「ロマンス」8




 しばらく学校以外、外出禁止。
 そう言い渡されて2週間が過ぎた。
 当然ながら、現場にも行っていない。目暮警部から電話があっても断っている。
 その理由は先日の外泊である。

 KIDとビルの屋上でいつものように逢って、倒れて、KIDと一緒に空を飛んで彼の隠れ家に行った。その翌朝家の側まで送ってもらった。さすがに、家の前という訳にはかないだろうと思う。
 あの夜KIDに抱き上げられて飛んでいる時、一度休憩のために降りた屋上で聡司に携帯で連絡した。そうでないといつまでもビルの側に停めた車で待っているし、連絡がない場合は屋上に探しに来て、見つけられなければ間違いなく捜索される。

 「ちょっと事態が変わったから、一人で屋敷に帰っていて欲しい。心配いらないから」と伝えた。その時、「新一様!!!!」と電話口で叫ばれたけれど、繰り返し「絶対大丈夫だから。お願いだから」と言い切った。最後にはわかりましたとしぶしぶ承知してくれた。

 ちなみに新一の携帯には発信器が仕込まれている。万が一誘拐された場合のためのものだが………ある程度の地域の特定ができる………それがあるから聡司は承知したと言えるだろう。それ以外にももしも危険が逢った場合はSOS信号を送ることができるようになっている。

 しかし、どこに行っていたのか、何があったのか、絶対言えない上初めての勝手な外泊。
 新一が無事戻るまで、聡司は一睡もしなかったし、優作も寝不足の顔をしながら新一を迎えて抱きしめた。ごめん、と新一が謝ったことは言うまでもなくて。
 優作から、心配させた罰として「外出禁止」が言い渡されてもしかたなかった。





 「それで?」
 「ちゃんと、家でじっとしてる」
 「まあ、自業自得でしょうね。おけげで体調は良さそうだわ。一時期無理してたでしょう?あれに比べたら、今は『良好』よ」

 主治医である志保は診察を終えてカルテに今回の状況を書き込むと、新一と一緒にお茶を飲むために医療道具や書類を鞄に片付けた。
 メイドの島田が用意してテーブルに置いてあるティカップに口を付け紅茶を一口飲む。

 「貴方、自分の存在を軽く見過ぎよ。工藤家の子息としての自覚はあるのはわかってるわ。その義務も責務も果たそうとしてる。資産家の息子の危険性から生じる誘拐・怨恨も理解しているし、護衛の峰山さんからも離れないようにしてる。でも、それだけじゃないのよ?」
 「探偵としての行動から生じる危険性や犯人からの怨恨か?」
 「もちろんそれもあるわ」
 「………まだあるのか?」

 志保は思う。
 もう少しだけ、自分の美貌っぷりを理解して欲しいと。
 例え新一が資産家の息子であるとか、名探偵の工藤新一であるとか、全く知らなくても彼はその辺をうろうろしているだけで誘拐されても不思議ではなかった。

 一目見ただけで、人を惹きつけて離さない美貌と存在感は、きっと彼を彩る「資産家の息子」・「名探偵」よりも強烈に印象深い。手に入れたいと、浚おうと誰が思ったとしてもおかしくない。というか、誰もが心の底で思う。それを実行に移せるか移す機会と行動力があるかの差だ。その証拠に小さな頃誘拐されかかったこともあるし襲われかけたこともある。もちろん未然に防がれた。
 志保は内心ため息を付く。

 「もう少し、自覚してね」
 「だから、自覚してる」

 (ちっとも、してないわ………!)

