「歪んだ螺旋 7」




 


 偶然とは思えない。
 蘭の怪我は車がつっこんで来たから。運動神経のいい蘭だからこそ、足を挫くだけの軽傷で済んだ。
 博士がかすり傷を負ったのは、子供が飛び出してきたため。それを避けようとしてガードレールに激突。幸い、子供も無傷、博士も軽傷だ。
 父親は、ホテルで偶然立てこもり犯にぶち当たった。自分の父親だ。怪我はない。父親に関して言えば、事件体質なのだ、偶然と言えないこともない。が、時期が、最近だということがネックだ。
 この一連の事件が始まったのが二ヶ月前くらいだ。
 「C」の被害者がちょうど二ヶ月前。クロウがどういうつもりか、行動に移した時期とかぶる。
 
 『平然としているのも今のうちだ。もっとその目を苦痛にゆがませてやるさ。待っていろ』とクロウは言った。
 これも、クロウがやったことなのか。本人が実行犯なのか、指示しただけなのかは定かではないが、クロウの意志が働いていると思える。そうでなくて、これほど連続して自分のまわりの人間が不幸に見回れないだろう。
 新一は困った。
 クロウの仕業ではないかとは思っても、それを証明するものはなにもない。彼がそのような事をほのめかしただけなのだ。
 殺人事件にしても、彼はほのめかしただけだ。自分を人殺しと言ったがそれだけだ。新聞にも公表されていない被害者に刻まれた赤い痕をつなげると「crow」になることを知っていて、自分にカードを送って示唆したことくらいしか証拠となるものはない。
 重要参考人として連れていってもいいが、仮の名前クロウしか新一は知らない。
 どこの誰なのか、今どこにいるのか。さっぱりわからない。
 これでは、警察にいいようがない。人相も月明かりの中でしか確認できていないし。
 悠長に考えている時間はあまりない。今のところ、幸いに皆軽傷で済んでいるがいつ、命にかかわるかわからないのだから。それとも、じわじわといたぶるためにまだ手加減しているのだろうか。
 
 
 
 そんな心の内を読んだとも思えないが、クロウは再び新一の前に現れた。
 今度は夕暮れ時だ。
 新一が本屋によって、帰途に付いている途中でクロウがふらりと横道から現れた。ちょうど人通りが途切れる場所だ。二人以外誰もいない。
 黄昏時らしく、人相も見難い。
 
「……どうだ?少しは堪えたか?」
「やっぱり、おまえの仕業か?」
 クロウの言い様に、やっぱり新一の親しい人間ばかり不幸に見回れた原因はこいつなのだと思った。
 新一を困らせるために。それだけのために。
 ぎゅうと唇を噛み、クロウを鋭く睨んだ。
「睨むしかないのか?睨んでもなんにもならない」
「なんで、こんなことをする?俺を憎いなら、俺にすればいい」
 何かしたいなら自分にすればいい。理由はわからないけれど、憎んでいるなら自分に仕返しすればいい。その方が気分も普通は満足するのではないか。
 誰かに憎まれることは嬉しくないが、探偵なんてしていると、そうも言っていられない。恨まれたり、憎まれたり、嫌われたり。あることだ。
「は?おまえにしても意味はないだろう?」
 呆れた声音でクロウが少し肩をすくめた。
「なぜ?」
 新一の方が驚きだ。
「おまえの場合。自分にされることは大して堪えない。平然とした顔で我慢して終わりだ。でも、自分以外の親しい人間が傷つけられたら、ひどく堪えるだろう?なにもできない自分が歯がゆいだろう?やめてくれって思うだろ?俺はおまえの顔が酷く歪むのがみたいんだ」
 くつくつとクロウは笑う。
「……そんなことして、何になる?本当の目的は何だ?」
 新一は叫んだ。
 本当に、自分を苦しめるだめだけにすべてを仕組んでいるのか?それほどにクロウの闇は深いのか?俺はいったい、彼になにをした?
「まだ足りないな」
 だが、クロウはふんと鼻を鳴らす。
「ずいぶん堪えているが、まだまだだな。感情的に叫ぶのはいいが……」
 自分の反応が足りない?クロウはそう言いたいのか。新一はどう返答していいか困った。
「もっと、その目を絶望に染めてやるよ」
 
 そう言ってクロウは消えた。
 
 
 
