工藤家としての成人を迎えた新一の元にはパーティの招待状が山と届いていた。 毎日届く、個々の家主催のパーティや公のレセプション、晩餐会の招待状。それに目を通すだけでも大変である。なぜなら、それ以外にも新一宛に手紙大量に届くためだ。 けれど、それらの招待状は無視する訳にはいかないものである。工藤家の跡取り息子として果たさねばならない仕事の一つである。 しかし全てに出席はできない。 身体がいくつあっても足りなくなる。 もともと身体が丈夫でないとい理由で、今まで工藤家主催のものにしかでなかったのだ。 まだ学生であるという理由と身体上の理由で、必用最低限月に一度くらいのペースで出席することに決めた。 その夜のパーティは政界、財界のドンであると影で囁かれる………とはいえ、誰もが知っている………本山庄一郎の誕生パーティである。 彼の住まう豪邸の大広間で催された豪華な晩餐会は政界、財界あらゆる有名人、著名人、芸能人が出席していた。そして、これから親の後を次ぐであろう世代の若者も両親と共に出席していた。ここに呼ばれるということは、ある意味その世界で認められているという栄誉にあるのだ。 今日の新一の装いは光沢が反射すると白に見えるグレーのスーツに真っ白のスタンドカラーのドレスシャツ、胸元に青いチーフをアクセントにしている。 玄関で招待状を渡し護衛の聡司と別れ………護衛は別室で待機していることになる。他の招待客の運転手なども同じ部屋に通され待機する………緩やかに歩いていくと、大広間に現れた新一の優美な姿に皆が注目する。 近付きたいのだけれど、その美貌に圧倒されておいそれと側に寄れず、自然新一が通ると見つめるばかりで邪魔にならないように左右に人々は別れて道を作る。 新一は声がかからないことに、反対に安堵して今日の主役である本山に近付いた。 「こんにちは、おじい様」 にっこりと心から微笑んで挨拶する。 「おお、新一か。久しぶりだの」 厳しい眼光と眉間の皺と冷徹な存在感から畏怖される、この年齢にしては背筋の通った本山老は、新一を認めるなり目元に皺を刻みながら相好を崩し、彼を抱きしめた。 彼は小さな頃から自分の孫のように、目の中に入れても痛くないのではないかという言葉が正しい程、新一を可愛がっている。 本物の自分の息子より孫より愛情を注いでいると、一部でその事実は有名である。 「お元気そうですね?」 「ああ。元気じゃよ。………新一に会えたから寿命がまた延びるわ」 「おじい様……。それで寿命が伸びるなら僕は嬉しいんですけどね?」 新一はくすりと笑う。 「それにしても、またまた綺麗になったなあ、………逢う度に綺麗になるわい」 本山は新一の頬を両手で包みながら目を細める。 「……おじい様」 その言葉に反論する気もない。 本山のような自分にとって祖父のような存在には絶対に適わない。 だから新一は苦笑する。 「おお、そうだ。木村」 「はい、どうぞ」 本山は側に仕える木村を振り返る。木村と呼ばれた人物は壮年の物腰柔らかな人物で本山の執事を務めている。木村は頷いてビロードの箱を丁寧な仕草で本山に差し出した。それを受け取ると本山はそっとその箱を開ける。 「新一の17歳のお祝いに………」 そう言いながら、中から目的の物を取り出し新一の胸元に付けた。 「これは?」 新一は唖然とそれを見つめる。 「『white rose』だ。綺麗だろう?」 外観は、無色透明な宝石でできた薔薇の形をしたブローチ。照明に反射してきらきらと輝く様は大層美しく新一を彩る。 (これって、ダイヤモンド………?) 「おじい様、これってまさか?」 新一も驚いて本山を見つめたが、それを聞いていた人々も本山の言葉に注目していた。 彼は『white rose』と言ったのだ。 『white rose』とは本山が所有する有名な大粒のダイヤモンドと同じ名である。 (それはどういう事なのか………?) 皆が疑問に思っていると本山はその答えをはっきりと言った。 「どうせなら身につけるものがいいからなあ………。眺めているだけでは意味がない。だから薔薇の形に加工したんだ」 満足げに本山は微笑んだ。 その発言は、人々を驚愕に陥れた。 宝石は小さく砕けば価値が下がる。 元の『white rose』は30CTあろうかという至宝なのだ。それをいくらなんでも加工するなんて、馬鹿げている。 確かに1個のダイヤモンドを彫って作られた薔薇のブローチの細工は素晴らしいの一言だろう。 その輝きは、比類ない。 所詮、至宝として存在させるか、身を飾るものに加工し使用するか、価値観の違いである。 「おじい様………」 新一は戸惑う。嬉しいけど、本山の気持ちは痛いほどわかるのだけれど、受け取ってよいものか判断に迷う。 今までもこうして高価な物を本山は誕生日プレゼントとして新一に与えてきた。 それは時計であったり、別荘であったり、船であったり………。もちろん、簡単に受け取ってきた訳ではない。