 誰か、彼にその身の危険を教え込んで欲しい。と志保は思ったが、それをはっきりと言葉でもって告げられる人間がいかに少ないかと嘆く。そんなことを言えるのは、肉親か、親しい友人くらいの上、男性からは言いにくい。でも、女性から言ってもそれを新一は信じないだろう………。
 厄介だわ。志保はそれでも自分が一言、いわねばならないことを覚悟した。

 「貴方は誰をも惹きつける。その魅力は老若男女関係がないのよ。そして困ったことに、貴方は特に男性を虜にするのよ。はっきり言って、自分以外全員貴方を欲しいという欲望をもっていると思って間違いないわ」
 「は?何言ってるんだ。志保」

 目が点になる新一は呆れながら志保を見る。けれど志保はじろりと新一を見るときっぱりと告げる。

 「黙って聞きなさい。その証拠に本山氏は貴方を殊の外可愛がっているわよね?あの人が最たるものだけれど………。身近な人から言えば護衛の峰山さん。彼、貴方に人生捧げてるじゃない。ねえ、男性から好きだって言われたことはある?」
 「………好き?」

 新一は考えるが思いつかない。
 それもそのはず、彼にはおいそれと告白できない雰囲気がある上、それ以前に近づけなように周りが追い払っている。

 「ないと思う。………なあ、毎回薔薇の花をくれたり抱きしめられたりしたら、それって………」

 新一はKID、快斗のことを思い出して言い淀む。

 「………ちなみに、薔薇は何色?」
 「深紅」

 (ストレート過ぎじゃなくて?それでどうしてわからないの、工藤君)

 志保は疲れてくる。

 「『愛しています』なんて『薔薇』で告げて抱きしめる理由が、『愛している』以外あるの?」

 その言葉を聞いて新一は真っ赤になる。
 志保はそんな新一の様子に、本人がまんざらでもないことを知る。
 なんて、珍しい!というか初めてじゃない………。でも、相手はやはり男性なのよね。まあ、この際性別なんてどうでもいいかしら。そんなことは些細なことだわ。

 「誰なの?貴方にそんな顔をさせるのは?」
 「………」
 「愛してる、って言われて嬉しいんでしょう?違うの?工藤君」

 姉のような優しい声と表情の志保は新一に微笑む。

 「志保………」

 きっと、志保以外に聞かれたら絶対に答えない。けれど志保は新一にとって姉と同然であった。両親にも言えないことが姉弟なら言える、ということが確かにある。それが恋愛なら尚更だ。

 「………KID」

 新一は俯きながら羞恥に頬を染め、小さな声で告白した。

 「キッド?………………怪盗KID?」

 こくんと新一は頷く。
 予想外というか、想像以上というか、はたまた新一らしいというか………。
 志保は、どう返事をするべきか迷う。果たして、犯罪者を勧めていいものかしら?
 けれど、所詮志保の常識は新一が幸せならどこまでも広く受け入れられる。
 大切な大切な弟、時には妹。血の繋がりなどなくても志保にとって新一は家族と同然だった。

 「いいんじゃないの?貴方に愛を囁くなんて勇気と度量があって、なおかつ貴方に受け入れられる人なんて、そうそういやしないわ」

 とういか、これから現れるか謎よ。言葉にしないが志保はそう危惧する。

 「そう思うか?」
 「ええ。その人、ハンサムでしょう?」
 「うん………そうだけど?」

 志保は絶対にKIDの顔のレベルが高いだろうと確信していた。自分の美貌を意識していなくても、毎日鏡で見て、両親が端正と美貌と豪華の3拍子で、親しい友人も、彼を囲む使用人も相当なレベルなら生まれてから意識しない間に面食いになっても不思議ではない。ちなみに、使用人は顔が良くないと採用されないのではなかという噂が立つ程美形揃いであり、使用人に用意された上質な洋服が似合う人達ばかりなのが現状だった………。

