「すきだ〜〜〜!」 子供の甲高い声がビルの屋上に響きわたった。 場所と状況が、大層不釣り合いだった。 まだ小学校低学年ほどの幼い少年は、それだけ言うとすっきりとした顔で笑い、もう用はないとばかりさっさと背を向けた。まるで、そこに相手などいないが如く後腐れのない態度だった。 「は……?」 実はその場に存在していた唯一の人間はよく知る少年の台詞を唖然と聞き、少年をそのまま見送った。後には空しくビル風が吹くだけだった。 今日も今日とて怪盗KIDは博物館に展示されていたビックジュエルを盗みだした。 そして中継地点である高層ビルの屋上へと降り立った。すでにパトカーのサイレンはダミーを追っているらしく遠くに聞こえる。 KIDが羽をたたみ足でコンクリート踏みしめると、そこには幼い少年がいた。 彼は探偵だ。 今は小学生低学年の姿で江戸川コナンと名乗っているが、中身は日本中に知られる高校生探偵、工藤新一だ。日本警察の救世主と呼ばれるその頭脳と洞察力はKIDから見ても感嘆せずにはいられない代物だ。 その蒼い目は魔力を秘めた慧眼。見つめられたらすべてを見抜かれてしまうだろう。 そんな探偵は窃盗は管轄外だと言き切るが、時々KIDの現場にやってくる。主に幼なじみやその同級生に連れられて、毛利探偵に舞い込んだ仕事のお供として、まれに暗号が気に入ったのか、個人的に答え合わせにやってくる。 今日、この場にいる探偵は個人的に気が向いたのだろう。現場に毛利探偵はいなかったし、盗聴していた中でも探偵の声は聞こえなかった。 「こんばんは、名探偵」 KIDは優雅に挨拶した。 敬愛をこめた呼び方は自身が認めるこの探偵だけだ。 相対した探偵は、まっすぐにKIDを鋭い瞳で見つめすっと息を吸うと叫んだ。 「すきだ〜〜〜!」 KIDはその台詞にらしくなく動きを止めた。何と返していいか、どう捉えていいか迷った。自慢の頭脳も役に立たず、間抜けにも目を丸くした。暗闇であり片眼鏡をしているおかげで、ばれてはいないが。もっとも観客は一人きりだから、あまり意味はない。 KIDが、表でポーカーフェイスを張り付け裏で困惑している間に探偵は返事を聞く気がないようでさっさと去っていった。今聞いた言葉が嘘のような颯爽とした姿だった。 名探偵〜〜〜? KIDは心中で情けなく呼びかけた。 今あったことは果たして現実なのだろうか。 あの探偵は大変狡猾だ。甘く見ると痛い目を見る。 だが、あれが罠だとは到底思えなかった。そうでなくて、あの探偵が「好きだ」など己に言う訳がない。いや、自分に言ったのだろうか、本当に……。 ただ、叫びたかった。こんなビルの屋上でわざわざ?自分の中継地点で? どんなに可能性を考えても、あり得ないだろう。 だったら、どうして? 好き?あの探偵が?KIDを? 本当に?それは事実か?嘘じゃないのか?幻聴じゃないのか? KIDは思考の海にダイブして、しばらくその場から離れることができなかった。 「それで、どういうことなんですか?名探偵」 KIDはコナンのところまで押し掛けた。コナンのとんでもない問題発言を受けて二日後の深夜だ。酒を飲んで早々に寝ている小五郎の隣で本を読んでいたコナンを窓を叩いて誘い出した。 ここは、探偵事務所から少し離れた小さな公園だ。人がいないことを確認してKIDはずっと心にくすぶり悩ませてきた事実を問いただした。 「……は?」 だが、コナンはぽかんとKIDを見上げた。いかにも、訳がわからない態度だ。 「ですから、先日のことです。好きだと私におっしゃいましたよね?」 確認するようにKIDは問う。違うと言われたら自分は夢でも見たのだろう。 「ああ、あれか?そうだな」 ぽんと手を打ってコナンは頷く。そこには感情の機微はなかった。 「……そうですね。それで、どうしてあんなことを?私のことがお好きなんですか?」 「ああ。好きだぞ」 きっぱりとコナンは明言した。だが、その後が限りなくいただけなかった。 「この間からちょっと考えていてな、おまえのことを。気障だし慇懃無礼だし、格好も変だけど、暗号は好みだし。実はハートフルで人情に溢れているし。絶対困っている人を見捨てられないし。窃盗犯だけど、嫌いじゃない訳だ。それで、おまえのことをずっと考えていて、頭から離れなくて。好きなのかなーと思い至ってさ。いつまでも悶々としているのは性にあわないから。それで、はっきり言えばすっきりするかと思ってな。……で、逃走経路に行ったんだ」 「…………それで、好きだと叫んだんですか?」 「ああ!すっきりしたな!」 コナンはからりと笑った。 どこにも告白をしたという自覚はなかった。自分がなにをしたのかという自覚もなかった。 男の純情返せ! KIDは心中でめいっぱい力の限り叫んだ。 あんなに悩んだのに。 しばらくビルの屋上で呆然として我に返って家までぼんやりと帰って。そして、ベッドの上で何度もあの台詞を反芻して、やがて理解した。 実力を認めている唯一の探偵。自分が名探偵と呼ぶたった一人。 