新一の体調は風邪気味で思わしくなかった。 哀に微熱ねと言われ睡眠は取るようにしていたのだが、精神的に辛かったのだ。快斗が調べてくれたクロウは殺人のプロだった。 自分は、どうしたらいいだろうか。 快斗に話したけれど、本当は自分の問題だとわかっている。一人じゃないと言ってくれることは嬉しいが、自分のせいで周りの人間に迷惑を掛けている。それも最悪命の危険だ。ごめんで済む問題ではない。 思い悩んでいる新一に一通のカードが再び届いた。 今度は薔薇は薔薇でも深紅ではない。もっと、黒に近い色だ。赤は赤だが、黒色が強い。その薔薇の花びらの中にクロウからのカード。 日時と場所の指定。 場所は前回と同じビルの屋上だ。人通りのない寂れたビル。 時刻は深夜。11時半。 指定日は、今日。 呼び出しを無視などできるはずがない。行く。それは当然だ。 だが。快斗に言わないで出ていけば、また心配をかける。でも。これは、自分一人の呼び出しなのだ。 新一は、迷っていた。 結局、その日快斗は来なかったため、新一はなにもいわずに指定された場所に向かった。 時刻ぴったりに、クロウは暗闇から姿を現した。 「いいな。ずいぶん、苦しそうな顔だ」 新一の顔を見てクロウは嬉しそうに目を細める。 思い詰めた顔をしていると自覚がある。これ以上、周りの人間に危害を加えないで欲しい。 「もう俺の周りばかり狙わなくてもいいだろう?十分苦しめたはずだ。そろそろ、俺本人を苦しめればいいだろう?」 新一は叫ぶ。 「つまらないだろ?そんなの」 「……俺を刺せばいい。俺を殺せばいいだろ?」 それがクロウの最終目的ではないのか。 「おまえは、自分より人が傷付いた方が絶対に堪える。止める訳にはいかないな」 「……」 その通りだった。 誰かが、自分の大切な人が傷つくことが怖い。 それが自分のせいだなんて、耐えられない。 「今度は、誰がいい?お遊びは終わりにしよう。そうだな、隣のお嬢さんを殺そうか?」 「……やめろ!」 冗談ではなかった。 新一は絶叫する。 「いいな。その顔。絶望に染まっていて」 ぞくぞくする。 クロウは新一との距離を縮めようと足を踏み出す。が、足下にカードが刺さった。 「それ以上、近づかないでもらえますか?」 鋭い声が響く。 「KIDか」 クロウは、低く呟く。まるでいることに不思議などないように。 「KID?」 新一は驚いていた。 なぜ、こんなところに?KIDが? 「お誘いをいただきまして。クロウから」 歌うような軽やかさで優雅に一礼するKIDに、クロウはふんと鼻を鳴らした。 「はん。俺に挑戦状を叩きつけた人間だからな。呼んでやったのさ」 どういうことなのか。挑戦状を出した?KIDがクロウに? 自分が知らない間に、いつの間にか二人の間で話が進んでいる。 新一を挟んで二人は睨みあう。距離はかなりあるが、剣呑な雰囲気を漂わせていることはわかる。 「それにしても、クロウがこんなところで遊んでいるなんて不思議ですね」 「ああ?てめえこそ、役者不足だ。仕方なく呼んでやったがな」 なんで、嫌みの応酬をしているのだろう。二人で。 新一は信じ難かった。 「そうだな。こいつから殺してやろうか?」 ふと悪戯心出した子供のような顔でクロウが新一に聞いた。 「探偵と怪盗は随分親しいみたいじゃないか。……人は殺さないという偽善者だ。つまらない相手だが、死んだら泣いてみるか?」 「……なっ、やめろ!」 矛先がKIDに向かってしまって、新一は叫ぶ。 KIDが死んだら泣くかだって?そんなことのために、殺す? 「誰が泣くかっ!」 その声はとても本心とは思えない悲壮さがにじみ出ていて、クロウは人の悪い笑みを浮かべた。