「ロマンス」7




 「今日もご苦労様だったね。いつも申し訳ない」
 「いいえ、気になさらないで下さい。僕の方がよんで頂いているんですから」

 新一は安心させるように微笑んで目暮を見上げる。

 「そう言ってもらえると、こちらとしても助かるけれど……。でも、新一君無理はいけないよ」
 「心配症ですね、目暮警部」
 「何を言っておる。なんとなく顔色が悪い………疲れているんじゃないのか?」

 今日は朝から電話で引っぱり出して、現場に向かい事件を解決してここ、警視庁まで戻って事情聴取を見るという、ハードな1日を過ごさせた。
 只でさえ学生という生活をしていて、休日に探偵として協力してくれるのでは身体が休まらないのではないか、と目暮は心配している。

 事実顔色が若干悪い。
 雪のような白い肌が、血管さえも透けるような錯覚を覚える程青白い。けれど、その美貌は全く損なわれはしていない。蒼い瞳は若干潤んでいるが、余計に煌めき人を惹きつけるだけだった。

 そんな姿を見ると、身体に無理を強いているのではないかと疑いたくなってもしょうがなかった。彼はそれを意志の強さで見せないように務めるのだから、こちらが気を付けて注意していないと、とんでもないことになってしまう。
 目暮は絶えず現場でも目を離さぬように心がけようと、誓う。
 真剣な目暮の顔に新一は微苦笑する。

 「そんなことありませんよ」

 首を傾げて微笑む瞳が、さらりと落ちる漆黒の髪が、より儚げに新一を見せる。

 「新一君、今日は早く帰って休んでくれ」

 忠告を軽く流す新一に目暮は切実さを込めて訴える。

 「ええ………わかってます。見送りはここで結構です。目暮警部もやることがたくさんあるでしょう?」
 「ああ。気を付けて」

 新一は目暮に軽く頭を下げて身を翻して廊下を歩いていった。
 残された目暮はその儚げな背中を見つつ、心配そうにはあ、とため息を付いた。





 新一は廊下を歩いていたが、ふと喉の乾きを覚え、飲み物でも買おうかと自動販売機が設置されている場所に向かった。すると、向かいから服部と白馬が歩いてくるのが目に入った。

 「こんにちは」

 新一は丁寧に挨拶する。

 「こんにちは、工藤くん」
 「よお、工藤」

 二人は気軽に片手を上げながら声を掛けてきた。

 「先日は、どうも」

 新一は一応本山邸でのパーティで逢ったためその時のことを、と挨拶する。

 「いいえ、こちらこそ。工藤くんに逢えて光栄でしたよ」

 白馬が嬉しそうに目を細める。

 「こんなに早よう、再会できるとは思わなんだわ」

 服部も再び逢うことができて満足そう笑う。今まで警視庁に来ても逢うことなど一度もなかったのだから、なんて幸運なんだろう。かといって、もし見かけても迷わず声をかけれたかどうか自信はないが………。

 「今日、お二人ともどうしたんですか?」

 新一はこの探偵達がなぜ二人で行動するのだろか、と不思議に思う。大学が同じで仲は良いのだろうけど、ここでも一緒とはどういうことだろう?

 「ああ、怪盗KIDの予告日やから、警備についてな」
 「そうなんです。暗号は解けても警備にいつも遅れを取っていますから。今回は二人で分担しようかと思いまして。それでも、我々に指令権があるわけではありませんから、上手くいかないんです」
 「………KIDの警備でしたか」

 なるほど、と新一は納得した。
 今日はKIDの予告日。それでは探偵同士が手を組んでも不思議ではない。
 新一がゆるりと細い指を顎に当てて理知的に頷く様に白馬も服部も見惚れる。

 「………工藤君はどうして?」
 「1課の方で事件があったので………。解決したんですが、一度警視庁まで事情聴取に付いてきたんですよ」
 「それは、お疲れ様やな」
 「いいえ」

