新一の有無を言わせない壮絶な笑みに、青年は目を見開いて絶句した。 婚約者とは、なんとタイムリーな言葉だろう。彼はやはり慧眼の持ち主なのか。何でも見通す蒼い瞳は、自分を見て煌めいている。 最近、婚約者という言葉を青年は聞いたばかりだ。あの、嘘のような馬鹿馬鹿しい会話を思い出す。 「ねえ、そういえば、ありがとうね」 「ああ。いいよ。無事だったんだから」 「結婚式をぶちこわそうなんて本当にイヤなことを考える人がいるもんだわ」 母親は怒る。 頼まれて結婚式の新郎の身代わりとなった。父親の知り合いからの頼みだから仕方ない。結婚式をぶち壊してやるという脅しが届いたのだ。手紙や電話で何度も脅迫まがいの警告をされて新郎の父親が、泣きついた。 無事に終わって本当によかった。式の最中に拳銃をもった男が立ち上がり、自分を狙ってきたため、手早く倒した。カードを使ったのも、自分がマジシャンの卵だと新郎側は知っていたせいだ。近所の警部が変装して紛れ込んでいたからその場で逮捕してもらった。 だが、実はそれだけで終わらなかった。なんと、新婦側も同じような事態に巻き込まれていたのだ。新婦も身代わり。互いに、見つめ合った瞬間理解した。身代わりだと。 そして、新婦は清楚なウェディング姿でナイフを振りかざした犯人を蹴り倒した。 どこからどう見ても、傾国ばりの美人が犯人を足蹴にする姿はなんともミスマッチだが、ある意味女王さまのようで美しさに磨きがかかっていた。 ドラマで女優がウェディングドレスを着ている姿を見る機会があるが、ちょっと彼女たちが太刀打ちできないくらいの麗人だった。細い肢体に純白のドレスをまとい、ベールをかぶる顔は小さく白い。長い睫毛に彩られた瞳は星をつめこんだような蒼。整った鼻梁に、淡い色の唇。もう少しでその唇に触れていた。 「ちょっと、何にやけているの?快斗」 「……は?」 「やだわ、いやらしい顔して。なに、式を挙げた花嫁さんが美人だったの?」 そんなににやけていただろうか。つい思いだして考え込んでしまった。 「美人だった。俺が見今まで出会った中で一番の極上美人」 嘘はない。本心だ。あんな美人はそういない。 「はあ?まさか、惚れちゃったの?」 「惚れた?惚れたっていうか……」 それを言うなら前から。別に、この間好きになった訳じゃない。自分の思いは浅くない。 「ちょっと、まさか好きになちゃったの?その美人さん」 「……」 「じゃあ、あなたの婚約者はどうするの?」 母親の咎めるような口調とその言葉に驚く。 「婚約者?なにそれ?」 「なにそれって、覚えてないの?あんなに好きだったのに!」 「知らないよ」 「青子ちゃんといつもいるし、遊んでいるかどうかはおいておいて、付き合っている人もいないみたいだし。家に恋人を連れてきたことないし。だから、あなたはずっとあの子のことを好きなんだと思っていたわ」 母親の方が驚いたように、首をひねる。 青子は幼なじみで確かにいつも一緒にいるが、恋人を作ったことはない。街で遊んでいるうんねんを母親が知っているとは思わなかったが。 「……婚約者?俺に?」 「そうよ!あなた五歳の時、プロポーズしたでしょ?」 「そんなガキの頃のことなんて、今更持ち出されても困るよ。本当なの?」 まったく覚えていない。そんな大事なこと。どうしてだ? 「言っておくけど、これはちゃんとした婚約よ。あなたが本物にしたんですもの。本物の婚約指輪を渡して結婚してくださいってプロポーズをしたのよ。確かにあの子は可愛かったわ。母親もすごい美人だから将来有望な美少女だったわ。快斗面食いだったのね」 面食いは否定できないが、俺が婚約?いや、それより流せない言葉があったな。 「婚約指輪?」 「そうよ。ブルートパーズの指輪よ。台はプラチナの。あなたが働いてふつうに給料の三ヶ月分の値段がする、本物よ」 「なんで、そんなものが、ある?」 「盗一さんが用意したのよ。私たちの馴れ初めを聞いて、快斗が自分もそうやって相手を射止めるって子供心に言うから。だから盗一さんが、指輪を用意したの。本物を。将来、息子が好きな人が出来た時に渡せるように。あなたが齢五歳でプロポーズして指輪を渡し時盗一さんは、確認したわ。本当にいいのか?本気なのか?当たり前よね。