「それでね、無料チケットをもらったの。今度皆で水族館へ行こう?」 「ふうん。いいかもね」 「コナン君もどう?」 哀の同意に歩美は勇気をもってコナンも誘う。 「ああ、いいかもなー。最近行ってないし」 「ほんと?きっとだよ!」 歩美はにこりと無邪気に笑って手をたたく。 三人は少年探偵団の仲間、光彦の家からの帰りだった。今日は皆で光彦の家に集まっていた。彼が手に入れたという仮面ヤイバーのDVDを鑑賞するためだ。コナンと哀は興味はないが断れず仕方なくつき合うことになった。それでも子供たちがはしゃいでいる姿は楽しいものだ。 元太は一足先に帰ったため、コナンと歩美、哀が三人でゆっくりと話しながら帰っていた。 小学生低学年の彼らが歩く姿はとても微笑ましい。その上、外見は見目のいい可愛い女の子三人組に見えた。 愛らしい歩美、幼くてもクールな美貌の哀、そして今日は眼鏡をしていないせいで人目を引く美しい瞳が隠れていないコナンだ。 タイプの違う美少女。大層目に優しい。 今日は、息も白くなるほどの寒い冬の日で、彼らは暖かなコートを着ていたから余計にコナンの性別を逆に見せていた。紺色のコートに蘭が編んだ赤いマフラー、いつもしている眼鏡はツルの部分がゆるんでいるせいで掛けていると落ちてくるため、現在はポケットに入れている。おかげで、端麗な顔立ちがはっきり見放題だ。 そんな美少女三人は通り過ぎる人間の頬を緩ませていると自覚がなかった。 もうすぐコナンと哀、歩美が分かれ道に差し掛かる時。 一台の車が彼らの横を通り過ぎた。スモークガラスを張った車だ。 それが、彼らの進行方向の少し前で止まった。後部座席の両方の扉が一気に開く。 そこから、屈強そうな人相の悪い男が二人出てきた。男たちはジーンズにシャツに上着に帽子、サングラスといかにも犯罪をこれから起こすという風体だった。 そして、纏う雰囲気が薄暗い。 「……」 哀は身構える。 「下がってろ」 コナンも瞬時に事態を理解する。哀と歩美を背に庇い様子を伺う。 どこから見ても不審者だ。組織の人間ではないことはわかる。彼らはもっと上手くやる。こんな日中誰かに見られる危険など犯さない。だが、彼らからは犯罪のにおいがした。 「……やっぱり、上玉だな」 「ああ。三人ともとは運がいい」 男たちはそんなことを言いながら迫ってきた。 ひょっとしたら、誘拐か。自分達の背景を知らないようだから、身代金ではない。話しぶりから、人身売買か。 コナンはどうしようかと悩む。逃げるのは無理だ。コナン一人なら片方を靴で吹っ飛ばして、もう一人を麻酔銃の餌食にするが、現在三人の上歩美までいる。灰原ならどうにかできる、とコナンは信じている。 が、一人を片づけている間に二人を狙われたら目も当てられない。 それでも一人とにかく麻酔銃で眠らせるか。じりじりと後ずさりコナンは考えながら麻酔銃を用意しながら機会をねらった。 「きゃっ」 歩美が転ぶ。 哀が歩美を抱き起こそうとしている間に男達は迅速に行動に移した。 三人の子供を捕獲しようと男の無骨な腕がそれぞれに伸ばした。手近にいたコナンと立ち上がったばかりの無防備な歩美へと。 「逃げろ、歩美ちゃん!」 コナンは男の手が迫る前に歩美の背中を力一杯押し出す。 「な、いや!」 歩美の悲鳴を後ろに、コナンは細い両腕を広げ歩美に向かう怪しい男の腕を塞ぐ。当然、防ぎ切れることはなくコナンは楽々と男の腕に捕らわれる。離せと声を上げようとするコナンの口を片手で封じ、もう片方の手で持ち上げ車の後部座席にコナンを押し込める。 「いやーーーー!」 歩美がコナンに押し出され転び、少し離れたところから大声を上げた。 人が集まってくる前にと、急いでがっちりした身体付きの男が哀を腕で拾い上げ、後部座席へと放り込む。 車は発進した。 「いや、コナン君、哀ちゃん!」 歩美の叫び声も空しく車は見えなくなった。 涙を拭いて歩美は行動に起こした。 伊達に探偵団として活動はしていない。まず、警察、交番に行かなければ。 歩美は近くの交番まで走りに走って駆け込んだ。 「友達が、浚われたの!助けて!」 歩美は懸命に訴えた。 「どうしたんだ、お嬢ちゃん?」 