「歪んだ螺旋 6」




 


 あれ以来、ストーカー被害は一切ない。
 電話も手紙も見張られている視線もなくなった。一体、快斗はなにをしたのかと疑問に思ったが、快斗が笑って「もう大丈夫だよ」と言ったので、それ以上聞けなかった。
 信頼しているから。すべて任せたのだから。
 新一は感謝して、今日はケーキをお土産に買ってきた。少し離れた場所にある美味しいと評判のケーキ屋のものだ。
 快斗の好きなショートケーキ。フルーツのタルト。洋なしのムース。アップルパイ。モンブラン。ショコラ。プリン、ババロア。たくさん買ってきたが、快斗ならぺろりと食べ尽くすだろう。間違いない。そこだけは自信がある。
 自分には無理だが、甘いものが大好きな快斗なら、平気だ。いつの間にか、アイスクリームも冷蔵庫にたんまり入っているし。
 
 久しぶりに、気分も朗らかにケーキを持って帰宅した。ポストで郵便物を取る行為もそれほどストレスを感じない。ひとまず、ストーカーからの手紙がなくなったからだ。
 新一はケーキを冷蔵庫に仕舞い、お茶を入れることにした。
 やはり、紅茶だろうか。珈琲でもいいとは思うが。
 快斗に感謝するために買ってきたから、とっておきのダージリンにするか。そのうちどうせ、来るだろうし。
 新一は薬缶を火にかけておいて、その間にネクタイをゆるめ上着を脱ぐ。そして、カップの用意をした。
 繊細な青いカップは持ち手にまで花が描かれている。有希子の趣味でそろっているティセットは食器棚にいくつもある。工藤邸の食器棚はとても大きい。気分によっ食器を変えることが可能なほど、様々な趣味の食器がそろっている。
 
 ピンポーン。
 
 快斗が来たのかと一瞬思ったが、あいつはベルなど慣らさない。宅配だろうか。
「はい」
 玄関にはカメラ設置されているから、来訪者を確認することができる。
「丸山宅配ですが、お届け物です」
 カメラの向こうで、ぺこりと頭を下げる制服姿の宅配員。
 新一は玄関まで向かって行き、扉を開けた。
「はい。こちらです」
 そういって渡されたのは、薔薇の花束だった。真っな血の色。深紅。
「これを?」
「ええ。工藤新一さんですよね?」
「ええ。そうです」
「間違いありません。こちらに、印鑑かサインを」
「……はい」
 新一は伝票に印鑑を押す。ありがとうございました、と頭を下げて宅配員は去っていった。残された新一は薔薇の花束を抱えて困ってしまった。
 誰からだろう。こんなことをする人間。
 困ったことに、こういったことをする人間は、存在した。父親の知人など、数えあげたら切りがない。
 母親である有希子がいれば、度々届けれれたので屋敷中花で埋まっていた。女優はすごい。
 新一は花束を覗き込んでみた。そこには、やはりカードがあった。
 それを抜いて、目の前にもってくると。
「crow」と書かれていた。それから日時が明記されていた。明日の夜11時。場所は、とあるビルの屋上。
 
 crow?何だそれは。単語の意味としては、カラスだ。
 だが、何か引っかかる。何だ?
「crow」つまり、CROW。ROWなら見覚えが有りすぎた。もしかして?
 新一は目暮警部に急いで電話した。
 
 
 
「なに、これ?」
 快斗は目の前に広がるケーキの群に嬉しい悲鳴を上げた。
「好きなだけ、食べろ」
 新一の口調は素っ気ない。
「いいの?」
「全部食べても問題ない。紅茶はダージリンだ。好きなだけ堪能しろ」
 命令口調だが、至れり尽くせりだ。快斗は新一を見て、にっこりと笑って、ありがとうと言った。
「別に」
 新一はぷいと横を向く。
「いただきます!」
「ああ」
 手をあわせて、快斗はフォークを手にし美味しそうなケーキを攻略することにした。
 ケーキを食べている快斗は、美味しい。美味しい。と繰り返し、その間フォークの止まることがない勢いで。まさに、狂喜乱舞だった。
 その様子を見て、新一は心中で満足していた。ケーキで感謝を表すのもなんだが、改まるとどうしていいか困るのでケーキくらいがちょうどいい。
 