が、今回はいつもと訳が違った。お金があれば買えるものではないのだ。この『white rose』は世界にだた一つ………。 その新一の迷いを本山は正確に読みとった。だから安心させるように、諭すように穏やかな声で告げる。 「新一に受け取ってもらえないと、この『white rose』の行き場がなくなる。なぜなら、これは新一だけのものだからだ………」 「………」 「新一以外これは渡さない。誰にも残さない」 「おじい様………?」 つまり、新一が受け取らなければ、家族、親族、誰にも残さないというのだ。本山は有言実行の人物である。絶対に言ったことは翻さない。最悪、燃やしてしまうだろうことが想像できた。 「新一以外これを身につけられる者はいない。わしはそう思う」 本山は真摯に新一を見つめた。 「そう思わんか?」 本山は後ろにいる木村にそう笑った。 「はい。そうでございますね」 木村は鷹揚に頷く。本山に長く仕える木村をもちろん新一とて知っていた。小さな頃本山邸に遊びに来ると、いつも木村が応対してくれケーキやお茶をもっては現れ、主人と新一の世話をしてくれた。一緒に談笑したことも数えられない。新一は木村のことも大好きで懐き、お土産を持っては館を訪れていたのだ。 「木村さんまで………」 新一は困ったように軽く唇を噛んだ。 「そういうことなんだよ、新一。この老いぼれの冥土の土産に受け取っておくれ。あの世までお金も宝石も何も持ってなどいけないのだから………」 その言葉に新一は肩の力を抜いた。知らず緊張していたようだ。 ふう、と吐息を付いて、そのどんな宝石より美しい瞳で本山を真っ直ぐに見た。 「………わかりました、おじい様。ありがとうございます」 新一はにっこりと微笑む。それは天使のようなこの世の者ではないような極上の微笑みであった。誰をも、悪魔でさえも惹きつける魅力的で幸いを与える微笑みである。 「ああ、良かった。これで枕を高くして眠れる」 本山は声を立てて笑った。 本当に嬉しそうに………。 まるで一仕事をやり終えたような充実感を漂わせた、全てを見つめてきた老人の深い笑みが新一には印象的に映った。 新一が本山の側から離れずにいると………本山が離さないと言った方が正しい。折角顔を見たのだからずっと一緒にいたいらしいことがその緩んだ顔から見て取れた………新一に近寄りたい人間や本山に取り入りたい俗物がそれとなく周りを囲みだした。 本山と会話して少しでも自分を売り込みたい者、純粋にその美貌と家柄から新一と親しくなりたい者、本山のお気に入りである新一に取り入りたい者、様々な理由を持った者がその場に集まっている。 そんな中、勇気をもって彼に近付いた者があった。 背の高い高級そうなスーツを着こなした、茶色の髪に茶色の瞳の紳士的な雰囲気を持った若者である。 「初めまして、工藤新一君ですよね?」 「はい?」 新一は誰だろうと、彼の顔を見て首を傾げる。 相手は自分の顔も名も知っているが、自分は逢ったことがないという場合が度々あるため、知らない人間にパーティなどで声をかけられても不思議ではなかった。 「私は白馬探と申します。父親が東都警視副総監を務めています。だから工藤君のこともお聞きしていますよ。以後、お見知りおきを」 白馬は微笑んで手を差し出す。 「こちらこそ、初めまして、白馬さん」 新一もその手を握り返して愛想良く微笑んだ。 次いで、白馬の横に並んでいた浅黒い肌の精悍な若者がにこりと人好きのする笑顔を浮かべて新一に声をかける。 「俺は服部平次。父親が大阪府警本部長や。だから白馬同様『工藤新一』のことは聞いてるで。前から逢ってみたかったんや。よろしゅうな」 「そうですか……。服部さんは、大阪の方でしょう?今日はわざわざ大阪からいらしたんですか?」 新一は微笑みながら聞いた。 関西弁や父親が大阪府警本部長であるから、そう推測されることは当たり前である。 「ああ、そうやない。大学がこっちなんや」 服部は胸の前で左右に手をふって否定する。 「私と同じ大学なんですよ?」 白馬が横から説明を加えた。 「お二人とも大学生なんですね?」 「そうやで。もう4年やから来年は社会人やけどな」 「お父様を次いで、警察庁に入るのですか?」 「………どうやろ。これでも今は探偵をしてるけど、多分、そうなると思うわ」 「貴方は警察機関の方があってると思いますよ。私は無理ですから、イギリスに帰って探偵をするつもりですけど」 「………探偵ですか?」 新一は二人から探偵という言葉を聞いて興味を引かれた。同世代で探偵を名乗る人間に今まで逢ったことがなかったのだ。 「そうですよ。私はイギリスと日本で活動しています。だから余計に工藤君に一度逢ってみたかったんですよ?『日本警察の救世主』にね」 「俺は高校までは大阪で大学から東都で活動してるわ。工藤は現場に来ることがないから、逢うことなかったな。ああ、最近はそれでも、以前より現場に来てるって聞いてるわ」 「………ええ」 新一は曖昧に笑う。 