クロウがKIDを殺す気になったことを読みとって新一はぎゅと唇を噛みしめた。 「俺を苦しめるために、他人を傷つけるなんて、これ以上許さない……!そんなに俺を苦しめたいなら、おまえがそれをしないなら、俺が自分でしてやるよ。そうすれば、満足だろ?」 新一は上着のポケットからナイフを取り出した。 柄から取り出した鋭利なナイフはきらりと月光に当たり銀色に輝く。細身だが殺傷能力は十分あるだろう。 新一はナイフを握って、ぐっと奥歯を噛みしめた。右手で握っているナイフの刃を己の左手首に当てる。 「新一……!」 KIDが叫ぶ。すぐ側に飛んでこようとするのを新一は睨んで止めた。 「そこを動くな!KID」 「そんな、なんで」 見過ごすことなどできるはずがない。混乱した声音でKIDは新一を呼んだ。 新一は真っ直ぐにクロウを睨みあげる。そして、ナイフを手首に滑らせる。すっぱりと切れた手首からみるみる間に鮮血があふれてくる。ぽた、ぽた、と腕を伝って屋上のコンクリの上に落ちる。 赤い血だまりができていく。 その光景をクロウは、息を飲んで見ていた。 まさか、新一が自分にナイフを向けるとは思わなかったのだ。他人を傷つけないために、自分を傷つける。それは、新一らしいといえば、かなりらしい。見ている人間にしてみれば、たまったものではないが。 「俺が死ねば、それで終わりだろ?おまえの報復なのか復讐なのか知らないが、憎しみは終わりだ」 血を流しているとは思えない冷静な眼差しで、新一はきっぱりと告げる。その間、クロウから目を反らせることはない。真剣で嘘偽りない新一の瞳は澄んだままだ。 憎しみは、自分が消えて終わりだ。そう新一は瞳で語っていた。 そのまま新一はナイフを胸に突き刺した。だが、突き刺そうとした瞬間KIDのカードが新一の腕を掠め新一はナイフを落とした。そのKIDと同時にクロウも自身のナイフを投げている。新一が己を刺し殺さぬように、腕を狙って。 「新一……!」 KIDは新一の元まで飛んだ。もう新一の命令など聞いていられない。このままでは新一は死んでしまう可能性が高い。心臓を突くことは止められたが、手首からは止めどなく血が流れている。ふつうの人間にとっても手首から大量の血を流したら命の危険だ。まして新一では、考えたくもない。 絶対に死なせない。 「新一、新一、新一」 KIDは止血するためにひもなどを取り出して腕に結びハンカチを手首に巻く。 出血のため、新一はぐったりとKIDに寄りかかり、「ごめん」と謝ってから意識を失った。 自分が血に染まることなど躊躇もせず腕に新一を抱きしめて、KIDはクロウを睨んだ。冷たい、憎悪が混じった瞳は、他の人間が見たら恐怖で凍り付くほどだ。怪盗紳士がする表情では決してない。ぞっとする眼差しで見られてもクロウは無表情だ。 「おまえは全然わかっていない。新一が、名探偵が、こうして生きているだけで奇跡だというのに。ただでさえ、自分より他人の命を大事にして、自分の命を投げ出す人なのに。何の目的なのか知らないが、おまえの憎悪など片腹痛い。所詮自己満足でしかない、八つ当たりだろ?それに、おまえのは可愛さ余って憎さ百倍の原理だ。新一には手を出さない上、命は守ろうとすることから、ばればれだ。……出直して来い」 「……」 「まあ、今度俺の前に現れたら、俺が殺してやるさ」 人は殺さないというKIDが人殺しを宣言する。その心の闇の深さを伺うことができるだろう。 KIDは新一を抱きしめて一刻も早く連れて行こうと空に飛び立った。 それをクロウが手出しもせず見送る。 「好き放題言ってくれる」 月だけが見つめる闇の中、クロウ呟いた。 |