「皆様、それでは今日のゲストに来て頂きました黒羽快斗氏のマジックショーをお届けしたいと思います。ステージをご覧下さい」 優作が舞台の側まで行き、大広間に響きわたるように言う。 舞台袖から黒いタキシードに身を包んだ青年が現れた。20代前半くらいであろうか、随分若いが落ち着きのある端正な顔立ちの人物である。 彼は舞台中央まで来ると、正面を向いて優雅に一礼する。 「今宵、私が皆様を一時の夢の世界にお連れいたしましょう」 片手を挙げて大きくはないが広間の奧まで届くテノールで彼の魔術の世界へ誘う。 綺麗な軌跡を描く指が作る幻想的な世界。 彼が指をはじくと薔薇が姿を現して、1本ずつ側にいる女性に渡す。 薔薇を受け取った女性は頬を染めて、ありがとうと微笑む。例え夫がいても見目の良い男性から花を贈られるのは嬉しいことだ。 次いで、カードマジック。 扇形に広げて、シャッフルして。 そのカードを1枚、1枚と裂いてシルクハットに放って行く。流れるように収まるシルクハットに手を当てて、呪文を唱える。そして、一度シルクハットを振って何もないことを確認すると目を閉じてもう一度呪文を唱える。 徐にシルクハットを頭上に投げる。それは緩やかな軌跡を描いて空中を移動する。 そこから観客に向かってはらはらと落ちてくる花吹雪。 真っ白な花びらの形をした紙が舞い落ちてくる様はまるで雪が降っているようだ………。 わあ、という感嘆の声が広間から漏れる。 落ちてくる花びらを手の平で受け止めて見つめている人間が多い。 新一もその花びらを受け取った。 ふっと息をかければ飛んでいきそうに軽い、まるで羽のような花びら。 奇術師は優雅にシルクハットをキャッチして、花が舞い散る中から白い羽を1枚手のひらで受け取ると軽く口付けてその中に入れる。そして、テーブルにあるワイングラスを摘むと、高い位置から葡萄色に輝く液体をその中に注いだ。空になったワイングラスはテーブルに音も立てず置いて。 葡萄色の液体と白い羽。 果たして、それは? 奇術師はシルクハットに大きくて真っ白い布を被せるとステッキをトントンと叩いて、魔法をかける。 「one、two、three………!」 カウントしてシルクハットを持ち上げふわりと頭上に掲げると、そこから出現したのは10羽ほどの純白の鳩であった。翼を羽ばたかせて広間に飛び上がり翔る姿は自由の象徴のようだ。 白い羽は純白の翼。赤い液体はその瞳と血の色。 観客はその鳩を見上げて、どこまで飛んでいくのか?と鳩の行方に視線を奪われる。 そのうちの一羽が高い天井を旋回し、新一の前まで降りてきて、ふわりと肩に止まった。 新一は目を見開く。鳩は新一に懐くように頬にすり寄り鳴く。 (これはどういうことだ………?) まさか昼間部屋にやってきた鳩だろうか? 鳩の区別は生憎新一にはできない。なんとなく、としかわからない。感としか言い様のないもの。それでもこんなに懐かれるのはそれくらいしか思う浮かばない。 新一は鳩の頭を撫でながら思考を巡らす。 すると奇術師が優雅な足取りで舞台から新一の側まで歩み寄ってきた。 「申し訳ございません、随分懐いてしまいましたね」 奇術師は新一に頭を下げた。苦笑してほら、と手を挙げて鳩を呼ぶとの彼の腕に戻る。 「失礼しました」 「いいえ」 奇術師は微笑みながら新一の目の前でパチリと指を鳴らす。そこに表れたのは一輪の深紅の薔薇。 「お詫びです」 どうぞと新一に差し出した。それを新一もああと頷いて素直に受け取る。 大輪の薔薇からは芳醇な香りがした。 「ありがとう………」 新一の言葉に奇術師はにっこりと嬉しげに笑んでどういたしまして、と言いながら舞台に帰っていった。その後ろ姿は、やはりとても凛としていて職業柄なのかとても優美だ。 新一はもらった薔薇をジェケットの胸ポケットに刺した。その深紅は濃紺のスーツにとても映え、新一の美貌を引き立たせた。思わず周りに人間がうっとりと見惚れる程だ。 奇術師は舞台に戻るとマジックを再開させた。 「格好いいわね〜。ファンになりそう」 園子は頬を両手を包んでうっとりと呟く。 目をうるうるさせている姿は普通の高校生の女の子だなと感心する。