「ロマンス」1



 東都が誇る高級住宅街にひときわ目立つ豪奢な洋館があった。
 広い敷地に大きな館。
 重厚な玄関、ステンドグラスの窓、丸いバルコニー、レンガの壁には緑の蔦が絡み付く、年代物の外装。館に入ると玄関を兼ねた広間があり2階へ螺旋状に伸びる階段がある。1階には吹き抜けの大広間、応接間、食堂などの生活空間があり、2階には住人の部屋や客間などの部屋があった。

 正門から玄関への道には木々や季節の花が植えられ来客の目を楽しませる。広い敷地には美しい花を咲かせる木の花が植えられ、ガラスで覆われた温室には可憐で艶やかな花が咲き誇り、住人を癒していた。
 しかし館を囲む高い塀には防犯のため電流が流れ、監視カメラが設置されている。門には絶えず監視が付いていたし、屋敷の中も最新のセキュリティで完璧だ。不届きな、不貞な輩が間違っても入ってこないように、万全の構えである。

 そんな豪奢で麗しいが鉄壁の防犯を施した館に住まうのは工藤優作という、世界的に有名な推理小説家である。
 もともと工藤家は資産家であったが、彼は世界的な規模の作家であるからその小説の印税に加えて途方もない富を持っていた。その上商才にも長けていたせいか、工藤家は現在でも衰えることなくその名をはせていた。

 そんな彼の妻は有希子。
 彼女も世界に名をはせた美人女優であり、現在引退した身であるがいつまでも衰えない美貌と人気を誇っていた。

 そして一人息子の新一。
 両親の愛を一心に受けた一粒種。
 母親の美貌と父親の聡明さを兼ね備えた麗しの「名探偵」。「日本警察の救世主」としてあまりにも有名であるが、彼の素性が世間に知られることはなかった。資産家の息子が誘拐などから狙われるのは当たり前であるため、極力息子をマスコミなどから遠ざけるように優作は圧力をかけて息子を守っていた。
 もともと現場にはあまり行かない、行けないため、名探偵「工藤新一」は謎に満ちていた。もちろん、数少ないが関係者には公然の事実であったが……。

 今日は夕方から工藤邸でパーティが行われる。
 それも新一が17歳を迎えたため、お披露目のパーティである。工藤家では代々17歳を社交界デビューの歳としていた。それまでは親の保護下にあり、勝手に一人だけパーティに招待することもできなかったが、………新一自身の友人や親しい家のパーティに出席するのはこの限りではなかった………これからは個人当てにいろいろなものに招待されることになる。それは彼が望むことではなかったが、彼を取り囲む人々にとっては待ちに待った日であった。



 朝からメイド達は忙しく働いている。
 家中を磨き上げ、広間のセッティングに大わらわである。今日は普段のパーティではなく彼らが愛する次代当主のお披露目なのだから、用意に力が入ってもおかしくなかった。
 そんな喧噪など聞こえてこない、静かな部屋に今日の主役である新一はいた。

 いつも通り起床し朝食を取ってからは読書に勤しみ、愛読書であるミステリの世界に入る。そうなると新一には他の音など一切聞こえなくなる。
 本だけに集中して周りが見えなくなる。

 どのくらい時間が経過したのか、新一は本から目を上げた。
 読み終えてぱたんと本を閉じてテーブルに置くと、開けた窓から爽快な風が入りカーテンを揺らしてるのが目に入った。暖かな光が部屋に差し込むのに目を細める。
 新一は窓からバルコニーへ出て、気持ちのいい空気を吸い込む。

 (気持ちいい……)

 ふうっと深呼吸をして、軽く身体を伸ばす。
 こんな日は外出したいなあと思うが、そうもいかない。
 まさか自分がいなくては今日のパーティは成り立たないのだから。新一のお披露目のためのパーティ。幼き頃から出席しているが、ああいう場は好きではない。もっと言えば自由に一人でどこへも行けない。絶えず護衛が付いているのだ。

 新一は目の前に広がる青い空を見上げる。どこまでも、地球の裏側へでも、宇宙の彼方へでも繋がってる空……。
 そんな青い色に白いものが混じった。
 何だ?と思う間もなく真っ白の鳥が新一の前に現れた。