悪戯ではないことは見てわかるが、事情がわからない。 歩美は説明する。車が止まって男が二人降りてきて、自分達を捕まえようとしたこと。友達が自分を逃がしてくれたこと。二人が浚われたこと。車は白で、バン。スモークガラスが張ってあり、東都ナンバーだった。番号だけは覚えている。2957。ちゃんと歩美は遠ざかる車の後ろを見ていたのだ。自分がしっかりしないと!探偵団の一員なんだから!と覚えて忘れないように何度か心の中で繰り返していたのだ。 そして、メーカーも確かうちの車と同じマークがついていたから、あれはニッ○ン。 歩美の詳しい証言に警官も驚きつつも一つずつ聞きながら書き留める。歩美は覚えていることを話し切ると、彼らの保護者を思い出した。 「博士に電話しなくちゃ!」 歩美は最近危ないからと持たされている携帯をポケットから取り出し、短縮9番にかける。探偵団は困った時用に皆が9番に阿笠邸の電話番号を入れているのだ。何度かコールすると電話は繋がった。 「博士!」 『あれ?歩美ちゃんかの?どうした?』 「コナン君と哀ちゃんが浚われたの!私はコナン君が逃がしてくれたけど、二人とも捕まって!」 歩美は話している間に涙が溢れてくる。 『わかった。今どこにおる?』 「交番。すぐに知らせようと思って!」 『そうか、さすが少年探偵団だの。すぐにそちらに向かうから、場所を教えて欲しいんじゃが、警官に代わってくれるかの?』 「うん!……哀ちゃんのほごしゃの博士」 歩美はそういって携帯を警官に渡した。警官はそれを頷いて受け取って、気持ちを切り替えて話し出す。 「もしもし、お電話代わりました。……はい、こちらは、○○の交番です。住所は、……、はい。はい。すみません。お待ちしております」 警官は簡素に必要事項を告げて歩美に携帯電話を返す。 「はい。すぐに来てくれるって」 「うん!」 歩美はやっと笑顔になって頷いた。 しばらく待っていると、博士がやってくる。表にビートルをおいて、交番へと急ぎ足で入ってきた。 「歩美ちゃん」 「博士!」 歩美は博士の姿を認めると大きな身体に抱きついて泣き出したが、すぐに気丈に顔をあげて話し出す。自分が告げなければならないことはたくさんある。 「探偵バッチは持っていると思うんだけど、連絡どうしよう?」 博士に聞いておきたいことだ。彼が作ってくれた探偵バッジのことを一番知ってるのが博士なのだから。 「……あれを持っておるか。だが、連絡は向こうからくるのを待った方がいいの。こちらから連絡して犯人に見つかってしまったら事態は悪くなるからの」 それに探偵バッチの弱点は遠距離に向かないことだ。離れすぎると受信できない。 「そうだよね!私、ずっと待っている。……それから今日、眼鏡のツルが緩んでいてコナン君掛けられないからポケットに入れているの」 「かけておらんのか。うーむ。だがスイッチを入れてくれればこれなら場所は追えるから、やはり待つ以外ないかの。ああ、携帯のGPSを探してもらうか。しかし、どうして誘拐にあったんじゃ?」 「わかんない。うーんと上玉って言ってたよ?上玉ってなに?あと運がいいって」 「……そうか」 博士は最初二人が誘拐されたと聞いて、まず組織を思い浮かべたが歩美も一緒に浚われそうになり、かつ無事であることから殺人を無闇に犯す犯人ではないことは理解できた。とすると誘拐が目的だ。営利誘拐として、哀を預かる自分にお金があるとは思えないだろうし、毛利探偵事務所に居候しているコナンに身代金を要求するのもおかしい。営利誘拐ではないし、今日は学校からの帰り道という状況でもない。いつもとは違う道。三人の身元を知っていて狙ったとは思えない。それなら、衝動的犯行となる。 歩美の覚えている言葉から推測できるのは、人身売買しかない。 阿笠自身の欲目を除いても、三人は三人とも見目がいい。 まずいと阿笠も思う。暴力などの危害を加えられることはないが別の意味で身が危険だ。 「保護者の方ですか?」 歩美と阿笠の様子を見ていた警官が話が一区切りするのを待って声をかけた。 「はい。浚われた女の子を預かっている者です。もう一人の男の子もよく知っています」 「そうですか」 「実は最近子供の誘拐が頻繁に起こっていまして、警戒態勢を強化するように要請があったばかりなんです。