「ロマンス」9




 青い青い、空。
 白い雲がたなびくように細長く浮かんでいる。
 太陽は雲に隠れもせず、暖かい光を地上に降り注ぐ。
 風は心地よくて、校庭に茂っている木々を揺らしている。

 ふう………。
 新一は教室の窓からどこまでも続く空を見上げてため息を付いた。
 その横顔は誰をも近付くことを拒絶している。
 蒼い瞳はここではない、どこか遠くを見ているようだ。

 最近ずっと様子がおかしい新一に蘭も園子も心配していた。。

 「新一、どうしたの?」
 「………」
 「何か心配事?」

 そっと蘭が声をかけても新一は答えない。窓から視線を蘭に変えても感情のこもらない透明な表情で見るばかりだ。

 「新一君、悩みごと?ため息付いてさ。そんなんじゃ、幸せが逃げるわよ」
 「………何でもない」

 おどけた風に園子が言っても新一の表情は冴えない。
 いつもなら、「何言ってるんだ」と園子に返すというのに。

 「美人の憂い顔も様になるけどさあ。新一君が元気がないとクラス中が沈みがちになるのよ。暗いったらないわ」

 園子は大きくため息を付いた。
 新一は良くも悪くも周りに影響を及ぼすのだ。
 彼がいるだけで空気が華やぐ。
 彼がいるだけで光りがあるような錯覚を起こす。誰もが引き寄せられる。
 けれど、彼が沈み込めばその心理状態に影響を受けて暗い雰囲気が漂うのだ。
 まるで一緒に悲しんでいるように………。
 できるなら笑って欲しいと思うのは彼を知る全ての人間の望みだ。

 「新一、本当にどうしたの?事件じゃないわよね、その様子だと」

 蘭は心配顔で伺うように聞く。
 事件にのめり込む時はもっと違う。他が目に入らないくらい思考して考え込む。その瞳は真実を追求するためかずっと遠くを見つめ、きらきらと輝く。その瞳を追い求める真理を邪魔することなど誰にもできない。それに、そんな新一の姿は溜まらなく魅力的だ。
 けれど、今回はもっと違う種類の悩みのようだと感じる。
 とても個人的な、新一自身の問題………。
 長年新一を見ている蘭にはわかった。

 「………新一?」
 「ごめん、自分でもどうしたらいいかわからないんだ。悪いけど放っておいてくれ」

 蘭に心配をかけていることくらいわかっている。
 でもどうしようもない上、話せる内容でもない。
 すまなそうに新一は謝った。

 「はあ。しょうがないわね。でも、こっちも我慢の限界があるんだからね」
 「そうよ、しばらくは何も言わないけど。これが解決しないようなら強制的に追求するわよ。新一君自身の問題だろうけど、こんな新一君放っておけるほど私は薄情じゃないからね?」

 結局は新一の意志を尊重する二人は条件付きで折れた。
 困らせたい訳では決してない。
 ただ、笑って欲しいだけなのだ。

 「ああ。心配してくれてありがとう」

 新一はそんな二人の気持ちに感謝しながら、どこか辛そうな笑顔を見せた。





 KIDが姿を消した。

 というより、新一の前に姿を現さないのだ。
 最近では日本以外、海外での仕事がずっと続いている。
 予告状も今までのような難解な暗号を出さない。すごくシンプルなものが多いらしい。
 新一はそのニュースをテレビで新聞で聞くだけだ。

 何があったのだろう?
 今までは、真っ白な鳩が新一の元に予告状を届けていたのに、現れない。
 もちろん、仕事が海外では届けることもできないだろうけれど。

 俺、何かしたのか?
 もしかして、嫌われた………?
 あれ以来、一度も逢っていない。姿も声も何も彼の欠片さえ、触れていない。
 そして、マジシャン黒羽快斗もずっと仕事をしていなかった。





 「新ちゃん、お母さんに付き合って?」

 部屋にいて本を広げているが中身が頭に入らない状態の新一。
 突然有希子が部屋に顔を出したと思ったら開口一番明るく新一を誘った。
 にっこりと甘えるように微笑むその笑顔に息子の新一が勝てたことは一度もない。

