「探偵と怪盗のRondo」1−2





 

「……てことが、あったんだ」
 コナンは隣を歩く共犯者であり同士である少女に昨日のことを語って聞かせた。
 
「…………そう」
 哀は、深々とため息を付いた。
 そんな報告どうなんだろう。思わずKIDに同情してしまったではないか。
 この人が探偵とは嘘ではないかと思う瞬間だ。人の感情に聡いはずなのに、洞察力に優れているはずなのに、そうでなければ探偵などできるはずがないのに。どうして自分に向けられる好意に鈍いのか。あからさまな視線に疎いのか。朴念仁どころではない。これでは公害だ。
 
 歩美の向けるほのかな想いは多少はわかっていても、子供が持つものだと理解しているし、哀が向ける視線もわかっているのかいないのか流している。決して軽く見ている訳ではない。哀の罪悪感と恐怖感から守ろうとしてくれている。どんなに大切にされているか、知っている。
 
 だが、どうして恋愛感情だけ、こうも発達していないのだろう。
 小さくなる前、高校生探偵として有名な彼は大変モテたはずだ。ファンレターももらい、いささか自意識過剰に当時の新聞や雑誌の写真からは伺える。だが、どんなにモテていても、遊んでいた形跡はない。毛利蘭という幼なじみがいたからだろう。たぶん初恋でずっと大事に恋心を育ててきたはずだ。つき合うまでには至っていないが、今でも側にいても大事に守っている。まるで、弟のように家族となって。
 子供の姿ではどんなにコナンが頼り甲斐があっても蘭は恋心は向けはしない。倫理的に無意識で対象外としているのだろう。
 未だ自分の自慢できる幼なじみ工藤新一を待っている。どんなに探偵馬鹿と貶しても、大事で誇らしい自分を守ってくれる幼なじみなのだ。だが、蘭はいつまで待てるのだろうかと哀は時々思う。ずっと待っていて欲しいと思う反面、待つことが目的となっているように感じて、いい加減諦めてしまってもいいのではと思う。帰ってくるという口約束だけ信じて彼女の時間が無駄に過ぎるのは、悲しいものだ。
 コナンが心代わりをして、と考える訳ではない。
 組織に敵対し、滅ぼそうという人間の側に蘭のような一般人がいては絶対に狙われる。それは哀がよく知っている。どんなに組織を潰しても残党はなくならない。工藤新一の存在をどんなに秘密にしても、秘密は絶対ではないのだ。いつかばれる。
 彼は選択するだろう。大事な人を自分から離すことを。
 彼は彼女を選ばない。今もその兆候は現れている。
 
 同じ存在でも彼が子供の姿で演じているだけで、彼女は彼に気づかない。
 小さな身体でも、自分のもてる力で命の限り彼女を守ってきたのに。彼は本気で彼女を守り通した。どんな時も。
 けれど、疑う時あっても、結局コナンは弟であると彼女は結論付けた。
 自分が求めるのは、工藤新一だけ。
 それを責めることはできない。が、彼女の視線を側で見ている彼は気付いたはずだ。彼女の求めるものが何であるか。
 
