高層ビルの屋上に、白い翼をたたみKIDが降り立った。 今日も、見事にビックジュエルを予告通りに盗み出し群がる警察官を振りきって、こうして一人月を見上げる。宝石を月にかざし、落胆したように吐息を付いてからポケットにしまう。 気を抜いていた訳ではないが、そんな時。 非常扉が開いた。中から姿を現したのは、最近はすっかりKIDの現場へは来てくれない名探偵、工藤新一だった。 「こんばんは」 KIDが敬意をしめし優雅に挨拶するが新一はつかつかと歩み寄り、2メートルほど離れた場所で止まった。そして、強烈な意志をひめた蒼い瞳をKIDに向け、何かを耐えるように唇を噛みしめ、KIDに何かを投げつけた。 KIDは、驚くがしっかりと受け取る。小さなビロードの小箱だ。なんだろう?と思って箱を見つめていると。 「確かに返したから。これで、婚約破棄だ!」 そんな捨て台詞を吐いて新一は背を向けた。すたすた去っていこうとする後ろ姿に、慌てて箱を開ける。探偵の言い方から、この中のものが問題らしい。中には指輪がある。青い宝石付いた銀色の指輪。青い石は何だ。もしかして、ブルートパーズか。この指輪は自分が聞いた話に出てきた指輪そのものだ。どうして?なんで?まさか? 瞬時にそれだけ頭を巡らせたKIDは新一の腕を掴み、自分の腕の中に捕らえた。 「離せ!もう関係ないだろ?」 「関係ないって何ですか?」 「だから、もうおまえは自由だ。今度は好きなやつにこれを渡してこい。ちゃんとした本物の指輪だ。元はおまえのものだ。……意味がわからなければ別にいい。気にするな」 「好きな相手って、どういうことですか?」 「好きなヤツいないのか?だったら、出来るまで大切にしまっておけ」 「なんで、そんな。名探偵、お願いですから、ちゃんと話をさえて下さい」 「婚約者なんていたら、困るだろ?昔の小さな頃の勢いでしてしまった約束で縛るなんておかしいだろう?嫌だろう?おまえは、本人達の意志を尊重した方がいいといった。昔の取り決めや知らない間に決めれられていたら、困る。そう言った」 「言いましたが、でも」 相手が自分が惹かれている相手とは思わなかったから、婚約を破棄したいとは思った。だから困ると言った。 「もういいんだ。気にするな」 「気になります!」 「だって、おまえ。……覚えてないだろ?」 新一は少し表情を変えKIDを真っ直ぐ見上げる。 それは、確信に近かった。なぜなら、彼はなにもしてないから。覚えていて、もし本当に変わらず気持ちがあるなら、彼は自分に会いに来たはずだ。だが、そんな事実は一切ない。つまり、忘れているか、小さな頃の気持ちを持続できなかっただけだ。もちろん、五歳の頃の気持ちが変わらない人間なんてそういないから彼は悪くない。 「……ええ。覚えていません」 「それが答えだよ」 新一は切なそうに笑う。全部諦めたような、静かな瞳で。 「違います!確かに覚えていない。忘れています。だから信じてもらうのは無理だとわかります。でも、お願いだから言い訳にしかなりませんが聞いて下さい」 KIDが懇願する。 新一はKIDを見つめたまま小さく頷く。 「私は先日、母親から自分に婚約者がいることを聞きました。まったく、寝耳に水でした。そのような覚えがなかったから。記憶力には自信があったのに、そんな馬鹿なと思いました。すると、自分が小さな頃、指輪を渡してプロポーズをしたというのです。指輪は青い宝石の付いた本物の婚約指輪でした。だから今でも有効だと言われ驚きました。そんな事実欠片も記憶になかったのです」 KIDの告白に新一は辛そうに瞳を揺らす。すでにわかっていたことだ。 「母親が言うには、父親が亡くなった時どうやら意識や記憶が混濁したらしいのです。父親が亡くなった前後から過去において、他の記憶も飛んでいます。父親が死んだ事実を受け入れることができなかったようで、そのあたりが一番曖昧です」 「そうか」 KIDの父親が亡くなった時。それまでは数度会ったことがあったが、それ以降会うことはなかった理由がわかる。彼はその時、大事な心を守るため忘れたのだ。 「思い出そうとしても、まったく思い出せません。申し訳ありません KIDは頭を下げた。 「謝る必要はないだろ?仕方ない。それに、思い出さない方がいい。きっと」 そうでなければ、父親が死んだ時のことを思い出してしまう。それは精神的につらいだろう。 「私は思い出したかった。そうでなければ、私は婚約者がいるままです。