すぐに本庁に連絡しますし、我々ができることは何でもしますのでご協力をお願いします。 「もちろんです」 阿笠は頷く。 「では、誘拐された子供の名前と外見や服装など。もう一人の保護者の方の連絡先を教えて下さい……」 警察官は阿笠にまず基本となるとを聞いた。阿笠も答えられることは答えた。そして、警察官はこれからのことを話し始めた。 「……う、ん?」 コナンは目覚めた。ここはどこだろう? 車に押し込まれてすぐ、薬を嗅がされた。意識がなくなって、それで? ぐるりと見回すとどこかの部屋だ。柔らかなものの上、ソファの上にいるようだ。隣には灰原がいる。 誰も部屋にはいない。見張りは部屋の外にもいないようだ。気配がしないからわかる。 手を紐で拘束されているから逃げられないと思っているのだろうが、前だからかなり行動はできる。 「……灰原」 コナンは小さな声で呼んでみる。 「灰原」 「……え?」 瞬きして、哀はすぐに状況を理解した。 「捕まったのね。ここは、彼らの潜伏地かしら?拘束はされているけど、ああ、あなた身体だるくない?薬品の種類は大丈夫だとは思うけど、ああいう人間が上等なものを使うとは思えないから、副作用が心配ね」 「平気だ。多少はまだ怠いけどな。それより、なにも取り上げられていないようだぞ?」 「ええ。探偵バッチにポケットの裏側に入れてある携帯もね。最近の子供は当たり前のように携帯を持っているって知らないのかしら?」 「どうだろうな。繋がらないかもしれねえぞ、ここ。追跡眼鏡はあるから、スイッチは入れておこう」 コナンは器用にポケットから眼鏡を取り出し、スイッチを押す。それから携帯も取り出すが、やはり圏外だった。が、一応GPS機能を使ってみる。位置がわかったらラッキーだとは思ったが、やはり使用不可だった。 ビルの谷間や反射物があると電波は届き難くなるからそういった谷間の場所なのか、わざわざ電波を妨害している部屋なのか。誘拐という犯罪者だからどちらにしても、そういった場所を選んだのだろう。 うーむと考えて、部屋を見渡す。 逃げる窓もない。子供には背の届かない高い場所に明かり取りの窓があるだけだ。 「私のもだめね。圏外だわ」 哀はポケットから携帯をやはり器用に取り出して確認する。 「GPSは、車で移動している時ならわかったでしょうけど、今は無理ね」 「そうだな。この部屋では無理だな」 コナンが思案するように首をひねる。 「時間はそれほど経過してない。俺たちは薬の効きが悪いのか?」 腕時計を見ると一時間も経っていない。普通、もっと意識を失っているようにするだろうが、自分達だから早く目が覚めたのだろう。だからこそ、見張りもない。 「今できることなー、一通り調べてみるか」 コナンはソファからひょいと降りて、まずドアまで行く。手を伸ばしてひねってみるが、案の定鍵がかかっている。その次は部屋中を物色する。哀も一度深く息を吐いてから同じように部屋を探し回る。 室内の家具はソファに背の低いテーブルと椅子二つ。それ以外は、毛布やタオルなどのリネン類が片隅におかれているだけだ。時計も外と連絡を取るものも一切ない。 「利用できそうなもん、ねえな」 「誘拐の常習犯なんではなくて?子供でも大人でもいったん押し込めておく場所には打ってつけね。携帯も使えない、窓からの脱出も不可能。それに、あの人達慣れていたわ」 「躊躇なかったもんな」 初めてなら、もっと戸惑うし焦るものだ。だが彼らは手筈通りにやっているという雰囲気があった。 「ここは仮だろうな。浚ってきた人間を長時間押し込めておける場所じゃない。ってことは、この場所をどうしても知らせる必要がある訳だ」 「そうね。また移動したら、今度こそ追えないものね」 日本の警察というより阿笠博士やその知人達だ。いざとなれば、FBIにもコネがある。彼らが組織にいた自分と、ずば抜けた頭脳を持つコナンを亡くす気はないだろう。 哀は頭の中でそんな計算をした。警察にはできることと、できないことがある。信じるには些か信頼に欠けた。 そんな哀にコナンはよしと頷いてソファまで促し「何があっても黙っていろ」と言って椅子を派手に音を立てて倒した。 