「大恋愛のススメ」1



 『最初に、ひとつ言っておきたい事がある。それは誰にでも大恋愛ができるという訳ではないことだ。こればかりはその人物の人間性や感受性などある一定の条件が必要だ。ただ、恋愛とはある意味思い込みの産物であるから、これが大恋愛なのだ、と本人が思えば「大恋愛」であることは、間違いではない………』



 (大恋愛も、普通の恋愛も思い込みの産物だろ………)


 『大恋愛をして結ばれたという話を聞いたことはあるだろうか。
 その時、貴方はどう思っただろうか。羨ましかったか、ねたましかっただろうか、それとも自分には無理だと諦めただろうか。興味ないと思っただろうか。
 人は皆、恋愛に憧れる。
 私はそんな低俗なものに興味がない、という人もいらっしゃるだろう。
 しかし、少し待って欲しい。たとえ貴方が恋愛とは関係のないところで静かに暮らすことを望んでも、誰とも全く逢わないでは暮らせない。人と出会うということはそれだけ分恋愛をする可能性を秘めているということであり、本人の意思など問題にされず恋愛の渦に巻き込まれるということがある』

 

 (皆が皆、恋愛に費やせる余力がある訳じゃねえよ………、渦に巻き込まれるなんてご免被る)

 
 『生きているということは、それだけで努力が必用だ。
 食事をしないと生存できない。
 眠らないと生きていけない。
 性欲は本能だ。
 生まれて死ぬまで誰とも関わらずに済む人間はいない。
 人は人を欲する』


 
 (一人で生きていけないくらい知っている。煩わしいから放っておいて欲しいがそうもいかないんだよな、困ったことに。人は人を欲するか?そうか?)

 
 『最初は親に与えられる愛。それを与えられない子供が増えているという事は大層残念だが、ここで問題にすべき事ではないので割愛する。
 そして、次は好きという感情に出逢う。淡い初恋もあるだろう。自分が好きな相手、好きだと告白された相手。恋愛に発展しなくても、好きだと思ったことはきっと誰もがある経験だ。
 貴方は、世界にたった一人でいる訳ではない。
 貴方は、一人で生きてきた訳ではない。

 人は、人との関わり合いの中で生きている。
 その中で、恋愛というものは生活を彩るエッセンスだ。恋愛をするために生きている訳ではないが、恋愛にかなりの時間とお金と力を傾ける恋愛至上主義な人間も存在する。
 そういった人間は、大概「恋愛は楽しい」という。恋をしないのは勿体ないという。こういった人間は恋愛の極意というか、プラス効果を知っている。

 人は恋をしていると綺麗になるという。
 一言でいうなら脳内ホルモン、エストロゲンのおかげだ。
 恋をするとドーパミンやセロトニンといった脳内伝達物質がたくさん出てくる。ドーパミンは幸福感を感じさせ、セロトニンは気持ちを明るくさせる働きがあるから、恋愛中は笑顔が増え当然周りに魅力的に映る。感情が豊かになると情動を司る視床下部も活発に働き初める。視床下部は女性ホルモンの分泌を司る中枢でもあるから、ここが活性化すれば女性ホルモンの分泌が増える女性ホルモンのエストロゲンは美容ホルモンでもあるから、そうすると肌のハリや輝きも変わってくる上ボディラインにも影響が少なくない。
 このように、恋をするわかりやすいメリットだ』