 新一は首をふる。

 「なあ………。もう終わったなら、工藤もKIDの現場にこんか?」
 「そうですよ、いかがです?」

 二人はいいことを思い付いたとばかりに、勧誘する。

 「いえ、折角ですが僕はこれで失礼します」

 新一はきっぱりと断る。

 「………残念ですね」
 「そうやな。また、今度」

 新一のきっぱりとした態度から、これ以上誘っても無駄であると白馬も服部も感じた。しつこく誘って嫌われるのは、遠慮したい。

 「では、失礼します」

 もう、飲み物を買う気もなくなった新一は軽く頭を下げてその場を後にした。





 街を駆け抜けて行く赤い光。
 こだまするサイレン。
 ひっそりと夜の帳が降りた街を騒々しい音が光が、ただ一羽の真っ白い鳥を追いかけている。
 新一は高いビルの上、フェンス越しに警察の動向を見つめた。誰も見る者もいないが、月が照らす銀色の明かりだけが新一の白皙の横顔を浮かび上がらせていた。
 やがて、静寂が満ちた時………。


 音もなく存在さえ気付かせず、突然、ふわりと新一の前に舞い降りる純白の怪盗があった。
 その無事な姿を見て新一はほっと安堵を漏らす。

 「KID………」
 「ご機嫌よう、名探偵」

 にっこりと微笑みながら優雅に一礼するKIDは、その気障な仕草が大層様になっていた。紳士的な仕草も口調も優雅で格好いいと巷では評判であり、女性ファンが多いことがよくわかる。

 「今日はどうだった?」

 この場にKIDがいることから、無事に仕事を終えたこともどこにも怪我がないこともわかっていたが、一応新一は聞いてみた。

 「そうですね。今日は探偵さんがお二人いらっしゃいましたよ」
 「少しは、苦戦したのか?」
 「まさか。暇つぶしくらいにはなりましたけれど、話になりませんよ」
 「酷い言いぐさだな」

 新一は苦笑した。
 白馬と服部に少々同情する。
 もちろん、自分に同情されても嬉しくもないだろうけれど、と新一は思う。が、新一に同情というより、労りの言葉をかけられればきっと喜ぶことを、彼は知らなかった。

 「けれど、この場に現れることができるのは貴方だけでしょう?彼らは一度として辿り着いたことはありませんよ」
 「………そうなのか?」
 「ええ」
 「………本当に?」
 「本当です」

 探偵と聞いている白馬と服部は、なぜ、来ないのだろう?
 新一は疑問であった。警備に力を注いでいるのかもしれないが、一向に進歩がなく一度として阻止したことがないのなら、方法を変えてみるべきでは?と思う。

 「………信じられませんか?」
 「今日警備に参加したのは白馬探偵と服部探偵だろう?警視庁で逢ったから………」
 「ご存じでしたか。お逢いした時、何かおっしゃっていましたか?」
 「指令権がないから、警備を分担するって言ってたけど。………やはり上手くいかなかったのかな?」

 新一は首をひねる。どんな状況であったのだろう?
 けれど、KIDの態度を見ればあまり効果はなかったようだ。

 「上手くは機能していなかったようですね。探偵が二人いて、嘆かわしいことです」
 「………それも、どうかと思うぞ」

 新一が軽く咎めるように言うのにKIDは笑いながらパチンと指を鳴らす。

 「私の名探偵は、貴方一人ですから」

 何もないところからいつものように深紅の薔薇を取り出すと新一に差し出した。
 新一は無言で薔薇を受け取り優美な香りを吸い込む。胸に広がる芳香は、いつのまにかKIDを思い浮かばせる香りになっていた。

 (………あ、れ………?なんだか、くらくらする)

 新一は急に眩暈に襲われた。

 (身体に力が入らない………、平衡感覚が危うい………)

 ぐらりと傾いた新一の肢体を慌ててKIDは両手に抱き留めた。

 「どうしました?名探偵?」
 「………」

 目を閉じた瞼の先、長い睫毛がふるえている。

 「名探偵?名探偵?新一………??」

 答えない新一にKIDが呼びかける。

 (熱い………)