 「なぜそんなことがわかるんだ?」

 わからない訳ないでしょうと志保は思うが口にしたのは全く違うことだった。

 「貴方の横に並ぶなら、ハンサムでないと許せないと思っただけよ」
 「それって変だぞ、志保」

 新一は理解できないと首を傾げて、気分を変えるように紅茶を口にした。

 「私の美意識の問題だから、いいのよ」

 志保は言い切る。

 「だから、工藤君。KIDはいいとして、もう少し自覚をもってね」
 「………何の自覚だ?」

 不思議そうな瞳で志保に聞いてくる。

 「………」

 やっぱり全く理解していなかった新一に志保はさじを投げた。
 




 いつもの如く、真っ白い鳩が届けたKIDからの予告状に書かれた暗号をいそいそと解いて楽しんだ翌日、優作が新一の部屋にやって来た。

 「新一」
 「何?父さん」

 新一は椅子に座り読書をしていたため、読んだページに栞を挟みテーブルに置いて優作を見た。優作は新一の側まで来ると向かいの席に座る。

 「学校以外どこにも行けなくて、そろそろ退屈してきたんじゃないのかい?」
 「………そうでもないけど」

 新一は優作のからかうような視線を受けて、困惑する。
 外出禁止を言い渡されてから、もうすぐ一ヶ月になる。その間、新一はどこにも行っていない。警察からの要請も断り、友人の蘭や園子と出かけることもない。社交界の付き合いであるパーティでさえ出席していない。そのことは父である優作が行かなくてもいいという判断をしたのだから、新一としては面倒がなくて良かったのだけれど。
 その状態で、優作が「退屈」ではないかと聞いてくるのだから、何かあるんだろうか?
 新一は不審そうに優作を見た。

 「そうかい?」

 優作は穏やかに笑う。

 「………」

 自分が退屈だと言えば、外出禁止が解けるのだろうか?新一は内心首を傾げる。

 「実はね新一、今度怪盗KIDの捕り物に参加しようと思うんだ」
 「………え?なんで、突然」

 新一は驚愕する。

 「たまには、いいかと思ってね。目暮警部から小耳に挟んだんだが、予告状がまた警視庁に届けられたらしい。それをちょっと見せてもらったら、予告日は来週だとわかったんだ」
 「父さん解読したんだ……?」

 優作が解読できるのは当然だった。新一が聞いたのは、普段警察に協力することなど若い頃はあったらしいが最近は滅多になかったというのに、わざわざ協力したのか、ということだった。第一、小耳に挟んでちょっと見せてもらったのではなく、自分から頼んだのではないのか?と思えてならない。

 「もちろん」

 優作は即答した。そして、楽しそうに笑う。

 「そこで、一緒に現場に行かないかい、新一?」
 「え?一緒に………?」
 「久しぶりに外出できるし、現場にも行ける。嬉しいだろう?」

 そこに新一の拒否権はなかった。優作はもう、決めている。

 「わかった」

 新一は複雑な心境で頷いた。

 「私も楽しみだよ。親子で現場なんて、小さい頃以来だね?」

 優作はそれはそれは楽しそうに声を立てて笑いながら部屋から去っていった。
 



 
 今回の獲物は東都美術館の特別展示品「バイカラー・トルマリン」。バイカラーとは宝石の一部分について明瞭な境界線を持っている色の違い示している、二色以上をもつ宝石のことである。ローズピンクとグリーングレイのシックな色が大層美しいバイカラー・トルマリンは『Royal rose garden』という。その名の通り英国貴族の所蔵品を借りたらしい。
 
 「お前ら、今日こそはKIDを捕まえるんだぞ。気合いを入れろ〜!!!」

 警備は相変わらずで、中森警部が怒声を響かせながら、警備員に喝を入れていた。
 優作と新一は警備に口を出さず、宝石が納められた部屋にいた。

 「どこから、現れると思う?新一」
 「………さあ?窓からハングライダーで進入するか、換気口からか、警察の人間に化けるか」

 新一はその時だけは探偵の顔になり、細い指を顎に当てて思考する。
 一瞬伏せた瞼をふわりと上げた瞬間は、彼の奇跡の瞳が瞬く時。

 「今日は美術館自体が大きいから警備員が多い。警察の人間だけでなく、民間の警備保障会社からの人間もいるくらいだ。これだけいれば、誰かに化けることも容易い。そして、何かKIDらしい………花火や煙幕、電源を落として暗闇を作る可能性が高い………」