 「鳩?」

 人慣れているのか、新一の肩に止まりほーほーと鳴きながら頬にすり寄る。

 「くすぐったいって」

 新一は声を立てて笑いながら、鳩の頭を撫でてやる。それに気を良くしたのか余計にすりすりと頬ずりして小さなくちばしでちゅんとつつく。軽くなので、当たっても痛くない。

 「お前、どこから来たんだ?誰かに飼われているんだろうな」

 新一は鳩を肩に乗せたまま室内に戻り、確かあったはずだと思いながら、テーブルの上にあるパンを取った。そのパンを細かく千切って、指で摘んで鳩のくちばしまで持っていくと、パクリと食べる。それに笑みを浮かべて何度か繰り返す。

 「いいな、お前は……」

 自由に飛べて、どこまでも行けて。
 けれど鳩に言ってもしょうがない上、鳩だって大変だろうと思い直す。それはないものねだりだ。

 コンコン。
 ドアを軽くノックする音がした。

 「新一様。お昼ですわ」

 メイドが失礼しますと会釈して入ってくる。

 「ああ、わかった」

 新一は頷いて立ち上がる。

 「あら?珍しい、鳩ですか?」

 長年務めているメイドの島田は新一の肩に止まっている鳩に目を丸くする。

 「迷い込んだみたいなんだ」

 新一は再びバルコニーに立つとほらっと鳩を空に放った。
 鳩は新一の頭上を2度ほど周り飛び立った。それを見つめて安心したように島田を振り返って、今から行くからと告げた。
 「畏まりました」と頭を下げて島田は部屋を辞した。
 新一はもう一度だけ空に目を向けるが、振り切るように部屋を出た。





 「そろそろ用意はできたかね?新一」

 新一の部屋のドアを開けて優作が顔を出した。

 「父さん?」

 新一は優作の声に振り返った。

 「ほう、とても綺麗だね」

 優作は満足げに頷いた。
 その誉め言葉は決して息子に向けるものではないが、とても正しい表現ではあった。
 彼の息子は奇跡的な美貌の持ち主だった。母親の血を色濃く受け継ぎ、雪のような白い肌、漆黒の絹糸のような髪、どこまでも澄んで真実を映す蒼い瞳、桜色した艶のある唇、優雅で滑らかな肢体には誰をも惹き付ける極上の魂が宿っていた。

 その新一が着ているのは光沢があり光の加減で変化する濃紺のソフトスーツ。中には真っ白のスタンドカラーのドレスシャツに深紅のリボンタイ。
 その場に佇むだけで、光が満ちあふれるほどの存在感をもって圧倒する「美」。

 父親である、毎日見ている自分でさえ見惚れる息子の美貌に優作は誇らしい気持ちと、この息子の未来を思って心底不安な気持ちに襲われる。誰をも魅了してしまう存在は時に罪だ。
 それでもそんな気持ちは露ほどにも感じさせず新一の側まで来ると、さらりと髪を撫でた。

 「お前もこれで社交界の一員になる。その立場と務めを忘れてはいけないよ」
 「はい」

 新一は頷いた。
 それはこの工藤家に生まれた時から決まっていたことである。
 その運命からは逃れることはできない。

 「よろしい。それではこれは今日からお前の物だ」

 優作はポケットからビロードの箱を取り出すと、丁寧に開ける。
 中からは、大粒のブルー・サファイアのペンダントが現れた。

 工藤家の至宝『賢者の蒼』、またの名を『運命』。

 サファイアは愛の不変を誓う誠実の石。純粋と誠実を表す石。神がモーゼに授けたユダヤ教の律法「十戒」を刻んだ聖書にその名が記されていたサファイアは賢者と聖職者に相応しい宝石と信じられ、歴代のローマ法王の指輪として用いられている。そこから『賢者の蒼』と呼ばれ、先々代が手に入れた当時、妻と運命的な出会いをしたことから『運命』の名が伝わっている。
 そして代々17歳になる次代の当主に受け継がれると定められた宝石。もちろん伴侶がいれば、その伴侶が付けることが多くなる。が、そうでない当主は男女問わずこの宝石を身につける。その儀式である今日と年に一度の誕生会に。