 「わかった………」

 新一は頷いた。
 気分転換にでもなるかもしれないな、と内心思う。

 「聡司さん、じゃ、お願いね」

 有希子は聡司に微笑んで告げる。

 「畏まりました」

 聡司は頷いて穏やかに車を出す。
 有希子の言うまま、聡司の運転する車で街に出る。車窓から見る街の景色をぼんやりと眺めながら、時々話しかける有希子に相づちを打つ。

 (いい天気だな………)

 自分の気持ちとは裏腹の澄んだ空。
 新一は憂鬱になりがちな気持ちを振り切るように軽く首をふる。
 有希子が新一を連れてきたのは、有希子御用達の高級ブティックである。
 ショーウィンドウには上質そうなドレスやスーツがディスプレイされている。
 二人が店の扉を潜ると、店長が嬉しそうに駆け寄って来た。

 「いらしゃいませ。工藤様」

 にこにこと微笑んで有希子に、どうぞ、と店内の奧にあるソファを勧める。
 すぐに紅茶が運ばれてきて、有希子も新一もカップに口を付けてくつろぐ。
 滅多に一緒になど来ない新一まで迎えることができた店長はその美貌な親子をうっとりと眺める。上得意である上、彼らが店内にいるだけで店の格が上がったような気になる。それほど彼らの威力は絶大だった。

 「工藤様、今日はどのようなものをお探しですか?」
 「そうね、パーティ用のドレスを………」

 有希子は小首を傾げる。

 「畏まりました。新作が何点か入っております」

 店長は少しお待ち下さいませと言うと店内にある洋服を数点もって再び戻る。

 「こちらなど、どうでしょうか?」

 淡いローズピンクの柔らかそうな素材のドレス。ノースリーブでマーメードラインの美しい曲線が優美だ。裾のカッティングがなかなか斬新で目を引く。

 「そうね………。着てみてもいいかしら?」
 「もちろんでございます」

 店長はフィッティング・ルームに有希子をエスコートしてハンガーからドレスを外し、どうぞと渡す。
 有希子は微笑みながら受け取り木目の扉を閉めた。
 再びその扉が開かれるとドレスに身を包んだ有希子が立っていた。

 「どうかしら?似合う」

 有希子は新一の前でふわりとターンして見せた。その動きに伴いドレスの裾が流麗な軌跡を描き揺れる。

 「似合うよ」

 新一は即答した。

 「本当に?」
 「ああ。母さんは何を着ても似合うよ」

 それはもう、当然の如く新一は言い切る。お世辞など考えもしない真実の言葉である。
 淡いピンクのドレスはまるで有希子のため誂えたように似合った。

 「ありがとう。じゃあこれ頂くわ」

 有希子は嬉しそうに頷くと、店長にお願いしますねと言う。

 「今度は新ちゃんのね」

 有希子は店内にある紳士服をきょろきょろと見て回り、新一の洋服を見繕う。

 「これ、着てみてよ」

 やがて気に入る洋服を見つけたのかスーツとシャツを片手に新一の側まで戻ってくると新一に差し出した。新一は抵抗もせず、受け取り着替えるためにフィッティング・ルームに入る。
 そして、渡されたスーツを着る。
 扉を押し開けて、新一は有希子の前に立った。

 「これでいい?」

 ブルーグレイに光の反射でしか見えないほどの格子模様が入ったソフトスーツ。インナーのシャツは黒。シックなデザインでタイトな印象を与える。タイは上質なレンガ色。
 新一の美貌を引き立てる色合いである。

 「………いいわねえ。とっても綺麗」

 有希子は満足そうにうっとりと頷く。
 それを見守る店長も有希子同様に新一の麗姿にうっとりと見惚れていた。

 「………母さん」

 新一は疲れたように有希子を呼ぶ。
 似合う、というならともかく、綺麗とは………。

 「さすが新ちゃん。私の息子よ」

 しかし有希子はそんな新一を無視して自分だけで悦に入る。

 「これ、頂くわ」

 満面の笑みで有希子は店長に振り向いた。

 「は、はい。ありがとうございます」

 見惚れていたため、一瞬返事が遅れたがすぐに有希子に頭を下げてお礼を言った。

 「お茶でも飲みましょう」

 有希子は新一の腕を取り、有無を言わさず組んで歩きながら道なりの店を見回す。
 どこにしようかしら?と歩いた先に見えたオープンテラスになっているイタリアンカフェに新一を引きずる。
 適当に入ってみた割に、店内は予想以上に奧に広く表通りから反対側に見渡せる庭があり、そこに面した席はとても静かで一息付けそうだ。
 有希子はカプチーノ、新一は珈琲を頼む。
 午後の光は庭にある白いベンチを反射させて、彼らの居る場所まで届く。