 とういえ、予測はしてもそれを指示する責任者とあわせて動ける人間が必用だと新一は経験から知っていた。
 ふむ、と優作は眼鏡のつるを押さえた。

 「新一が言うように、何かしかけてくるだろう。内部の人間に変装している可能性も高い。では、逃走経路はどう考える?」
 「窓から。この部屋は5階にあるから、一応飛べるだろう。そして今日の風は飛行するのに向いている」

 優作は新一の言葉を聞いて微笑んだ。

 「そこまでわかっていて、どうしてKIDを捕まえられないだろうね?新一」
 「………俺が全て警備できる訳じゃないから」
 「そうだね」

 優作はそれ以上何も言わなかった。
 この父親は何をどこまで知っているのだろうか?新一は思う。

 「そろそろ予告時刻だよ」

 優作は新一の肩に手を置いた。
 


 あっという間に盗まれた宝石。
 鮮やかな手腕を見せつける魔術師。
 見惚れる程に、器用なマジックを観客に見せながらマントを翻し優雅に礼を取る。
 すぐそこに、いるのに………。
 新一は部屋の隅で彼を見ながら、あれから一ヶ月ぶりの逢瀬だと思っていた。
 姿を見るのも、声を聞くのも。
 それが快斗のものでなくても、KIDのものでも、声をかけられなくても、それでも嬉しかった。無事な姿を見ることができたのだから………。
 逃走する時、振り返った彼がふわりと微笑んだのが、自分に向けてくれたような気がして心が温まる。新一は彼の後ろ姿を見送った。
 
 そんなKIDを見つめる新一を隣に立つ優作は無言で見つめていた。

 


 「お待たせしましたか?」
 「いや。そうでもないよ」

 純白の怪盗があるビルの上に降り立った。そこには今日の現場に現れた工藤優作がフェンスにもたれて立っていた。

 「こんばんは、KID」
 「こちらこそ、ご招待頂きまして光栄です」

 KIDは優作の側まで来ると、優雅に礼をしてみせる。
 
 なぜ、このような場所で二人が逢うのか?
 実は優作が誰にも内緒でジュエルの下にカードを置いておいたのだ。KIDが持ち去る宝石と共にそのカードを受け取ることを予測して。
 カードには、話があることと、待つ場所のみの簡素なメッセージだけ。署名が工藤優作である点で、彼が絶対に誘いに乗ることが優作には確信があった。
 新一を聡司に預け先に家へ返し、優作自身は一人でここビルの屋上でKIDに逢うために待っていたのだ。

 「今日の仕事は見事だったね」

 優作は世間話のように今日の首尾を誉めた。

 「ありがとうございます。まさか、あの、工藤優作氏に来て頂けるなんて思いませんでしたよ?」
 「そうかい………?」
 「ええ。このような怪盗に興味を示して頂けるとは夢にも思いませんでした」
 「………そうでもないよ。これでも推理作家の端くれだ。君に興味を持ってもおかしくないだろう?それに、私は随分昔、もう15年以上になるか………、に現場に行ったことがあるのだけれどね。忘れてしまったかな?」
 「………」

 優作の言葉にKIDは警戒心を強める。迂闊に、返せないことである。
 15年前のKIDは自分ではない………。だから、優作の言っていることが本当のことであるのか、引っかけているのか判断ができなかった。