 新一が思い悩んでいると、とんでもない知らせが飛び込んで来た。
 哀が襲われかけたのだ。
 急いで隣家へと走り、哀の顔を見て新一は安堵の息を吐いた。
 無事だった。
「なんて顔してるのよ」
 哀の方が新一の顔色の悪さに心配するほどだった。
「襲われたって聞いて。大丈夫だったのか?」
「この通り」
 ひらひらと手を軽く振ってみせる哀だ。どこにも怪我の痕はない。
「よかった……」
 新一は哀が座っている向かいの椅子に腰を下ろした。力が抜ける。
「でも、どうしたんだ?」
「そうねえ。少年探偵団の皆と歩いていたのよ。そうしたら、人相のいかにも悪そうな男達に囲まれて誘拐されるか、それとも口封じかと思ったんだけど。いくら組織をぶち壊したとはいっても、下っ端まではわからないし、どこに私の情報があるとも知れないから気を付けていたんだけど。まさか、日中にやってくるとは思わなかったのよ。でも、うちの探偵団は優秀だから。皆大声で叫んだわよ。『助けて!変態!誘拐犯!』って。探偵バッチを手にして、音も鳴らしたし。子供とも思えない反抗に、男たちは慌てて去っていったわ」
「……」
 さすが、少年探偵団と誉めればいいのだろうか。いろいろな経験を積んで来ただけのことはある。子供なら叫ぶのが最良の方法だ。
 探偵バッチも博士の研究の成果で機能が増えているし。
「それは、組織の人間だと思うか?」
 組織の人間なら、対応策を練らなければならない。また同じように襲われるかもしれない。正体がばれたら、どうにかしなくてはならない。
 だが、これがクロウの仕業なら。どうにかしなくてはいけないのは自分だけだ。
「……どうかしら。あわてて逃げたから、プロとは思えないし。本当に組織なら、あんな馬鹿な方法は取らないわ。誰にも見られず、さっさと殺されておしまいだもの」
 その通りだ。
 組織の人間なら、プロだ。
 甘いことなど言っていられない。
 クロウの顔が思い浮かんだ。あいつは、俺が苦しんでいると知って楽しそうに笑っていることだろう。
 叫び出したくなる気持ちを堪えて、拳をぎゅうと握る。爪が食い込むほど強く。
 哀は、自分のせいで、襲われて怖い目にあっている。
 悪い。本当に、悪い。
 だが、ここで下手に謝ったらいろいろばれるだろう。
 新一は哀に気をつけろよ言うに留めた。
 
 
 
 それから数日後。
 授業が終わり帰途に付く最中も新一は悶々と考えていた。
 また、何か起こるのだろうか。
 だが、それを警察に言う訳にもいかない。
 クロウという殺人犯かもしれない男が自分の周りの人間を狙っていると思うので、護衛して下さい?証拠もないのに?
 周りの人間って、どこまでだ?護衛と簡単に言うが、警察にお願いすることも難しい。なぜなら、すべて新一しか知らないことだからだ。クロウと名乗る人間と会ったのも自分だけ。自分がやったとほのめかしただけ。
 
「新一!」
 新一はぼんやりとしていると自分を呼ぶ声がした。声には聞き覚えがありすぎる。快斗だ。
「……快斗?」
 新一は背後を振り向いた。
 快斗が手を振っている。まだ、距離があるけれど、いち早く自分を見つけたらしい。
 とても快斗らしくて新一は小さく笑った。
 だが、その時。快斗の背後から車がすごいスピードで走って来た。こんな道で走るスピードではない。危ない。そんなことを思っていると、車は快斗に向かっていった。
「快斗……!」
 新一は目を見開いて悲鳴を上げた。
 新一の見ている前で快斗が車に引かれそうになっている。新一を走った。
 一方快斗は背後から迫る車に気付いて、持ち前の反射神経を最大限に活用した。ひらりと飛び上がり、人様の家の塀の上に飛び乗って車が衝突しても被害のない場所まで移動する。
 さすが、怪盗KIDである。
 車はそのまま猛スピードで通り過ぎていった。
 それを見送って快斗は、これまたひらりと地面に飛び降りる。そこに新一が走り寄った。
「快斗?怪我は?」
「ないよ。ほら」
 新一も快斗が軽くかわしているところは目撃したが、それでも心配だった。今まさに車に狙われていたのだから。
「……よかった。快斗、快斗、快斗」
 新一は感極まったように、快斗にぎゅうと抱きついた。よかった。本当に、無事でよかった。
「新一?どうした?」
 快斗としては自分が車如きに引かれるような鈍い人間でないと自覚があるし、KIDであると新一は知っているはずなのに、ずいぶん反応が顕著で驚きだ。
「……」
 新一は、ふと口を閉ざす。そして逡巡するように瞳を揺らしてやがて諦めたように吐息を吐いた。
「帰ってから話す。聞いてくれるか?」
「ああ」
 快斗は何事が起こったのだと理解した。
 
 
 
