「ロマンス」4




 「予告状」は真っ白い鳩が届けに来る。
 暗号で書かれた現場への招待状を平和の象徴である鳩が届けるなんて、なんだかおかしな話である。けれど、それもKIDらしいような気がして新一は歓迎した。

 毎回訪れる鳩は同じ鳩なのだろうか、なぜか新一に懐き、部屋に舞い込む度に新一の肩や膝に乗ったりして頬づりする。ちゅんちゅん、とくちばしでつつく様が大層可愛らしい。
 だからついついパンを与えたりして和んでいるせいか、余計懐いている。
 主人がいるのに、物で懐柔されていいのだろうか?
 そう心配してしまうが、大きなお世話かもしれなかった。それに封書を届けてくれるのだから、ご褒美におやつくらい上げても罰は当たらないだろう。

 「な、KID」

 新一は鳩の頭を優しく撫でてそう呼ぶ。
 彼は鳩に「KID」という名を付けていた。
 名無しでは呼びかけるのに困るし………主人であるKIDが付けた名前もあるだろうが、それは新一にはわからなかったし。彼がどんなセンスで鳩に名前付けているのか少々興味があったが………自分が勝手に呼ぶ分には問題なかろうと新一は思っている。
 
 KIDの暗号を解くことは大変楽しい。
 それは至福の時間である。
 けれど、警察からいつも暗号解読の要請があるわけでもないし、現場に行って中森警部に逢うのも気が引けた。部外者が行けば気が散るだろし嫌がられるのはわかっていた。
 だから、新一は現場ではなく彼が寄り添うな中継地点を割り出した。





 「ここで待っていてくれる?」

 新一は後部座席から運転席の聡司に言う。
 いつもの如く護衛である聡司に車で送ってもらって来たのだ。

 「新一様。それは危険です。どうか私をお連れ下さい………」

 聡司は新一に訴える。
 夜中、人気のないビルの屋上に用事があるからと新一は言う。主人である新一の望む場所に連れていく、彼が思うように行動できるように、彼の安全を護るのが護衛である聡司の仕事であり生き甲斐である。
 それなのに、一人で行って来るから待っていて欲しいとは、護衛の意味がない。

 いつものように警察に呼ばれて現場に行く時は、当然ながら周りは警官に囲まれている。聡司が側にいられないくても、新一の身の安全はある程度保証はされている。(決して絶対ではないが)本当は絶えず付いていたいが、許されない場合はしぶしぶ待機しているのだ。

 「ごめん。でもどうしても一人で行かないといけないんだ」

 新一はすまなそうに謝った。
 聡司は真剣な新一の瞳を見て、ため息を付く。彼は大変素直で仕える人間にも優しく思いやる心を持つ人間的に素晴らしい主人であるが、こうと決めた事は断固として貫き通す意志の強さを持っていた。
 それは彼が名探偵と呼ばれ真実を見抜く瞳をもつことからも明らかである。

 「新一様。危険はないのですか?」

 だから、聡司はそれ以上言えないのだ。

 「ないと思う。だから行かせて………」

 新一の言葉は切実さを帯びている。探偵としての「彼」がやらなければならないことがあるのだろうと聡司は思う。

 「わかりました。そのかわり、決して無茶はしないで下さい」
 「わかってる」

 新一は微笑みながら頷いた。

 「上着もしっかり羽織って下さい。夜風は冷えますから、お風邪を召されますよ」

 聡司はボタンをしっかり留めるように注意する。

 「うん」
「私はここでお待ちしております。何かありましたらご連絡下さい。すぐに駆けつけますすから………」

 携帯電話の短縮1番に聡司の電話番号が入っている。何があってもすぐに駆け付けられるように………。

 「うん。ありがとう」

 新一はドアを開けて「じゃ、行って来る」と言いながらビルに向かった。
 その後ろ姿を聡司はご無事で、と見送る。





 新一がビルの屋上に辿り着きしばらく佇んでいるとKIDが現れた。
 トン、とハングライダーを畳みながらコンクリートに舞い降りる。そして新一を認めると優雅に一礼した。

 「ごきげんよう、名探偵」
 「KID………」
 「今日は現場にいらっしゃらなかったので誠に残念でしたが、このような場所でお待ち下さるとは嬉しい限りですね」
 「その様子だと、今日も上手くいったようだな………」

 遠くでサイレンの音がする。
 KIDを捜索している警察達。けれど、誰もここにはこない。

 「ええ」

 KIDはそう言いながら宝石を取り出した。月光に皓々と輝く宝石。今日の獲物は大粒のペリドットである。
 KIDはそれを月に翳し、遠くを見つめるがすぐに新一に視線を戻した。
 
 (KIDが宝石を狙う理由など知らないけれど………、どうしてそんな顔をするのだろうか?)
 