 優作はペンダントを取って新一の細い首に付ける。
 プラチナのチェーンにティアドロップ型と呼ばれる涙の雫の形が垂れ下がり、きらきらと輝く。
 それは新一の瞳の蒼と相互するように煌めいて、まるで彼のために誂えたようである。

 「本当に、よく似合う」

 優作の言葉に新一は自分の首に下がるブルー・サファイアを手で軽く触れた。冷たい感触と重みを感じる。その宝石は、美しい鎖かもしれなかった。家という、枷。

 「優作、新ちゃん」

 用意のできた母有希子が柔らかな声を立てて、顔を覗かせた。
 シルクの光沢が美しい身体の線にそった優美なデザインの蒼いドレスが彼女の肢体を包んでいる。その余計な飾りのないシンプルなドレスだからこそ、彼女が付けた深紅の宝石ルビーは映えた。
 大きく開いた胸元にはネックレス、耳には髪が結われているためはっきりと見えるイヤリングが下がり有希子の美しさを引き立たせた。
 有希子は部屋をゆっくりと歩き優作の隣に並ぶ。

 「有希子、綺麗だよ」

 優作は妻の美しさを褒め称え、当然のようにその肢体を抱きしめて頬にそっと口付けた。有希子も瞼を閉じて自然に口付けを受けて微笑む。

 「優作も素敵よ」

 有希子は優作のネクタイを整えて、新一に向き直った。

 「新ちゃんもとっても綺麗。今日の主役ですものね」

 およそ息子に対する誉め言葉とは思えない台詞を有希子は無邪気に言いながら嬉しそうに微笑んだ。
 息子を見た感想が全く同じ両親の反応に、絶対にどこか間違っていると新一はしみじみ思う。




 
 高い天井にはシャンデリアが煌めいている。
 大広間にはいくつも丸テーブルが並び、その上にはオードブルと乾杯用のシャンパンが並べられていた。ざわめく大広間には先ほどから人が出入りしている。着飾った婦人にスーツ姿の男性のカップルが目を引くことから夫婦同伴での出席が多ことがわかる。もちろん、それだけでなく男性が数人で談笑していたり、友人同士なのか美しい女性がたおやかに笑っている姿もあった。

 着飾った招待客はボーイから思い思いの飲み物を受け取り………ワイン、ウイスキー、カクテル、ジュースなんでもあった………知人と談笑して今日の主役と主人を待っていた。
 そこへ、待ちに待った主人の優作と妻の有希子、今日の主役の新一がやって来た。
 人々はその姿に会話を止めて注目する。
 優作は一礼して、

 「今宵は、我が息子の披露パーティにいらして頂きありがとうございます………」

 と挨拶を述べた。左隣に有希子が立ちそれを微笑みながら見つめている。
 優作の右隣に立つ新一も神妙な顔で優作を見ていた。その顔は優作を挟んだ母、有希子と酷似していて、確かに血の繋がりを見ることができる。有希子に酷似した美貌は女性が持つものとはやはり違い中性的であるが故か、より透明感が増していた。その上で同じような華がある存在感、見つめずにはいられない引力がある。
 その希有な美麗に見惚れ視線を釘付けにされ集まった人々は新一の言葉を待った。
 新一はふわりと一礼する。それだけで人々の目が釘付けになる。

 「今日はいらして下さってありがとうございます。これからもよろしくお願いします」

 簡素だが、新一が涼やかな声で挨拶して優雅に頭を下げると拍手が巻き起こった。
 乾杯の音頭が取られパーティが始まる。

 「おめでとうございます」
 「おめでとうございます、新一様」

 新一が歩く度、至る所から声がかけられる。
 それに一人づつ微笑みながら「ありがとうございます」と丁寧に返礼する。するとその美しい微笑みに相手は絶句したり赤面したりと折角新一と会話したくても話が続かない。
 そんな様子など気にせず新一は社交界の一員としての務めを果たしていた。
 少々疲れたなと内心新一が思った時。

 「おめでとう、新一君」
 「新一おめでとう!」

 ふと聞き慣れた声が新一を呼び止めた。
 高校のクラスメイトである毛利蘭と鈴木園子である。

 「ありがとう」

 それには新一も心から笑ってお礼を言う。
 二人は新一が気負うことなく話せる数少ない友人だ。冗談を言ったり我が儘を言ったりできる「工藤」の名に関係がなくつき合える大切で親しい人間なのだ。

