「ねえ、快斗」 「何だよ、アホ子」 学校からの帰宅途中、隣に歩く快斗を青子は見上げた。お隣に住む幼なじみの二人は偶々用事もなく一緒に歩いていた。が、理由もないのに憎まれ口を叩くのはいつもの事だった。 「何がアホ子よ、失礼ね、バ快斗のくせに!」 「あー?アホ子はアホ子で十分だろ?この間の物理のテスト赤点だったじゃねえか」 「言ったわね………!バ快斗〜。ちょっと自分が頭がいいからってっ!」 青子は持っていた鞄を快斗の背中にぶつけた。 「痛ってえなー、青子」 快斗は少し顔を歪めて背中を撫でる。 「青子はアホだけじゃなく、無駄にバカ力なんだからまいるぜ。本当に女か?」 「バカ力とは何よ〜?それに女かですって?どこが男に見えるっていうのよ………バカバカバ快斗!」 青子は険しく目をつり上げて片手に持っていた本で快斗の頭を殴った。 「………っ」 ハードカバーの本の角で殴られた快斗は痛みに顔を歪める。 「お前、限度ってもんがあるだろ、ちっとは加減しろっ。本で殴るな、ましてそれはハードカバーだ、凶器だろ、俺を殺す気か?」 「このくらいで快斗の石頭がどうにかなるもんですか。それとも、一度死んでその軽〜い脳味噌が少しでも落ち着けばいいのよ。今日だって女の子から手紙もらってデレデレしちゃってさ、みっともない」 ふんと、青子は横を向く。その横顔から快斗は言いたいことを察する。 快斗は大層もてた。もてない訳がなかった。その悪戯っ子のような表情を納めると端正な顔もプロ顔負けのマジックの技も、どれだけさぼっても優秀な頭脳も女性に優しい態度も明るい性格も。全てがもてる要因だった。内緒だが本当は幼なじみがとっても自慢の青子なのだ。 「お前、アホ子のくせに、焼いているのか?」 「冗談じゃないわよ、誰がバ快斗なんか!」 青子は赤くなって咄嗟に本を投げつけた。快斗は二度も殴られては堪らないと難なくそれを受け取めた。 「危ねえな………なんだ、これ?青子こんな本読むのか?」 「今、流行っているのよ、それでも。恵子に借りて読んだんだけど面白かったわ………快斗、それ読んでみたら?っていうか読むべきよ。それでその軽い頭やだらしない態度を改めるべき」 青子は快斗に向かってぴしり、と人差し指を向けた。 「………」 本のタイトルは『大恋愛のススメ』。 快斗は胡乱げにその本を見つめる。そして本から青子に視線を戻した。 「何よ、その目は!くだらないって顔して。本当に面白いんだから、騙されたと思って試しに読んでみればいいんだもん。快斗ならすぐに読み終わるでしょう?」 青子は唇を尖らせて訴える。 「まあな」 快斗は本を読む速度がとても早い。集中すればこのような内容量の薄い本など、即座に読み終わるだろう。 快斗はじゃあ本を借りる、と青子に請け負った。 『大恋愛をするための条件。 第一に恋愛体質というものを考察する。 1.持久力と情熱 恋をするには持久力が必用である。好きな相手がころころと変わり目移りする人間は小さな恋は遭遇しても大恋愛には至らない可能性が高い。 大恋愛に発展させるには、その恋にかける情熱が必用不可欠だ。 持久力とそれにかける情熱。この情熱もあればいいというものではない。熱しやすく冷めやすい人間の情熱は大恋愛には向かない。恋多き人ではあるだろうが………。』 (まるで怪盗家業と同じだな。持久力と情熱なんて………) 『2.運命の相手に巡り会う。 この場合の運命の相手とは、生涯の相手の事ではない。生涯の相手になるかはその後の努力の賜物であるからだ。本人次第である。 運命の相手に出逢う確率は低い。とても低い。 出逢った人間が運命の相手だと思い込み(勘違い)する場合があるが、この違いを見極めるにはある程度の経験が必用だろう。初心者の場合は、これを判断できずに見逃す場合がある。が、初心者なのにわかる訳なかろうという意見もあるだろう。そう言った場合はひとまず、後込みしないで恋へ向けて全力投球してみることをお勧めする。 結果は後で付いてくる。がんばれ!』 (運命の相手ね、俺は逢ってるけどさ、間違いなく。どんなに確率が少なかろうが、思い込みの勘違いがあろうが、俺には忘れられないくらい衝撃的な出会いでさ………) 『生殖能力(種の保存) 子孫を残そうという性欲の時期はかなり恋愛のできる期間と重なり合う。恋愛は確かに精神の発現のものであるが、欲なしでは語れないからだ。恋愛において性欲が全くないという事はありえない。 