 それに、自分達は本当に元の姿に戻れるという保証はない。今まで偶発的に元に戻ることはできたが、時間制限があった。パイカルの成分が影響を与えているとわかっても、それは慣れが出るもので再び利用できるものではない。確かに成分は利用できるけれど。組織からアポトキシンの研究資料が手に入っても、それからが大変だ。奇跡のような偶然で二例あるだけの幼児化だ。それに、毒薬のような薬で一気に大人から子供になる事もとんでもないが、元に戻ると簡単に言っても急激に身体が大きくなるということは負担が大きすぎる。内蔵、心臓、骨、肉、すべてがいきなり成長するなど普通だったら耐えられる訳がないのだ。小さくなることも同様だ。
 もしかしたら、未成年でまだ身体が完成されていなかったから可能であったのかもしれない。
 元の姿に戻る可能性は著しく低い。
 このまま無事に成長できるかも不明だが、成長したとして彼と蘭の年齢差は十。彼女が大学を卒業して社会人となる時、自分たちはやっと中学生だ。子供だ。
 もし彼が自分は工藤新一だと告白したとしても、年の差がありすぎる。中学一年生に手を出す社会人は立派に犯罪者となる。第一、幼い姿の彼を変わらず好きでい続けることはできるだろか?ほかの人に目がいかないだろか?自分を愛し守ってくれる逞しい体を持った男性を。包容力のある、男性を。一緒にデートできる世間から不審な目を向けられない男性を。
 そして自分たちが十八歳となる時、彼女は二十八歳。結婚していてもおかしくない。
 彼は、おそらく、自分が工藤新一だとは告げないだろう。そして、彼女は延々帰ってこない工藤新一を待てるだろうか?否、彼はそんなことはさせないだろう。決着を付けるはずだ。
 そして、彼女の側から離れるだろう。
 自分が犯した罪は、こんなに彼の人生を変える。それでも彼は自分を責めない。
 だから、絶対に元に戻してあげたい。お願いだから奇跡をもう一度起こして欲しい。
 
「あいつわけがわかならい。KIDだから仕方ないのか?」
 コナンは相変わらず首をひねって、鈍感な台詞を宣う。なぜ、わからないのか本当に、謎だ。
 好きは好きのはずだ。
 嫌いでは決してない。好きの度合いや種類は、想像しかできないけれど。
 KIDは彼の好きな謎で出来ている。暗号は楽しそうに解いているし、なんだかんだいっても頭がいい人間らしく対等に勝負できる人間は好きらしい。
 ハートフルで人を傷つけることはしない。困った人を見捨てられない。派手なマジシャンで気障な仕草が玉に瑕だが、人情味があって哀も嫌いではない。
 それに、彼は幻。生きた人間でも彼は偽り。本当の姿はいまだ謎のまま。
 そんなKIDに心が傾くの当然の成り行きだ。
 誰かに、蘭以外に心傾ける相手が現れるなんて彼は考えられないだろう。きっと自分を許せない。
 でも、KIDは別だ。例外となり得る。
「知らないわよ。あなたがわからないのに、私がわかる訳ないでしょ?それに、いいじゃない、別にイヤじゃないんでしょ?」
「そうだけど。ちょっと癪?」
「なぜ?」
「自分から行くのは構わねえけど、強要されるのはむかつくんだよ。ああ、なんであの時うんて言ったんだ、俺」
 自分勝手なコナンはKIDに八つ当たりしている。それが哀はわかって苦笑した。
 八つ当たりなんてできる存在、彼にはそういない。何でも自分がやらなくてはと思っているのだから。そしていざ事件が起これば、文句とか愚痴も控えている。
「なら、今度会う時に蹴りでも入れておけば?」
 哀は非道なことを勧めた。仕方がない、哀にとってKIDよりコナンの方が数万倍上なのだから。
「そうだな!一度くらい蹴っておいてもいいよな?」
「ええ」
 意気揚々とするコナンに哀は頷く。
 もしKIDが聞いたらやめて下さいと涙声で訴えるだろうが、現時点で知らないし、もし知ったとしても哀に文句は怖くていえないだろう。誰でもマッドな科学者は怖い。
 
 KIDの運命が決まった瞬間だった。
 
 
 
 
 