 予定通り宝石を盗むことができても、先ほど月に宝石を翳した時の顔は陰りがあった。
 何を憂いているのだろうか?
 
 (それも彼の持つ謎なのかもしれないな………?)

 新一はそう納得した。

 「それにしても、あの日、何でお前は俺の前に現れたんだ?」

 新一は前から疑問に思っていたことを聞いてみた。

 「あの日とは、名探偵の披露パーティの日ですか?」
 「ああ」
 「………名探偵にお逢いしてみたかったのですよ」
 「俺に?怪盗のお前が?」
 「はい。名前だけはお聞きしていたのですが、実物は見たことがなかったものですから。『日本警察の救世主』とあれほど有名であるのに」
 「………」

 「滅多に現場に現れないと聞いていましたし、それでも貴方が関われば『迷宮なし』だと警視庁でも実力が認知されていましたよね。私の暗号も数度解いたと聞いていたのですが、結局私の現場には来て頂いたことはなくて。一度ご挨拶に伺おうと思っていたのですよ」
 「………わざわざ挨拶に来たのか?」
 「ええ。実際にお逢いしてみれば大層魅力的な方でしたので、是非お手合わせ願えればと思いました」
 「随分物好きなんだな………」

 新一の台詞にKIDはくすりと笑う。

 「私はこれでも趣味がいいと自負しておりますのに。宝石を見抜く審美眼は誰にも劣りませんよ」
 「………」

 KIDは新一に近付く。
 そして自分より小柄な新一を見つめた。
 すぐ側にあり触れることのできる距離に佇む、宝石のような、否、どんな宝石よりも輝く、光を当てなくても自ずから発光して煌めく存在。

 「そのサファイアのような瞳が真実を映す瞬間を見てみたいと思ったのです………」

 告白するような口調で本心をさらりと告げる。
 KIDの真剣な声音に新一は思わず目を見開いた。
 KIDは当惑気味に揺れる新一の瞳に苦笑すると、そっとその白い頬に手を伸ばした。手袋越しの長い指がさらりと名撫でて風に揺れる漆黒の髪を梳く。
 新一は髪を梳かれる心地よさに、少しだけ目を閉じる。だか、すぐに瞼を開けて真っ直ぐにKIDを見上げた。

 魅入られる瞳………。

 これこそが、真実を映す鏡のような眸。
 KIDは眩暈を感じる。
 このままこの類い希なる存在を抱きしめてみたい衝動に駆られる………。
 けれど、それは許されることではないと思う。

 KIDはパチンと指を鳴らし深紅の薔薇を取り出してみせると、新一にどうぞ、と捧げた。新一は無意識にそれを受け取る。新一の指に納まった薔薇にKIDは満足げな瞳を向ける。

 「それでは、今宵はこれで失礼します」

 そう言いながら、KIDは迷いなど見せないポーカーフェイスで新一に微笑すると、優雅に礼をする。そしてふわりと夜空に飛び立った。
 
 新一は遠くに消えていく白い鳥をただ見つめていた。





 最近の新一には変化が見られた。
 目に見えるものではないのだが、以前よりずっと勉学に勤しんでいるようだ。
 もともと父優作の血を引いて頭脳明晰であるから、体調が悪く休む時があろうとも高校では学年首席を続けている。
 読書量も半端でなく多いし、学校より家の方が蔵書が豊富であるから困ることはなかった。
 代々の蔵書に加え、作家としての優作の蔵書は日本だけでなく海外のミステリから医学、薬学、法学、経済学、文学、語学、雑学などなど多種多様である。

 幼き頃からその本に囲まれた新一は探偵に必用な知識を大地が水を吸い込むように、植物が水と栄養を取りすくすくと成長するように、身体に頭脳に染み込ませた。
 けれど、以前にも増して知識欲が沸き上がったようで、興味のある本を片っ端から読んでいる。
 そして、時々優作に意見を求めてくる。