 触れた場所から服の布越しに新一の熱が伝わってくる。発熱してるのだろう。

 「う、ん………。ちょっと眩暈がするだけだから………」

 新一は瞳を薄く開いてKIDをふわりと見上げた。

 「眩暈ですか?」
 「じっとしてれば、すぐに良くなるから………」
 「じっと、とはどのくらいですか?」
 「………」
 「それは安静と言うのではないですか?無理なさるから」

 KIDは今日新一が一課に呼ばれて事件を解決し疲れているのに、この場所まで来てくれたことを知っていた。来てくれることは、逢瀬は大変嬉しいが無茶は止めて欲しかった。

 「KID………」

 新一はKIDの上着を力の入らない指でぎゅっと掴みながら、熱で潤んだ瞳で見つめる。
 遠くにサイレンの音がする。追っていたものがKIDの偽物だと気付いて、警察は再びこの辺りに戻って来たのだろうか?

 「名探偵、熱がありますが寒くないですか?」
 「大丈夫、………薬もあるし」

 新一は怠い腕を動かして、ポケットからピルケースを取り出しカプセルを一粒手に落とす。そして、そのまま口に運んで飲み込んだ。水がなくても飲めるタイプのカプセルはいつも持ち歩いている志保が作った特別製の薬だった。
 新一はふう、と熱い息を吐く。
 KIDは痛ましげに新一を見つめると、少しでも防寒になればと自分のマントを外して新一を包む。
 KIDの対処に驚いて新一は瞳を見開く。そのどこか幼い仕草に微笑みで返して、

 「このまま、ここで待つ訳にはいきませんね。下がコンクリートで冷えるばかりか、風が冷たい………。かといって、私がお屋敷へお送りする訳には参りませんしね」

 KIDは困ったように微笑む。
 変装して工藤邸に新一を送り届ける訳にもいかない。
 もし、それがばれた時は新一自身が困る事態に陥る。
 けれど、ここでじっとしているには身体が冷えて体調に良くないどころか、安静にはならない。本来なら新一付きの護衛を呼んで彼を預けるのが一番いい方法であると知っていても、感情が拒否をする。
 KIDはしばらく逡巡していたが、決めた。

 「名探偵、しばらく私に身柄を預けて下さいませんか?」

 新一はKIDの申し出に再び驚くが、こくりと頷いた。

 「失礼します」

 それに内心安堵するがポーカーフェイスで隠しつつ、KIDはそっと華奢な新一を抱き上げた。
 軽いな、と思う。力を込めると壊してしまいそうに細くて儚い。

 「それでは、しばらく辛抱して下さい」

 KIDが安心させるように微笑んむと新一は彼の上着にしっかりとしがみ付いた。


 怪盗KIDは探偵工藤新一を両手に抱かえて夜空に飛び立った。
 腕に抱く大切な人間に不安を与えないように、これまでにない程慎重に飛んでいった。





 降り立った先はKIDの隠れ家。
 都心からほんの少しだけ離れた郊外にある高層マンションの最上階の一室。

 KIDは薬のためか意識を失っている新一を抱き上げながら室内に入り、廊下を抜けて寝室にある大きめのベットにそっと降ろした。
 その拍子に新一の絹糸のような黒髪がまくらにぱさりと音を立てて広がる。白皙の肌も今は閉じた瞼も薄く開いたほのかに紅い唇も、寝ているとまるで人形のような印象を受けるほど生気が薄い。
 それでも、熱のせいだろう、先ほどまでの苦しさを感じさせない穏やかな寝顔に安心する。

 KIDは新一の前髪をかき上げて、白い額にそっと口付けた。
 軽く、触れるだけ。
 それでも、その体温が確かに生きてここにいると信じられる。
 羽根布団を肩を出さないようにかけて、エアコンのスイッチを入れて室内を暖める。