どうして、と聞かれても答えようがない。 自分の中で意味があり、人に言うような決意ではないのだから。 「じゃあ、今度逢う機会もあるかもしれませんね?」 白馬が嬉しそうに新一を見つめた。 「そうですね。その時はよろしくお願いします。白馬さん、服部さん」 新一は二人に、にっこりと微笑んだ。 自分より先輩であろう「探偵」の二人なのだから……。 そんな気持ちがこもった柔らかな笑顔である。当然、等しく振りまかれる愛想笑いとは違っていた。 その結果、二人はその笑顔に見惚れて固まってしまった。 強烈に目を釘付けにさせずにはいられない美貌と存在。 間近に見れば、神秘的な蒼い瞳に吸い込まれそうだ………。 噂でしか聞かない『工藤新一』が目の前にいる。 噂以上の容姿に、勇気をもって声をかけて本当に良かったと白馬も服部も思う。 一目見た時から、惹かれていた。この機会を逃したくなくて、こうして会話する時間を作ることができたのだから、かなりの幸運だろう。 もっと親しくなりたいと思うことに躊躇はなかった。 「工藤君、今度うちで開くパーティにいらして下さいませんか?」 白馬はそう申し出た。 新一はそれに答えようとして、彼の肩越しに視線を向けたまま声を失った。 「………あれ?」 新一は信じられないものを見たかのように、一瞬瞳を見開いて動きを止めた。 (どうして………?彼が?) 新一は側にいる白馬と服部の存在を綺麗に忘れ、彼の元に歩み寄った。 長身で、細身だが脆弱さなど全く感じられない鍛えた身体に、器用な長い指を持つ、奇術師。紫紺の瞳が印象的なマジシャン『黒羽快斗』。 今日も黒いタキシードに身を包んでいる。 (………奇術師としての仕事か?) 新一は彼の前まで来て、真っ直ぐにその瞳を見上げた。 「………黒羽快斗さん?」 新一は確認するように、そっとその名を呼んだ。『黒羽快斗』に出逢うのは二度目だから。 「こんばんは。工藤様。先日はご招待頂きありがとうございます」 快斗はふわりと微笑んで優雅に礼をする。 「あ、はい。僕の方こそ、パーティを盛り上げて下さってありがとうございます」 それに新一も頭を下げてお礼を述べた。 「今日はここでもお仕事ですか?」 「ええ、本山氏に招待を受けまして、後でマジックをお見せしますよ」 「楽しみです」 「ありがとうございます。………その薔薇、貴方にとても似合っていますね」 快斗は新一の胸に飾られた『white rose』を一度指差し、 「これが、霞んでしまいそうです」 と言うと、ポンとどこからか深紅の薔薇を取り出して新一に捧げる。 新一は目を瞬いて、次にはそれを嬉しそうに受け取った。 「ありがとう」 薔薇の花びらを指でそっと触りながら、快斗を見つめて微笑んだ。 (………こんな気障なところはKIDと同じだな?) 新一は心の中で呟きながら、快斗と会話を続ける。 「こんばんは、黒羽君」 すると、新一の後から白馬が顔を出した。いきなり自分たちから離れて行ってしまった新一を追ってきたのだ。 「これは、これは白馬じゃないか。久しぶり」 「?」 新一は親しそうな二人に首を傾げた。どんな共通点があるのだろう? 「高校時代の同級生なんですよ」 白馬は不思議そうに見る新一に彼の疑問を説明する。 「同級生?」 「はい。その頃から悪友です」 「悪友は酷いんじゃないか?白馬」 気安く笑う快斗に、こんな表情もするんだなと思う。 が、一方白馬は新一と快斗の関係が気になってしかたがなかった。 「工藤君はどうして黒羽君を知っているのですか?………パーティで逢ったのですか?」 「ええ、僕の誕生パーティに来て頂いてマジックを披露して下さったんです」 「そうでしたか………」 やはり、と白馬は思う。 それくらいしか、この二人が出逢う機会はないだろう。暮らす世界が違いすぎる。接点などないに等しい。それなのに、新一が快斗と随分と親しそうな様子がなんとなく釈然としない。 「白馬さんと同級生ということは、じゃあ、21か22歳なんですか?」 「そう、22歳ですよ」 「あまりにマジックがお上手なので、もっと年齢を重ねていらっしゃるのかと思いました。こういう事は年齢は関係がないのでしょうか?経験なんですか?」 素直に瞳に興味を浮かべて新一は聞いた。 「どうでしょう。確かに小さな頃からマジックの練習をしていましたけれど。誉めていただくと嬉しいですが、自分などまだまだ若輩者ですから」 「でも、あんなに素敵なマジックは初めて見ました」 「ありがとうございます」 二人のにこやかな会話に、白馬は苛立つ。 それでも、白馬に構わず楽しげに会話を続けるのに口を挟むことができなかった。 「それでは準備がありますから、後程」 しばらくした後、快斗は腕時計を見て時刻を確認すると、微笑んでその場を立ち去った。 それを新一が頷いて見送る姿に、彼の関心が全て元級友の快斗にもっていかれてしまったことがわかって白馬は苦く思う。 |