「実はな、快斗」
 落ち着くため、お茶だけいれて一口飲んでから新一は話し出した。
 殺人事件から始まって、「crow」のカードが来てビルの屋上であったこと。その後、蘭、阿笠博士、父親の身が危なかったこと。新一の反応を確かめようと、ひょっこりと顔を出したクロウのこと。その後哀が襲われそうになり、快斗が車に引かれそうになったこと。包み隠さず、すべて話した。
 前回のストーカーの件があるため、二度と隠すことはできない。それは快斗を裏切ることだ。信頼を裏切ることだ。
 自分は憎まれて、恨まれているようだと正直に話した。
 自分ではなく自分の周りをターゲットにしていること。その方が自分が堪えるからと。嬉しくないが、的を得ている。
 目の前で快斗が危ない目にあった瞬間、どうしようかと思った。怖かった。
 そんな自分の感情もなにもかも快斗には話した。強がっても意味はないから。
 快斗はそれを黙って聞いた後で、新一の頭をよしよしと撫でた。がんばったな、話してくれてありがとう、とまるで言われているようで新一は安心した。
 快斗の手は、新一を癒す。怖くてこわばっていた身体から自然と力が抜けて、ソファにぐったりと身体を預ける新一の隣で快斗は優しい瞳で見守っていた。
「俺、ちょっと調べてみるよ。クロウについて」
 そして、落ち着いた声で、そう言った。
「クロウについて?」
「ああ。敵を知らないでは、なにもできないだろ?新一だっていろいろ調べるのはお手の物かもしれないが、たぶん、これは俺の方が得意な分野だから」
 組織と戦った新一はパソコンを使ってハッキンクをかけることなど朝飯前だ。現在は健康のため、それに勤しむことは禁じられているが。早寝が義務付けられていては、パソコンで調べものもできない。
「わかった」
 快斗を信じている。だから、新一はそう言うことができた。
 
 
 
 
 それから、数日後。
 快斗がクロウについて報告してくれた。

「まず「crow」というのは通称であり、この世界での呼び名だ。殺し屋というより何でも屋?得意な獲物はナイフらしい。金を払うなら、何でもする。殺しも、運び屋も、なんでもだ。その世界では「crow」は重宝されるから、彼に依頼するには大金が必要になる。ただ、「crow」という名は、ずいぶん前から聞かれていて、新一が言ったみたいな三十手前という年齢にはあわない。どうやら代替わりしたらしいと噂が出たらしいが、本当らしいな」
「代替わり……。その世界でもあるのか?」
 犯罪を生業とする世界で、代替わり。それは世襲なのか。血のつながりなどないのか。
「うーん。一匹狼もいるし。犯罪集団もあるし。俺みたいに、後を継ぐこともある。法則はないと思うよ」
「……そっか」
 KIDは父親の後を継いだ。誰も知らないけれど。
「基本的に、性別年齢容姿は不詳だから。依頼人だけが本人にあうだけ。もちろん他言無用だから、そうそうばれることもない。ばらしたら、自分が殺されるしな」
 そういう世界なのだ。
 なのに、なぜ、クロウは自分の前に姿を現したのだろうか。KIDのように変装の名人でもないのに。
「crowとはカラスのことだ。金になれば何でもする性質から『carrion crow』(死肉を食べるカラス)と蔑まれることもあるらしい。不吉な鳥、真っ黒な鳥、カラス。だが、反面恐れられている。成功率高いからな。自分が標的になれば、待っているのは死だ」
 新一は思い出す。鋭利なナイフで刺された遺体は、心臓を一突きだったと。それまでは、プロなのかどうかわからなかったが、最後は自分の力を見せつけていた。それまでは、遊び半分だったのかもしれない。
「活動の場はアメリカ、ヨーロッパ、アジア。依頼があればどこへでも行く。今回は、日本で滞在しているけれど。通常は、グレイ・フォスターと偽名を名乗ってるらしい」
「……そんなことまでよく調べられたな」
 すべて不明のクロウのはずだ。偽名までどうしたらわかるのか。
 新一は快斗を真っ直ぐに見つめた。無茶をしていないかと、探るような眼差しに快斗は苦笑する。
「大丈夫。俺の方が犯罪者は調べやすい。だって、俺はKIDだからな」
「そうだけど。あんまり無茶してくれるな」
「もちろん」
 微笑む快斗に新一は、本当に無茶してくれるなと心中で思った。
 
 
 
 
 
「フォスターさま。メッセージを預かっております」
 泊まっているホテルのフロントでクロウは呼び止められた。
「メッセージ?」
「はい。こちらです」
「ああ。ありがとう」
 受け取ったメッセージを呼んで、クロウは笑う。
「へえ。俺に喧嘩を売るか」
 グレイ・フォスターと偽名を名乗っているクロウは己に来たメッセージの送り主の名前を呟く。
「怪盗KIDね」
 現在この国で主に活動しているが、前は世界中が活動の場だった。だから、有名だ。
 殺しをしない。盗んだものを返す。変装の名人で声音も自由自在。その姿は闇夜に白く浮かびあがる白い鳥。自分とは正反対の白い鳥。
 義賊なんて、大嫌いな部類だ。
 汚いことに身を落とさなければ生きていけない人間を馬鹿にしているとしか思えない。
 是非とも値踏みしてやりたいねえ。
 クロウは人の悪い笑みを浮かべた。
 
 








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