 「まあ、昔過ぎて忘れられてもしょうがないけれどね。最近ではめっきり現場には行っていないし………」

 優作は無言のKIDを気にすることもなく、のんびりとした声で言う。

 「そろそろ本題をお話下さいませんか?今日の用件は私を誉めて下さることでも世間話でもないのでしょう?」

 KIDは静かな声で慎重に切り出した。

 「………そんなに気になるかい?」

 優作はKIDの気持ちなどお見通しとばかりに、笑う。

 「きっと、君の予測通りだよ」
 「私の予測ですか?」
 「ああ。新一のことだ」

 優作はきっぱりと言った。
 
 「ご子息のことですか?今日の現場にもいらしてましたよね」
 
 KIDは平静を装う。

 「なかなかポーカーフェイスが板に付いているね。面白くないなあ………。けれど、白を切る必用はないよ」
 「………私には何をおっしゃっているのか検討も付きません」

 片眼鏡越しの瞳は全くKIDの感情など見せない。優作は小さく吐息を付いて見せつけるように肩をすくめてみせる。

 「じゃあ、昔話を聞いてくれないか?」
 「………」

 KIDは無言で優作を見つめ、どうぞと手で話の続きを即した。

 「新一が生まれた時のことだ………。あの子はその生まれた瞬間にその存在故に、予言を受けた。新一の存在は、良きにつけ悪しきにつけ、誰をも惹きつけ魅了する宝石になるだろうと。その希有な存在を誰もが欲しがり自分だけの物に望み、彼を巻き込んで混乱が訪れる。望むと望まざると、運命に飲み込まれる。それは彼に与えられた試練なのか、それとも苦難なのか、わからない。我が息子ながら、成長するに従ってその予言が正しい事を認識したよ」

 優作はKIDを真っ直ぐ見つめる。

 「そして、彼が17の時を迎えると運命が回るだろうと。彼の守護たる人物が現れる………。その出会いを逃せば、運命に彼は飲み込まれる。そんな予言だ」
 「………予言ですか?」
 「ああ、信じられないかね?」
 「………どなたが、予言されたのですか?」
 「魔女だよ」
 「………」
 「現代に生きる数少ない紅魔女。滅多なことでは逢えない人物だ」

 私だって二度しか逢ったことはない、と優作は苦笑する。

 「………」
 「信じられないって、顔だね。でも、真実だからしょうがないね。事実、新一はその予言通りに育っている。親馬鹿であるとは思わないが、性別・年齢に関係なく誰も彼もその魅力に惹きつけられて群がる。君はそう思わないかな、KID」
 「確かに、とても魅力的な方だと思いますよ」

 KIDの言葉に優作は満足そうに頷く。

 「今までは私が、彼を大切に思う者が守ってきた。けれど、どんなに私たちが彼を守っても生涯側にはいられない。だから彼を守護する人物に出逢う必用があった。それが、例えどんな人物でも私は構わない。………私はずっと長い間守護者が現れるのを待っていた」
 「………なぜそのような話を私にするのですか?」

 優作はKIDの質問には答えない。ただ、KIDを見つめるばかりだ。
 やがて沈黙を破り、一言。

 「その人物は白い翼を持つという………」
 「………」
 「君は自分が守護者であると思わないのかね?」
 「私は怪盗ですよ」
 「それが何か否定の理由になるのかな?それとも、君は新一が誰か他の人物を選んでも構わないのかい?」
 「………」

 KIDは鋭い視線を優作に向けた。けれど優作はそれを事も無げに、軽く受け止める。

 「新一が望めば、誰もが彼の側にいるだろう。そしてそのために全てを捧げる」
 「そうなるでしょうね」

 感情を殺した声でKIDは同意する。

 「君にその覚悟があるか?それならば、新一を連れていけばいい」
 「貴方はそれでいいのですか?そう簡単に連れていけばいいとは………」

 優作の言葉があまりに予想外で、KIDは素直に頷けない。

 「新一を愛しているよ。彼を苦しめる者や仇なす者、その美貌にまとわりつく者全てを排除したいと思うし、そうしてきたしね………。けれど、新一の運命は新一だけのものだ」
 「………」
 「もちろん、新一が危険に晒されることは本意でないよ」
 「そうでしょうね。私の側は危険です」

 KIDは優作の危惧に頷く。怪盗KIDとしての、犯罪者としての自分の側は危険すぎるのだ。KIDを狙うのは警察だけではない………。

 「そこで、取引をしないか?」
 「取引………ですか?」
 「そうだ。君はさっさとパンドラを探したまえ。その代わり、盗一の敵である組織は私が始末するから」
 「………何ですって?」

