもん!」 「ああー。事件に巻き込まれるなら探偵ではなく警察という手もある。捜査権あるし、逮捕できるし?」 「新一に警察官なんて無理よ。組織の中に入って上下関係に縛られるなんて不可能!新一はあれでマイペースなんだもん。謎に関しては興味があるけど、そうじゃないことなんて優秀な頭脳は働かないでしょ?だって子供なんだもん。無関心なことは欠片もやりたくないの」 「あはは、そうだね。優秀なんだかダメ男なのかわからないわ」 「紙一重なんだよ。絶対!………………幼なじみでいい。一番でなくてもいい。特別じゃなくていい」 ぎゅうと園子の上着を握りしめて、蘭が絞り出すように心の裡を告げる。 「一緒に学生生活が送れたらいいな。一緒にいられるの、もう少ししかないからさ」 同じ大学に行く確率はどれくらいか。たとえ同じ大学でも学部が違えば、校舎も違うことだってある。そこでのつきあいだってある。 同じクラスですぐ側に感じられるのは高校生活だけだろう。 「そうだね。そうなればいいね」 園子も願う。 蘭にも猶予を与えて欲しいと。数ヶ月でいいから幼なじみを卒業する時間が欲しい。 園子がそれに働きかけることはできない。学校側の対応にそれとなく鈴木家として圧力くらいなら可能だが。父親に一言いっておこうと園子は心中で決めた。 |