 「なんだよ、これは………」

 新一は最初のページをぱらぱらと読んでため息を付いた。
 学校で蘭に面白いから読んでごらんよ、と無理矢理押しつけられた本、「大恋愛のススメ」。何でも今ベストセラーになっているらしい。主に女性達が読んでいるらしい本は、いかにも世の夢見る女性が好みそうなタイトルだった。
 内容も、いかにもという感じだ。
 母親が好みそうだなと新一は思う。
 大恋愛だったのよ、と今でも母親は父親との出会いを息子に楽しそうに語るのだ。その昔世間は藤峰有希子の電撃結婚に衝撃を受けたらしい。新一は話しに聞くだけなので、何とも言い難い。所詮自分の母親であり、自分の顔は母親似だ。
 時々有希子ちゃんは綺麗だったよ、ファンだったんだ。今でもだけど、と言う父親くらいの年齢から上の爺さんまでもが熱く頬を染めて語る話を聞く度、新一は全くもって嬉しくない。
 新一は本を裏返して値段や帯にある著者を見る。
 こんな内容なのに、高々恋愛について書いてあるだけなのにハードカバーで1300円もするってのは、ぼってないか?
 こんなのに金払うくらいなら、他の本を読め。
 古典のミステリなら文庫で安価だから何冊も買えるし、よっぽど有意義だ。
 こんなんばっかり読んでいると馬鹿になるぞ。
 新一は内心愚痴る。
 しかし、新一が蘭に対してそんな暴言を吐ける訳がなかった。もし吐いたら彼女の得意技である脚蹴りが決まるだろう。
 新一は確実になるだろう予想に身震いする。
 読んだら感想聞かせてね、と可愛く言われたためさらっとでも読み終わらないとならないのだが、読み切る苦痛に新一は頭痛がしそうだった。
 それに、著者がなんと東都大学の文化人類学の教授だった。
 暇なのか?それとも小遣い稼ぎか?東都大も落ちたものだなと新一はため息を付きたくなる。将来は東都大学へ行こうかと思ったが絶対に文化人類学科へは入らないぞと堅く思う。
 新一は仕方がないので続きを読むことにした。
 



 
 『大恋愛をするための条件。

 2.運命の相手に巡り会う。
 この場合の運命の相手とは、生涯の相手の事ではない。生涯の相手になるかはその後の努力の賜物であるからだ。本人次第である。
 運命の相手に出逢う確率は低い。とても低い。
 出逢った人間が運命の相手だと思い込む(勘違いする)場合があるが、この違いを見極めるにはある程度の経験が必用だろう。初心者の場合は、これを判断できずに見逃す場合がある。が、初心者なのにわかる訳なかろうという意見もあるだろう。そう言った場合はひとまず、後込みしないで恋へ向けて全力投球してみることをお勧めする。
 結果は後で付いてくる。がんばれ!』

 

 (勝手な事ぬかすな!そうやって煽るのが悪い)

 
 『さて、確率の話になるがこの日本に人口は1億3千万存在する。そのうちの半分が例えば異性だとしよう。正確には男女比率は半々ではないのだが、この際わかりやすく半分とさせてもらえば、6千5百万人だ。これを世界に広げたら62億人、その半分で31億人。一番多いのは中国の12.8億。次いでインドの10億。日本は9位となれば、出逢う人間の少なさがわかるというものだ。そして寿命からいえば日本は恵まれている。平均寿命1位であり、80.7歳だ。長く生きればまあ様々な出会いがあるだろう。
 ただ、恋愛ができる年齢に絞ると当然ながら減る。赤ちゃんや子供や棺桶に片足を突っ込んだ老人を相手にして大恋愛はできないからだ。恋愛にはしっかりとした自我と体力が必用であるのだから。』



 (でも最近は小学生の子供に手を出す大人がいるからな………問題だ。いい大人が小学生に恋愛てより情欲を持つってのはどういう心境なんだ、犯罪だろ?)