 KIDは新一の頬に指を伸ばして感触を確かめるようにさらりと撫でた。
 その感触に新一の瞼が薄く開いて蒼い瞳がぼんやりとKIDを見つめた。けれど、意識がはっきりしないのか、夢だと思っているのか反応がない。
 KIDはそんな新一を優しげに見つめて彼の髪を何度か梳くと気持ちよさそうに再び目を閉じた。

 穏やかな寝息が聞こえる………。
 KIDはしばらく新一の寝顔を大切そうに見つめていた。





 (眩しい………)

 朝の光が瞳に飛び込んでくるのに、目を眇める。
 新一は起きあがり眠気を飛ばすように、軽く頭をふる。
 ぼんやりとした意識は、自分の私室ではありえない見慣れない部屋だと少しずつ理解した。

 (ここはどこだ?)

 覚醒した意識は部屋を見回しながら、なぜ自分がここにいるのか、昨日何があったのかを思い出した。それと同時に扉をノックする音がして一人の青年が部屋に入ってきた。
 昨夜自分を夜空の中抱き上げて飛んで、ここに連れて来たのはKIDのはず。つまり、目の前にいるのはKIDの装束を解いた青年ということになる。彼は純白の衣装も、片眼鏡も何も付けていない。白いシャツにジーンズ姿という極一般的青年の服装だ。そして、その顔は何度も見た、見間違えることなどない、マジシャン黒羽快斗のもの………。

 「KID?」
 「はい。名探偵」

 彼は頷く。

 「………黒羽、快斗?」
 「はい。工藤新一君」

 彼は穏やかに返事をした。
 新一は晴れやかに、口元を綻ばせて微笑んだ。
 ずっと疑うというより確信していたけれど………彼は隠そうとしていなかったから当然だ………、やっと「本人」に逢えた。
 新一は嬉しくて、側にある逞しい胸に思わず抱きついた。

 (やっと、触れられる………)

 「快斗………!」

 名前を呼びながら抱きついてくる新一を快斗は両手で抱きしめた。力を込めて、それでも壊してしまわないように気を配りながら。

 「新一」

 快斗は優しく名前を呼びながら髪を梳く。新一は気持ちよさそうに目を閉じて身を任せながら、胸に猫のようにすり寄る。

 「………快斗」

 可愛い仕草と甘えるような声。腕の中で見上げるような瞳が太陽の光に蒼く瞬いて快斗を惹きつける。愛おしいという感情が溢れんばかりに沸き上がってくる。
 あれ程触れてはいけないと、触れられないと思っていたのに。

 今は腕の中にある………。

 ぎゅっと抱きしめて柔らかな髪から漂う甘い香りを吸い込む。
 新一の華奢な肩口に顔を埋める。
 細い肢体を存在ごと自分のものにしてしまいたい。

 離したくない。

 こんなにも至福を感じているというのに、その奥底でもっとという欲求が芽生えてくるのに、内心自嘲する。
 自分はなんて、欲深いのだろうか………。
 手に入れたい宝石は、犯罪者の自分には眩しい程の光を放つ。
 決して傷付けることも汚すことも許されない………。

 「新一………」

 だから、自制するようにその名を呼ぶ。

 「何?」

 新一は小首を傾げた。

 「もう、身体は大丈夫ですか?」
 「うん。見ての通り平気」
 「そうですか。心配しましたよ」
 「ごめん」

 すまなさそうに新一は謝る。

 「あまり無理をしないで下さい。今度から体調が思わしくなかったら、あのような場所にいらしてはいけませんよ。私は嬉しいですが、貴方の身体の方が大切ですから」

 快斗はやんわりと諭すように心配を伝えた。
 そして、長い指でさらり流れる柔らかな黒髪を一房取り、唇を落とす。
 快斗の甘い仕草をぼんやりと見つめながら、新一も素直に頷く。彼の心配は理解できたから。

 「………わかった。気を付ける」
 「それでは、朝食にしましょうか。その後にお送りしますよ」

 快斗は新一の手を取りながらベットからゆっくり立たせる。

 「うん。ありがとう」

 新一は全開の笑顔で微笑んだ。




 

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