 (眩しい………)

 新一は目を細めて手を翳す。
 ふと二人に落ちた静寂の空間に店員が注文の品を持ってテーブルに並べ「ごゆっくり、どうぞ」と言い去った。

 「ねえ、新ちゃん。何か悩みでもあるの?」

 有希子はカプチーノを一口飲むと徐に切り出した。

 「………何もないよ」
 「嘘よ。お母さんは誤魔化させないわよ。新ちゃん嘘を付く時一瞬だけ眉を寄せて視線を強くするんだから」

 17年育ててきた母は何でもお見通しである。
 嘘など付けるはずはなかった。それどころか、性格も行動も全て見抜かれている。
 有希子はテーブルの上に両肘を付き手を組むと細い顎を乗せてにっこりと新一を見上げた。

 「好きな人でもいるの?」
 「え?」

 突然の言葉に新一は瞳を大きく見開いた。

 「うふふ。そんな顔してるもの。恋に悩んでますって顔に書いてあるわ。どうしたの?喧嘩でもした?」

 有希子は首を傾げながら少女のように微笑む。

 「そんなんじゃ、ない」

 けれど新一は首をふって否定する。

 「じゃあ、何でそんな顔してるの?」
 「………俺、嫌われたかもしれない」

 新一は瞳を揺らして悲しげに呟く。
 そんな新一の様子に有希子は不思議そうな顔をした。我が息子ながら、彼に惹かれるならともかく、嫌う人間などいやしないと有希子は思っている。

 「新ちゃんを嫌う人なんていないわよ。どうしてそう思うの?」
 「だって………、逢えないんだ」
 「逢えないの?新ちゃんから逢いに行けばいいじゃない」
 「………連絡取れないんだ。それに俺、相手のことほとんど知らない」

 視線を落とした新一の瞳は睫毛の影に覆われてその色を隠す。

 「そっか………。でもだからといって嫌われたとは限らないじゃない。嫌いってはっきり言われた訳ではないでしょう」
 「うん」

 力無く新一は頷く。

 「でも、俺好きだって言えてない………」

 切なそうに眉を寄せる新一に有希子は優しげに微笑んだ。恋をする息子の姿は何より嬉しくて綺麗で可愛い。できるなら幸せになって欲しい。

 「だったら、今度言えばいいわ。ね?」
 「いつ逢えるだろう。もう、半年も行方不明なんだ」
 「新ちゃん………」
 「こんなこと言ってごめん」

 謝る新一にどれだけ気落ちしているか理解できて有希子は励ます。

 「恋をすると誰もが臆病になるのよ、だから恥ずかしいことなんてないわ。折角の恋なら全力でものにしなくちゃ。お母さんはそうだったわよ?全力で恋愛してお父さんを手に入れたの」

 きらきらした瞳のいつまでも美しい母親を見ればそれも納得できるだろう。
 有希子は何であろうと全力でぶつかって行動し、後悔などしない。そんな生き方をしていることを新一は知っていた。

 「………うん」
 「新ちゃんはお母さんとお父さんの子ですもの。だから、大丈夫よ」

 有希子は心から告げた。

 「うん」

 新一はこくりと頷いた。

 (逢えたら、今度こそ好きだと言いたい………)




 今日もベランダの窓を開けて夜空に浮かぶ月を見上げる。
 夜毎に月を見上げる事が新一の日課になっていた。
 月を見るんと『月下の奇術師』と呼ばれるからなのか、彼との逢瀬が月夜だったからなのか、彼がそこにいるような気になるのだ。月光のような怜悧な存在………その光を浴びていると彼に抱かれているような気になる。
 どこにいるか、例え地球の裏側にいても、彼のいる場所から同じ月が見えるだろうか?

