「ロマンス」6




 彼のマジックは以前見た時と変わらず幻想的な世界であった。
 新一はマジックが始まると本山の側まで戻り、一緒に彼の舞台を見ていた。
 流麗な手つきで行われるカードマジック。
 シルクハットから出現する、薔薇に鳩。今日はぴょんと兎まで跳ねた。
 新一はその幻のような時間に酔いしれる。
 舞台が終了してから惜しみない拍手を贈る。

 「とっても良かった」

 新一は本山に話しかけた。

 「そうかい、新一が喜んでくれるなら、よんだ甲斐があるなあ」

 本山も嬉しそうに微笑む。

 「僕の披露パーティに一度来てもらったんです。その時にもう一度見たいなって思っていたから、まさか今日見られるなんて思わなかった!」

 新一は興奮気味にわずかに頬に朱をのせて語る。
 それが、普段年齢に似合わず落ち着いた雰囲気を持つ新一を殊更可愛らしく見せる。

 「うんうん、そうかい。だったら、また来てもらおう」

 大変珍しい新一の姿に本山は内心驚いていた。
 新一の望むものを渡すことは難しい。彼には欲がないのだ。お金も高価なモノも彼にはあまり価値がない。資産家に生まれて何不自由なく育っているが、物欲というものが欠けていた。だから、本山は誕生日に贈り物をしたくとも本当に新一が求めるモノを渡したことがない。彼が求めるもはどちらかというと、「真理」だ。形のないモノ。

 本当は「おめでとう」という言葉だけで喜んでくれることを知っている。
 それでも本山は新一に何か渡してやりたかった。
 ところが、今見た「マジック」はいたく彼の心に響いたらしい………。
 こんな笑顔を見られるなら、彼と永年契約したいくらいだ。それくらいのお金は腐るほどもっている。

 自己満足であろうと、本山は新一の幸せを望んでいた。どれほどそれが馬鹿げていようと、どれほどお金や労力がかかろうと、何よりも大切なものを護るためだったら何でもする。
 それは新一には決して告げない本山の本心だった。


 「ああ、彼が挨拶に来たな?」
 「ええ」

 奇術師は舞台を降りて、本山まで挨拶にやって来た。

 「今日はありがとうございました。少しでも楽しんで頂ければ幸いです」

 快斗は優雅に一礼して挨拶する。

 「いやいや、とても良かったよ」
 「楽しかったです。夢みたいな時間でした」

 まるで祖父と孫のような二人は、ね?と互いに微笑みあいながら感想を言う。

 「それは良かった」
 「また、お願いするよ、黒羽君」
 「ありがとうございます。その時は、今以上に精進してより楽しんで頂けるようにしておきますよ」
 「期待している」

 本山は最高の賛美をした。
 そして、己の手を差し出す。
 その本山の言葉に快斗は、社交辞令ではなく本心からの依頼だと理解し「はい」と答えて自分も手を出して握手をかわす。触れた手より互いの瞳に見える思惑が何より雄弁な言葉であった。

 新一は隣でそれを見ていて、本山が本当に快斗を気に入ったことを知る。
 本山が自分から握手を求めるなど、稀である。彼に取り入ろうとする人間が多い中、握手を求められても相手を気に入らなければ拒否するような傲慢さをもっている。だから、滅多に自分から握手を求めないのだ。


 本山の隣にいると自然と会場中の人目を浴びてしまい………本当は新一の美貌に惹かれて見つめている視線が多いけれど、新一自身は生憎気付いていない………落ち着いて話したかったため、二人は静かなベランダに移動した。

 「今日のマジックも素晴らしかった………!」

 新一は興奮ぎみに感動を訴えた。

 「ありがとうございます、工藤様」
 「………『工藤様』は止めて欲しいな」

 新一は眉を潜める。

 「それでは、どうお呼びしましょうか。『工藤君』ですか?」
 「………、黒羽さんにそう呼ばれるのは変だな」
 「どうしてですか?」
 「なぜか、逢って2度目って感じがしないから………。おかしいか?」
 「おかしくはありませんよ」