 快斗の隣で新一は自分用に買ったチーズケーキを食べながら、快斗の胃に消えていく大量のケーキを見ていた。
 
 満腹と、お腹を叩いて至福の笑みを浮かべる快斗がソファにだらりと座る。
「もう、食べられない」
「そりゃ、そうだろう」
「夕飯も食べられない」
「当たり前だろ?これ以上入ったら、おまえの胃袋は弾けるな」
 新一は処置なしと、首を振る。
「でも、新一の夕飯は?俺用意だけしようか」
「いらん。自分一人の分くらい作れる。今日は麺でいい。あの食べっぷりを見ていたら俺まで満腹だ」
 げっそりとした顔で新一が小さく笑った。確かに、そのくらい凄まじい食べっぷりだったのだ。
「ごめん」
「謝ることか」
 新一は笑いをかみ殺しながら、座っていろと言ってキッチンに立った。
 簡単にうどんでいいだろうか。適当に具ものせて。
 新一がそんなことを考えながら、ねぎを切ろうと包丁を握ったところで携帯が鳴った。あわてて手を洗って拭き、携帯をに出る。
「はい」
 番号でわかっていたが、目暮警部だった。
 内容は新一がお願いしていたことだ。予想通りの結果だ。
「そうですか。ありがとうございます。……ええ、そう思います。では、失礼します」
 新一は、通話を切って、ふうと吐息を漏らした。
 つまり、あのカードは連続犯からのメッセージということになる。なぜ、自分に送られてくるのか、まったく理解できないが。それでも無視などできるはずがない。
「……事件?」
 誰からの電話か察した快斗がソファから顔を覗かせて新一を見ている。
「ああ。目暮警部。ちょっと今起こっている事件のこと。調べて欲しかったことがあったんだ」
「へー。そっか。無理しないでね」
「ああ」
 事件のことに関しては快斗も深くは聞いてこない。探偵の守秘義務があるからだ。警察の情報を漏らすことも新一はしない。自然聞かれても話せないことが多いから快斗もそういったことには触れない。
 
 
 
 
 とあるビルの屋上に夜11時。
 新一は犯人だろう人間の指定場所に赴いた。夜中の11時だから、すでに快斗は帰った後だ。快斗を8時くらいに見送って、新一は夜中ここまで来た。
 時間になると、一人の男が音もなく現れた。
 長身痩躯。無造作に伸ばした髪を首の後ろで一つに縛っている。月光の下では男が持つ色はわかりづらい。着ている服が夜目に紛れる黒であることくらいだ。闇に紛れているから、髪もたぶん黒に近い色だろう。
 年の頃は三十に届くくらいだろうか。
 
 この男が?
 四人を殺した犯人?
 
 そのはずであるのに、男からはそんな匂いがしなかった。
 新一はビル風に揺れる髪を押さえながら、男をじっと見た。
 
「趣向は気に入ったか?」
「……趣向?」
 口を開いた男の言葉を新一は瞬間理解できなかった。
「ああ。なかなか楽しかっただろ?」
「……!」
 まさか、そのためだけに。人を殺したのだろうか。大した理由もなく。
 四人を殺して、その身体にナイフで刻んだ。アルファベットで「crow」。カードに綴られていた「crow」。実は東都ではない場所で殺されていたせいで、こちらまで情報が入っていなかった。目暮警部に確認してもらったが、最初「C」の被害者がいたのだ。そこからは新一も遺体を確認している。印を続けて並べればCROW。
 読み方は、たぶん、クロウ?単純にカラスの意味だろう。
 新一は目の前で人を殺しておいて楽しそうに笑う男を睨んだ。男の言う通りなのだとしたら、男は「crow」という文字を示唆するためだけに殺人を犯したことになるのだ。
「いいな。その目。もっと睨んでみろよ」
「……」
 男は、くつくつと喉の奥で笑う。目は冷たいままで。
「なんだ?それだけなのか?」
 男は新一の極端な反応を待っているようだ。
「もっと憎悪にまみれた目で見て見ろよ?俺は人殺しだ。怖くはないか?」
 男は揶揄する。そして、新一をその目でぎらぎらと見た。冷たいのに、どこか感情のこもった目だ。憎しみだろうか。それとも嫌悪だろうか。
 
 なぜなのか、わからないが。俺は、彼に憎まれているのだろうか?
 会ったことはないはずだ。こんな印象的な男を忘れるこはない。それとも、知らない間に何かしたのだろうか。仕事のじゃまをしたとか。探偵なんてしているから、その可能性も捨てきれない。
 男は、自分をいたぶるつもりなのか。殺すつもりなのか?
 そういえば、この男は、誰なのか。カードをそのまま信じていいのか。それが名前なのか。
「おまえ、クロウ?」
「……、まあな。クロウと呼んでくれていいさ」
 男は一瞬迷ったようだが、肯定した。
 クロウ。確かにカラスのように真っ黒い。KIDとは正反対だ。