困りました。私には惹かれている方がいましたから。婚約者がいるなんてどうしようかと。好きだと言う権利がありません。言っても不実な男です」 「なら、もういいだろう。婚約者はいない。元々幼い頃の勢いなんだから、ふつうは大人になったら忘れるもんだ」 彼は自由だ。新一は笑った。 こうして返しに来てよかった。 「そうですね。なら……」 KIDは新一の細い手を取ると薬指に指輪をはめた。新一はあまりのことに目を見開く。 「名探偵。私と結婚して下さい」 「……なに、バカなこと言ってる?」 「バカとは酷い。私はあなたと結婚したいのです」 「バカ!なんで俺に?昔もだけどおまえ俺のこと女だと思って勘違いしてプロポーズしたんだよ。訂正しなかった俺も悪いけどさ」 知っていて黙っていた親も同罪である。それは互いの両親に言える。 「確かに、昔は少女だと思ってプロポーズしたのかもしれませんが、結局私の好みというか気持ちは同じですよ。変わらないのです。そう今日実感しました」 真摯な目でKIDは新一をひたと見つめる。 「ずっとずっとお慕いしておりました。惹かれていました。この気持ちを伝えてはいけないと思ってきました。でも、最近一緒に過ごすことが多々あって、あふれそうな気持ちに困っていました。私を信頼してくれる。触れても受け止めてもらえる」 目をまん丸にして新一はKIDから視線が外せない。そんな顔が愛らしくてKIDは新一の黒髪を撫でる。そして囁くように告白する。 「ウェディングドレスに身を包んだあなたはとても綺麗で、もう少しで触れそうになる唇に、心臓が踊っていたと知らないでしょ?トロピカルランドで手を繋いで恋人同士みたいに並んで歩いたことに有頂天になった。ミニスカサンタの格好でケーキを売っている姿を誰にも見せたくないと嫉妬して、初めて頬にキスした時は舞い上がるかと思った。一緒にお茶をして家まで送っていくなんて普通の恋人みたいで、嬉しかった」 そして、新一の頬を包み込みこっちが恥ずかしくなるくらい幸せそうに笑う。 「ねえ、名探偵。俺のこと嫌い?」 いきなり口調を変えてKIDは新一の瞳を間近で覗き込む。新一は首を振った。嫌いということはない。 「じゃあ、好き?」 新一は戸惑う。好きは好きだけれど。ここで頷いていいのだろうか? 「嫌いじゃないんだよね?こうして触れるの気持ち悪い?」 新一はあわてて首を左右に振った。嫌いでもないし、気持ち悪くもない。そうでなければ、今まで一緒に行動なんてできなかった。 「なら、これは?」 KIDは新一に顔を寄せ瞼にキスを落とす。 「……っ!」 新一は真っ赤になる。 「いや?」 「……や、じゃない」 新一の答えと赤くなった目元に自信をもって今度KIDは頬にキスをする。新一は頬まで赤く染めKIDの服をぎゅうと掴んだ。 「名探偵。結婚して。俺のこと嫌いじゃないよな?好きだよな?」 「……」 ぎゅうと抱きしめられ、切々と訴えられると新一も困る。KIDからキスされた場所、触れられた場所から熱を持ち温度を上げた血が身体中を巡って熱い。沸騰しそうだ。心臓もバクバクとうるさい。 嫌いな訳ない。好き。好きだ。 『きーちゃん。なら18になったらもう一度プロポーズしてね』 新一が昔少年とした約束だ。18になったら、と言ったのは一応18歳にならないと結婚できないという知識があったからだろう。それとも、性別が違うことを少年が知った時……いくらなんでも成長した後には男だとばれている……どうするか再度問うつもりだったのか。つまり、自分は子供心に少年が好きだったのだ。たとえ淡い思いでも。 彼は、今、知らず約束を果たしている。彼はそんな約束を覚えていないけれど、忘れてしまって自分だけしか知らない約束でも。 だから。 だから、もう、いい。 許すよ。自分も同罪だから。 大切な想い出を取り戻した自分と、思い出せない彼。自分も今回のことがあるまで忘れていたのだから。記憶なんてなくてもいい。今から初めてもいい。 「イエスって言って。名探偵」 KIDは希う。 「……っだ」 「名探偵?」 「やだ。……俺は名探偵じゃない」 新一はきゅうと唇を噛んでから、拗ねたように告げた。 KIDは目を瞬いて、次いで満面の笑みを浮かべた。 「新一。愛してる。結婚して」 「うん」 頬と言わず、すべてを赤く染めて新一は恥ずかしそうに頷いた。 是の返事をもらったKIDは今度こそ、新一の唇にそっと口付けた。 END |