 快斗は微笑んだ。

 「では、どうしましょうか?」
 「………『新一』でいい」
 「新一?呼び捨てにしてよいのですか?」
 「いいよ。だって仕事の間柄でもない。社交界の付き合いも関係ない。個人と個人だ、何も問題なんてないだろう?」
 「それでは私も『黒羽さん』ではなく『快斗』で結構ですよ」
 「年上だろう?それはいいのか?」
 「個人と個人と言ったのは新一でしょう?だったら構いませんよ」

 『新一』と彼が呼ぶ。そうすると、本当に彼との間の距離がなくなったような気がする。

 「………そうだな、快斗」

 『快斗』と相手の名前を呼ぶのになんだか照れてしまう。
 新一は照れくさくて、ベランダの流麗なデザインの柵に手を付いて、その上に頭を乗せた。ひやりとした感触が気持ちよい。

 「新一は、今日は体調が良さそうですね?」

 そんな新一の様子を優しげな眼差しで見守りながら快斗は聞いた。

 「ああ。………今日はって?」

 新一は顔を上げて、小首を傾げた。

 「あまり丈夫でないと聞いていますから………」

 快斗は心配そうに新一を見る。

 (何でそんなに心配な顔をするんだ?)

 本当は、前回の予告日に風邪を引いて行けなかったことを示してるのではないかと新一は推測した。だから、心配を打ち消すように明るく言う。

 「うん。今はいいんだ。この間まではちょっと風邪を引いて寝込んでいたけど」
 「そうですか。もう、よろしいのですか?」
 「全快だよ」

 新一は安心させるように微笑んだ。

 「それは、良かった」

 快斗も顔色のいい新一に微笑する。

 「………だから、今度は大丈夫」
 「………」

 無言で快斗は新一を見つめた。
 『今度』の示す意味に気付かない訳がないのだ。
 それでも新一は答えを望んではいなかった。どちらかというと、安心させるためのものだとわかる。

 「快斗。また、マジック見せて?」
 「ええ。喜んで」

 隣で微笑む新一の髪を夜風が揺らしていく。
 白い項が露になって甘い香りが匂い立つ。

 「………快斗」

 そっと新一は彼の名を呼んだ。
 見上げてくる蒼い瞳は魔力を秘めたような輝きを伴って快斗を離さない。
 桜色の唇が薄く開いて笑みを浮かべ、白い手が自分の胸から深紅の薔薇を摘み快斗の胸ポケットに挟んだ。
 その薔薇の花弁に一度触れて、快斗を見上げると、

 「またね」

 と言って手を挙げて去っていった。
 その、後ろ姿を快斗は見送った。
 彼の後ろ姿を見送るのは初めてだ、と思いながら………。





 「最近、楽しそうね、新一」
 「本当。それに綺麗になったわよね〜」

 ここは新一の通う高校の、2年A組の教室である。皆自由に席に座り、お弁当を広げたり購買のパンを食べたりして、友達となごやかに話をしている。
 そう、1日で一番楽しいお昼の時間である。

 「何だ、それは」

 新一は自分の前で美味しそうに幸せそうにサンドウィッチを摘む二人、蘭と園子、を憮然としながら睨んだ。そのサンドウィッチは園子が大好きなベーカリーで売られている人気の品である。ライ麦パンが美味しく、具のハム、玉子焼き、トマト、キュウリ、レタスという豊富な食材が絶妙なマヨネーズソースで絡められている。大変美味しいと評判で朝からその店は人が溢れるらしいが、お嬢様のくせにしっかり店に赴き購入した自慢の逸品だと豪語していた。その台詞は決して偽りではなく親友の蘭の分もちゃん購入する程である。

 すでにその中の一切れを新一は、食べてみてよ、と渡され味見させられていた。もちろん美味しいことに異存はない。しかし、そんなことは関係がない。

 「だから、美人度が増したのよ、こう瞳がきらきらしてる」
 「うん、わかるわ。色気まで出てるし」

 二人とも新一の反応なんて気にしないで、きゃあきゃあとはしゃぐ。
 新一相手に言いたい事を言えるのは学校ではこの二人しかいないだろう。
 彼の機嫌なんて取ろうと思わない。軽口くらい言い合える、気のおけない仲の良い友達だから当然だった。
 ただ、そう思わない取り入ろうと、親しくなろうとする人間があきらかに存在するため、新一も二人以外には一定の距離を置いていたが………。そういう人間は絶対にこんな暴言は吐かない。