「平然としているのも今のうちだ。もっとその目を苦痛にゆがませてやるさ。待っていろ」
 クロウはそう呪いのような言葉を吐いて消えた。
 新一は、眉を寄せてクロウのいった言葉を反芻する。クロウはなにをするつもりなのだろう。
 
 
 
 
 翌日、遅刻することもなく登校して席に座っていると。
 蘭が痛々しい姿で登校してきた。
「蘭?」
「どうしたの、蘭!」
 新一と同時に園子も驚いて声を上げた。
 
「ああ。ドジっちゃった」
 ぺろりと舌を出して肩をすくめる蘭に、新一は眉をひそめて何があったのか話すように則す。
「昨日、道を歩いていたらね、車がつっこんできたのよ。それで、避けたつもりなんだけど、足だけちょっとぶつけちゃったの」
 蘭は軽く言った。だが、納得できない園子が叫ぶ。
「蘭じゃなかったら、大怪我じゃない!」
 その通りである。新一もそう思う。運動神経のいい蘭だから車がつっこんできても避けることができたが、普通の人間はあっという間に引かれる。大怪我だ。即刻救急車を呼ばれて入院だ。
「うーん、私としては十分に避けたつもりだったのよ。修行が足りないわ」
「修行って、蘭……」
 まったく堪えていない蘭に園子から力が抜ける。車と勝負なんてしなくていい。勝てる人間がいたら、そいつは人間じゃない。
 いくら空手部主将。都大会優勝者でも。そこらの男より強くても。
 園子はそんなことを心中で思いながら、蘭の足の怪我をじっくりと見る。
「歩けるの?平気?」
 多少、足をひきずって来た蘭。
「うん。挫いただけだもん。包帯巻いているけど、大げさなんだよ」
 挫くとは言っても、部活動はできないだろうし、日常生活において不便だろう。
「仕方ないなー。園子様が蘭の手足となって働いてあげるわ。今日くらい、家まで送っていってあげるから、怪我した時くらい遠慮しないでいよ」
 尊大に園子は言う。が、それは蘭の気持ちの負担を考えたからだ。
「ありがとう。園子。お願いするわ」
 だから蘭もにこりと笑って頷いた。
「ああ。新一君も使いなよ?」
 園子は新一も人数に数えていた。
「わかったって。できることくらい手伝う」
 新一は手を挙げて降参した。怪我をした蘭のフォローくらい幼なじみなのだから、するつもりだ。たとえ、園子に言われなくても。
「あら、新一も手伝ってくれるの?お願いねー」
 蘭もへらりと笑った。ああ、と新一も頷いた。以前ほどは親しくやりとりができなくても、自分の側は危険でも、このくらいの距離なら許されるだろう。
 
 
 
「検診日よ」
 哀が相変わらず仁王立ちで玄関に立っていた。
 今日はまっすぐ帰ってきたのに、どうしてこんなにお怒りなのだろう。
 俺はなにもしていないのに。機嫌が今一歩悪い哀をこれ以上刺激しないようにして、新一は隣家へと行った。

 隣家で白衣を着た哀に診察を受ける。
「ちょっと、あなた微熱ない?喉は?」
 新一の口を開けて覗き込み、喉が若干赤くなっていることを見てとると体温計を取り出して耳に当てる。
 熱は、耳で計るタイプの体温計だ。すぐにピピッツと音を立てる。この手の体温計は計測が早い。
「……37度3分」
 哀は体温計に表示された数字を読む。
 新一の平熱は、少し高い。
 様々な体験をしてから、体温は上がった。現在の平熱は36度8分だ。
 だが、少しだけの微熱でも新一にとっては見過ごすことはできない。
「風邪の引き始めかしら」
 哀は腕を組んでうなる。
「最近はご飯もまじめに食べているし、しっかり睡眠も取っているのに。あなた、何かした?」
「してないよ。灰原だって知っているだろ?俺が三食食べているのも、読みたい本を我慢して早く寝ているのも!」
 新一は訴えた。
 ただ、黙っていることはあるが。昨晩だけ夜中外出したのが、敏感に身体へ現れているとしたら、本当に無理の効かない身体だ。
 ただ、それ以外は哀に訴えたように新一は模範的な生活を送っている。
「そうよね。そのはずなのに。……とにかく、気を付けて」
「わかった」
 神妙に新一は頷いた。哀には反論などしても無駄だ。言うことは素直に聞いておいた方が絶対にいい。
「不整脈は今日はなかったわね。血液検査の結果は明後日。顔色は、いつも通り白いわねー。もうすこし赤みがあるといいんだけど」
 やっぱり栄養取らせないと駄目ねと、小さく呟く。
「……で、灰原。何で不機嫌だったんだ?」
 自分のことではないが、哀の気分がよろしくないことを新一はわかっている。こうして、哀が気分を出せる相手は限られている。阿笠博士と新一と快斗くらいなのものだ。少年探偵団にはかなり地は出せていても子供だという認識があるため、八つ当たりはしない。
「……博士よ」
 すねた声音で哀がぽつりと漏らした。
「博士?博士がどうしたんだ?」
「博士ったら、危ないのよ!もう年なんだから、やっぱりいろいろ考えないとだめね!糖尿病の傾向はあるし。健康面から言っても、危ないわ!」
 だんだんと怒りが沸いて来たのか、哀は大声で訴えた。
「博士が何かしたのか?危ないって?」
 今一歩要領を得ない哀の怒りに、新一は説明してくれと促した。
「今日、博士が車で出かけてね。何かの集まりらしいんだけど。それで、子供が車道に飛び出してきたんですって。それを避けようとしてハンドルを切ってガードレールに衝突。あわや子供を引くかってところだったの。幸い子供に怪我もなくて、博士も掠り傷で済んだわ。むち打ちにならなかっただけ、幸運ね。その代わり、車はへこんだから、レッカーで修理に持っていってもらったのよ」
「……怪我がなくて、なによりだな」
「ほんとよ!子供は飛び出すものだし。それを前提として運転もできないけど。注意だけはしていても、やっぱり反射神経が鈍ってきているのよ。年だから!」
 ひどい言いぐさである。哀からそんなことを言われていると知ったら阿笠はへこむに違いない。心配しているからこそ、口が悪くなるのだ。それがわかっているから、新一も苦笑するしかない。
 