 
「何で来てくれないんですか?名探偵!」
 
 空しくビルの屋上にKIDの声が響いた。
 
 元々KIDの予告状は届いた先の人間が発表しない限り新聞には乗らない。宣伝目的で大々的に紙上発表することもあるし、それを狙って自作自演する人間もいる。中には挑戦状をたたきつけて来る奇特な人間もいるはいる。
 だが、多くは後で事実が乗ることがほとんどだ。警察としては、野次馬の見物人は邪魔でしかない存在だ。
 警備は完璧にしたいから、わざわざ知らせることなどしない。
 KIDは変装の名人だから余計に人は入れたくない。なのに、中森警部は警備員を大勢投入するのが学んでいないとKIDは常々思う。だからこそ進入しやすい。
 つまり、よほどのことがない限り、新聞紙上などで発表され一般に知られることは少ない。
 KIDの予告状が解けずに、ほかに依頼することはある。
 だから、KIDはさりげなく毛利探偵まで話が行くようにした。それならそこに厄介になっている名探偵の少年も付いて来られるからだ。
 だが、事件が起こった瞬間、KIDの現場は瞬殺される。
 探偵である彼がそれを最優先するのは仕方がない。潔く諦める。窃盗と殺人とどちらが大事だと聞かれたらKIDも殺人だと答える。
 それなのに。
 この間は事件だと思って諦めた。警視庁を盗聴していたからそれはわかっている。
 そして、前回は、毛利探偵に話がいかなかった。ちょうど他から依頼があって東都にいなかったのだ。土日であることから蘭とコナンを連れて。
 だが、今日は事件に遭遇していないし、家にいるはずだ。それは調べが付いている。ついでに予告状は珍しく紙上に大々的に乗った。
 ああ、それなのに。
 どうして、名探偵はここにいないんですか?
 
 
 
 
 
「名探偵!なんで来てくれないんですか?待っていたのに!今日は事件には関わっていないでしょう?」
 思わず、KIDは毛利探偵事務所まで押し掛けた。今日は毛利探偵は麻雀に出掛けていない。夜中には帰ってくるだろう。蘭は明日早朝から空手部の練習があるため、すでに就寝している。もうすぐ試合があるのだ。コナンは一人静かに誰にも邪魔されず読書に興じていた。
「……今日は新刊の発売日だ!」
 突然押し掛けてきたKIDにコナンは怒鳴り返した。読書を楽しんでいたのに邪魔されてコナンは怒っていた。
 一方のKIDはさめざめと泣きたい気持ちになった。
 自分は、ミステリの新刊に負けるのだ。事件にも本に負けるなんて。
「私は新刊より価値がないとでも?」
 いささか刺々しくKIDは問う。これで肯定されたら傷心でKIDはしばらく使いものにならないだろう。
「そうは言ってない。第一、今日は平日だろうが!」
「はい、確かに」
「俺が行ける訳ねえだろ?」
 コナンは小学生低学年である。身長も小さい。そんな子供が夜出歩いていたら間違いなく補導される。それとも誘拐を疑うだろうか。犯罪に巻き込まれてもおかしくない容姿をしているのだ。
 それに、蘭や小五郎の目を盗んで出かけることは不可能に近い。今はたまたま蘭が寝たからいいが、普段は起きている時間だ。小五郎も麻雀からもうしばらくしたら帰って来る。
 
 もし内緒で出かけたのが見つかったら二度と夜外出はできなくなるし、補導され現在の保護者である毛利探偵事務所に連絡が行ったら最悪だ。一応預かっているという身の上だ。好意で置いてもらっているのに、責任が追求される。
 それは絶対に避けたい。
「俺が動けるのは土日のみ。それも博士の家に行って来るって出かけられる時だけだ。逃走経路だって、夜中に子供が歩いていたら見つかるから博士に送ってもらわないと、いけねえし」
 子供の身体は不自由なのだ。
 それにKIDのために予定を空けてばかりはいられない。組織を潰すため、やることは多々ある。優先順位が違いすぎる。
「第一、KIDの予告状なんて俺が知る機会は少ない」
 コナンは理由とそれに関する危険性を述べた。理路整然としていて、さすが名探偵と思うが自分に対する感情が見えなくて悲しい。来てもらえないと嘆きここまで乗り込んできた自分が可哀想だ。
「わかりりました。では、これからは個人的に予告状はお届けしましょう。週末で来られる時だけで結構です。それならいいでしょう?名探偵は私の予告状好きですよね?暗号を解くの好きですよね?」
 好きって言って欲しい。KIDは願いながら聞いた。
「……好きだけど、いいのか?それで?」
 KIDが作る暗号はコナンの大好物だ。もらえるものなら喜んでもらう。それがコナンのスタンスだ。遠慮もしない。
「構いません」
 KIDは即答した。
「そうか、なら。遠慮なく」
 時々はつき合ってやろうとコナンは珍しく殊勝に思った。
 