 「それにしても、綺麗ねえ……。似合い過ぎよ新一君」

 園子が新一の全身を眺めて笑う。
 蒼い宝石もそれを身につけている新一も綺麗すぎてこの世のものではないようだ。照明によって煌めく、蒼い奇跡の輝き。まるで天上の美の化身がここに舞い降りたような錯覚を覚える。

 「あのなあ、園子。お願いだから、綺麗というのはやめてくれ。お前に言われるのは正直気落ちするから」
 「だって、本当のことじゃない。ねえ蘭」

 園子は蘭に同意を求める。蘭はくすくす笑いながらそれでも頷いた。

 「新一、あきらめないさい。事実なんだから。新一が美人なのは昔っからじゃない。今更がたがた言わないの」

 蘭はより新一を突き落とす台詞を吐いた。
 小さい頃から知っている蘭に新一が勝てる訳がなかった。悔しいが反論などできない。
 はあ、と吐息を付いた新一に園子は苦笑して、

 「今度、私の誕生パーティには来てね」

 と誘った。

 「ああ、園子のなら行くよ」

 新一も快く受ける。
 パーティは好きではないが、親しい友人のものなら別だ。園子は鈴木財閥の次女であるためその誕生パーティも豪華で派手である。招待客も大物ばかりであるが、新一もその内の一人に数えられるだろう。新一が出席するとなれば、こぞってお近づきになりたい人間が参加するだろうが、そこまでは新一も構っていられない。

 「やあ、蘭君、園子君、いらっしゃい」

 優作が新一の級友を見つけて近付いて来た。

 「こんばんは、おじさま。お招きありがとうございます」
 「おじさま、お久しぶりです。今日はありがとうございます」
 「いやいや、こちらこそ。二人とも会う度に綺麗になるね」

 蘭と園子がドレスを摘み優雅に礼を取って見せるのに、優作はにこにこと微笑む。

 「おじさまったら、お上手なんだから。でも、それって比較の問題ですわね。自分だけを取ってみれば、以前より綺麗になったと思いたいけれど、新一君の横にいるんじゃ、霞んじゃうわ」
 「園子!」

 園子の言い分に蘭が止める。

 「園子君は相変わらず正直だねえ。これでも親馬鹿だからありがたく受け取っておくけど、本当に園子君も蘭君も綺麗だと思うよ」
 「ありがとうございます。私も新一君の美貌を間近で見れて幸せですわ。心と目が潤うもの」

 園子は意味深にふふっと笑う。

 「園子君、侮れないねえ。それもいい女の条件だよ」

 優作は面白そうに目を細めた。

 「父さん………」

 黙って聞いていたがどうして父親と友人がこんな話題で盛り上がるのか謎だ。新一は大きなため息を見せつけるように付いた。

 「ああ、忘れていた。紹介しようと思ったんだよ」

 優作は今気付いたように、後ろを振り返り近くにいた人物を呼ぶ。

 「黒羽君」
 「はい」

 呼ばれた青年は優作の横に優雅に歩いてきた。

 「こちらは、今日マジックショーをしてもらう黒羽快斗君。若いが腕は確かだよ。楽しみにしていてくれたまえ」

 優作の紹介に黒羽はにっこりと微笑んだ。

 「今日は、よろしくお願いします」

 新一は自分に差し出された手に「こちらこそ」と言いながら握手でもって答えた。
 紫紺の瞳が優しげに自分を見つめるのを、見つめかえす。
 
 (綺麗な瞳をしているなあ………)
 
 不思議な、不思議な輝きをしていると思う。
 細身だが精悍さを漂わせた長身の体躯は見せることを意識した仕事柄か、立っているだけで優雅だ。少々癖毛の黒い髪に端正な顔立ち、マジックをする手はとても大きくて綺麗な指をしている。
 新一はついつい探偵の気質で初対面の人間を観察してしまう。
 それでもただ者でない雰囲気を、存在感を持った人物だと本能的に感じた。
 そんな間にも園子や蘭にも挨拶を済ませ、黒羽は準備がありますから、と去っていった。
 その後ろ姿を見つめながら、どんなマジックを披露するのだろうかと新一は楽しみに思った。




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