 
 
 
 そして、目暮に出会ったクロウについて話した方がいいのかどうか悩んでいると……調べてもらった過程から、指し示すものがcrowであることは伝えてある。それ以後の報告はない……珍しく母親である有希子から電話がかかってきた。
『元気?新ちゃん』
 母親は、いつになってもちゃん付けで呼ぶ。どんなに言っても止めないのでそのままだ。
「ああ。元気だぜ?そっちはどうだよ。母さんは元気そうだけど」
『私は、元気よ。この通り。新ちゃんも元気そうでなによりね』
「ああ。規則正しい生活しているから。隣には主治医が目を光らせているし、毎日夕飯作りに来るもの好きはいるし。一人になる暇ない」
『そう。それならいいわ。楽しそうだし』
 くすくすと笑う母親の声が受話器から聞こえて来る。
「そういえば、父さんは、相変わらす編集者に追われているのか?」
『優作?ちゃんと締切を守ったわよ。珍しいでしょ?』
「それは、珍しい。どうしたんだ?」
『仕方ないわね。怪我の功名っていうのかしら?あれは』
「怪我したのか?父さん」
『いいえ。まったく。していないわよ。する訳ないじゃない。あの人が』
「脅かすなよ」
『でも、この間ね、立てこもり事件に巻き込まれたのよ。さすが新ちゃんの父親ね。事件が放っておかないわ』
「立てこもり?どこで?そんなニュースやっていた?」
 新一は最近あったニュースを思い出す。
『ホテルなのよ。たまたま講演をすることになっていて、そのホテルで待ち合わせをしていたの。そこに立てこもり犯が来て、ホテルにいる人たちを人質にしたの。結局犯人は自殺してしまったらしいわ。でもその最中、やっぱり怪我をした人もいたみたい。拳銃を持っていたから』
「……」
『優作は無傷。要領がいいから』
「そっか。それって、いつ?」
『えー、かなり前よ。一ヶ月以上前ね。二ヶ月経ってはいないと思うけど』
「……」
 いつから。いったい、いつから。
 新一はぐるぐると考えた。
『新ちゃん?どうしたの?』
「いいや。さすが、父さんだって思って。事件が向かってくるから。俺も気を付ける」
『それって、気を付けてどうにかなるものなの?事件体質って直るのかしら』
「母さん。それもどうかと思うぜ?」
『だって似たもの親子なんですもの。あなた達!』
 それを言うなら母親も事件に巻き込まれるタイプだ。否、彼女が台風の中心なのか。
 新一は女優体質である母親を思った。似たもの親子の親は両親二人ともだ!
 新一は心中でつっこんだ。
「まあ、元気ならいいよ。怪我もないし父さんにも十分に気を付けるように言っておいて。悪運もいつまで続くかわからないから」
『わかったわ。伝えておく。新ちゃんもね』
「おう。じゃあな。母さん」
『ええ。じゃあね、新ちゃん』
 通話の切れた受話器を少し見つめて、新一はそれを戻した。
 
 
 




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