 はあ………。自然にため息が漏れる。
 最近こればかりだ。

 (駄目だな………)

 新一は自嘲する。
 そして、未練を振り切るように窓は開けたまま部屋に入りお茶にすることにした。
 用意された香り高いダージリン。ファーストフラッシュの逸品は爽やかな香りと味がする。
 繊細なカップを優雅な手つきで掴み、一口飲んで気持ちを静める。
 口に広がる味と香りが喉を潤す。暖かい液体は胸にじんわりと広がり新一の身体を和らげる。

 カタン。

 その僅かな音に敏感に反応して、新一は振り向いた。
 白い怪盗。
 純白の衣装にシルクハットを目深にかぶり、長いマントを翻して立つ優雅な姿。片眼鏡が月光に鈍く光っているが何も遮ることのない瞳は優しげに見つめている。
 待ち望んだ彼の姿が確かに、そこにある。
 本当に?自分の願望が見せる幻ではないのだろうか?
 逢いたいと思っているから、だから?
 嘘だったら、立ち直れない。
 それとも、幻でも逢えたら嬉しいと喜べばいいのか?
 新一はその姿を見つめたまま動けなかった。動けば消えてしまうのではなかと、恐れているように………。

 「ご機嫌麗しく、名探偵」

 彼は涼やかな声を響かせて華麗に一礼する。

 「………KID?」

 新一はふるえそうになる声を絞り出して、恐る恐る聞く。

 「はい。お久しゅうございます」
 「本当に?」

 新一は信じられように瞳を大きく開いてKIDを見つめた。そんな新一から視線を逸らさずにKIDはゆっくりと彼に近付いた。
 そして、新一の頬にそっと手を伸ばして確かめるように撫でる。新一はその触れている感触に本物だと安心して、そっと瞼を閉じて実感する。再び瞳を開くと透明な蒼い宝石のような瞳で側にあるKIDを見上げた。

 「………どうして今まで来なかった?」
 「少々片づけなければならない事がありまして。時間がかかってしまいました」
 「だからって、半年はいくらなんでも長いだろう?何も言わないで………。予告状も寄越さない、海外で活動してるって耳にするだけで………。怪我していないか、元気なのかって、俺がどれだけ心配したか………!!!」

 新一は激昂する。
 どれほど心細かったか、彼は知らないのだ。
 やっとKIDが快斗であるとわかって、『本人』に逢えた時以来、話すこともできなかった。

 「すみません。心配させてしまいましたね」

 KIDは慰めるように謝る。

 「………ずっとずっと逢えなくて、連絡もなくて、俺、嫌われたのかと思った」
 「そのような事あるわけないでしょう?」

 KIDは慌てて否定する。
 まさか嫌われるなどと心配するとは思っていなかった。
 そんなことある訳がないのに。
 自分が新一を嫌うなど、地球が滅んでもあり得ない。

 「こんなにも貴方が好きなのに、そのような心配をさせてしまうなんて、私はふがいないですね………」

 KIDは苦笑する。そして真摯な瞳で新一を見つめる。

 「愛しています、貴方を」

 思いを込めて告げる心の内。胸の中にある激情。
 突然の告白に新一は一瞬瞳を丸くするが、次の瞬間にはふわりとまるで花が咲き誇れんばかりに微笑んだ。

 「俺も好き。大好き!」

 やっと伝えられた思い………。
 新一はKIDに抱きついた。
 もちろんKIDも思い切り新一を抱きしめる。両腕に力を込めて二度と離さないというかのように細い肢体を掻き抱く。
 新一も縋り付くように広い背に手を伸ばしぎゅっと抱き付く。
 その逞しい胸に顔を埋めた。
 安堵する心と身体。
 それは全てKIDが、快斗が与える物。