 また、目に見える変化の一つに、身体を鍛えることがあった。
 資産家の子息として護身術は必用最低限身につけていたが、知人の師範に武術を習っている。
 どうしても基本的な、決して丈夫でない身体は変えようがない。
 それでも、何かあった時は自分の身体を守れるように、少しでも体力を向上すべく鍛錬に励んでいる。
 そんな息子の姿を見て優作は、彼の意識を変える何かがあったのだろう、と思っていた。
 それでも、息子の意志を尊重してわざわざ聞きはしなかったけれど………。





 何度かKIDとの邂逅が続いた。
 予告状が届けば暗号を解いて、今では中継地点………大概ビルの屋上である………に行く。彼の暗号を解く度に、彼に会う度に思うこと。それは自分の知らないことがまだまだたくさんあるということである。
 彼の暗号を解くため、頭脳をフル回転させて多角的に視野を広げてパズルを崩す。

 謎を解くため本などで資料をを調べる時ワクワクする。
 彼と会話する時、純粋に楽しい。
 こんなにも打てば響くような人間と時間を過ごせるなんて思いもしなかった。
 長くは話せないけれど、知識も雑学も新一を上回っている。
 そうでなくては、暗号など作れないだろうけど………。
 
 幼少の頃、護身術を習った師範に再び付いて身体を鍛えている。
 基本的な身体は変えようがないけれど、いざという時もっと行動できるようにしたかった。今までは『日本警察の救世主』とよばれても、そうそう現場に行くことはなかった。

 ずっと「探偵」になりたかった。
 「名探偵」とKIDは呼ぶけれど、自分は滅多に現場に行けなくて。
 それは果たして「探偵」なのか?
 KIDの呼ぶ「名探偵」であるのか?
 
 今は、行きたい。
 とても、行きたい。
 もっと、追求したい。
 責任を果たせば、自分は「探偵」でいられるだろうか?
 それは望んでいいのだろうか?
 
 だから、目暮警部の要請を以前より受けるようになった。
 現場にも向かう。
 まだ学生であるから勉学をおろそかにはできないため………そうでないと、自由にする権利はないと思う………空いた時間をそれに当てた。

 目暮警部は「大丈夫かい?無理してないかい?」と逢う度に心配してくれる。
 申し訳ないな、と思う。
 小さい頃よく寝込んでいたことを知っている上、現在も体調が良くなくて、風邪を引き込むと長いとか、抵抗力が弱いとか、知られているのだ。「これでも以前よりずっといいんですよ」と返すと、「私に心配するなというのが無理な注文だ」と苦笑して諭された。
 現場でも顔見知りの警官も多くいて、その度に良くしてもらっている。
 どんなに「探偵」と言われても、一介の高校生という部外者であるのに………。
 
 一度逆上した犯人に刃物を振り回されて、怪我をしたことがあった。
 本当に、突然の事で自分も周りも予測できていなかった。その場にいる誰より弱そうに見えたのか、真実を明らかにした自分が許せなかったのかは定かでないが、彼が自分に向かって突進してきたのだ。
 どうにか避けたため、腕を少々切る程度で済んだ。(その後、「何やってるの、貴方」と志保にお小言をしっかりともらった)

 けれど、目暮警部や同席していた警官ら、特に側にいた高木刑事が責任を感じてしまったようだ。後で目暮警部は「優作君に会わせる顔がない」と言い、他の警官らも「すまない」「申し訳ない」と、高木刑事などは「僕が一番近くにいたのに………。君を守れなかった」と頭を下げて謝罪してきた。
 そんな必要ないのに。自分がもっと己の身を守れるようにしなければならないだけなのに………。

 だって、それは絶対だ。
 普段、聡司が付いていてくれる。
 けれど、彼がいない場合だって多々ある。
 どんな場でも護衛を連れていく訳には行かない。
 だから、自分でその分を補わねばならない。
 もし、という場面が必ずある。
 自分に何かあれば、両親が悲しむのは当然であるけれど、聡司に責任が行くのも嫌だった。

 自分に責任を持たねばならない。

 それは工藤家の子息として育った新一の確固たる信念だった。






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