絶対とはいえないが、ほぼ99.9%そうである。 神話における神様だって、ギリシャ神話であろうとケルト神話であろうと日本古来の神話であろうと中国の神であろうと、婚姻を結んで子孫を残しているのだ。 つまりは、そういうことである。 恋愛は綺麗事ではない。』 (確かに、お綺麗なものじゃねえよなあ。欲がない恋愛なんてお子さまのままごとだって。お子さまのままごとだって小さな独占欲くらいあるし。大人の恋愛の欲が、性欲だけに留まるものじゃ決してない、どろどろした欲望や醜い感情があるのが普通だ………) 『運命の相手は一人でもない。 この意見に反論をする人は多いかもしれない。 が、例えば、若くして死んでしまう人間がいたとする。その人物には運命の相手が存在しないのか。もし、存在した場合、相手は運命の相手が若くしてこの世からいなくなってしまう。もう、大恋愛はできないのか。 例えば運命の相手に出逢っても見抜けず通り過ぎた場合、もう二度と巡り逢うことはないのか。 例えば大恋愛の場合、三角関係や四角関係、入り乱れた相関図なんてことになる場合もある。この場合は誰と誰が大恋愛に当たるのか。 不幸でも運命の相手である事があるのだから、偏に括れない。 つまり運命の相手は複数存在すると考える。 この現在の地球上で考えるなら、最低5人くらいいるのではないか。それは決して多い訳ではない。5人いたとしても出逢わない人間の方が多いのだから。1人でも出会えればかなり奇跡的だ。幸運だ。』 (運命の相手が一人じゃないって?でも、一人でも逢えたら幸運だっていうんだろ?それはわかるさ。逢った瞬間世界が変わる) 『話を戻すが、運命の相手に出逢う確率が低いということは、それを引き当てる運が必用だということだ。運がよい人間はめでたくその人物に遭遇することができる。 しかし、そこで通り過ぎてしまえば意味がない。 引き寄せて離さないように努力しなければならない。 これぞ、と思ったらまず行動してみよう。物語はそこから始まる。』 (俺の引き当てる運は相当だぜ。確率の悪い勝負だって負けたことがない。昔から強運の持ち主だったんだ) 『4.引力。 運命の相手とは引力が存在する。引き合う力だある。 離れようとしても、出逢ってしまう。それは紛れもない引力が働いている。そんな人間に出逢ったら、様子を見てみよう。かなりの確率で運命の相手だ。 運命の相手でなくても、その人物は貴方にとって大切な人間になるだろう。 なにせそれほどの引力があるのだから、この先もずっと長い付き合いになるに違いない。』 (正しく引力以外の何者でもなかったな………相手がどう思っているかは不明だけどさ。長い付き合いにしたいけど) 『5.魅力。(自身の魅力) 貴方の魅力。当然ながら魅力がある人間には人が集まるから、運命の人間に出逢う確率は高くなる。それに運命の人間に気に留めてもらえやすい。 自覚のある人間はよくわかっている。どうすれば、人が寄ってくるか。余計な人間を寄せ付けないか。 自覚のない人間は、困ったことにわかっていない。 まあ、自覚はなくても魅力に溢れていれば人は集まる。集まるのだが、どう対処していいか全く不得手だ。人が上手く交通整理されないと折角の運命の相手にも出逢いにくい。 それは、人も車も同じだ。 交通整理されていれば、出逢いやすい。スピードにも乗れる。邪魔者も存在しない。が、混雑し渋滞していれば、行きたい場所にも行けない、時間がかかる。』 (渋滞し過ぎだろ、あいつの周りは………少しは自覚してくれればいいんだけど。仕方ないから、渋滞のない夜中に行ってるけどな、時々) 怪盗KIDである自分が探偵である彼の屋敷をわざわざ訪れる度に、呆れた顔で暇人だと悪態を付かれる。それでも快斗はめげない。 彼はKIDの現場にあまり来てくれない上に、現場にはKIDの邪魔が多すぎた。だから自分は誰にも邪魔されない深夜の工藤邸を訪れる。 快斗が引力のように心惹かれている探偵は残念ながら快斗のものではない。自身の魅力に無頓着甚しく綺麗な瞳が印象的で性別の枠を越えた美人だった。それ故彼に惹かれる人間は後を絶たない。その結果、交通整理されない渋滞のまっただ中にいる。しかし、彼はそういった事を気にしない質なので自分の周りが渋滞していることに全く気づいていない。 昔からその瞳で人を惹き付けて来ただろうと推測されるから、きっとそういうものだと思っているに違いない。