 「お前らな………」

 新一は疲れたように額を押さえた。

 「だって、本当だよ?新一君。鏡を見てみなさいよ」
 「そうだよ、絶対綺麗になったって!!!もちろん今までだって人間離れした美貌だったけど、今はね、何だろう?楊貴妃みたいね」
 「………楊貴妃????」

 新一の聞き返す言葉の語尾が上がる。

 「そう!蘭、さえてるじゃな〜い。楊貴妃は傾国の美女って言われていたでしょう?正にそんな感じなの。国くらい傾く、麗人。楊貴妃のおかげで実際国が傾いて王は楊貴妃を殺してしまうでしょう?『長恨歌』って漢文で習ったけど、………あれはまあ、二人の恋の物語だっけ?その中で語られてるよね。………つまり、それくらい匂い立つ程人を惹きつけずにはいられない空気が最近頓に漂ってるのよ、わかった?」
 「………わかんねえ」
 「何でわからないのよ?」

 園子は腕を腰に当てて新一を見る。

 「わかる訳ねえだろっ」

 そんな話題付いていけない、とばかりに新一は言い捨てる。

 「わかりなさいよ。ったく、まいいわ。本題はこれからよ」
 「………何だ?」

 新一は園子の言葉を嫌そうに聞く。

 「新一君、恋をしているんじゃないの?」
 「………恋?」

 あまりに想像しなかった言葉に新一は瞳を見開いておうむ返しに繰り返した。

 「そう。恋をすると綺麗になるっていうでしょう」

 園子はにんまりと微笑んだ。

 「………」
 「内側から溢れてくるものが今までと違うと思うの。こんなに短期間で人間が変化するなんて普通ないし………だから、心境の変化しか新一の外見に影響を促すものが考えつかないのよ………。だって新一の生活の変化なんて現場に行くことが増えたことくらいでしょう?」

 蘭が姉のように優しく言う。

 「心境の変化?」
 「そう。最近何かあった?誰か気になる人がいる?」
 「………」
 「何かあるの?」
 「………そういうんじゃないと思うけど」
 「でも、気になる人はいるんだ?」

 園子は言葉尻を捕らえて、突っ込む。

 「………気になったら恋なのか?そんな単純なものじゃねえだろう?」
 「恋は単純だと思うけど?突然やってくるし。思い通りになんて、なかなかならないけど、その人に逢えたらすごく嬉しいわよ。1日幸せになるくらい………!」
 「そうだね。それで、また逢いたいって思うんだよね〜」

 うっとりと二人は目で語る。

 (恋って、そういうものなのか?………逢えたら嬉しい?………また、逢いたいって思ったら恋なのか?)

 新一は内心激しく動揺していた。けれど表情には絶対出さない。出したら、終わりである。二人は追求の手をあきらめはしないだろう。

 「お前ら、詳しいなあ」

 しみじみと新一は呟いた。

 「当たり前じゃない。恋する乙女よ」

 園子は堂々と宣言する。

 「素敵な恋をしたいと思ってどこが悪い???」
 「悪くない。がんばってくれ」
 「任せなさい!」

 園子は胸を叩く。
 その女心というか、恋にかけるパワーに感心する。
 どこから、その力が出てくるのか、全く持って不思議である。こんな時、女性は違う生き物であると痛感する。

 「だからね、新一君。頭で考えないで心で行動してみたらいいと思うんだ、私は!」
 「新一が恋をしていても、していなくても今の新一はやっぱり綺麗で、私たちが見惚れるくらい美貌に磨きがかかってると思うんだ。新一楽しそうだから、それはとてもいいことだと思う。………えっとね、つまり私たちは何であれ、がんばれって思ったの」
 「………」
 「そういうことよ、新一君」

 園子はえへへと照れくさそうに笑うと、新一の背中を軽く叩いた。

 「ありがとう」

 新一は一瞬目を伏せて、瞼を開けると瞳をきらきらさせて二人に感謝を伝えた。

 「だって、友達だもんね?」
 「そうだよ。友達だもの」

 蘭と園子は互いの顔を見合わせる。
 彼女らの優しい言葉に新一は花が咲き誇るような笑顔を見せた。





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