ただ、彼女の場合格好いい、魅力的な男性を見るとすぐに惚れるのが玉に瑕であるが………。 「そうね〜、素敵なマジックだったわね。どうしてあんな事ができるのか全然わからなかったわ」 蘭も拍手して楽しそうに同意する。タネも仕掛けも全くわからないわと感嘆する。 新一もその見事な手腕や器用な指に感動した。タネなんてわからない。簡単な手品の類なら知っているが、彼の場合まさに奇術師と呼ぶのが相応しい見事な魔法だった。 全てのマジックが終わった時新一も惜しげもなく拍手した。 「今度私の誕生パーティにも来てもらおうかしら?」 園子はいいことを思いついたと、手を打つ。 「それ、いいわね。またあの夢みたいなマジック見れるの?」 珍しく蘭も乗り気である。普段は園子の突拍子もない行動を戒めるのだけれど、再び見たいと思わせるほどマジックが気に入ったらしい。 新一もまた来て欲しいと思った。 夢みたいな、魔法。胸がワクワクする、どきどきする一時の幸せ。 人に素敵な夢を見せる事ができる仕事。 彼はきっとこの仕事に誇りを持ってるのだろう。 それは彼を取り巻く空気や雰囲気、立ち振る舞いからも明らかだ。人に見せる全てに気を配り奇術師として存在する。 少しだけ羨ましく思う。 その自由な未来が。 手に掴んだ夢が。 (はあ、疲れた………) さすがに疲労を隠せない。 新一は宴は終わっていないが部屋に戻ることにした。 大勢の人に囲まれ話しかけられて、一人づつ世間話といいながら社交としての対応をする。笑顔を振りまき挨拶とお礼を述べる事を数えないくらい繰り返せば、気疲れもするだろう。 両親も新一が長時間パーティなどで人の視線に晒されたりする………新一に寄せられる視線は本人が無意識に受け取り不快な思いをする、それ以上に強くて多いのだ………と身体が参ってしまうことを十分に理解していたため、部屋に戻ることに賛成した。 新一が病弱なことはこの世界で周知の事実であったため、今日の主役である彼が辞しても誰も疑問に思わないだろう。 新一は螺旋階段を上り2階の自室に向かう。怠い身体は長い廊下を歩くのも億劫だ。やがて廊下の端にある自室の前まで来た。 ふう、とため息を付いてゆっくりと部屋の扉を開けぱたりと閉める。一瞬暗闇が訪れて、蛍光灯を付けようと扉の横壁にあるスイッチを押す。が、付かない。 (どうしたのだろうか?電球が切れたのか………?) 新一は首を傾げながら、数度スイッチを押してみるが全く反応はない。 カタン。 物音に新一は慌てて音がした方向を振り向いた。 暗闇の中、唯一月光が窓から差し込み部屋を照らしている。そのベランダの扉を開けて、純白の衣装を着た男が立っている。 「誰だ?」 新一は目を見開いてその男を凝視し、鋭く誰何する。 男は新一の鋭い視線を受け止めて優雅に腰を折り礼をすると、 「初めまして、名探偵工藤新一君」と告げた。 純白のスーツに青いシャツと赤いネクタイ。同じ真っ白のシルクハットを目深にかぶり片眼鏡を煌めかせ、長いマントを翻す………。 この衣装を着た人間を知らない人間はこの日本に恐らくいないだろう。大人も子供もその姿を知っている。新聞や雑誌、テレビのニュースや特番で彼は取り扱われ人気を誇っている。『月下の奇術師』『世紀末の魔術師』の異名を取る世界をまたにかける大怪盗。ただし本物を見たことがある人間は少なかったが………。 「………怪盗、KID?」 新一も本物を見たことはないから、自信なさげに聞く。 「はい」 KIDは満足そうに認めると一瞬の間に新一の側までふわりと降りる。すぐそこに、新一が手を伸ばせば届く至近距離にKIDはいた。 「お目にかかれて光栄ですよ、名探偵」 「………何しに来た」 新一は探るような瞳でKIDを見上げた。自分より随分背が高い。細身だけれど脆弱さなど感じない、その身のこなしは滑らかであり精悍さをも伝える。 「………予告出ていたか?」 KIDが現れる理由は怪盗という犯罪以外ないのだ。 「いいえ」 「じゃあ、下見か?」 怪盗KIDは美術品や絵画、宝飾品などを盗んできた。最近は宝石が主な獲物で特にビックジュエルとよばれる物を盗む傾向にある。 KIDが狙うなら新一の首にかかる至宝のブルー・サファイアであろう。 