余り気に留めていないようだ。 が、彼が愛する謎と読書の邪魔する人間は足げにする無情さも持ち合わせていたが………。 生憎快斗も諦める気がないので、探偵が鬱陶しそうに迎えても懲りずに通っていた。 怪盗であるのに、警察に通報しない分だけは探偵に受け入れられていると自負できるというものだ。 快斗は本を持ったままベッドの上にごろんと寝ころんだ。 <心理学的確率論> 『1.好意の相互性。 人から好意を示されればその人に好意を抱くようになる。単純に誉められれば人を好きになる。これの一番有力な方法は最初に貶して次第に誉める事だ。相手から最も好かれる可能性が高い。 最初の出会いは最悪で、逢う度に喧嘩を繰り返しながらも良い部分を知り見直し、日々深まる愛情。そして紆余曲の末のハッピーエンド。 ドラマでもよくお目見えする、あれである。』 (ドラマで本当によくあるパターンだな。恋愛をメインに扱うドラマの場合最初から上手くいってはドラマにならないから………大抵、最初は嫌う。それか片思い。で、友人知人相互入り乱れてハッピーエンドだ) 『2.ロミオとジュリエット効果。 恋愛において障害によって恋愛感情が一層増してしまう現象。 障害があるほど燃え上がる恋心。 親に反対され、逢うことが叶わない。 身分違いの恋。(今時あまり見かけないが、昔はよくあった。ハーレクイン等) 駆け落ちという行動に出やすい。何ものも捨てて相手だけと生きて行く。まさに大恋愛らしい筋書きである。 パワーも持久力も必用であるから、駆け落ちして長年続きくのならかなり大恋愛に近いだろう。精神的、経済的に大変で苦労は絶対であるだろうから。』 (障害ねえ、障害如き越えられなければ男じゃないと思うけど?障害のせいで燃え上がる恋は本来の気持ちとずれてるんじゃないのか?あいつのいう真実とは別物だと思うな) 『3.単純接触効果。 ある物事や人に繰り返し接触するとその対象に対する好意度が増すとい現象。ザイオンスの研究でお互いが単に接触するだけでも好意を持ちえるという証明がされている。 触れ合う確率の高い人物、毎日顔をあわせる人物。職場恋愛、幼なじみ等。 大恋愛には発展しにくい関係である。 穏やかな愛を育むには良いかもしれない。』 (ははは、幼なじみねえ。近くにいる程好意は持ちやすいってか。まあ、近くにいればそれだけ互いの事がわかるから、あながち間違いじゃないよな。………あいつにも可愛い幼なじみがいたよな) 『5.対人魅力。 人は自分に似ている人ほど魅力的であると感じる。よく似たもの夫婦と言われるが、生活する中で似てきた部分もあるが最初から似ていた部分も多いといえるだろう。恋人でもつきあい始めでありながら、趣味や性格が似ている者がいる。』 (似ている人間を好きになる………?そうとは言い切れないと思うけどな。好きになる奴もいると思うけど、それだけじゃ好きにならねえだろ。同族嫌悪って言葉があるくらいだし、似ていると駄目って場合もあるだろう。相手のことがわかるから好きになる訳じゃない。理解できれば嬉しいし、理解したい。でも、所詮他人だ………わかる訳ないんだ、本当のことなんて) それでも、あの瞳だけは裏切らない。 人間なんて嘘を付く生き物だ。 互いを分かり合えることだって実は幻想かもしれない。 自分だって犯罪を侵している。それを隠して暮らしている。青子や中森のおじさんを騙している。罪悪感がない訳じゃない。いくら親父の敵を打つとはいえ、誉められた事じゃない。そんなのは言い訳にならない。 殺された尊敬する父親。 父親が何のためにパンドラを探していたのか、なぜKIDをしていたのか。その謎は永遠に自分にはわからない。答えなんて見つからない。 あんな組織になんて渡さないで、パンドラを見つけて砕くと決めた。 二度と同じ事を繰り返さないために。 永遠なんて人間が望んでいいものじゃない。永遠が手には入ってもいいことなんてないのに。なぜ、そんなものを望むのだろうか。自分には理解できない。 だから、快斗は探偵の瞳が好きだった。 彼の瞳だけは絶対に真実から反らされないから。嘘を見抜く瞳はまるで研ぎ澄まされた剣のようだ。生半可な腕では一刀両断されて敵わない。 焦がれている。 その身が焼けるように、焦がれている。 心の根底から奥底から、切望する。 空より海より澄んだ、地球の色をした蒼い蒼い瞳を。 快斗は頭の後ろで腕を組んで目を閉じた。 瞼の奥に浮かぶのは、蒼。 |