床に倒れた椅子の音はたぶんかなり響いた。そして、予想通り靴音が近づき扉が開いた。 「なんだ?もう起きたのか?」 誘拐犯の一人、屈強な男だ。哀を捕まえた男だ。 「……」 コナンは倒れた椅子の横で、びくりと身体をふるわせて怯えて立ちつくす。哀もよくやるわねとコナンの演技力に感心しながら、己も足を引っ張るわけにはいかないと、怖がっているようにソファの上で身体を縮こませ目を伏せた。 男がコナンに歩み寄る。そして、にたりと嗤った。 「怖いか?怖いのは今だけだ。すぐにご主人様が決まるからな」 くつくつと男は喉の奥で笑い、手を伸ばしてコナンの顎をあげさせる。 「これだけ上玉だったら、引く手数多だ。心配いらねえ。可愛がってもらえるぜ?」 コナンは蒼い目を不安に潤ませて細い首を小さく振る。その度に長い睫毛が輪郭に陰影を作り、黒髪が白い頬にかかる。 「しかし、ほんとに上玉だ。今までで最高だ。高く売れる」 男はコナンの白く子供らしい滑らかで柔らかな頬を指で撫で上げ、そのまま首筋をたどる。無骨な指が愛撫するように子供の肌を撫でた。 「……ぃ、や」 コナンは小さな身体を小刻みにふるわせ、男の身体から逃げようとするが当然避けることなどできず、恐怖に小さな桜色の唇をわななかせる。 幼い美貌の拙い抵抗は男の加虐心を十分に煽るものだった。 「商品には手を出さないって決めてるが、味見くらいはいいよな?」 男はコナンの縛られている細い腕を引きよせ、襟元を乱して白くて細い首筋を舐めた。 「いやーっ」 コナンは首を大きく振って抵抗する。拙い抵抗にますます煽られて男がコナンを床に押し倒そうとすると、コナンのポケットから携帯電話が落ちる。それに男は気づき、動きを止めた。そして携帯を拾う。 「なるほど。どうせ繋がらなかったろ?まあ、没収だな。……こちらのお嬢ちゃんも出しな」 男の要求に哀は怯えた風でコナンをちらりと見る。コナンは目で頷く。哀は諦めたように怖々携帯を男の手へ渡した。 男は低く笑って見せつけるように携帯の電源を落とした。携帯の電源が落ちていれば、男がこの部屋から持って出てもGPSは使えないからだ。つまり電波を追って助けはこない。 再び男がコナンに伸し掛かろうとすると、ドアを叩き「川原!川原!呼んでるぞ!」と仲間から呼ばれたため名残惜しげに退くと、 「後で、可愛がってやるからな」 男はコナンの頬をいやらしく撫で上げて引き上げていった。 「江戸川君!」 男が去ると、哀は叫んだ。言われた通り黙っていたが、我慢の限界だった。 この人は、なんてことをするのだろう。いくら、必要な事でもやっていいことと悪いことがある。第一、危機感はないのか?ついでに、その演技力はどこで身につけたの?女優である母親?それとも天然? 「ああ、気持ち悪い」 哀の咎める声音を聞きながらコナンは心底嫌そうに身体をふるわせた。 「当たり前でしょ?」 「わりー、でもこれで一応は予定通りだ。男に携帯を外に持っていってもらったし、ポケットに持っていた小型の発信器を入れておいた」 何かあった時のために、小型の道具を博士に作ってもらっている。いつ使用するかわからないから、ボタン型の発信器を携帯の裏に張り付けてあるのだ。 携帯とボタン型の発信器を別にしたのは、保険のためだ。どちらかが電波を受信できる場所に運ばれればいい。 「……そう。でも、やり過ぎよ。あの男、あなたに本気で手を出すつもりみたいよ?」 「それまでには、なんとかするさ。絶対。まじに、気持悪いーーー」 吐き気を訴えるコナンに哀も心中で叫ぶ。 あれはロリコンの変態ですもの。気持ち悪いに決まっているじゃない。イヤだわ、あんな男の唾液が彼についたままなんて。頬や首筋もあの手で触っていたし。許し難いわ。 「後で消毒しましょう。あんな変態の痕なんて残しておけないわ!病原菌はまるごと消去よ!」 「……消毒?」 「そうよ。まさか、イヤだとでも?」 「まさか!イヤな訳ないだろ?こんなもん洗い流したい!」 「そうでしょう。そうでしょう。私に任せて」 ふふふと哀は怪しく笑った。科学者の笑みだった。背筋が凍る恐ろしいものだった。 |