 「快斗………」

 新一はその真実の名を呼んだ。KIDは新一の紡ぐ声音に嬉しそうに微笑む。

 「ねえ、新一」
 「何だ………?」
 「この怪盗に盗まれて下さいませんか?」
 「快斗?」
 「いえ、今宵は最後の怪盗です」
 「………KID?」

 はい、とKIDは頷く。
 最後とはどういう事であろうかと、新一は疑問に思いながら首を傾げる。それに、KIDは詳しいことは後で話しますね、と断って。

 「新一。………私と一緒にいて下さいませんか?これからの人生を共に」

 KIDは今まで生きてきて、人生できっと一度しか使わない緊張を伴った言葉を伝えた。

 「………それってプロポーズみたいだ」
 「プロポーズなんです………」
 「え?」
 「返事は?」

 答えを促すKIDは真剣だ。
 新一は見る見るうちに、耳まで染めて赤面した。

 「新一?」
 「………うん」
 「うん、とは了承ということですか?」

 新一の小さな声にKIDは念を押す。

 「………うん。俺も一緒にいたい」

 明瞭な声できっぱりと笑顔をもって新一も自分の気持ちを告げた。
 見つめる瞳と瞳。
 KIDは新一の頬に手を添えてゆっくりと顔を近づけた。唇が触れる瞬間新一は目を閉じる。伝わる体温と心地いい感触は、ただ好きだという気持ちを表すだけだ。一度唇を離して、視線を交わせて微笑みあうともう一度口付けた。
 しっとりと重なる柔らかな熱はより深くなり、吐息が漏れる。

 「ふっう、ん………ん」

 新一はKIDの首に腕を回してしがみつき、KIDは新一を支えるように細い腰を片手で抱き込み、もう片方手で背中に回す。
 今まで離れていた時間を取り戻すように、舌を絡めて吐息さえも奪うように貪る。何度も何度も口付けて、抱きしめる腕に力を込めて。

 「うぅ………んっ………っ」

 長い睫毛がふるえて、眉根を寄せる新一の表情はKIDを煽る。夢中になって答えようとする愛おしい新一を優しく甘く唇でとろけるように愛撫する。

 「新一………」

 耳元に囁かれる声に、新一がじんと痺れる舌と甘い官能に支配された意識を浮上させ、ぼんやりとKID見つめると、頬に羽根のような唇を落としながらKIDは微笑む。

 「愛してる」

 瞳を覗き込みながら、甘い声で囁く。

 「うん………」
 「愛してるよ、新一」
 「うん、俺も………」

 新一もKIDの肩に手を付いて背伸びするようにキスを返す。
 何度言っても言い足らない。
 互いがそう思っていることがわかる。

 (もう一度、言って?)

 潤んだ瞳がそう語る。
 甘い吐息が再び部屋に満ちるかと思われた時、キイ、という音が静寂の中響く。
 
 硬質な音を立てて部屋の扉が開いた。

 「新一」
 「父さん………」

 そこには、優作が立っていた。

 新一はKIDの腕の中で何も言えず優作を見つめた。
 しばらくの沈黙の後、優作が口を開いた。

 「………行くんだろう?」

 まるで全てわかっているかのようにそっと事実だけを優作は息子に聞いた。

 「うん、ごめん。でも一緒に行きたいんだ」

 新一は決意と切実さ込めた表情で父を見つめた。

 「謝る必用はないよ。私は新一が幸せであればどこにいようとも、どんな道を進もうと構わないのだから。自分が行きたい道を選びなさい」
 「父さん………」
 「新一」

 優作は新一を呼びながら、手を伸ばす。
 ここにおいで、というような仕草に新一はKIDの腕から離れて優作の前まで来た。
 目の前に佇む愛する息子を真っ直ぐに優作は見つめて微笑んだ。

 「ほら、これを持って行きなさい」

 そして、優作は懐から月光に輝くブルー・サファイアのネックレスを取り出し新一の細い首にかける。『賢者の蒼』またの名を『運命』と呼ばれる至宝。
 宝石の重みを感じながら新一は首をふる。

 「でも、これは持っていけない。俺は工藤の家を出るのに………」
 「いいや。これは新一だけのものだよ。工藤家のものではないんだ。この『運命』は新一に渡るのを長い間ずっと待っていたんだから」
 「………どういうこと?」

 新一は首を傾げる。

 「先々代がこの宝石を購入した時、未来の子孫に必用だと言われたんだそうだ。相応しい持ち主が現れる日までそれを受け次ぐように伝えられてきた。そして、私は新一が生まれた時に理解した。これは我が息子のためのものだと」
 「そんなのわからないだろ。父さん」

 紡がれる言葉は驚愕しか自分に与えなくて、新一は否定する。

 「わかるんだよ。君が生まれた時予言を受けたんだ。だから、このサファイアと本山氏から贈られた『white rose』は持っていきなさい」
 「『white rose』こそ持って行けないだろう?」