新一は無意識に胸のサファイアを手でぎゅっと包んだ。 「………そのようなものでしょうか」 KIDは面白そうに目を細める。 「目的はこれか?」 新一はサファイアを持ち上げてKIDに掲げて見せる。 「『賢者の蒼』ですか………、確かに魅惑的だと思います。けれど他にどうしても欲しい宝石ができましたから」 「?」 言葉の意味がさっぱりわかっていない新一にKIDはくすりと笑う。 「………他の宝石って何だ?これ以外にも宝石はそこそこあると思うけど。母さんのルビーか?」 サファイア以外で工藤家が所有していると世間で有名なのは優作が有希子に贈ったルビーしかない。ピジョン・ブラッドの深紅のネックレスとイヤリングのセット。どちらもアンティークデザインで流麗で豪奢な逸品である。 「違いますよ」 KIDは即答した。 新一は首を傾げる。それ以外でKIDが欲しがる宝石などあっただろうか?それとも小さなものなのか?有希子の宝石箱にあるものは何があっただろうかと新一は考える。 細い顎に手を当てて、思考する新一にKIDは苦笑する。 「………それは残念ながら、簡単に盗めるような物ではありませんよ」 KIDのヒントになっているのかわからない台詞に新一は眉を潜める。 「何であれ、そうそう簡単にお前に盗まれないさ」 これでも探偵の冠を頂いているのだから。 KIDの現場に行ったことはない上、並々ならぬ相手であるとわかっているが、だからといって負ける気はない。 「そうでしょうね。ところで名探偵、私の現場には一度もいらして下さいませんね。どうしてですか?」 「俺は現場にほとんど行かない。まして窃盗は管轄外だ」 「私に興味はありませんか?暗号を解いて頂いた事はあると思うのですが?」 新一はその素性、身体故、現場に行くことは少ない。大概は話を聞いて助言するに留まっている。どうしても行かねばならない場合のみ現場や警視庁に赴く。 そして、KIDの暗号も解いて欲しいと依頼され数度解読して2課に協力したことがあった。 「確かにお前の暗号は面白いと思う」 新一は小さく答える。 「それでは名探偵。招待状をお送りしたら現場にいらして下さいますか?」 「え?」 「駄目でしょうか………?」 「………行ってみたいとは思うけどな」 新一は視線を落とし目を伏せた。 初めて見たが、このKIDの現場は面白いかもしれない。 そうは思うが、今までも現場に行けない理由があった訳で。 決して行きたくない訳ではなかったのだ。 17になった自分は、その権利があるだろうか? 自由と権利と義務と責務。それを果たせば多少の意見を通すことができるだろうか? 新一は考える。 「名探偵、招待状をお送り致します。いつもとは申しません。お時間のある時にいらして下さい」 KIDは魅力的に誘う。 「………」 「暗号を気に入って頂けているのなら、予告状だけでも楽しんでもらえますよ」 「………行ける時だけだぞ?」 新一は条件付きで承諾した。 「それでは、お待ちしております」 KIDは嬉しそうにそう言うとつい、と新一に一歩近付き胸ポケットにある深紅の薔薇を指で摘んだ。 そして優雅な仕草で軽く唇を落とし、 「今日は代わりにこの薔薇を頂いて参ります」と言う。 「KID?」 新一はKIDの行動の理由が読めない。気障だと聞いているが、それは何か意味があるのだろうか?新一は首を傾げてKIDを不思議そうに見上げた。 (あれ………?) 近付いたため薄暗くともKIDの顔もぼんやりと見え、見つめた瞳と瞳があう。怜悧な雰囲気や存在感、そしてこの瞳………これを知っているかもしれない。 新一の様子にKIDはくすりと笑うと、新一の手を取り恭しく甲に口付けた。 「!!」 新一は頬を染める。 「今宵はこれで失礼します、名探偵」 KIDはにっこりと微笑むと、ひらりと身を翻して窓から飛び降りた。 「KID………!」 慌ててバルコニーに走って下を覗くが誰もいない。 (どこに行ったんだ?) 目にも止まらぬ早業である。 KIDの『月下の奇術師』としての力を初めて見た新一はよりKIDに興味を覚えた。 (その正体を確かめてみたい………) 新一はふと頭上の月をふり仰いだ。 銀色の光を降り注ぐ、怪盗を守護する月の女神を。 |