 KIDは驚愕の瞳で優作を見た。

 「私は君の父上と友人でね。つまりは、そういうことだよ、黒羽快斗君」

 優作は笑う。

 黒羽盗一………快斗の父親であり尊敬する唯一のマジシャンであり、初代KIDであった人物………今はもういない、公演中の事故でこの世を去った偉大なる魔術師。
 優作はその父と友人であったという。
 永遠の命を与えるというパンドラ。
 月に翳し赤く光るビックジュエルは命の涙を流し、それを飲めば人類の最後の難関、永遠の命をその者に与えるという言い伝え。
 KIDとしてその宝石を探していた先代の父親は同じようにその宝石を求める闇の組織に狙われていた。
 その神に反した望みを叶えるという宝石を砕き誰にも渡さないための自分の行動。
 父親を事故に見せかけ殺した組織を探り、滅亡させる仇討ち。
 彼はKIDである快斗の存在意義も、目的も知っている。

 「全てご存じなのですね?」

 それは疑問ではなく確認だ。

 「もちろん。彼が亡くなってから随分立つけれど、やっと根本から叩き潰すことができるよ。これまで組織の実体を探り資金源や組員、加担している財界人の様子を見てきた。本当にここまで来るのに時間がかってしまった………。今なら、実行できるだけの証拠も力も準備できた」
 「貴方は………」
 「親友だったよ。だから、彼が無念の死を迎えた時に決めていた。………私は小さな君にも逢ったことがあるんだよ?あまりに小さくて覚えていないと思うけれどね?」

 優作は思い出を頭に描いているように遠くを見つめた。

 「残念ですが、覚えていません」

 本心から残念だった。親友同士である彼らの姿を覚えていないことが。

 「だから、組織は私に譲りたまえ。これは私の正当な権利だ。その分、君はパンドラを探して砕けばいい」

 父親と同じ慈愛と尊厳をもった顔で宣言する。
 「信念」がある。
 ああ、この人はずっとこの思いを抱えて生きてきたのだ。
 自分がその事実を知ったのは高校生だった。けれど、彼は父親が死んだ瞬間から10年以上の長い間そのために準備していたのだ。

 「わかりました。組織は貴方のお任せします」

 快斗は優作に譲る。父親の親友たる彼に権利があると納得した。
 そして、それほどの親友をもった父親が羨ましいと同時に、誇らしい。

 「ああ、任せておきたまえ。ところでKID、新一の守護者になるかどうか、返事を聞いていいかな?」
 「私が守護者になれるかと問われれば、自信などありません。けれど、誰よりも守りたいと思っています」
 「十分だよ。守護者は私が選ぶ者ではない。新一自身が選ぶのだから」

 優作は安心したように微笑する。
 だって、宝石は自分の持ち主を、一番輝ける場所を無意識に知っているものだろう?と優作はからかうように付け足す。

 「パンドラの件が片づいたら、新一を迎えに来たまえ。それまでに愛想を尽かされないようにな?」
 「心得ておきます」

 快斗も苦笑する。
 ここまで言われたら、早急にパンドラを見つけねばなるまい。
 今までも懸命に捜索してきて発見できなかったというのに。それでも、時間がかかっては無能呼ばわりされさうだ………。
 けれど、見つけられそうな気がする。

 『運命』が巡る。

 新一に出逢った瞬間から、それは快斗をも巻き込んで回る。
 KIDであることも、まるでそう決められていたかのように配置された役割のような。
 どちらにしても、自分はこの運命から逃げはしない。そして、誰にも役割を渡さない。
 決意の色が見える快斗の晴れやかな顔に優作は喜びと一抹の寂しさを感じる。

 「う〜ん、やっぱりゆっくりでいい」

 それまでただ一人の愛する息子は手の中にあるのだから。親として子供にはできるだけ長い間腕の中にいて欲しい。

 「それは、今更ないでしょう………優作さん」

 快斗は途端に過保護な親馬鹿になる優作に微苦笑する。

 「浚ってもいいから、たまには愛息子の顔を見せてくれるかい?」

 妥協案を出す優作に今度こそ快斗は呆れた。
 結局のところ、父親であっても血の繋がりがあろうとも、新一の魅力は有効であるということであろうか………。
 快斗はなんとなく、脱力した。



 

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