 いくら本山から新一に贈られたとはいえ、あのような高価なものを持って行くなど考えられない。

 「新一はわかってないね。あれほど本山氏が新一だけのものだといったのに。気付かないのか?このサファイア『運命』と『white rose』は君を護るものだ。その強すぎる存在を、希有なる魂を守護する宝石なんだよ」

 初めて聞く事実に新一は唖然とするしかない。
 予言とは、何か。
 疑問が沸き上がる。
 優作の言い方からすると、本山も優作も知っているのに、新一本人は知らされなかったのだ。

 「………いったい全体どんな予言だったんだ?」

 優作は穏やかな瞳で語る。

 「17歳にお前の運命が巡ると。そしてお前は自分の守護者に出逢う。その出会いを逃せば運命に飲み込まれるが、守護者と守護石を得れば、その強すぎる運命に負けないだろうと」
 「………守護者って?」

 守護石の次は守護者?新一は疑問を口にした。

 「白き翼をもつ守護者。………怪盗KIDだ。なあ?快斗君」

 優作は新一の肩越しにKIDを見る。

 「え?KIDが守護者なのか?それに………父さん、快斗を知ってるのか?」

 KIDが守護者という事実も、真実の名である「快斗」と優作が呼んだことにも新一は驚愕する。KIDの正体が黒羽快斗であると知っているのだ。

 「誰に言ってるかな。これでも世界屈指の推理作家だよ」

 優作は声を立てて笑う。

 「父さん………」
 「だって、お前の父親だよ、私は。『日本警察の救世主』と呼ばれる息子に遺伝子を分け与えた、お前が生まれてから17年間見守り続けた保護者だ。それくらい知っていて当然だろう?」

 面白そうに目を細めて肩眉を上げる。

 「それにしても、少々時間がかかったようだね、KID」

 どこか拗ねたような新一の幼い表情を見ながら、背後のKIDに話しかけた。

 「これでも、かなり急いだのですがね………。貴方の方は随分急ピッチで終えられたようですね?」

 言葉にしないが、組織の壊滅を意味する。
 KIDと相対した直後、優作は予定通り組織撲滅を実行に移した。
 根底から叩き潰すと宣言していた通り、その後は警察は大物の逮捕劇や裏組織の後始末に追われることとなった。

 「私は仕事に勤勉だからね。これでも締め切りを破ったことはないよ」

 優作はにやりと笑う。

 「………おめでとうございますと言ってもよろしいでしょうか?」
 「ああ」

 KIDは優雅に腰を折り頭を下げた。

 「おめでとうございます。優作さん」

 祝辞と感謝を込めてKIDは優作を見つめた。
 その優作とKIDに漂う空気に新一は疑問を抱く。
 二人とも何を知っているのだろう?
 それに、KIDは守護者と言われても驚かなかった。
 自分の知らない間に、この二人の間で話があったのだろうか?

 「………KID?」

 眉を寄せてKID見上げる新一に安心させるように微笑み、「後で、お話しますよ」と頷いた。

 「ほら、新一」

 優作は困惑している息子に『white rose』を差し出した。
 新一は一瞬見つめ、こくんと頷き無言で受け取った。そのビロードの包みを大切にポケットにしまう。
 そして瞳を揺らめかせて優作を見上げる。

 「元気で」

 優作は愛しげに微笑みながら息子を優しく抱きしめた。
 新一は泣きたくなる。優作の肩口に頭を埋めてぎゅっと背中に手を伸ばして抱きつく。
 やがて、そっとその思いを振り切るように離れるとKIDの側に歩み寄る。
 KIDは新一の腰に手を回して抱き寄せると慰めるように黒髪に口付けを落とした。
 視線を優作に戻すとKIDは優雅に笑み一礼する。

 「それでは、ご子息は頂いて参ります」
 「父さん、俺行くね」

 大人びた綺麗な笑顔を最後に新一は優作に向けた。
 そして、別れの言葉だけを残し、怪盗KIDは新一を抱いて夜空に飛び立った。

 「幸せにおなり………」

 優作は夜空に浮かぶ白い鳥を見送る。
 月光がまるで二人を守るように輝き続けるのに、優作は吐息を漏らす。



 お前の幸せだけを祈っているよ………。




 

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