で、あなたは好きだから、将来結婚したいんだと宣言したわ。今思えるすべてで好きなんだ、本気だって」 「嘘だ。俺覚えていない」 父親にまで誓っていたなんて。そんな事実を覚えていないなんて、あり得ない。 「そういえば、盗一さんが亡くなった時、あなたパーになっていたわね」 母親は、首を傾げ思い出したように軽く告げた。 「パー?」 パーとは何だ。母親の台詞はつこみどころ満載だった。 「パーよ。そうじゃなきゃ、バカかアホね。……盗一さんが亡くなったショックで、その時記憶が混濁しているみたいだったもの。それ以来、大好きな子のこと言わないから、一応状況を気にして言わないのかと思っていたけど。まさか、忘れているなんて……」 忘れた?自分が? そういえば、父親が亡くなった時の映像が白く濁り思い出せないのだ。マジシャンだった父親がショーの途中、爆破事故で死んだ。遺体も酷い状態だったらしく顔もわからなかったらしい。 あまりにショックだったからだと言われたけれど。その当時のことも曖昧だ。母親は法要を済ますとしばらく自分を連れて各地を転々とした。 それほどの大切な思い出をなぜ、無くしたのか。 覚えていないことを話されて、動揺する。それを嘘だといってしまうことができない。 「けど、快斗。たとえ忘れてしまっていても、あなたは本物の婚約指輪を渡しているの。婚約はその時点で成立したの。初恋で終わったかもしれないものを本物に変えたのは、あなた自身。……あなたが指輪を返してもらわない限り、婚約は今でも有効よ」 正論である。覚えていないなど、理由にならない。 自分の人生の転機は数度あったが、今も間違いなくその時なのだろう。 一度目は父親が死んだ時。二度目は父親の秘密を知ってKIDを継いだ時。三度目は自分と相対する存在に出会い惹かれた時。 KIDなんてしているせいで、自分のすべてさらけ出せることがなくなった。自分を支えてくれる父親のマネージャーだった寺井にもすべては無理だ。学生としての自分を偽っていると実感するたび、申し訳なさそうな顔をする。 だからこそ、嬉しかった。KIDとして真っ向から勝負でき、同じように頭の回転が速く慧眼の持ち主に出会えたことが。彼と頭脳戦をしている時はなにもかも忘れられた。生き方や矜持を知る度、惹かれることを止められなかった。 それなのに。これでは距離を縮めるどころではない。婚約者持ちなんて、問題外だろう。 「送るよ」 そう言って青年は新一を自宅まで送った。 「ありがとう」 「これくらい当然だよ。彼女を家まで送るのなんて、彼氏のつとめだからね」 お礼を言うと、笑いながら帰っていった。やはり笑顔が面影にかぶる。 だが、説明もしていないのに、本名も名乗っていないのに、新一の自宅を知っているなんて、ばらしてどうするのだろう。暗に、正体を知っていると伝えている。そして、女装なんてして事件に関わっていることを知り、相棒として協力までできる人間だ。 これでは、青年も正体をばらしているも同然だ。最初から、隠す気はなかったようだが、それは自分ににも言えることだ。 でも。 結論として、彼は覚えていないのだ。忘れてしまったのだ。それを責める気は欠片もない。自分だってうっかり忘れていたのだから。最近面影から彼がそうなのだとわかっただけだ。 新一はそれに気付いてからすぐに母親に連絡を取った。思い出した自分の記憶は様々な事実を含んでいた。交流のあった彼の両親の顔も、名前ももちろん思い出した。そこから得た情報を母親に問えば、是の返事がかえってきた。自分の感覚は間違っていなかった。 今日まさか会うなんて思わなかったがいい機会だと思った。 婚約者がいたら、という問いの答え。もし覚えていたら、あれは拒否の答え。そうでなければ、一般的な答えとなり覚えていないことになる。 本人達の意志を尊重した方がいい。昔の取り決めや知らない間に決めれられていたら、困る。 彼の答えは予想通りだった。 彼がプロポーズした相手は少女ではなかったのだから、それでいいのだろう。もし本当は覚えているなら、やはり明確な拒否である。それとも、自分がそうだとは気が付いていないだけだろうか。確かに男だったら、問題外だ。それもあるか……。 どちらにしても自分は決めたのだ。 |