「ああ、後な。この身体だと無理が利かねえんだ。あんまり深夜だと子供の身体ってのは勝手に睡眠を取ろうとするんだよ。俺は元々宵っ張りだけど、それに身体は付いて来ないんだ。小学校の頃、こんなに寝ていたんだよなー。起きている時間少ないよなー。忘れていた」
 ついでとばかりに、コナンは条件を続けた。
「そうですね、私も自分の子供の頃は覚えていませんが、小学校低学年では九時くらいに眠れと言われたと思います。朝は七時に起きているとして、睡眠時間は十時間。今思うと、すごいですね」
「そんなもんだ。九時になると布団に追い立てられる。それまでに風呂に入れって言われるし。俺が入らないと蘭が遅くなる。居候だから迷惑は掛けられねえし。そんな我が儘通すつもりもない」
「ええ」
 コナンの思いがわかってKIDは小さく笑う。
「ということで、深夜は行くのはかなり難しい。まさか半分寝ている状態で博士に送ってもらうのは気が引けるし、たぶん反対される。当たり前だけど。で、俺はやることがあるから、予定として空けられても他に時間を費やすことが多々あると欲しい」
「はい」
 コナンの言うことは最もで反論も我が儘も出ない。
 コナンにはコナンの事情がある。KIDにKIDの事情があるように。
「……そういえば、今日は予告日だったけど上手く盗んだんだよな?で、俺のところに来ているけど宝石は返したのか?」
 ふと思い出してコナンが聞いた。
「それは、ここに」
 KIDは何もない場所からひょいとビックジュエルを取り出した。コナンの拳大の大きさをした煌めくサファイアだ。神秘的に青く光っている。
「……バカ。早く返して来い!」
 宝石を見せられてコナンはKIDの宝石を持った手を押し返した。
「名探偵がいらっしゃらなかったので、つい。ええ、明日にでも返してきます」
 宝石のことは横に置き、名探偵のことしか考えていなかったと言ったも同然だった。少しKIDも恥ずかしい。だが、感情は変えられないのだから仕方ない。宝石ならいつでも返せるが、名探偵にわかってもらうにはタイミングを逃したら何十歩も遅れる。
「面倒がらず、ちゃんと返せよ」
「もちろんです。私はこれでも勤勉なんですよ」
 胸を張るKIDに、コナンは小さく吐息をこぼす。
「泥棒が勤勉で胸を張るな!もう少し殊勝にしておけ」
「そうは言いますが名探偵。KIDなんですよ?こそこそとやる訳にはいきません。つきつめてしまえば、予告状がいらなくなるでしょ?」
「……そうだな。まあ、必要か。おまえの目的にために」
 KIDの事情を説明したことはなくてもコナンには目の前にある事実からわかることがある。だからこその台詞だ。
「名探偵にも必要でしょ?娯楽のために」
 KIDはコナンの言葉をあえて流し、にこりと笑いコナンに話をふった。
「娯楽な!なるなる。ミステリが不足している時だと本当に幸せだな!」
 上機嫌にコナン笑顔になる。ミステリと謎は大好物な探偵らしい反応だ。KIDはそんなコナンを穏やかな目で見つめ、一歩後ろに下がる。
「……それでは夜分にお邪魔しました。読書を邪魔して申し訳ありません。でも、睡眠時間は確保して下さいよ」
「余計なお世話だ」
「では、失礼します」
 そう言いながらシルクハットのつばを直しマントを翻して消えた。その拍子に、バラの花が一輪コナンの手に落ちてきた。
 それを手に持ってくるくると回しコナンは小さく笑った。
 
「暇人め」
 
 そんなつれない事を言う割に、笑っているのがコナンらしいといえばらしい。
 
 
 




 


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