 『それにこの世の中、異性ばかりではない。恋愛に同性を含める人間も多々あるのだから、実際問題恋愛ができるであろう地球上に存在する人間は相当な人数になるだろう。
 その中で運命の人間と出逢うという確率がいかに低いことか。
 赤い糸伝説、というものがある。
 赤い糸で繋がれている、と言う。
 本当に運命の相手と繋がっているのだろうか。そもそも赤い糸で繋がるという考えが全世界に通用する訳ではない。つまりは、生まれた時から運命の相手が決まっていてその人物に出逢うのだ、という安易な考えである。
 はっきり言おう、それは間違いだ。
 浅はかな考えだ。自分が出逢って選んだ人間が赤い糸の人間であり、幸せな内はいいがもし不幸になったら、間違えたのだという思考は自分勝手だ。
 第一、運命の人物との大恋愛が幸せだと誰が言ったか。
 運命の相手との出会いが、恋愛が不幸を招くこともあるだろう。』



 (赤い糸はいかにも女性が好みそうな話題だな、でもこいつ否定してやがる。女性がターゲットの本でいいのか?運命の相手との出会いは不幸も招くなんて言っていいのか?………単に女性に好まれそうな事を書いてるだけじゃないのか?わかんねえな)


 『話を戻すが、運命の相手に出逢う確率が低いということは、それを引き当てる運が必用だということだ。運がよい人間はめでたくその人物に遭遇することができる。
 しかし、そこで通り過ぎてしまえば意味がない。
 引き寄せて離さないように努力しなければならない。
 これぞ、と思ったらまず行動してみよう。物語はそこから始まる。

 4.引力。
 運命の相手とは引力が存在する。引き合う力がある。
 離れようとしても、出逢ってしまう。それは紛れもない引力が働いている。そんな人間に出逢ったら、様子を見てみよう。かなりの確率で運命の相手だ。
 運命の相手でなくても、その人物は貴方にとって大切な人間になるだろう。
 なにせそれほどの引力があるのだから、この先もずっと長い付き合いになるに違いない。』



 (それは引力ってよりも腐れ縁ってもんじゃないのか?何が運命の相手だ!)


 『5.魅力。(自身の魅力)
 貴方の魅力。当然ながら魅力がある人間には人が集まるから、運命の人間に出逢う確率は高くなる。それに運命の人間に気に留めてもらいやすい。
 自覚のある人間はよくわかっている。どうすれば、人が寄ってくるか。余計な人間を寄せ付けないでいられるか。
 自覚のない人間は、困ったことにわかっていない。
 まあ、自覚はなくても魅力に溢れていれば人は集まる。集まるのだが、どう対処していいか全く不得手だ。人が上手く交通整理されないと折角の運命の相手にも出逢いにくい。
 それは、人も車も同じだ。
 交通整理されていれば、出逢いやすい。スピードにも乗れる。邪魔者も存在しない。が、混雑し渋滞していれば、行きたい場所にも行けない、時間がかかる。』



 (人の交通整理ね。それが規則正しくされてれば、事件なんて起きないだろうな。人の恨み辛みは些細な事から始まるんだ………)


 新一は、先日現場で見た絡まり捲った人間関係を思い出す。結局嫉妬に狂った妻が主人を殺した。主人に恨みを持っていた人間がたまたま多数そこに存在したため嘘の証言で保身ばかり。簡単極まりない事件がわかりにくいものになっていた。


 「………工藤くん」
 「………灰原?」

 新一が突然名前を呼ばれて視線を上げると、そこには哀が立っていた。

 「また読書?私が来た事も気が付かないんですものね」

 哀は肩を竦めて、困った人ねと苦笑する。

 「悪い。でも、そんなに夢中になってた訳じゃねえぞ。意識は飛んでたかもしれないけどな」

 本ではなく、考え事の方で哀が来たことに気が付かなかった。ついつい事件に思いをはせると外界を切断する癖が新一にはある。

 「ふうん、そう。あ、これ、ありがとう」

 手にしていた本を新一に哀は差し出した。哀は工藤邸の蔵書から借りていた専門書を返しに来たのだ。

 「ああ、もういいのか?」
 「ええ。………貴方珍しいもの読んでるわね」

 哀はテーブルに広げられた本を見て目を丸くする。およそ新一が読みそうにない本だ。タイトルが「大恋愛のススメ」なのだから新一が手にしていると違和感がある。

 「蘭が読めって貸してくれた。ベストセラーなんだってな」
 「知っているわ。女の子の間では今流行ってるもの。恋愛に憧れるのよね」
 「歩美ちゃんとかモロに憧れる口だろ?」
 「吉田さんは、可愛いわよ」