謎が大好きで、暗号や事件に遭遇すると蒼い目をきらきらと輝かせて喜ぶ。もちろん殺人事件は、面白がるのではなく真面目に取り組んでいる。これ以上の殺人が起きないように、犯人さえも殺さないように、尽力している。 怪盗は窃盗犯だと言ってあまり関わってくれない。が、筋は通す人だ。 彼がいるのといないのでは、KIDの舞台は全く別のものになる。本気で挑まれたらKIDも苦労することになる。彼に警備の指揮ができたら、どれだけ相対して面白いだろうか。残念ながら子供の姿ではそれは難しい。せいぜい、子供らしく助言をするだけだ。 毛利探偵に付いて現場に来ている時は個人的に関わってくれる。鈴木財閥のご令嬢が絡むと、親友の毛利蘭と一緒にやってきて間接的に絡む場合が多い。 一般のKIDのショーの観客ではなく、一等地での観客になるからだ。 彼がいると楽しい。 もっと、遊んでくれればいいのにと思った。 誰にも解けない暗号を読み解き、事件をひもとき真実を見つける彼の慧眼に敬意を払う。 でも、子供らしい一面もある。 本来なら高校生の彼だが、ミステリ小説が大好きで読み始めると止まらない。ホームズの話を始めると止まることを知らず延々と話すとは幼なじみに弁だ。 推理が好きで、事件と聞けばすっ飛んでいく。 サッカーも好きでWカップは大々的にテレビの前で応援したらしい。 KIDの前では装うことはしていないため、子供としての演技は捨てていて素の彼そのもので出会うことが多い。 最初、生意気な態度で、捕まえて監獄に入れてやると大見得切って、それだけの実力はもっているから余計に憎たらしかった。でも子供の姿で地団駄踏む姿は可愛いし、懸命に追ってくる姿を見るとわくわくした。実力が対等な探偵は確かにKIDの存在を際立たせた。 誰に変装していても、KIDだと見破る。 信用されていると感じる時もあった。事件に巻き込まれて追う途中、彼は自分をKIDだと知っていて協力を頼んできた。 気分が高揚した。 自分たちが組んだらかなり無敵だと思った。 彼の前では格好悪い姿は見せたくなかった。弱みを見せたくなかった。 KIDとして彼の前に立つ時は、怪盗紳士らしくいたい。一代目の父親がKIDの時どんな仕草で話し方をしていたか知らないが、自分なりにKIDを確立していたかった。それくらいの誇りはある。 惰性でKIDをしている訳ではないのだから。災いをもたらす宝石を見つけ砕く。 その目的を果たすため、裏の顔を持った。 だが、続けることは難しい。表の顔を維持して裏の顔は誰にもばれないように警戒してそれでも捕まらないように完璧に仕事をしなくてはならない。 長く続けていれば息が切れる。 そんな自分の光にいつのまにか彼はなっていた。自分を捕まえようと画策する探偵が救いなんて本当におかしい。 だが、彼だから。彼だから自分は……。 どちらも嘘偽り、幻の姿だ。KIDという仮面を張り付けた自分と子供姿で世間を欺いて生きている探偵。それがどんなに辛いか知っている。 パンドラを見つけて砕くまで続くKID。 組織を崩壊させるのが目的の探偵。元の姿に戻るのが願いの探偵。 どちらも命の危険に晒されている。 今までのことを思い出して、改めて自分の気持ちに気付いた。 自分は探偵が好きなのだ。彼から好きだと打ち明けられたら嬉しいのだ。 なのに、鈍い、鈍すぎる。 外見は子供でも中身は高校生のはずなのに! 恋愛感情が外見通り発達していないなんて、詐欺だ。というかおかしいだろう?明らかに!好きだと叫んだのに。 探偵がこんな風にKIDのことを考えて頭から離れないのだから、己のことを確かに好きなはずだ。だが、彼はまったく自分の感情を理解していない。なんてことだろう。 「私のことが好きなことは事実なんですよね?」 KIDは確証が欲しかった。ここで言質を取りたかった。そうでなければ、帰れない。 このチャンスを逃して溜まるか! 「好きだけど?」 コナンは怪訝そうに、答えた。 「わかりました。それならば、いいでしょう。では、時々つき合って下さいね。窃盗は管轄外だと言わずに」 好きだと確かに言った。疑問系なのは無視だ。 そんなことを気にしていたら負ける。すでに彼の鈍感さは罪だ。 「なんでだ?」 コナンは、不思議そうに小首を傾げた。愛らしい姿だが、その反応は決して嬉しくなかった。 「好意があるなら、それくらいいいではないですか。それとも違うんですか?」 「ええ〜、違わないけど。……わかったってば」 面倒そうにコナンは唇をとがらせるが、KIDがじろりと目を細め見つめるので渋々頷いた。有無を言わせぬ眼孔でKIDは承諾させたのだ。 とにかく、これで言質は取れた。 自分が発言したことは忘れないだろう。記憶力はいいはずだ。それに、簡単に忘れてもらっては困るのだ! 「お待ちしておりますよ」 KIDは腰を屈め優雅にコナンの手を取り甲にキスを落として消えた。 残されたコナンは、眉をひそめ首を傾げ難しい顔をして、頭の中は疑問符でいっぱいだった。 |