 哀はにこりと笑う。そして新一が開いているページを覗き込んでふむと頷く。

 「それで、どう?この本の感想は?」
 「まだ、そこまでしか読んでない。………俺にはどうもなあ。蘭がそこの『大恋愛をするための条件』だけは読めって言ってたけど、何でだろうな?どこも同じようなもんだろ?」
 「………」

 哀は目を細めて新一を見ると、大きく肩を落とした。
 
 (何もわかっていないのね、工藤君。蘭さんが言いたかったのは、引力や魅力の事でしょう。魅力があるのに自覚がないなんて正に工藤君の事じゃない………。絶対もっと自覚を持って欲しいだけよ。ついでに少しでも周りに恋に目を向けて欲しいって願望でしょうね)
 
 工藤くんは鈍感だから、と哀はしみじみと思う。

 「少しはどこか共感でもした?」

 恋愛感情に疎い新一に、哀は一応そう聞いてみた。

 「別に………あ、でもこの著者『赤い糸』を否定してたな。こういう本は否定なんてしないと思ってたから驚いた。運命の相手が幸福だとは限らず不幸も招くって言うし。それは女性としてはどうなんだ?嫌じゃないのか?」
 「………私に聞くのは間違っていると思うけど、まあ、別にいいんじゃない?赤い糸なんてなくて。誰を選んでも、何を自分の意志で選択しても、全て運命の一言で片付けられるなんてまっぴらだし、馬鹿げているわ」
 「そうだよな、お前ならそう言うと思った」

 とても哀らしい返答に新一は笑う。
 運命なんて、信じやしない。
 自分で選択したものが運命のせいにされては堪らない。

 「それに、全てハッピーエンドなんてご都合主義の小説だけの世界だけよ。童話の中ではお姫様と王子様は末永く幸せに暮らしましたって終わるけど、そんなことある訳ないじゃない。幻想よ」
 「ああ」

 淡い夢も甘さもない現実的な台詞が大層哀らしい。
 彼女が生きてきた世界は、夢や希望は存在しなかった。とてもリアリストな彼女は彼女らしいけれど、今は普通の生活をしているのだから少しだけ夢見てもいいのに、と新一は思う。きっと親代わりの博士もそう思うに違いない。

 「シンデレラがお后になって幸せに暮らせるかしら?きっと王宮では身分の低いものは見下げられたでしょうね。王子が平民からお后を迎えて歓迎される訳ないじゃない。ああいう時代は国の平和や戦略のために婚儀が行われたのに」

 が、哀はどこまでも現実しか見ていない。
 俺より、こいつに何か夢見られるものを読ませろと心中新一は思う。論理的な意見で大層共感できるが、果たしてこのままでいいのだろうか。もっと普通の女の子が感じる幸せってものを味わって欲しいと博士も新一も常々願っている。
 哀が手放した些細な幸せを取り戻せたら、どんなにいいだろう。奪った組織が今でも恨めしい。哀のような人間が今後増えないといい。組織のためだけに生きる人間は悲しいから。

 「………役立つとは思えないけど、お前も今度これをちゃんと読んでみろよ」
 「時間があったらね」

 哀は新一の気づかいににこりと笑う。
 自分のあまりにもドライな発言に新一が心配しているのだろうと察する。
 
 (運命なんて信じてないけど、私、今ある出会いだけは感謝しているわ。そして絶対に離さない)
 
 家族のように慈しんでくれる博士と光を与えてくれる新一と、今まで知らなかった純粋な思いを教えてくれる少年探偵団の皆。
 哀の大切な大切な宝物だ。

 だから、本当は新一が心配する必用などないほど哀は幸せだった。
 





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